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2008年12月6日
La neige tombe sur la terre glacee qui a perdu le geant d'intellect hier. Il faut tenter de recommencer de la.「映画採点簿」再開します。
2008年6月25日
もう少しでヴァカンスです。行く予定はないものの、夏の地中海が恋しい!インテンシブフランス語コースを受講の人は前期口頭試験の予約ページに入って下さい「インテンシブフランス語コース 前期口頭試験」。「ソウカフランス語OB通信」の配信はもうしばらくお待ち下さい。
2008年4月17日
新学期がいよいよ始まりました。いつもFestina lente!「ゆっくり急ぎんさい!」と言い聞かせているのですが、ついFestinaです。そのわりに「映画採点簿」はまだ復活しておりません。多くの方から「観ているなら書け!」と言われているのに、ごめんなさい。そこでとりあえず今年になって観た映画のタイトルのみ入れました。「ソウカフランス語OB通信」の方も近日中に配信されます。
2007年6月26日
暑くなってきてますます忙しくなり、「映画採点簿」はまだ復活しておりません。ごめんなさい。インテンシブフランス語コースを受講の人は前期口頭試験の予約ページに入って下さい「インテンシブフランス語コース 前期口頭試験」
2007年4月12日
2007年度の新学期が始まりました。私はまだ気持の整理が十分にできていませんが、学生の皆さんは気分一新で楽しく講義に臨んで下さい。長らく休止していた「映画採点簿」はご要望にお応えしていよいよ2007年度から復活します。また、「ソウカフランス語OB通信」も近日中に配信されます。お楽しみに!!
2006年6月29日
"Jamais la fin d'ete n'avait paru si belle."こんなシャンソンの一節を思わず口ずさむ今日この頃。ほぼ一年ぶりの更新で、まるで長い旅を終えたようです。「映画採点簿」は書く意欲が沸くまで当分の間休止となります。ベーシックフランス語受講の一年生は次の個別面談試験日程表のページに入って予約をして下さい。インテンシブコース・フランス語個別面談試験日程表
2005年7月27日
toujours contre les Guerres, et contre ceux qui veulent la Guerre, par exemple "Champ-Pierre", "Petite Fontaine" de Tokyo. C'est degeulasse! C'est terrible! C'est insupportable! (もっと適切な言葉下さい!) On doit les ecraser !\!\?$!$!
2005年7月4日
ゴメンナサイ、映画採点簿は新作1点しか完成していません。旧作5点は夏休みに入る前には全て採点を終了させます。インテンシブ・コース一年生の皆さん、口頭試験始まっています。大丈夫ですか?早めにメールで口頭試験の予約をして下さい。試験日程表→「インテンシブコースフランス語前期口頭試験日程表」
2005年6月27日
残すところあと一ヶ月で夏休みです。そうなると前期試験が近づいてきたわけで、インテンシブ・コースの口頭試験が始まります。その試験日程表をこのページからリンクしましたので、一年生で「準備のできた人」はメールで予約を始めて下さい。試験日程表→「インテンシブコースフランス語前期口頭試験日程表」お待たせしている映画採点簿は今週中に新作1点と旧作2点を採点します。お楽しみに!
2005年5月24日
少しずつ仕事を片づけてようやく更新にたどり着きました。7月末締め切りの論文に向けてこれから猛勉強といきたいところですが、どうなることやら。OB通信『ソウカフランス語』第5号も先週発行しました。この第5号には3月に訪れたパリでの様子を日記風に書いたコーナーがあります。OBの方でまだ届いていない人はメールで請求して下さい。お待たせしている映画採点簿はそのパリで観た作品を含めて4作品を採点しました。いずれも辛口です。2月までに観た作品はまた後日順次採点します。お楽しみに!
