TOPカタリエヌモノ書庫


カタリエヌモノ

** 2011.05の カタリエヌモノ **

 ++ 11.05.06 (fri) ++ 



今年のゼミ生の卒論のテーマは「自尊感情」になりそうです。

結局今年も認知心理学的な要素が無いのですが…(笑)。

 ++ 11.05.09 (mon) ++ 



縁もゆかりもない土地で1人で生活し,働くということがどれだけつらいことか,経験してみるまでわかりませんでした。

 ++ 11.05.10 (tue) ++ 



赴任手当が出ませんでした。

梅大で赴任手当が出なかったときは,私大ならやむを得ないと思いました。(*1)
しかし,国立大学は普通出ると聞いていたので計算外でした(笑)。
このご時世ですから満額は出ないかもしれないとは思っていましたが,どうも旅費だけ支給されるようです。

引っ越し貧乏です。

ただ,研究費の面では,心理学教室の先生方のご配慮で赴任1年目は少し多めに配分していただけることになりました。
すごくありがたいです。

−−−−−−−−
(*1)実際には人によって貰えたり貰えなかったり,差別があったようですが。

 ++ 11.05.12 (thu) ++ 



広く浅くつきあえば,多くの別れを経験しなければならなくなる。
狭く深くつきあえば,つながり続けることが出来る。

 ++ 11.05.13 (fri) ++ 



基本的に私は仕事人間です。
仕事が大好きです。
というより,何もすることがない状況が怖いのかも知れません。

ところが,今は何もやる気が起きません。
早く引退して,隠居生活がしたいです。

 ++ 11.05.16 (mon) ++ 



基本的に私は「仕事大好き人間」です。
また,今の仕事は天職だと思っています。

ただ,体調を崩した際,仕事を楽しいと感じられませんでした。
そのとき,仕事って実は大変なものなんだと知りました。

もしかしたら,一般の方はこんなにもつらい思いをして働いていらっしゃるのでしょうか。
仕事を仕事と割り切って働いていらっしゃる方はすごいと思えるようになってきました。

 ++ 11.05.17 (tue) ++ 



人間は色々な経験を通して他者の感情を自分のこととして感じることができるようになるのだと思い知らされています。

もちろん,経験はなくても頭の中で人の状況を想像し,その人の気持ちを想像することは出来ます。
また,多くの場合,他者と同じ状況など経験できないので,想像して共感しようとするしかないと思います。

そうやって想像するのは骨だったりします。
他者の事ばかり考えていなければいけなくなったりもします。

だから,考えなかったフリをしたくなるときもあります。

しかし,自分の経験が増えていくに従い,想像ではなく実感として理解できる事柄が増えていきます。
特に,若い頃は強気強気でいけたことも,年をとるにつれ,強気でいけない人の気持ちや状況もわかるようになってきました。

そして,考えたくなくても,他者のつらさが自然に感じられるようになってきました。

人としての厚みは増している気はしますが,同時に辛さも増えていっている気もします。

 ++ 11.05.18 (wed) ++ 



若さは何物にも代え難い特権です。

それに対し,私はこれまで選択してきたことに責任をとるべき年齢にさしかかってきたようです。
例えそれが間違った選択であったとしても,その選択によって一生幸せにはなれないとわかっていても,それを全うする義務が生じています。

そういう意味で,二十歳前後の人たちを見ていると,羨ましてく仕方がありません。

そして,人生は常に100%正解と言える選択なんて出来ることはないけれども,それでも,出来るだけ後悔しない選択をするようにして欲しいと願ってやみません。

 ++ 11.05.19 (thu) ++ 



明日は「新採用大学教員の附属学校・一般公立校におけるFD」ということで,丸1日公立中学校に視察に行きます。

また明後日は,日本認知科学会の「学習と対話研究会」 第45回研究会ということで,京都大学にお邪魔します。
一応,私の企画で「批判的思考の領域普遍性と領域固有性」というテーマで開催します。

そのため,明日,明後日の更新はお休みいたします。
次回更新は22日(日)か,23日(月)です。

 ++ 11.05.22 (sun) ++ 



児童生徒の「なぜ勉強しなければならないのか」という問に教師がどのように答えるかは,人それぞれだと思います。(*1)

