スペイン旅日記(その6) 〜セビージャ・ヘレス近郊の町 その1〜


2004年3月7日 〜Sanlu'car de Barrameda(サンルーカル・デ・バラメーダ)〜

サンルーカルは、ヘレスからバスで約30分ほど、グアダルキビル川が大西洋に注ぎ込む河口の町である。 この町の歴史も古く、フェニキア人やイスラム教徒がこの地を支配している。大航海時代には、マゼランや コロンもこの港町から大西洋へ出ていった。この日は、日曜日。町全体がのんびりとした雰囲気に 包まれ、散歩をしたり、manzanilla(マンサニージャ=シェリー酒の一種)や白ワインを飲みながら食事を したり、地元の人々や観光客がゆったりとした時間を すごしていた。数件あるアイスクリーム屋さんはどこも大人気。また、バイクのツーリング客が多い。 そういえば、ヘレスには、 Ciucuito de Jere'z(シルクイート・デ・ヘレス)というサーキット場もあり、バイクの人気は高いのだろう。 ちょっと寒いかもしれないが、海沿いや川沿いの道を走るツーリングはきっと最高だろう。

  

グアダルキビル川に面したBajo de Gui'a(バホ・デ・ギア)には多くのレストランが並ぶ




町の中央広場に面したBARで遅めの食事をとる家族


現在、この町はmanzanilla(マンサニージャ)といわれるシェリー酒の生産地として有名である。5月には Feria de Manzanillaというお祭りもおこなわれる。 マンサニージャの製造過程は、fino(フィーノ=ドライ・シェリー)と同じあるが、この町でつくられるものだけが マンサニージャと呼ばれる。潮風と湿気、flor(フロール=花)が違うということであるが、飲み慣れないと はっきりとした違いはわからないかもしれない。スペインの有名な祭りのひとつ、セビージャの春祭りで 飲まれるのはこのマンサニージャが多いようだ。アンダルシア地方では、イカや白身魚のフライが名物だが、 独特の香りとすっきりとした飲み心地のマンサニージャをきりっと冷やせば、まさに相性抜群。


   人気のマンサニージャ2種類


  

魚フライの盛り合わせと鯛の鉄板焼き。いずれもこれで1人前である。ちなみに前菜はべつ。



2004年3月8日 〜Carmona(カルモーナ)〜

ヘレスからカルモーナへ直接行くバスがないためセビージャで乗り換える。セビージャからは50分。5月から6月 になると、あたり一面はひまわりの花で埋まるのだが、残念ながらまだその時期ではなかった。バス停を降りて、 Puerta de Sevilla(プエルタ・デ・セビージャ=セビージャ門)をくぐると、そこからは旧市街。門のところには 観光案内があり、そこから門の上に登るとカルモーナの白い町並みが一望できる。

  


  

セビージャ門の上からカルモーナの新旧市街を望む(左上がセビージャ門)



セビージャ門を出て、町の反対側にあるParador(パラドール=城や修道院などを回収した国営ホテル)まで散歩。 この町は、とにかくきれいである。家の壁を白く塗るのは、カルモーナだけではなく、アンダルシア地方の特徴の ひとつであるが、どの家もペンキ塗りたてのごとく真っ白である。また、玄関からパティオにかけても 掃除が行き届いている。人々が家や町を大切にしていることが伝わってきて、とても居心地のよい町である。

   


カルモーナのパラドールは、イスラムの城をカトリックのドン・ペドロ王が宮殿とし、それを新しく ホテルに改修したものである。かつては、あのカトリック両王(イサベル女王とフェルナンド王)が 滞在した。また、『地球の歩き方』によると、天正少年遣欧使節や慶長遣欧使節(支倉常長一行)もここに 立ち寄っているらしい。支倉常長は、太平洋をわたりメキシコを通り、次に大西洋をわたってスペインまで 来たのだ。今から400年も前のことである。ちなみにメキシコ・シティで支倉は、「タイルの家」と呼ばれている 場所に宿泊したが、近いうちに「メキシコ旅日記」で紹介しよう。

さて、カルモーナの町に話をもどそう。パラドールの帰り、Iglesia Prioral de Santa Mari'a de la Asuncio'n(イグレシア・プリオラル・デ・サンタ・マリーア・デ・ラ・アスンシオン)という教会を見学した。1424年に建築がはじまった ゴチック様式のこの教会のみどころは、150以上もの絵画や金銀細工などの展示である。とくに金銀細工の 像、刀、燭台などの品々は見事であった。しかし、これらのものをつくるための金銀はどこからきたのだろう かと考えると複雑な心境になる。おそらくは、その多くがアメリカ大陸植民地からもたらされたものであろう。 これらの金銀がここにくるまでに、どれだけの人の血と汗がながれたのだろうか。もちろん、この展示は、 「芸術文化遺産の常設展」であって、植民地の歴史とむすびつけるのは 難癖をつけるようなことかもしれない。しかしながら、「芸術文化」もそうした植民地支配という歴史から 無縁ではあり得ないこともまた、心に留めておかなければならないと思う。 3ユーロの入場料を払って「芸術文化」を見学した後、市場にいって気分転換と思ったのだが、 残念ながら市場はほとんど閉まっていた。市場には午前中に行かなければならないのだ。町の中心にある Plaza de San Fernando(プラサ・デ・サン・フェルナンド)に面したレストランで食事をしたあと、カルモーナの 市立博物館を見学して帰路につく。帰りは、セビージャまでバスで行き、セビージャからヘレスまでは 列車(Andaluci'a Express)に乗った。



つづく


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