2005年4月5日
大学も新学期が始まろうとしています。このページもようやく更新です。ヴァーチャル・U・フランス語に学生が作成した教材(クロスワード・パズルとフランス語による広島大学の紹介)を「学生が作成した教材」としてまとめました。昨年度二年生のフランス語による大学紹介は「インテンシブ・フランス語コース」の教員(私を含めて)を面白く紹介しています。また、Terraへのゲストアクセスの方法についても説明してありますので、興味のある方はそちらからTerraに入ってフランス語書き取り自動採点問題で練習をして下さい。どなたでも練習することができます。それから映画採点簿は「2005年の映画採点簿」が始まりました。年明けから結構観ているのですが、まだ全て採点を終えていません。最新の『理由』のみ採点して、後は順次書き込んでいきますのでお楽しみに。取りあえず既に観た作品名を「2005年の映画採点簿」に挙げておきました。それでは今年度もよろしく。
2005年1月28日
2004年12月25日
お待たせしました。今夏にモロッコ、チュニジア、そしてニースで収録したインタビューをヴァーチャル・U・フランス語に公開しました。今回のアップでは全部で22本のビデオを見ることができます。フランス人のフランス語だけでなく、モロッコ人とチュニジア人のフランス語も聴いてフランス語の学習に役立てて下さい。また、新しいWEB教材「Terra」に「ビデオ映像付きディクテ(書き取り)自動採点問題」を載せました。これは現在のところ広島大学1、2年生の登録受講生のみの試験運用ですが、近いうちにOBの方や日仏の学生さん、そしてゲスト使用できるように調整します。更に、先日の2年生の講義の中でiCahtを使ってパリと結びフランス語で質問を交わしました。時差の問題があるので講義中の教室と結ぶことはできませんから、今回は総合科学部外国語コースの卒業生で現在パリの建築大学に留学中のTさんにお願いして、朝早くから学生のフランス語の質問に答えて頂きました。画像は鮮明で、音質も約1秒程度のずれとごく希に音飛びはあるものの聴き取りに全く問題はありませんでした。受講生もみんな驚いて講義時間が過ぎることを忘れるほどでしたが、見学していた他の先生方も感動している様子でした。このiChatをはじめ最近私が行っているCALLの講義について近く論文にまとめる予定です。今回お手伝いをしてくれたそのTさんから昨日メールが来ましたのでご紹介しましょう。本来ならこれは「OB通信ソウカフランス語」に掲載するところですが、その内容から広く多くの人に知ってもらいたいと考えましたのでここに転載させていただきます。「先日のチャットはとても楽しかったです。自分の後輩にあたる子達とこんな風に会話できるなんて思ってもなく、また機会があればぜひやりたいです。一年生と話が出来ることも楽しみにしてます。最近は、フランス人ジャーナリストChristian Chesnot とGeorges Malbrunot が、イラクで解放されたニュースでもちきりです。二人が人質となった8月20日以来、フランスのテレビやラジオでは「国境なき記者団」が、毎日のように「二人が人質となって今日で○○日。私たちは、二人のことを決して忘れない。」とCMを流し、ニュースでも取り上げ、パリ市庁舎の正面には二人の写真が掲げられていました。私はラジオしか聞かないのですが、夜の数時間だけでも二人の名前が必ずでてきてすぐに名前をおぼえてしまいました。二人は、イスラム軍に対し「私たちは敵ではない、アメリカの協力者でもない。フランスは軍を派遣していないしフランスは戦争反対だ」と訴えたそうです。解放となったその日、外務大臣Michel Barnierが二人をBagdadまで迎えにいき、シラク大統領はモロッコでのバカンスを中断して、二人をパリ郊外の空港で出迎えていました。自分の思い(国民の思い)と、自分が属する国の思い(政府の行動)が同じってこういうことなのかとこの事件ではいろいろと思うことがありました。」このような話しを聞くと、「人それぞれ」という言葉に代表されるたちの悪い孤立と、それが悪意となって若者の「冒険」を挫くこの国の不幸が浮き彫りにされます。映画採点簿は現在4作品を執筆中です。もう暫くお待ち下さい。年内には更新したいと考えています。
2004年11月7日
「ドン」という強く鈍い振動で目が覚めた。その日は博士論文の口述試験のために大阪まで行かねばならなかった。そういうこともあったが、妙に胸騒ぎがしたので朝食前にテレビをつけた。これはあまりにもひどい。何度も連絡を試みた後にようやく大学に電話がつながったが、交通手段がないというよりも口述試験ができるような状態ではないという。試験は一週間後、それとも10日後に延期だっただろうか。その試験日、何とか近鉄で大阪まで行き、梅田からは阪急に乗って石橋へと向かった。線路の両側に見える家々には青いシートが至る所にかけられている。いつもなら話し声で賑わう車内も今日は静かだ。見ると乗客はみんなきゅっと口を結んで押し黙り、窓から外を見つめている。何を見つめているのだろうか。見つめているとすれば、そこにはもはや目に映らないかつて身近にいた人やかつてあったものであり、見つめていないとすれば、その代わりにかつて身近にいた人、かつてのものがもはや見られないことに耐えているのであろう。