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SOLO

「REALITY OF LIFE」展 ガレリア・グラフィカbis(東京・銀座) 2003年7月28日(月)~8月2日(土)

 (以下、会場に掲示した挨拶文からの引用)


[展覧会コンセプト] 

 本日はご来場ありがとうございます。 

 本展は、2000年6月、ギャラリーオカベでの「生と死のリアリティー」展、2001年の年末から2002年の年始にかけてのすどう美術館での「生と死のリアリティーⅡ」展に引き続き、第3回目にあたる、「REALITY OF LIFE」というテーマの彫刻展です。 

 現代は特に「生きている実感(REALITY OF LIFE)」という感覚を見失いがちのように思います。戦争に関するニュースを見ても、どれだけの実感を持って、私たちはその映像を見ているのでしょうか。9・11の事件が起きた時、「まるで映画のようだ」とはよく聞かれた言葉です。バーチャルな世界とリアルな世界の境界線は知らず知らずのうちに私たちの中で曖昧になってきつつあり、これはとても恐ろしいことだと思います。 

 そもそも「生と死のリアリティー」あるいは「REALITY OF LIFE」をテーマにしたのは、身近かだった人が病気になり、そのお見舞いに行った時の出来事がきっかけになっています。その人はまさに生死をさまよって病室に横たわっていたのですが、その病室の窓から元気に遊ぶ隣の中学校の生徒たちの姿が見えました。壁を隔てたこちらとあちらは、まさに別世界でした。病室に横たわる人はまさに生きるか死ぬかの瀬戸際におり、また中学生の姿はまさに命輝く生命力の塊のような存在でした。その場所が、私にはまさに生と死が隣り合わせの象徴的な場所であると思えたのでした。

 この「REALITY OF LIFE」は自分が生きていく上で大切にしていきたいと思っていることであると同時に、私の作品を見てくださった人が考えるきっかけになればと思っているものです。私の作品は基本的に人体をモチーフにしたものが多いのですが、それはさまざまな失敗を繰り返しながら、それでもたくましく生きていく、そんな人間の強さを表現できたら、と思っているからです。見方によっては一見ぶかっこうな姿形をしているように見えるかもしれませんが、これは「人が生きていくということは、実はあまり格好のよいことばかりではないのではないか」ということの象徴でもあります。しかしそれこそが等身大の人間像であり、共感してもらえる部分もあるのではないか、という考えています。

 大切なのは日々の暮らしの些細なことでも、その瞬間、瞬間を大切に生きることであり、それが「生きている実感」につながるものと私は考えます。幸い私自身は、彫刻制作を行っている時、特に「生きている実感」を味わうことができます。例えば、汗を流しながら粘土をこね、土にまみれて形作る時、また鑿と槌をふるって木を彫る時、時には張り切りすぎて筋肉痛になった時でさえも自分の身体感覚として「生きている実感」を味わいます。そして出来上がった作品は、私の「生きている実感」そのものの形をしています。自分の体の体験を通して覚えたことは、本物の感覚として自分の宝になります。

 

 これだけ情報が発達した社会では、瞬時に様々な情報を手に入れることができます。それは技術としてとてもすばらしいことだと思います。しかしそれらの情報を手に入れることと、本当に理解したこととは違います。これからの世の中は自分の身体感覚を通して、リアリティーのある生活を送ることが、ますます大切になってくるのではないでしょうか。 

以上のことをふまえ、作品を見ていただき、そして少しでも共感いただけたとしたら、制作者として、こんなにうれしいことはありません。

                                         2003年7月28日

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