TOPカタリエヌモノ書庫


カタリエヌモノ

** 2012.10の カタリエヌモノ **

 ++ 12.10.02 (tue) ++ 



大学からの依頼で高校生向けの研究紹介というのを書きました。
#上の画像をクリックすると原寸大の画像が見れます。

 ++ 12.10.03 (wed) ++ 



「偉いヒト」が学校に求めていることは,本当に学校で達成できることなのか。
育成を求めている人材は,学校で育てられるモノなのか。

「もはや学校の役目は終わった」と言われたくなければ学校は要求を満たさなければならない。
要求する側も,システム的に実現不可能なことを要求し続けるのは愚の骨頂だと気づくべきかもしれない。

 ++ 12.10.04 (thu) ++ 



認知心理学系のゼミが教育学部の心理学コースで不人気なのは,学生のニーズの認識とマッチしないのも理由の1つだと思います。

学校現場における課題として学生の目が向きがちなのはイジメや学級崩壊等でしょう。
そのため,子どもの心の問題や友人関係,教師のリーダシップといったテーマに興味を持ちます。

一方,子どもはどう学ぶのか,先生はどう教えるべきかといったことはさほど問題とは思わないようです。
おそらく,自分は勉強が出来たからどう学ぶかなんて問題とも思わないし,自分は勉強が出来たから当然教えるのも上手いだろうとでも思っているのでしょう。
あるいは,そもそもどうやって学んだら良いかとか,意識的に考えてみたことがないのかも知れません。

つまりは,学生は教授学習過程に課題があると気づかないため,ニーズを認識できないのだと思います。

 ++ 12.10.05 (fri) ++ 



構成概念を作るのが得意な心理学なんだから,心に代わる構成概念も作っちゃえばイイ。

 ++ 12.10.09 (tue) ++ 



私の周囲の学生の多くは,世の中は善意で満たされている思っているようだ。
でも,たぶんそれは勘違い。

そして,善意は世の中をよくしたり,人を幸せにしたりすると思っているようだ。
でも,たぶんそれは必要条件でも十分条件でもない。

 ++ 12.10.10 (wed) ++ 



学会に出て思ったこと。

いつまでも院生の時のような感覚を忘れてはならないということ。
いつまでも院生の時のような態度でい続けるべきであるということ。

 ++ 12.10.11 (thu) ++ 



小学校に上がる前の正月,ふと
「36歳までしか生きれないと思って生きようと」
思いました(*1)。

そして今日,36歳になりました。

実際,もうあんまり思い残すことはありません(*2)。

−−−−−−−−
(*1)この話,小学生の頃は良くしてたので,覚えている人もいるかも知れません。
(*2)なんか「今日で終わり」で良いなぁ…。そしたら,あの原稿とか,あの仕事とか,やらなくてすむし(笑)。

 ++ 12.10.12 (fri) ++ 



ここ数年,ずーっとモヤモヤしてます。

このモヤモヤ感は以前にもあった様な気がしていました。
そして最近,このモヤモヤ感の正体が分かりました。
マスターの頃に感じたものと同一でした。

つまり,やりたい仕事と自分の実力との乖離から感じるモヤモヤ感でした。
あと数年は,この溝は埋まらないと思います。

 ++ 12.10.16 (tue) ++ 



すぐに成果が出ないからコツコツやらなきゃいけないのに,
すぐに成果が見えないからコツコツやる意欲がわかない。

 ++ 12.10.17 (wed) ++ 



再投稿していた論文(*1)の審査結果が返ってきました。
「修正後受理」ということで,ようやく日の目を見そうです。

−−−−−−−−
(*1)「12.08.23」参照。

 ++ 12.10.18 (thu) ++ 



研究者養成を主たる目的としない大学院(修士課程)って,目標・目的が曖昧になりがちな気がします。

中には博士課程への進学を目標としている学生もいるかもしれません。
また,免許や資格を取ることを目的に修士課程にやってきた学生もいるでしょう。
これらの学生の学ぶ目標と,その教員の指導の目標とは割と明確になります。

しかし,大半は「学部より高度な学びを…」とかなんとか言っています。
この手の学生に対して注意が必要なのは,知識の獲得が目的だと思っていないかということです。
つまり,学部4年で手に入れられなかった「高度な」ものって何なのかということです。

十分な知識を得ることは何年かけたって無理です。
大学院で学んだってキリがありません。
専門的な知識は一生を通じて学び続けなければなりません。

逆に,4年間で学び続ける技術が身につかなかったとしたら,単なる怠慢です。
4年で身につかなかったものが単純に2年追加するだけで身につくのでしょうか。

要は,大学での学びは
 答えを知ることが目的ではなく,
 答えを問い続ける技術と態度を身につけることが目的なんだ
とわからない学生が結果的に大学院に来ているのではないかということです。

そう考えると,研究者養成を主たる目的としない大学院の修士課程の目標・目的は
 大学で身につけるべきは問い続ける技術と態度だったんだよと改めてわからせること
になってしまいます(涙)。(*1)

−−−−−−−−
(*1)要するに,どうやって院生(ゼミ生)を集めようか思案しているということです。

 ++ 12.10.19 (fri) ++ 



誰かがノーベル賞を獲ると日本の研究者の苦労話等がクローズアップされます。
けれど,誰も獲らなかったら人知れず研究費はカットされていくのでしょう。(*1)

既に大学の状況は悲惨です。
将来的には誰もノーベル賞なんて獲れなくなると思います。

このままでは日本の研究者は餓死(精神的な意味で)します。

−−−−−−−−
(*1)大学教員の数や研究費等が増えているように見せかけているデータもありますが,常勤の教員の数や基礎的研究に使える研究費の額はトータルで減っているハズです。

 ++ 12.10.23 (tue) ++ 



国の豊かさの指標の1つに, 「役に立たない研究者を何人雇っているか」
というのを加えたら良いと思います。

砂利玉を1000人くらい雇わないと,宝石1人は生まれません。
(宝石に化けなかった砂利玉からのお願いです。)

 ++ 12.10.24 (wed) ++ 



お金さえあれば解決する問題って,楽勝でしょ?
普通,課題を解決できる人を育てるのにお金や時間や場所が必要なんだから。

日本の科学的水準を上げるって課題はお金さえあれば解決します。
だって,日本には研究者の卵が余ってるから。

若手を雇う予算さえあれば,彼らは喜んで研究してくれますよ。

 ++ 12.10.25 (thu) ++ 



私が引退するまでに,
世界の人々が
「日本で学びたい」
「日本で研究したい」
と思うようになってくれたらなぁ,
と思っています。

 ++ 12.10.26 (fri) ++ 



地雷ってのはどこにあるか分からないから怖いのです。
どこにあるか予測できたら地雷じゃありません。
だから,地雷を踏まないように用心するってのはあり得ません。
でも立ち止まってばかりはいられないから,必然地雷は踏んでしまうのです。

 ++ 12.10.29 (mon) ++ 



他人から受けたくない評価。

「品がない」

 ++ 12.10.30 (tue) ++ 



他人から受けたくない評価。

「えげつない」

 ++ 12.10.31 (wed) ++ 



他人から受けたくない評価。

「無粋」

  次の月へ


TOPカタリエヌモノ書庫