その震災から10年を迎えようとしている今秋、各地で台風や地震災害があった。今も多くの人が避難所生活を送っている。みんな何を見つめているのだろうか。しかしそれにしても、これらの被災に対応する責任主体は誰なのだろう。形式的には決まっているはずだが、一向にその顔が見えてこない。本当に大丈夫なのだろうか。ことの重大さを考えれば、ソウリは震災翌日には現地に見舞いに来るのが当然である。ところが我らが「ハダカの王様」はパウエル長官との会談だ。普通に考えればキャンセルして長岡に飛ぶはずだろう。彼の顔は日本国内ではなくアメリカを向いている。沖縄でも、イラクでも、日本国内でも同じだ。数日後に実現された被災地見舞いでは「今頃来て何だ!」という罵声が浴びせられなかったのか。そう言えば大東京にはもう一人「ハダカの王様」がいた。この自称文学者はThe Tokyo U-clubなる訳の分からない設立総会で、「フランス語は数を勘定できない言葉ですから国際語として失格しているのもむべなるかなという気がします」と発言したらしい。失格はお前だろう。よくもまあドラノエ氏が怒らなかったものである。さすがはパリ市長、雑魚は相手にせず「都知事の性格は日本人にとっての問題」というチクリとした言葉を残されたのですね。Merci!OB通信「ソウカフランス語」第4号配信しました。まだ届いていない方はご連絡下さい。ヴァーチャル・U・フランス語ではインタビュー(モロッコ、チュニジア編)を編集中です。完成したらこのページでお知らせします。映画採点簿の方はこのところ忙しくて新たな採点はありません。ベルトルッチも見逃しましたし、『アドルフ』も先週終わってしまいました。邦題が『イザベル・アジャーニの惑い』ではこれが『アドルフ』とは気づかないでしょう。こんな邦題でいいのですか。「ねえ、ねえ、『イザベル・アジャーニの惑い』観た?」という女性二人の会話が想像できますか。こんな不幸な邦題では口コミの可能性は全くありません。あ〜あ! Quel horrible!
2004年9月30日
海外出張を終えて帰ってみれば台風の嵐。停電にはなるわ、水は出ないわで大変でした。夜キャンプ用のガスランタようやく映画採点簿の更新をしました。何とこの二ヶ月間で観た7作品が登場します。相互に関連するところが少しあるので、古いものから順に(つまり下の方から)お読み下さい。論文を犠牲にして、少し気合いを入れてみました。OB通信『ソウカフランス語』第4号の方は、パリからいくつかお便りが届いていますので、これを編集してから配信します。それから明日の私の「ベーシック・フランス語」は北海道での学会のために休講になります。初回講義なので電子掲示板による休講通知は出ないようです。次週の火曜日(5日)にお会いしましょう。A la semaine prochaine!
2004年9月13日
海外出張を終えて帰ってみれば台風の嵐。停電にはなるわ、水は出ないわで大変でした。夜キャンプ用のガスランタンを取りだして「ランプの宿」になった時は少し落ち着きを取り戻しました。しかしです。災難は遠く南の海からやって来るのではなく、目の前の机上で待っていました。台風一過の二日後、自宅のPower BookG4が突然くらっ〜しゅ〜したのです。どうやらハードディスクが読み取れないようで、「キッコ〜ン、キッコ〜ン」と一生懸命アクセスしているのですがなかなか「ひっかからない」。以前G3で同様の症状が起きた時には、粘り強く再起動を続けると辛うじてシステムが立ち上がり、一部のデータを取り出すことができたので、今回も斜めに傾けたり、叩いたり、ひっくり返したり、時には撫でたり罵声を浴びせかけたりしたのですが、びくともしません。完全無視、お陀仏なのです。作成中の論文の基礎データ、完成間近のOB通信『ソウカフランス語』第4号(今回はOBの皆さんのお便りを多く紹介していたのですが)と映画採点簿(今回はスゴイ!何せ、ルーブル、むにゃむにゃafter tomorrow、ドラえもん、スイミング・プール、誰も知らない、華氏911と豪華ラインナップ...だったのですが)、これら中にあったデータは全て読むことができません。あ〜あ。皆さんもバックアップを心がけて下さい。実はこの9月中にバックアップしようと考えていた矢先だったのです。今後はハードディスクなるものは消耗品と考えて、バックアップはCDに焼いた方が良いかもしれません。御託を並べ立てましたが要するにOB通信『ソウカフランス語』第4号と映画採点簿は遅れます。OBの方でお暇な方は近況をお知らせ下さい。大学のパソコンに残された皆さんからのメールとこれからいただくメールでOB通信『ソウカフランス語』第4号の内容を考えます。
2004年8月12日
嵐のように7月が終わり、既に8月半ばになってしまいました。あれもしたいこれもしようと考えていましたが、時間切れです。明日から月末まで出張でモロッコ、南仏、チュニジア、パリと回ります。「映画採点簿」も結局1作品のみのアップで、先日観た『パリ・ルーブル美術館の秘密』は来月上旬までお待ち下さい。その時ハシゴしようとして、暑さに負けた『父と暮せば』も帰国後に観て、できれば同時にアップしたいと思います。それでは皆さん、Bonnes vacances!!
