2004年3月6日 ヘレスといえばシェリー酒の産地として有名である。スペイン語でヘレスというのはシェリー酒のことであり、 こちらでワインといえば普通はシェリー酒をさすことが多い。町のあちらこちらにbodega(酒蔵)があり、 近くを通ると、シェリー酒独特の香りや樽の香りが漂ってくる。シェリー酒の原料となるぶどうは、パロミノと いう種類に限られていて、樽はアメリカ産の樫が使われる。また、ドライ・シェリーは、樽のなかで空気に触れ させてflor(フロール=花、つまり白カビのこと)を咲かせる。これが、シェリー独特の香り、風味を生み出す 秘密であろう。製法は、ワインとは異なり、古い酒と新しい酒を繰り返して混ぜ合わせる独特のものである。 これをソレア・システムと呼んでいる。したがって、ワインのように年代というものはない。 おそらく日本でもっとも知られているのはTi'o Pepe(ティオ・ペペ)であろう。これは、Gonza'lez Byass (ゴンサーレス・ビアス)という酒蔵の銘柄。今日は、いよいよこの酒蔵の見学である。 ![]() ![]() Gonza'lez Byassのかわいらしいトレード・マーク そのトレード・マークを看板にするBAR この酒蔵は、予約なしで見学することができ、見学ツアーには、時間帯によってスペイン語以外の言葉による 解説もつく。また、日本語のガイドはないが、日本語のパンフレットがおいてある。週末のこの日は、数十人もの 客が集まり、みんなでぞろぞろと遊園地にあるような子ども向けの列車に乗って見学開始。まずはじめに、ワイン の蒸留酒をシェリーの樽で熟成させる シェリー・ブランデーの製造工程の説明を受け、樽の貯蔵庫へ。酒蔵設立当初からのワインが眠って いる樽、スペイン王室御用達の樽(ここだけ撮影禁止)、ここを訪れた世界各国の著名人がサインした樽など がずらりに並ぶ。 ![]() ![]() 左は、シェリー・ブランデーの樽。熟成の度合いによって色・香りが異なる。右はティオ・ペペの樽 貯蔵庫の一角で、酒蔵の歴史をまとめたビデオをみたあとお楽しみの試飲。定番のティオ・ ペペはハーフ・ボトルが二人で1本。もう一種類のスウィート・シェリーは一杯だけ。酒好きのかたには、「やっ ぱりドライでしょ」と思うむきが多いと思うが、とろっとした口当たりに、しつこくない甘さのスウィート も是非試していただきたい。食後のデザートは苦手という人、是非、一度デザートとしてスウィート・シェリー はいかがだろうか。ドライ(ドライのことはスペイン語で乾いているという意味のseco=セコというが、ドライ ・シェリーのことは、繊細なという意味のfino=フィーノという)、スウィート(dulce=ドゥルセ)のほかに、 紹興酒のような色と香りのオロロソ(oloroso=芳香の)やアモンティジャード(amontillado)というのもあり、 シェリーの奥深さを改めて感じた。銀座に「シェリー・クラブ」というバーがあり、そこに何十種類ものシェリー がおいてあったが、愚かにもあのときはシェリーのことはまったく知らなかった。是非また行ってみたいものだ。 酒蔵見学の最後には、お決まりのお土産屋に案内されて見学ツアーは終了。 ![]() ![]() Gonza'lez Byassの酒蔵。屋根の上にはトレード・マークの風見が。 ![]() こちらも有名な酒蔵 Domecq。どちらからも甘いシェリーの香りが漂ってくる。 この日の午後は、夜のショーまでのんびりすることにした。市場の前では、日本でもおなじみスペインの お菓子、churros(チューロス=棒状ドーナツのようなもの)をあげてその場で量り売りをしている。 かつては日本でも某ドーナツ屋にチューロスがあったが、今でもあるのだろうか? チューロスは、砂糖をまぶしてそのまま食べるのもいいが、chocolate(チョコラテ=チョコレート・ドリンク) をつけて食べるのもいい。スペイン語では chocolate con churros といい、スペイン語を習い始めた ころ、これを知って是非食べてみたいと思ったものだが、スペイン人のようにこれを朝食とすることは あまりなかった… ![]() ![]() さて、この日の夜は、ヘレスで最大の劇場Villa Marta(ビジャ・マルタ)でおこなわれたCarmen Corte's (カルメン・コルテス)の『La Celestina(セレスティーナ)』をみた。フラメンコといっても、ギター・歌・ 踊りというオーソドックスなショーではなく、スペインのピカレスク小説につながる古典を踊りで表現したもの であり、もとのストーリーを知らないものには理解しにくい難解なものであった。よくあるフラメ ンコのショーとは異なり舞台装置や照明などにも工夫がなされ、また、いわゆるフラメンコといえるのかどうか なんともいえない振りや音楽が使われ、フラメンコの踊りというよりは芝居のようであった。少なくとも ストーリーぐらいは勉強しておけば、もう少し違った見方ができたかもしれない。 翌日は、今、日本でも人気のあるらしいRafael Campallo(ラファエル・カンパージョ)のショーを Sala la Compani'a(サラ・ラ・コンパニーア)でみた。こちらはギター・歌・踊りという言ってみれば お決まりのフラメンコであったが、見るものの息をつかせぬほどの圧倒的な迫力であった。その2日後には、 Andre's Mari'n(アンドレス・マリン)のショーがあったが、ラファエル・カンパージョとは異なり、 その繊細な踊りと演出は独自の世界を作り上げており、フラメンコ界でも異色の存在のようだ。 今回、残念ながら見ることができなかったのだが、ヘレスのフェスティバル初の日本人によるショーが あった。日本でもテレビで取り上げられたり、すでに公演がおこなわれていたりするのでご存知のかたも 多いと思うが、曽根崎心中をテーマとした SONEZAKIである。翌日のDiario de Jere'z(ディアリオ・デ・ヘレス= ヘレス日報)の一面を飾ったこのショーは、「日本人にフラメンコができるわけながない」などと懐疑的で あったヘレスの人々にも絶賛された。カトリック信者の多い国で心中をテーマにしたり、衣装に着物を取り 入れたり、足ではなく手を使ってリズムを刻んだり、和太鼓や琵琶を使ったり、ポピュラーやロック、ジャズ の要素を織り交ぜたりと野心的な試みは、フラメンコの枠を超えてひとつの舞台芸術として高い評価を受けた ようだ。もちろん、同じ舞台でも、それに対する評価は人によってさまざまであろう。ただ、ある 一定の評価に落ち着く舞台より、論争を巻き起こすようなもののほうがはるかにおもしろいのではないか。 前のページに、フラメンコは、ロマ独自の踊りでも、ましてはスペイン独自の踊りでもないハイブリッドな 文化の表現だと書いたが、今回のヘレスの旅は、フラメンコのことはほとんどわからないわたしにとって そうした「フラメンコ」のもつ奥深さ、懐の深さを十分に感じさせてくれるものとなった。 つづく |