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カタリエヌモノ

** 2013.03の カタリエヌモノ **

 ++ 13.03.01 (fri) ++ 



いつの時代も,戦争に加担した思想家が後の世で高く評価されることはない。

人殺しが評価される道理はない。

 ++ 13.03.04 (mon) ++ 



将来的にやりたい仕事があります。
しかし,そのためには今の倍くらいの実力が必要です。

ただし,やりたい仕事を現にされている先生と自分との実力差が明確に分かるようになっただけ進歩です。

 ++ 13.03.06 (wed) ++ 



大学院の演習で「研究している姿を見せて学ばせる」ということを試みました。

実際には,半期の間で
 受講生達の関心領域の共通項を見つけ,
 テーマ設定をし,
 文献研究を行い,
 課題を発見し,
 それを検証するための方法を考え,
 実験を実施し,
 データを集計,分析し,
 論文を執筆する
という作業を私が主導しつつ,受講生と協同で行いました。

大学院では修士論文を書かなければなりません。
そのための指導は,多くの場合,学生の書いてきたものを添削するという形で行われます。
なかなか教員がモデルを示すということが出来ません。

なので,こういう方法もありかなと思い,やってみました。

 ++ 13.03.07 (thu) ++ 



論文を投稿しました。

昨日ご紹介した演習の成果です。
受講生全員での共著としました。

上手く採録されると良いのですけど。

 ++ 13.03.08 (fri) ++ 



卒論を書く上で最低限避けて欲しいこと。

書式が整っていない。
正しい引用が出来ていない。

「まだ誰もやっていない」
というどうでも良い意義しか示せていない。(*1)

−−−−−−−−
(*1)まだ誰もやっていない研究なんて無限にある。
なぜやってないのか。価値がないからやってないのではないか。
なぜそれをやるのか。本当にやる意味があるのか。
これまでの研究との関係は?
それを示さないのに「まだやってないからやる」というのはオリジナリティでも何でもない。

 ++ 13.03.11 (mon) ++ 



なぜ教育大学の学生なのにプレゼンが下手なのか。
人にわかりやすく話すのが仕事なんじゃないのか。
自分の話を苦悩の表情で聞いている人を見て耐えられなくなったりしないのか。

ずーっとそう思ってました。
でも,これは逆だと気づきました。

つまり,そういう状況に耐性があったり,気づかなかったりするから教師になれるんだと。

 ++ 13.03.12 (tue) ++ 



私は仕事が遅い。

けど,質にはこだわる。(*1)

−−−−−−−−
(*1)質が高いかは…。

 ++ 13.03.13 (wed) ++ 



今の日本は科学(否,工学)の力を過小評価しすぎている。

理論,原理,思想が世の中の枠組みを作っている。

 ++ 13.03.14 (thu) ++ 



「研究する時間がない」なんて,なんておこがましい。

正確には「研究する時間を作る能力がない」だろう。
能力があれば効率的に仕事して,いくらでも時間を作れるはずだ。

(ただし,有能さと人望とを兼ね備えた人のところには仕事が集中するという例外はある。)

 ++ 13.03.15 (fri) ++ 



「対人援助職に就くのに何で心について考えようとしないのか」と考えることがあります。

とはいえ,対人援助職に就く人に限らず,一般的に人はヒトの心になんか関心がないようです。
多くの人が関心があるのは「気持ち」であって,「心の仕組み」では無いと思います。
(結果としての「気持ち」ばかりを気にしていては,対人援助職などつとまらないだろうに)

 ++ 13.03.18 (mon) ++ 



大学教育をまともに受けようとしなかった者は自分の経験で勝手な決めつけを言うのはやめて欲しい。
今まさに大学教育を受けられる者は大学の持つ機能を十分に甘受して欲しい。
大学教育をしている者は大学の機能に自覚的になり,その有用性を世間に示して欲しい。

そして,大学教育が有効に機能するだけで世の中が良くなるとか考えているその幻想を捨てて欲しい(自分)。

 ++ 13.03.19 (tue) ++ 



私は大学教育の「意味」を信じてしまっている。

 ++ 13.03.21 (thu) ++ 



私の「作品としての論文」の書き方と「商品ととしての論文」の書き方の違い。
作品:渾身の力を込めて書いて評価は査読者に任せてしまう
商品:落とされないようにきちんとまとめる

 ++ 13.03.22 (fri) ++ 



ゼミは教員と学生とが互いに指導に価値を見いだした場合に成立する。

指導に価値を産む要因は,主に
・指導教員の指導法と学生のパーソナリティ
・指導教員の専門と学生の興味
の2つが合うこと。

これらの両方が合えば,教員は指導しようと思えるし,学生も指導を受けようと思える。
逆に言えば,これがなければゼミは成立しない。

ゼミは教員と学生とのコラボレーションの場なので当然のこと。

 ++ 13.03.25 (mon) ++ 



もし大学に何も求めていないのなら,大学に来る意味はない。
もし大学に何かを求めているのなら,大学に来る意味はない。

大学とは自分で欲しいものを手に入れる場所。
大学とはそれをサポートする機関。

 ++ 13.03.26 (tue) ++ 



結果=才能(定数)×努力(変数)+運(誤差) (*1)

努力=方法選択力×持続力
方法選択力:常に目標を見据えて効率的な努力の仕方を選ぶ力
(なお,結果を出すためには誤差を最小化するようあらかじめ様々な可能性へ対処しておくことも重要)

−−−−−−−−
(*1)「13.01.17」を修正。

 ++ 13.03.27 (wed) ++ 



学生から見ると私も大人なんだろうけど,
大人になっても若い頃のように迷い続けるし,
迷わない人間は自分の正義を他人に押しつけるから迷い続けているべきだし,
迷い続けてて良いことを学生に示すために迷い続けてる無様な姿を見せていたい。

 ++ 13.03.28 (thu) ++ 



最近,年のせいか,
「残りの時間で私のような三流研究者でも出来ることは何か」
と考える。

 ++ 13.03.29 (fri) ++ 


(画像をクリックすると拡大画像が表示されます。)

例年の通り(*1),今年度の業績の総括をします。

相変わらずの生産力ですが,なんとか審査あり単著を1本公刊できました。
専門外の論文でしたし,心理学者としての幅を広げるという意味で意義のある成果だったと思います。

また,著書を2本公刊できました。

1本は自分の文理解研究の概説でした。
初めて自分の専門について書けたので,これも意義のある成果だと思います。

もう1本は,これは著書に分類して良いのか分かりませんが,特集号の編集です。
「認知科学」誌で「批判的思考」という特集を企画し,編集いたしました。(*2)
自分自身は批判的思考の研究者だとは思っていませんが,良い論文を収録でき,大変有意義な仕事でした。

とはいえ,全体としては満足できる状況ではありません。
昨年度の総括で「文理解関係の論文を1本は投稿する」としていますが,未だに執筆中です。
(投稿までに時間がかかっているのには理由があるのですが。)

研究室の運営も軌道に乗ってきたので,来年度から少しずつ生産力を挙げていきたいです。

−−−−−−−−
(*1)「12.03.30」参照。
(*2)詳しくは「12.03.16」参照。

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