最初にお断りさせてください。今日のテーマも、重い。
学年が上がり 娘の塾の終わる時間がさらに遅くなった。
夜9時半だ。
で、9時半に迎えに行くんだけれども、お迎えには、ひそかな楽しみもある。
もう、皆様はお気づきのことと思いますが、11月に入ると直ぐ、毎年恒例となっているクリスマスツリーが広島駅に飾られた。もちろん、今年のツリーも美しい音色を奏でるガジェット付だ!
ただ、去年と違う工夫も施されている。音色を奏でるスイッチとして、去年は鐘をカーンとやるシステムを採用していたのだけれども、今年は、指定された場所に手をかざすとアラ不思議。音楽が流れ始めるというからくりになっているのである!
手をかざすことで音楽な響きわたるもんだから、まるで、ハリーポッターのように魔法を使えるかの錯覚に陥ってしまう、マジカルツリーに仕上がっているのだ。
で、夜10時に指しかかろうという時間に通る広島駅で、ハリーポッターになりすまし、クリスマスツリーに音色をかなでさせ、その音色により魂を洗ってもらうのが二人のひそかな楽しみなのである。
で、昨夜、娘と順番を待っていたのだけれども、だいぶ人もまばらとなった夜10時なので、あまり待つことなくして二人の順番が回ってきた。
で、この親子は音楽を奏でさそうと、指定されているあたりに手をかざした。手をかざしたのだけれども、接触が悪いのか、なかなか音楽が始まらない。
二人は、「そこでもない、ここでもない」と、なかなかハリーポッターになれないもどかしさとともに、見えないスイッチを文字通り手探りで探していた。
二人の手、つまり4本の手が交差する中、何の前触れもなく、少し渇き気味の手がニューっと入ってきた。
私はひどく驚いて、自分の手を引っ込めた。娘もそうした。そして、私は手の持ち主を確認した。すると、気づかぬ間に、私の直ぐ隣にご婦人が立っていて、私たちに混じってスイッチ探しを始めていたのである。
私は、そういうことはすべきでないと思っている。この親子が奏でるのを待てば、直ぐに自分の順番が回ってくるのだから、ちゃんとおりこうに順番待ちをすべきなのである。ご婦人の行動は、横入り以上の暴挙にしか私には思えなかった。
ご婦人は、そんな二人を後目に無言の真顔でスイッチのあたりをまさぐり続け、ほどなくしてクリスマスツリーはそれに反応した。
音楽を奏ではじめたクリスマスツリーの前で呆然と立ちすくんでいると、ふと、このナゾの出来事を統一的に説明できる理論が頭の中に浮かんできた。まさに『降りてきた』という感じで……
つまり、こういうことなのである。
私のような人間に、あの至福の音楽を楽しむ資格があるのか考えてみればよい。そして、その問いに対する答えは残念ながら、私以外の民にとっては、 “否”なのである。
「私などには、至福の音楽に預かる資格などない。私が奏でるくらいならば、私以外の誰かが奏でるほうがずっとましなのだ」
民は、少なくともあのご婦人は、そう判断したのだ。理由は釈然としないものの。
私は、なぜに、私にとっては不当と感じられる扱いを、当然のように受け入れないといけないだろうか?
そう思うと、その場にいられなくなり、きびすを返して、無言でクリスマスツリーを後にした。
突然いなくなった父の態度に非常事態を察した娘が、後ろから走ってきて、
「ひどいね。でもね、今日こんなに嫌なことがあったんだから、明日はきっと、倍のいいことがあるよ」
と励ましてくれた。それを聞きながら、もう一日だけ、もう一日だけ、がんばってみようかな、と思っていた。明日は、いいことがあるよね!
アディオス