『化学史研究』第29巻、第2号、2002年、138ページ.
1. はじめに
文学作品の中で科学者がどのように描かれているかは、一般の人々の間で、科学者が、ひいては科学という営みが、どのように理解されイメージされているかの指標とみることができる。逆に、文学作品に登場する科学者が、一般の人々の科学者像に強い影響を及ぼすという側面もある。このような問題意識のもとに、R.D.ヘインズは、中世から現代に至る西欧文学に登場した「科学者」を調査・分析して以下の6種に分類した(訳語は井山氏による)。
1. 錬金術師(alchemist)
2. 愚かな収集狂(foolish virtuoso)
3. 無感情で冷酷残忍な研究者(unfeeling scientist)
4. 英雄的冒険家(heroic adventurer)
5. 無謀で無力な知識人(helpless scientist)
6. 理想追求型(idealist)
このような分類が適切かどうかはともかくとして、ヘインズが、文学作品に登場する科学者像の変遷というテーマを通じて、文学研究と科学史・科学論との間に架橋を試みた壮図は高く評価されるべきであろう。
2. 日本の近代文学に登場する「科学者」
報告者は、同様の問題意識と手法を、我が国の近代文学作品に全面的に適用してみたいと考えている。この研究プロジェクトは数年にわたるであろうと予想しているが、本報告はその第一段階の作業報告である。
この種の研究に際しては、研究対象とする資料(テクスト)の選定が何よりも重要なことは言うまでもない。将来的には、各種の文学全集などを渉猟したいと計画しているが、手始めに、機械的な用語検索が可能なCD−ROM化されたテクストを調査することとした。すなわち、CD−ROM版『新潮文庫 明治の文豪』『新潮文庫 大正の文豪』『新潮文庫の100冊』である。
これらのテクストは、一般の人々によって、文庫本として、長く広く読まれてきた作家とその作品を、それぞれ1枚のCD−ROMに
(1)『新潮文庫 明治の文豪』:13作家、40冊
(2)『新潮文庫 大正の文豪』:16作家、40冊
(3)『新潮文庫の100冊』:100作家、100冊
を収録したものである。ただし、(3)には(1)、(2)との間に、10作家10作品の重複がある。また、(3)には翻訳が33作家33作品含まれており、これらは今回の調査から省いた。
上記テクストについて、「科学者」「学者」などをキーワードとして、検索作業を行った。調査結果の詳細は、報告時に行うが、全般的には、予想されるように、漱石作品における水島寒月(『吾輩は猫である』)や野々宮宗八(『三四郎』)などを例外として、我が国で広く読まれてきた文学作品においては、科学者の存在は極めて影が薄いことが確認された。
参考文献
1) Haynes, R.D., From Faust to Strangelove: Representations of the Scientist in Western Literature, The Johns Hopkins U.P., 1994.
2) 井山弘幸「サイエンス・イメージ」、井山・金森『現代科学論--科学をとらえ直そう』新曜社、2000年、120-128頁。
1. なぜ「科学と文学」か
☆ 大学の授業(「科学思想史」「サイエンス・スタディーズ」など)
科学者が登場する(主要な役割を演ずる)映画・TVドラマ・演劇などを鑑賞
「ブレードランナー」「喜劇キュリー夫人」「ガリレイの生涯」「DNA物語」「博士の異常な愛情」「鉄腕アトム」「シャドー・メイカーズ」など
☆ 「広島に文学館を!市民の会」の運動
「原爆文学展 5人のヒロシマ」(2001年7月-8月、旧日銀広島支店)
ホームページ「広島文学館」の構築
サブサイト「広島/ヒロシマの文学を語る」に
黒古一夫「核状況に抗する文学ム原爆文学の存在意義」などを掲載
☆科学・科学者のイメージ研究
井山氏の論考を通じてHaynes, From Faust to Strangelove: Representations of the Scientist in Western Literatureを知る。
西欧における6種類の「科学者イメージ」---日本の場合は?