2004年6月28日
公開講座や講義の準備を進めているうちにもう前期試験まで一月となりました。週4コマ連動のいわゆるフランス語インテンシブコース受講の学生は「インテンシブコースフランス語前期口頭試験日程表」で予約を行って下さい。遅くなりましたが「映画採点簿」も更新しましたので、ご笑覧下さい。
2004年5月12日
発表会が終わったら急に元気が出てきて、一気に「映画採点簿」の4作品(今週見た作品も含めて)を書いてしまいました。楽しくご覧下さい。「ヴァーチャル・U・フランス語」もフレームを採用して使いやすくしましたし、教材の方も昨年取材したアンテルビューやディクテを大量増補しました。今後これらには自動採点練習問題を付ける予定です。また、OB通信「ソウカフランス語」第3号も先日配信しましたが、まだ届いていないという方はご連絡下さい。
2004年4月18日
「知識人としての役割を果たすことを断念していない人々は、かつて啓蒙主義時代の思想家たちが担っていた任務を、いまこそ引き継がなければなりません。芸術家、作家、科学研究者は専門の違いを越え国境を越えて抵抗し文化再建の計画を立てなければなりません。そのためにこそ、社会に関して、また知識人の使命と権力に関して、先人たちが作り出し維持してきたすべての幻想を批判しなければなりません。この現実主義は醒めたシニシズムとは無縁のものです」(P.ブルデュー『メディア批判』櫻本陽一訳、藤原書店)さて 2004年度の新学期が始まりました。気分一新というわけではありませんが、このサイトもマイナーバージョンアップをしました。各ページの内容が少しずつ更新されているはずです。昨年度に私の講義を受講した学生は「講義案内」にまず入って下さい。「フランス語訳読法演習」の最終課題として学生達がフランス語でビデオを製作しました。フランス語ドリルの「B フランス語ビデオ製作」からご覧下さい。なかなかの出来です。「映画採点簿」には新たに4作品が登場しています。「ヴァーチャル・U・フランス語」も近々改訂予定です。もう暫くお待ち下さい。また、OB通信「ソウカフランス語」第3号も近日中に配信するつもりでいます。OB方々からの近況報告をお待ちしております。
2004年3月1日
お待たせしました。ようやく更新です。今年も昨年以上に暗く始まり、なし崩しどころか正面切って攻め込まれ、ジリジリと後退させられているような気がします。まるでL.ブニュエルや一時期のA.ワイダが描いた閉塞状況です。嫌ですね。映画採点簿を更新しました。昨年のケン・ローチ作品と犬童作品です。昨年のベスト1も決定しました。講義案内には「2004年度に私が担当する講義」も紹介してあります。また、「OB通信『ソウカフランス語』第2号」もメール配信しました。こんなに早く発行するつもりはなかったのですが... 購読ご希望の方はメールで申し込んで下さい。
2003年12月30日
呪われたような今年も残すところあと二日で終わります。皆さんはどのような思いで新たな年を迎えようとしているのでしょうか。私は例年通り今年の年末も〆切のある仕事を幾つか抱えて途方に暮れています。先に予告していました「日本におけるフランス16世紀研究」書誌ですが、ようやく「1996年」から「2001年」までを改訂し、新たに「2002年」を加えました。ご関心のある方は私の研究からお入り下さい。学生諸君(2年生)が講義の課題として今年もクロスワードを作成しました。1年生のアドバイスを取り入れた改訂版になっています。一年間ほどフランス語を学習していれば結構楽しめます。フランス語ドリルの下の方にありますからチャレンジしてみて下さい。今夏南仏に仕事で行ったときの旅行記を書き始めましたが(実は今回は出発するまで)、面白いので「読みた〜い」という声が一部にあります。PDFでこのホームページにリンクをはりましたのでご一読下さい。アミカル・フランセーズ12月15日発行の『サリュ Salut』60号に掲載されたものです。