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カタリエヌモノ

** 2016.10の カタリエヌモノ **

 ++ 16.10.03 (mon) ++ 



投稿していた論文(*1)の査読結果が戻ってきました。
修正再審査でした。

ゼミ生と共に勉強しながら進めている研究ですが,とても参考になるコメントを頂きました。
がんばって修正しようと思います。

−−−−−−−−
(*1)「16.08.31」参照。

 ++ 16.10.04 (tue) ++ 



何も具体的な成果を出さないまま夏休みが終わってしまいました。

 ++ 16.10.05 (wed) ++ 



科研が書けん。
(主にやる気の問題。)

 ++ 16.10.06 (thu) ++ 



再審査となっていた論文を修正し,再投稿しました。

改稿にあたってかなり頭は使いましたが,実際の加筆等は最小限のものとなりました。

今度こそ採録になってくれることを祈っています。

−−−−−−−−
(*1)「16.07.28」参照。

 ++ 16.10.11 (tue) ++ 



40

 ++ 16.10.13 (thu) ++ 



もはや若手ではない

 ++ 16.10.17 (mon) ++ 



投稿していた論文(*1)の査読結果が戻ってきました。
不採録でした。

査読者から頂いたコメントは
 第1査読者…研究の価値は分かってもらえたなぁ
 第2査読者…研究というものに対する認識に大きな隔たりがあるなぁ
 第3査読者…不勉強で申し訳ありません
という印象でした。

去年の卒論生を第1著者とする論文で,私の専門とは少し違うものでした。
なので,この論文のためだけにそれなりの文献研究もしました。
ただ,研究としての価値はあると思うものの,完成度に絶対の自信があるわけでもありません。
なので,これ以上のチャレンジはあきらめようと思います。

−−−−−−−−
(*1)「16.05.10」参照。

 ++ 16.10.18 (tue) ++ 



卒論生の書いた論文がリジェクトになり,文章そのものへの指導について考えさせられました。

私は文章には個性があると思っています。
なので,若い人の文章のクセは最大限残すように心がけています。
学術論文として必要な論理性が担保されていれば良いと考えています。
(あとは,あまりにも冗長な表現は修正するようには指導しています。)

ただ,実際には,文章から受ける印象が研究の価値評価に影響するようです。

私自身は表面上の稚拙さで研究の価値を判断することはしないようにしています。
それは研究者として重要な能力だと思っています。

けれども,私以外の研究者も同様だとは限りません。
また,評価に関係なく,個性自体を認めない研究者もいるかもしれません。

どのあたりまで指導するのが適切なのか,試行錯誤が続きそうです。
(研究者志望の学生には明確な指導をしていますけど。)

 ++ 16.10.19 (wed) ++ 



写真で食べていくには,
 芸術的な写真を撮る人
 広告などの写真を撮る人
 報道写真を撮る人
など,色々いて,
 1つの仕事に専念する人と
 複数の仕事をまたぐ人と
がいて,
研究者の生き方と似てる部分があるな,
と思う。

 ++ 16.10.20 (thu) ++ 



アートすることに夢中なこと自体がアートだと思う。

 ++ 16.10.24 (mon) ++ 



形式主義的な人は
形式のことしか分からないから
形式主義的なんだ。

 ++ 16.10.25 (tue) ++ 



私は誰よりも科研の申請書を書いているという自負がある。
(一度も当たったことがないので毎年書いてる。)

 ++ 16.10.26 (wed) ++ 



今年の夏なんか,もう2度と涼しい日なんか想像できないってくらい暑かったけど,今はちゃんと秋。

 ++ 16.10.27 (thu) ++ 



サラミ論文(*1)と言われそうで第二報以降が出せない研究がいくつかある。

−−−−−−−−
(*1)本来1本の論文として報告すべき所を,(業績稼ぎのために)複数本に分けて投稿されたもの,といった意味合いで言われます。私の場合,興味があってちょこちょこデータ取ってる内に,先行して取得したデータで論文を書き上げちゃってたりして,結果的に投稿しにくくなっちゃった知見がいくつかあるという感じなんですけど。

 ++ 16.10.31 (mon) ++ 



科学者の世界というのはエリート研究者を基準にできあがってる。
#非エリート研究者は初めから蚊帳の外。

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