2. 資料
わが国の近代文学のうち、広く長く読まれてきたものがCD-ROM化されている。
「科学者」についての一般的イメージをさぐるのに便利
今後、探索すべき作家・作品を見定める目安となる
3. 検索結果(暫定的)
キーワード「学者」で検索し、適宜選択した結果。
新潮文庫 明治の文豪
二葉亭四迷「めぐりあい」明治21-2(1888-89)年
109 令妹は外国から来た、さる地質学者の相手をしていたので。
111 夫人の令妹は此方へ来た。大方、地質学者の「ウォルガ」河岸の岩石集合の学説がもううるさくなってきたので、・・・
森鴎外「妄想」明治44(1911)年
108 冷眼に哲学や文学の上の動揺を見ている主人の翁は、同時に重い石を一つ一つ積み畳ねて行くような科学者の労作にも、余所ながら目をつけているのである。
国木田独歩「牛肉と馬鈴薯」
80 「宇宙は不思議だとか、人生は不思議だとか、天地創生の本源は何だとか、やかましい議論があります。科学と哲学と宗教とはこれを研究し闡明し、そして安心立命の地をその上に置こうともがいている、僕も大哲学者になりたい、ダルウィン跣足というほどの大科学者になりたい。・・・」
88 詩人、哲学者、科学者、宗教家、学者でも、大概は皆平気で理屈を言ったり、・・・
国木田独歩「運命論者」
323 数の連続を以てインフィニテー(無限)を式で示そうとする数学者のお仲間でしょう」
国木田独歩「岡本の手帳」
403 わが願もまた、科学者として、哲学者として、宗教家としてこの不思議を闡明せんことにや。
417 多くの科学者は不思議を感ぜずして「不思議」に弄ばるる愚者なり。
夏目漱石「我輩は猫である」明治38-9年(1905-6年)
221 寒月さんも理学士だそうですが、全体どんな事を専門にしているのでございます」「大学院では地球の磁気の研究をやっています」
226 「昔しある所に一人の天文学者がありました。・・・
227 天文学者は身に沁む寒さも忘れて聞き惚れてしまいました。・・・」「これでも理学士で通るんですかねえ」
239 如何に卒業したての理学士にせよ、あまり能がなさ過ぎる。
258 首吊りの力学の演者、理学士水島寒月君ともあろうものが、・・・
263 理学士だけあって寒月君が抗議を申し込む。
268 君は理学士だから分かるだろうと思ったのに。
492 理学士として考えてみると烏が女に惚れるなどと云うのは不合理でしょう
880 ・・・と、理学者だけにむずかしいことを云うと、・・・
974 球磨りの名人理学士水島寒月でさあ」
夏目漱石「趣味の遺伝」明治38(1905)年
409 元来余は医者でもない、生物学者でもない。だから遺伝という問題に関して専門上の知識は無論有しておらぬ。
夏目漱石「三四郎」明治41(1908)年
216 自分の兄(野々宮宗八)は理学者だものだから、自分を研究していけない。
222 「野々宮さんは理学者だから、なおそんな事を仰るんでしょう」
395 野々宮さんもいる。--これは理学者だけれども、・・・
403 広田先生が、こんな事を云う。「どうも物理学者は自然派じゃ駄目の様だね」物理学者と自然派の二字は少なからず満場の興味を刺激した。「それはどう云う意味ですか」と本人の野々宮さんが聞き出した。広田先生は説明しなければならなくなった。「だって、光線の圧力を試験する為に、眼だけ明けて、自然を観察していたって、駄目だからさ。自然の献立のうちに、光線の圧力という事実は印刷されていない様じゃないか。だから人巧的に、水晶の糸だの、真空だの、雲母(マイカ)だのと云う装置をして、その圧力が物理学者の眼に見えるように仕掛けるのだろう。だから自然派じゃないよ」「然し浪漫派でもないだろう」と原口さんが交ぜ返した。「いや浪漫派だ」と広田先生が勿体らしく弁解した。「光線と、光線を受けるものとを、普通の自然界に於いては見いだせない様な位地関係に置く所が全く浪漫派じゃないか」「然し、一旦そういう位地関係に置いた以上は、光線固有の圧力を観察するだけだから、それからあとは自然派でしょう」と野々宮さんが云った。