こちらです→「カニキュルとともに ミフランス旅行記-(1)」(「カニキュル」caniculeとは今夏フランスとヨーロッパを襲った「猛暑」のこと)最後に、今年は「つながり」とか「連帯」ということを特に考えてきました。その締めくくりとして先日「OB通信『ソウカフランス語』第1号」をメール配信しました。総科フランス語OBのはずなのに届いてない、私も興味があるので送ってほしいという方はメールで連絡して下さい。スミマセンガ映画採点簿ノ更新ハモウスコシマッテクダサイ。来年こそは、ライオンならぬ目つきの悪いプチ・フォンテーヌ野郎や、カウボーイハットをかぶった薪軽薄間抜け狂信者を撃退しましょう。それではまた。あ・びやんと!
2003年11月10日
昨晩遅くに受け取った「パンズーの巫女」さんからのメールを紹介します。「 広島よいとこ一度はおいで、いつでもどこでも自民人民でc'est degueulasse !核ヤンキーの傘の中なら、いつでもどこでも平和アンポン、paix、pet、ペエッ !投票しない奴らはいつでもどこでもtelephone portable片手で、insupportable ! 」総合科学部でフランス語を学んだ人々のお便りを紹介する「OB通信 ソウカフランス語」を近々発行します。気まぐれな発行になると予想されますが、購読を希望する方は平手までメールで申し込んで下さい。近く「日本におけるフランス16世紀研究」を更新します。
2003年10月17日
研究室でフランスの国営国際チャンネルTV5をよく見る。今年はEdith PIAFとJean COCTEAUの没後40年、Jacques BRELの没後25年に当たり、10月に入ってコンサートやインタビュー、それに映画がTV5でも特集されている。一人だけの「没後」でも大変なはずだが、よりによってこの三人が重なるとは... そういえば先月の9月11日は「同時多発事件」の2周年で様々な番組が放映された。勿論TV5でも放映されたことは言うまでもない。しかしTV5はこの事件のその後とともに、今から30年前のちょうど同じ9月11日に南米チリでアメリカ合衆国の後押しを受けたピノチェット率いる軍によって強行された「アジェンデ大統領府襲撃・暗殺事件」(俗に「チリ軍事クーデター」と言われている)に関する特集を、私が知る限り少なくとも三つの番組として組んだ(Septembre chilien「チリの9月」、11 septembre 1973「1973年9月11日」、Point No37: le Chili「ポワン第37回 チリ」)。民間航空機が世界貿易センタービルに突っ込み、これが崩壊して多くの死傷者が出たことは確かに衝撃的ではある。しかしこの事件には現在でも謎が多い一方で、チリでの出来事はいわばその当事者アメリカによる確信犯的な犯行であることが明らかにされている。そればかりではない。その後繰り返された拷問や虐殺を考えれば、それぞれの犯行は個人に特定できる極めて卑劣で残虐なものでさえある。であればこそ、2001年9月11日のニューヨークの事件を忘れてはいけないとするなら、30年前の同じ9月11日にサンチャゴで起きた出来事も同様に忘れてはいけないだろう。その意味ではTV5が特集番組を組んだことは正しい。翻ってわが愛すべき国のさる高貴な公共放送はどうだろう。さすがと言うべきであろうか、チリの悲劇に関しては全くと言っていいほど報道していない。この放送局、大きな政治的決定がなされた後になってはじめてそれを「クローズアップ」するが、その内容に関して視聴者に議論を巻き起こす、もしくはそれを考えさせようとする報道を避けるという、おおよそ「公共」という言葉には似つかわしくない悲しき習性を持つせいなのであろうか。まあ、これは番組チャンネルは持つが、視聴者の意見に耳をかたむけるチャンネルは持とうしないことにも現れている。やはり私たちとしては「あれ」をするしかないですな、「あれ」を。そんなゴミ放送局はどうでもいいとしても、チリの蛮行直後に亡くなった詩人パブロ・ネルーダの葬列で、その死の悲しみとともに「同志アジェンデ」を讃えた市民の怒りの叫びと、いつでもどこでも蛮行を繰り返し、世界に不幸をまき散らしながら自らの首を絞める愚かなヤンキー国家のことは絶対に忘れてはならない。ようやく映画採点簿,を更新しました。猛暑のフランスではPariscopeを手に取って意気込んでいましたが、結局映画鑑賞も夏休みでした。三作品のみの採点です。
