スペイン旅日記(その4) 〜ヘレス その1〜


2004年3月4日・5日

セビージャからヘレスまでは、バスで1時間ちょっと。この時期は、ちょうどフラメンコ・フェスティバルの 真っ最中であったためホテルがとれず、あるイギリス人が住んでいるアパートの一室を借りることと なった。どうでもいいことだが、洗濯機が使えたのは助かった。長期の旅行で困ることのひとつが 洗濯なのだ。小さな町ではコイン・ランドリーもなく、あったとしても場所がわからなかったり、何よりも ランドリーの場所を探して洗濯して、と結構時間がかかるのだ。

それはさておき、昼過ぎヘレスのバス・ターミナルに到着し、迎えに来てもらって近くのアパートへ。 Centro(セントロ=町の中心地)の観光案内所で地図をもらい食事をしたあとに散歩。ヘレスの町は小さいため、 徒歩で十分に歩き回れる。途中、アンダルシア・フラメンコ・センターに立ち寄って伝説的なbailaor( バイラオール=男性のダンサー)の展示などを見つつ、ただただぶらぶらと散歩した。 フラメンコ・フェスティバルといっても、とくに街中でそれらしい雰囲気はない。ときどき、フラメンコ教室 でレッスンをやっているzapateado(サパテアード=足打ち)の音が聞こえてくる程度だ。フェスティバルの 時期は、町のあちらこちらでcursillo(クルシージョ=フラメンコの短期レッスンのことを、小コースという 意味のクルシージョと呼んでいる)が開かれているらしい。夜は毎晩のように、スペインの有名なギタリスト やダンサー、歌手がいくつかの劇場でショーをやる。ショーを見たりクルシージョをとったりするのは、もちろん スペイン人ばかりではなく、外国人、とりわけ日本人が多く、この時期、ヘレスの町はいたるところに日本人が いる。そういうわたしもそのうちの一人であったが。

ヘレスの町は人口が少ないのか、静かな町だというのが第一印象だった。しかし、その印象は翌日にがらっと 変わる。



町の中心地にあるBARにも、通りにも人はまばら


翌日は朝から町に出かけた。すると、昨日とうってかわってたくさんの人でにぎわっている。考えてみれば 昨日散歩したのは午後。スペインでは、2時ごろから4時ごろ(店によって5時ごろ)まで、ほとんどの店は 完全に閉まってしまう。昼食とシエスタの時間をゆっくりととるのだ。スペインでは、昼食が一日のうちで もっとも重要な食事であり、日本と違って夕食は簡単にすませる。昼間からビールやワインはあたりまえ。 仕事の合間に簡単に昼食を済ませてしまうことの多い日本では考えられないが、慣れてくるとこのペースも 悪くない。ただ、仕事を終えて夜にゆっくりと風呂に入り食事をして一杯やるというのとどちらがいいのか とも思うのだが、なんといってもスペインは夜が遅い。フラメンコ・ショーが夜中の12時からはじまるなんて 普通のこと。夜は簡単に食事をして、そのあとゆっくりナイト・ライフを楽しむというのがスペインの楽しみ 方なのだ。



昼食の準備のため市場は午前中に買い物客でにぎわい、午後には閉まる。


この日は、カテドラルの隣にあるアルカサル(イスラムの城砦)を見学。一部改修中であったが、 オリーブの圧搾機やアラブ式浴場などを見たあと、パティオでちょっと休憩。手入れの行き届いた庭には、 オリーブの木やオレンジの木が整然と立ち並び、黒や緑、オレンジ色の実をつけている。のんびりとした 時間が流れるなかパティオのベンチにすわり、関空の本屋で買った『女王フアナ(原題 Juana la Loca)』を 読みつつ、スペインの壮大な歴史に思いをはせた。

  