406 「物理学者でも、ガリレオが寺院の釣り洋燈(ランプ)の一振動の時間が、振動の大小に拘わらず同じである事に気が付いたり、ニュートンが林檎が引力で落ちるのを発見したりするのは、始めから自然派ですね」
414 三四郎はそれで穴倉を出た。出ながら、さすがに理学者は根気の能いものだと感心した。
夏目漱石「それから」明治42(1909年)
181 ウエバーと云う生理学者は自分の心臓の鼓動を、増したり、減したり、随意に変化さしたと書いてあったので、・・・
夏目漱石「思い出す事など」明治43-44(1910-11)年
360 物理学者は分子の容積を計算して蚕の卵にも及ばぬ(長さ高さともに1ミリメーターの)立方体に1千万を3乗した数が入ると断言した。
泉鏡花「婦系図」明治41(1908)年
354 (外国人を指して)どうも学者のようです。・・・様子が、何だか理学者らしゅうございます。」「理学者、そうでございますか」
新潮文庫 大正の文豪
島崎藤村「春」明治41(1908)年
296 (主人公勝子のいいなづけの)麻生は温厚な、少壮な植物学者であった。一般の科学にも趣味を
もった人で、・・・
島崎藤村「夜明け前」昭和4-10(1929-35)年
1380 当時亜米利加の科学者及びその他の学者の間にはこの遠洋航隊に代表者を出したいと言って、ペリイにせまったというだけでも、いかに空前の企てであったかが分かる。
島崎藤村「新生」大正7-8(1918-19)年
87 画家のアトリエというよりは寧ろ科学者の実験室のように冷たく厳粛なものとして・・・
徳田秋声「縮図」昭和16(1941)年
80 或る地主の息子は、工科出の地質学者であったが
211 こうした科学者には・・・
芥川龍之介「侏儒の言葉」大正12-14(1923-25)年
4 天文学者の説によれば
芥川龍之介「文芸的なあまりに文芸的な」昭和2(1927)年
182 いろいろの科学者は芸術の中から彼らの科学を見つけるのに過ぎない
有島武郎「惜しみなく愛は奪う」
94 それは科学者がその経験物を取り扱う態度を直ちに生命にあてはめようとする愚かな無駄な企てではないか
119 (地球上における有機物の出現)それは或る科学者が想像するように他の星体から隕石に混入して・・・
233 (動物の本能)19世紀の生物学者は、眼覚めかけてきた個性の要求と社会の要求との間に・・・
246 (男女の役割分担)既に業に多くの科学者や思想家が申し出たように、女性は産児と哺育との負担からして、実生活の負担を男性に依託せねばならなかった。
新潮文庫の100冊
阿川弘之「山本五十六」昭和40(1965)年
561 それにそういう魔術をやって見せる町の科学者の噂は、前にも聞いたことがある。
561 それから、「科学者」を水交社に泊めるか泊めないかでも、・・・結局、町の発明家は次官の賓客あつかいで、・・・富士の裾野の水から油がとれる実験を、やってみせることになった。
567 ある民間の科学者が水を石油に変える方法を発明したという話が、石川のもとに持ち込まれて来た。
575 約束の時刻に発明家がやって来ない。仲間の助手の「科学者」に連絡させてみると、・・・
577 要するに手の込んだすりかえの手品で、「科学者」たちは、早速その場から警察へ突き出され、実験会は解散ということになった。
585 J・M・ミューアというアメリカ人の地質学者がアメリカ石油協会から出版した
646 どうも今の陛下は科学者としての資質が多過ぎるので、右翼の思想なんかについて同情がない。
1090 上松は南方熊楠の弟子の生物学者で、
井上ひさし「ブンとフン」
54 ヨコハマで日本とドイツの動物学者たちのよる緊急学会が開かれた。
井伏鱒二「黒い雨」
362 僕は老科学者(田代さん)が科学的に割切りすぎているのではないかと思った。
開高健「パニック」
主人公俊介は上司の研究課長(農学者)とともにササの実によって大量発生したネズミの大群と闘う