2003年7月23日
インテンシブコースのフランス語を受講している一年生の皆さん。フランス語ドリルにRefletsのEpisode 3と4の復習用自動採点ドリルを作成しました。試験前に一度試してみて下さい。映画採点簿,まもなく更新です。
2003年7月4日
この暗い日々の中、怒りにまかせて(?)映画採点簿の更新を完了させました。作品は「鳥」、「銃」そして「猫」です。ご意見ありましたら、遠慮なくメールか掲示板Panurge掲示板へどうそ。
2003年6月23日
講義案内の「学生へのお知らせ」に「ベーシック・フランス語I」(インテンシブコース)口頭試験日程を載せました。受講生は早めに予約を入れて下さい。映画評の更新もうしばらくお待ち下さい。
2003年5月28日
恐るべき法案が次々と国会を通過しています。フランスの詩人ポール・ヴァレリーは「人類は過去のほうを向いたまま後退りをしながら、未来へと進む」と言いましたが、これをもじれば「この国は過去のほうを向いたまま後退りをしながら、奈落へ落ちる」と言わざるを得ません。やがてdegraderされ、delabrerされ、demantelerされ、detruireされて、une ruineとなるのでしょうか。(すみませんが仏和辞典を引いて下さい)チョムスキー、JAM、吉田の3作品を映画採点簿に載せました。また、秋田のフランス語フリークこと「Pokochin」さんからフランス語ドリルの解答について疑問が寄せられましたので、Panurge掲示板に掲載させていただきました。ご意見ありましたら遠慮なく書き込み下さい。
2003年4月16日
連帯 寛容 共生 非暴力 平等 反米 参加 想像力
年頭の挨拶(年賀状)で並べたこれらの言葉のうち、あるものは無惨にも引き裂かれ、あるものは凄まじい勢いで増幅しています。たとえ何もできないにしても、狂気に取り憑かれた幼稚なカーボーイの群がしたこと、そしてこれからしようとすること、また誰がこの群に盲従していくかを、限られた情報の中から注意深く読みとらなければなりません。そこから連帯の可能性が生まれます。今年度の講義が始まりました。私が担当する講義の内容を 講義案内に紹介しています。また昨年度私の講義を受講した人もこのページの「学生へのお知らせ」をご覧下さい。映画採点簿は「採点」がたまっています。取りあえず二作品のみご紹介します。
2003年3月7日
今日は私の同僚の自称「サラリーマン哲学者」が世話人の「てつがく村」を紹介します。ご自身はサラリーマンと哲学者という「二足草鞋の坐りの悪さをバネに、農耕を通して、生を味わい、生を見つめなおすエッセーを紡ぎだす」と紹介されています。私自身、昨年末にこの村の自家農園を「体験」し、年明けには「とんど祭り」も楽しませていただきました。ホームページの「てつがく村」もさることながら、農園にも様々な農作物が豊富で、思わず『カンディード』の最後の一節を思い出し、自分を戒めました。皆さんも是非訪問してみて下さい。なお、この同僚哲学者は私ととてもよく似ていて、大学に着任した当時はよく間違われました。さすがに最近はそのようなことはありませんが、学会などの業界関係ではいまだに混乱されている方がいらっしゃいます。それを受けて、文学部の某先生は私たちのことを「兄弟」と面白可笑しく呼びます。さて、映画採点簿を更新しました。フランソワ・オゾン評と2002年のベスト1の発表です。今年になって3作品を見ましたので、これらの評は次回載せます。また、2002年度の講義で学生諸君が作成したクロスワードパズルもヴァーチャル・U・フランス語にアップしました。フランス語に心得のある方、お試し下さい。
2003年2月21日