良くある答えは「将来のため」でしょう。
「良い高校,大学に行くため」
「将来なりたいものが出来たとしても,勉強していないとなれないことがある」
「自分が何になりたいか考えるためにも勉強しておかなければならない」

また,「頭の体操」という答えも割と聞きます。
つまり,勉強そのものは社会に出ても役に立たないことがあるが,勉強をすることで頭が鍛えられるということです。
ただ,これでは納得しない児童生徒が多い気もします。

前任校にいたとき,この原因の一端がわかった気がしました。
つまり,彼らは「知能は冷たい」ととらえているということです。
頭が良くなることは冷静さを増大させ,人の気持ちがわからなくなると感じがちだということです。

私はこれは真逆だと思います。
頭の回転が良くなり,物事を多面的に捉えられるようになることで,相手の気持ちや立場をきちんと考え,行動に移すことが出来るようになると考えられるからです。

なので,「頭の体操」という答えを示す際は,同時に「知能は暖かい」ということも示さなければ,児童生徒は納得しないことが多いのではないかと思います。

−−−−−−−−
(*1)「10.12.14」参照。

 ++ 11.05.23 (mon) ++ 



なぜ私が「役に立つ研究」を積極的にしたいと思えないのか,理由が1つ見つかりました。

もちろん,「役に立つ研究」も楽しいですし,意義も理解できます。

ただ,「役に立つ研究」をするには現実に即さざるを得なくなる場合がほとんどです。
そのため,研究方法等に制約が生じることが多くなります。

そうすると,わかることにも制限が生じてしまいます。

私はどちらかというと,物事の背後にある「一貫した法則」のようなものを見つけ出したいと思う方です。
そのため,こういった制限が生じることをあまり快く思えないのだと思います。

 ++ 11.05.24 (tue) ++ 



論文を投稿しました。

昨年度まで参加していた「子ども福祉研究会」の成果です。

保育の分野の論文なので採否の基準がよくわからず不安ですが,無事掲載されることを願っています。

 ++ 11.05.25 (wed) ++ 



愛教に来て各教科の指導法・教授法について心理学的な知見から話さなければならないことが増えました。

例えば,

「理科」は時空間的な情報を捨象した法則を扱うので,児童は法則化につまづきやすいがドライに学びやすくもある
「社会」は時空間的に縛られた内容や具体的な人物を扱うので,感情を伴いやすい反面それをもとに理解が促進されることもある

といったことを対比しながら話したりします。

こういった話をしていて改めて気づかされたのは,教師は教科毎に教科観がしっかり持っていないと良い授業は出来ないということです。

そして,全教科を教えなければならない小学校の先生は,
・全教科の特徴を理解し,
・それに基づいて授業の内容を構成し,
・学問としてのおもしろさを伝えていかなければいけない,
と思うと,本当にタフだなと感じるようになりました。

 ++ 11.05.26 (thu) ++ 



学校現場の現状を知るにつけ,
「私は学生たちを戦場に送り込む仕事をしているのではないか」
と思えてきます。

 ++ 11.05.27 (fri) ++ 



学校の先生の仕事の現状を知るにつけ,素人の想像をはるかに超えた,大変な仕事だと思います。

ただ,それでも,先生の全てを尊敬する気にはなりません。
なぜなら,大変な仕事をしていることと,本質を理解していることは別だからです。

私にはどうしても,全ての先生が物事の本質を捉え,自覚的に働けているなんて思えない。

 ++ 11.05.29 (sun) ++ 



暗黒を1人で飲み込めば周りは幸せでいられる。

 ++ 11.05.30 (mon) ++ 



良いことも悪いことも,
楽しいことも苦しいことも,
善意駆動するために全て飲み込む。

 ++ 11.05.31 (tue) ++ 



「大学教員は研究者だから教えられる」という話はよく聞きます。
この話は「だから研究をしなければならない」という結論に至ります。

私は「大学教育をしているから研究の幅が広がる」とも思っています。
なので「だから本気で教育をするべきだ」と感じるに至ります。

  次の月へ


TOPカタリエヌモノ書庫