開高健「巨人と玩具」
製菓会社の宣伝活動に物理学者が協力する
小林秀雄「偶像崇拝」
358 画家は物理学者の様に物体の等価を認めている。最近の物理学者が、物の外形を破壊して得る物の夢の様な内部構造も、物の不滅の外形にまつわる画家のヴィジョンの一様式に過ぎないのではないか。
新田次郎「孤高の人」昭和44(1989)年
107 (技術者で登山家の)加藤はアインシュタイン博士が世界第一の科学者であることを知っていた。
109 アインシュタイン博士が世界第一の大科学者であるとするよりも、もっとも人間愛に富んだ人のように思われてならなかった。
星新一「人民は弱し 官吏は強し」
34 「モルヒネの精製法を研究している学者は、わが国にはいないようです」
142 これには三社も賛成し、資金を出しあい、大阪府下に土地を借り、農学者をやとって本格的に発足した。
156 知名な学者を講師に呼び、医学や薬学から、社会や政治問題まで抗議をしてもらった。
163 学問の水準を世界に誇るドイツ科学者たちも、実験用のモルモット一匹を買う金にさえ、ことかいているそうだ」
176 その調査のため、伊豆でブドウ栽培をしている農学者の意見を求めるのが目的で出かけたのだった。
230 ドイツに着くと、国賓待遇という破格の歓迎が待ちかまえていた。学者たちの感謝の回。エーベルト大統領主催の夕食会。ベルリン大学では名誉学位を贈られた。戦後の寄付がよほど喜ばれたらしい。
241 (エジソンとの面会について)知り合いの学者を通じて連絡をとって、つごうを聞いてみるよ」
251 ドイツからフリッツ・ハーバー博士が来日した。空中窒素固定法を発見した化学者として知られ、日独間の学術交流を高めるための文化使節としてである。
292 会場では事業計画のパンフレットが配られ、何人もの専門の学者が解説をし、聴衆の質問に答えた。
宮澤賢治「ビジテリアン大祭」
558 殊にバクテリアなどは先頃まで度々分類学者が動物の中へ入れたんだ。
592 私は今朝のパンフレットから考えてきっとあれは動物学者だろうと考えたのです。
宮本輝「錦繍」
362 (大熊は)自分の専門である癌の治療法についての、さまざまな国の医学者の学説を私に語りつづけるのです。
村上春樹「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」
95 「私は生物学者です」と老人は言った。
149 老人が科学者として最高の部類に属するというのはまず間違いのないところだった。
157 私は後見者としても生物学者としてもそう確信しておるですよ」と老人は・・・
165 われわれ科学者はそういう状況を進化の過程と呼ぶのです。
189 「ぼくは生物学者じゃないからよくわからない」と私は言った。
371 このドラマを決定したのは「組織」の科学者連中だった。
375 「これはいわば科学を超えた問題だな。ロス・アラモスで原爆を開発した科学者たちがぶちあたったのと同種の問題だ」
438 私は依頼を受けた科学者の地下実験室に行って、データを処理した。
470 彼の専門は多岐に及ぶ。・・・この時代には稀なルネッサンス的天才科学者といってもよかろうな」
648 祖父は科学者になる以前は株屋をやっていたんだけど、・・・
917 科学者というものは知の鉱脈を前にするとそれ以外の状況が眼中になくなってしまうきらいがあるのです。
921 私はその当時・・・大脳生理学の分野では最も有能にして最も意欲的な科学者であった。
922 真の独創的な科学者というもは自由人でなくてはならん」
957 しかしあんたにはおわかりにならんでしょうが、科学者の好奇心というものはなかなか抑えきれんものなのです。
964 なんとか方策を講じねばならんです。これは何はともあれ科学者の義務ですからな。
1024 「百科事典棒というのはどこかの科学者が考えついた理論の遊びです。
1064 天才科学者であろうがなかろうが、人はみな老い、そして死んでいくのだ。