藤井寛先生が夏に亡くなったことを昨年12月に知らされた。サバティカルでフランス滞在中、アルプスの山岳事故だったという。私があるきっかけで岡山大学大学院に進んだ時、藤井先生は助教授として19世紀フランス文学を担当されていた。当時の仏文研究室は南仏文学の杉富士雄先生、薔薇の詩人でエリュアール研究の佐藤巌先生、そして藤井先生という布陣であった。私の入学と入れ違いで田辺保先生は大阪市立大学に転出され、一年後にはフロベール研究の木之下忠敬先生が着任された。私の在学中に退官された杉先生は中国短期大学に学長として迎えられ、私の修士課程修了後にはロンサール研究の延味能都先生が着任された。私が阪大に行ってしばらくした後、佐藤先生は退官を迎えられ、藤井先生は中央大学に転出されたはずである。そういえば私が阪大大学院に進学した直後、杉先生も旅先の東京で亡くなられた。また、あの頃から現在に至るまで数多くのことを話し合い、数多くのことを教えていただいたマリー・テレーズ エジェデュス先生も今岡山大学を去ろうとしている。私は藤井先生から何を学んだか。私が入学した当時、仏文には修士課程しかなく、一年上の先輩にはM女史しかいなかったが、彼女の半端ではないエキセントリックさによく圧倒されたものである。彼女は日本の男に飽きたらず、ドイツに渡って現地で結婚し、今や一児の母である。たまにエネルギッシュに満ちた魅力的な便りが届くが、当時はあまり研究室に姿を見せなかった。従って、I君が編入してくるまでの一年目はほぼ全ての講義がマンツーマンであったはずである。となると、予習が大変であることは言うまでもないが、藤井先生の助言で修論にラブレーをすることになって、学部時代に比べればかなり勉強した記憶がある。杉先生にはモンテーニュとラブレーを一緒に読んでいただき、佐藤先生の講義は土曜日の昼前でお茶を飲みながらのエリュアール講読であったが、どういう訳か一年目の藤井先生の講義は思い出すことが出来ない。二年目になると木之下先生がチボーデのフロベール論の講義後に近くの定食屋でよくビールをご馳走して下さり、藤井先生は講義で本格的にロートレアモンを読み始められた。当時のノートはすべて手元に残っているが、今は記憶のみを頼りにこれを書きたいのでひょとすると自分に都合よく記憶を組み立てているかもしれない。何れにしても、この二年目に藤井先生と私とI君で『マルドロールの歌』の第一歌から読み始めたことに間違いはない。講義の進め方はオーソドックスなものではあったが、読み方は緻密で、とりわけヴァリアントがあったはずの第一歌は慎重に校合しながらテクストを検討した。未熟であるが故に不意を突いたように聞こえる私たちの質問に、藤井先生は一瞬「はっ」と驚いたような表情を見せながら丁寧に答えて下さった。入学後の比較的早い時期に何かのきっかけからフランス映画に話が及んだ際、「トリュフォー派ですか、それともゴダール派ですか」と尋ねられたことがある。その問いかけに今なら躊躇うことなくゴダール派と答えるはずであるが、その時は生意気にもアラン・レネの名前を出して話題をはぐらかしてしまった。しかし、これがきっかけとなったのか、藤井先生は当時映画評論もお書きになっていたこともあって、その後は映画の話を度々交わした。磯村一路が最初の頃は北川徹の名前で撮っていたことや、下元史郎の演技の事なども話をした記憶がある...私が大阪で博士課程を終えた後も、藤井先生には公募情報などで色々とお心遣いいただいた。学生の誰かが「ダンディーな先生」だったとどこかで書いていたが、私も藤井先生はナイーブで「ダンディーな先生」であったと思う。そのナイーブな視線から繰り広げられるイジドール・デュカスの研究が途絶えてしまったことは私たちだけではなく、藤井先生自身にとっても無念だったに違いない。終わったところから始めることができないのだとすれば、死にはまずもって思い出すことで立ち向かうしかない。 合掌「映画採点簿」などの更新は来週中に行います。
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