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SOLO

「REALITY OF LIFE AND DEATH Ⅱ」展 すどう美術館(東京・銀座) 2001年12月25日(火)~2002年1月6日(日)

 (以下、会場に掲示した挨拶文からの引用)

[展覧会コンセプト]

 生と死は誰にとっても身近な問題です。しかし近年、生や死に対する私たちのリアリティー(実感、現実感)は薄れていっているような気がしてなりません。今、「生きる力」の大切さが叫ばれていますが、少し前まではその大切は当たり前のこと、普通、誰もが感じているものでした。

 吉本ばななさんの『ひな菊の人生(3、いちぢくの匂い)』という小説に「どんな平和な風景の裏にも、あれと同じような脆さがひそんでいて、私たちが美しい姿形で無造作に笑っていられることに、神と呼ばれる要素が介在していないほうがよっぽど不自然だという感じだ。」という一節があります。まさしく私たちは、普通に生きていることが当たり前ではなく、むしろそれだけで幸福だと思わなければならないのですが、その「当たり前」、「普通」がいかに大切かをつい忘れてしまいがちです。死は誰にとっても避けられない問題ですが、近年それが隠されることによって、かえって生の感覚が希薄になっているといえるのかもしれません。死の問題を考えることは決して後ろ向きなことではなく生と死は表裏一体であるからこそ、むしろ「生きること」に前向きになれるのではないでしょうか。

 今回の展覧会では、特に「家族」の問題に焦点を当てています。昨今の事件を考えるうえで「家族の現実感」は重要なキーワードのように思います。これまで当たり前と思われてきた親の子に対する愛情、子の親に対する愛情は、残念ながら少しずつ崩壊していってしまっています。しかしどんなに社会が進歩し、複雑になっていったとしても、基本的なこと(たとえば家族の愛情や信頼感)はやはり大切にしなければならないと思います。社会の基本単位である家族が崩壊するということは、社会そのものの崩壊を招くことになりかねません。 

 問題は、この現代社会の中でいかに私たちが本物を求め、そのリアリティーを大切にして生きていくか、ということだと思います。そしてこの問題に対する答えを、私は私なりに彫刻制作を通して、求めていくつもりでいます。 

 最後になりましたが、この2001年11月8日に他界した板倉治子さんと、その闘病生活を支えた全ての尊敬する人々にこの展覧会を捧げたいと思います。

2001年12月25日





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