       カテドラルのファサード       アルカサルの展望台からカテドラルとヘレスの町を望む



午後は、ヘレスからバスで1時間弱のところにあるカディスに向かう。カディスは、紀元前10世紀から8世紀ごろ、 フェニキア人によって築かれたとされる港湾都市だ。つまり、3000年近くもの歴史を有するヨーロッパ最古の 都市のひとつである。セビージャと同じく、8世紀から13世紀後半までイスラムの支配を受ける。大航海時代 以降は、アメリカ大陸植民地経営の拠点として栄えた。19世紀のはじめ、トラファルガー沖でネルソン率いる イギリス艦隊との戦いで敗れたあの無敵艦隊が出向したのもカディスであった。その直後、フランスのナポレオン 軍がスペインに侵攻するが、カディスの人々は抵抗を続けた。そして、1812年、この地で開かれた国民議会に おいてスペイン初の自由主義的、民主的憲法が制定された。しかし、スペインがナポレオン軍の侵攻を受けている なか、アメリカ大陸の植民地では独立運動が起こるなど、世界各地に植民地をもつ一大帝国となったスペイン 帝国もいよいよ斜陽を迎え、「太陽の沈まぬ帝国」といわれた帝国そのものが沈んでいくことになる。そして、 1898年、アメリカ合州国との戦争に敗れるとスペインの凋落は決定的なものとなったのである。



1812年の憲法制定を記念するモニュメント


 

カディスにはお洒落なブティックも多く、ヘレスよりも洗練された町のように見えた


昼は、カディスでもっとも有名なレストラン・バル El Faro(エル・ファロ)へ。扉を開けるときちんとした服装 のウエイターがうやうやしくジーパン姿のわたしたちを迎える。「なんか場違い」と思いつつ席に着きメニュー を広げるが、もちろんかなりの値段がする。まあ、たまには豪華な食事もいいかとも思ったのだが、やはり どう見ても「勘違いの旅行者」にしか見えない。BARはないのかと若いウエイターに尋ねると、私が案内しま しょうと入ってきた入り口とは違う扉からカウンターのあるBARへ案内してくれた。レストランとバルでは入り 口が違っていたのだ。こちらのほうが気楽に食事ができる。それにしても、カウンターのなかには、見るから に新鮮そうな魚介類が並んでいる。小魚やイカ、メルルーサのたまご(たらこのようなもの)がならび、指で 差しながら注文するとそれを厨房にもっていって料理してくれる。定番のタパスも充実している。スペインの バルであればどこにでもあるsalpico'n(サルピコン=たこやえび、たまねぎ、ピーマン、トマトなどが入った マリネ)、これがまた絶品。わたしがスペインで食べたサルピコンのなかで、ここのが一番おいしかった。大満足。

  

潮風に吹かれながら海岸沿いの通りを散歩する


食後は、海岸沿いを散歩したあと、バスに乗ってCentroへ。Torre Tavira(タビラの塔)に登って 屋上からカディスの町を眺めたあと、ca'mara oscura(カマラ・オスクーラ=暗室)でカディスの 町を見ながら歴史のお勉強。カマラ・オスクーラとは、塔の上階に据えられた鏡とレンズを通して外界 の風景を室内のパラボラアンテナ状のスクリーンに映し出し、町の全景を眺めながら、町の歴史や 観光スポットなどの説明を受けることのできる部屋(暗室)のことである。と書いてもなんだかよくわからな いかもしれないが、今まさに外の通りを歩いている人が目の前のスクリーンに映っているのをみるのはなかなか おもしろい。別料金ではあるが一度お試しを。ヘレスのアルカサルにもカマラ・オスクーラがある。

  

左はca'mara oscuraのシステム、右は室内のスクリーンに映る町の様子
(Torre Taviraのパンフレットより del folleto de 'CAMARA OSCURA TORRE TAVIRA'




Torre Taviraの屋上からカディスの町が一望できる


帰り際に、カディス博物館でカディスの歴史(といっても3000年もあるので全部は無理)をちょっとだけ 勉強し、1812年憲法制定の時代に活躍した政治家や聖職者の肖像画などを見てからバス・ターミナルへ 向かった。カディスの町を満喫し、夕方ヘレスへ戻る。充実した1日であった。

つづく



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