くんくん日記

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2003年11月10日(月) きんたけ

きんたけとは金茸のこと。知人夫婦が庄原(だったか県北のどこか)に一泊旅行に行った折りに入手したものを、今日の夕方にちょうだいした。
他にも、なめことかゴボウとかもいただいた。ナメコはチョー巨大だし、ゴボウもぶっとい。
そして金茸だが、今日はホイルでくるんで焼いてみた。しょうゆを少し垂らして食べた。どんな味かというと、これがカレー味って感じ。ターメリックの香り?におい?意外さ抜群だった。

2003年11月11日(火) A4 vs BORA

3年乗ったVWボーラが玉突き事故で廃車になったので、新しいクルマを探している。もともとVW好きなので今回もVWかAUDIで、しかもボーラより小さいクルマは怖いので車種は自ずと限られてくる。
いまの候補はAUDIのA4,A4アバント,VWのボーラの3つだ。
実は昨日まではA4アバント2.0SEというのに決めていた。でも昨日試乗してみたら、CVTがどうにも気持ち悪い。1000〜2000回転のときに、エンジンがガラガラいうのだ。まるで古いタイプのディーゼルカー(クルマではなく)に乗っているかのようだ。とても400万円のクルマとは思えずガッカリしてしまった。
そうなると、今回もボーラかもしれない。大きさは必要十分だし、前回は2000ccだったエンジンもV5を選べばとても気持ちよい。夏場に送風がガソリンくさくなるとか、ヘッドライトが暗いという難点も、運転の気持ちよさからすれば、大した問題ではない。でもABSがごろごろする。ABSなんて年に数回しか使わないけどエンジンが大きくなれば、ブレーキ類はしっかりして欲しい。
A4のCVTは、本当にあんなもんだったのだろうか。気持ち悪いものなのだろうか。内装はA4のほうが格上だ。
しかも、BORAのV5とA4アバント2.0SEは、値引きの関係で価格差が50万円を切っている。
明日は、CVT問題に決着をつけるべく、2.0SEに再トライするし、5ATの1.8ターボクアトロにも乗ってみる。いまのままなら、BORA V5がいちばんだけど、大逆転があるかもしれない。

2003年11月12日(水) きめた

クルマを決めた。A4アバントにした。身分不相応かもしれないが背伸びして決めた。この3週間悩み続けだったので、うれしいというよりも、ほっとした。
来週の半ばあたりに納車の予定。

2003年11月13日(木) 安藤忠雄さんの講演

建築家の安藤さんの講演を聴いた。人間は夢と「やってやるぞー」という気持ちを持ち続けなければいけないなぁと改めて感じた。
安藤忠男さんの話し方は誰かに似てると思っていたら、いまわかった。SMAPの中居まさひろがズーズー弁で話すときと似ているのだ。誰かと似ているなぁと思っていたときに、その人の名前がわかるととてもすっきりするものだ。

2003年11月18日(火) 日記をつけること

高校生だったころに日記をつけていた。誰にいわれたからでもなく、誰に見せるもでなくである。A5のノートに一日一ページ程度。最初は箇条書きで思ったことを書いただけだったが次第に文章の体を成してきていた。高校生の後半から社会人になって何年かまで8年あまり続けていた。
最初は手書きだったのがソニーのワープロ(当時はPRODUCEいうのがあったのだ)を経て、NECのPC9801RAというパソコンに変わった。Macintosh IIcxで書いていた時期もあったかもしれない。ワープロは2.5インチのフロッピーディスクだったのが、PC98では3.5インチになった。
そういうことをやっていたことで、必然的にパソコンというかMS-DOSには強くなったし、文章を書く仕事を引き受けることもできたのだろう。人格形成に一役買ったかどうかはよくわからない。
そして時代は流れて、インターネットだ。今回からはCGIを用いて日記を書いてみようと思う。誰のためでもなく、ではあるが世界に公開してしまうのだ。

2003年11月19日(水) 新車

今日の夕方にいよいよ我が家の新車が納車された。
いままでVWのビートル、ボーラと乗り継いで、初めての新車だ。車種にはずいぶんと悩まされたが、アウディのA4アバントにした。
さっそく町中を走ったが新車って緊張する。まだ慣れていないだけかもしれない。
流れに乗って走っているときは、なんだか高級車だなぁと感じる。ビートルといっても僕のビートルは1970年製のコンバーチブルだったので、ボーラを買ったときに不必要な高級感を覚えた。しかし今回も同じように感じたのだからすごいものだ。
クルマは10年乗る。そう思って今回も選んだ。無事故で10年乗るのだ。

2003年11月20日(木) クリスマスアルバム

今年のクリスマスアルバムのお気に入りは、Asian Snow(東芝EMI)だ。千住真理子のバイオリンに身震いしてしまった。近年では久しぶりのお気に入りクリスマスアルバムだ。
クリスマスは嫌いではない。街がきれいに飾られるし、クリスマスソングがそれを盛り立てて、街中が一つベクトルでお祭りになるところが好きだ。バブルのころのような、クリスマスはホテルでとか、高いディナーを、とかそういうのは好きではない。しっとりと家族で過ごすのがよいんじゃないかと僕は思う。そういえば学生のころも、こんなにきれいなんだからカメラを持って街に出ようと何度も思った。
一度、六本木にいたことがある。そのときは六本木交差点で見ず知らずの人々がクリスマスを祝って「メリークリスマス」の合唱が始まって、シャンパンをあける人、握手しまくる人、歓声があがって実に楽しかった。健全な街だったのだ。もう17年も前のことだ。
もう、いまのうちからたっぷりクリスマスソングを聴いておこう。なにしろいまのうちしか聞くことの出来ない季節ものなのだから。

2003年11月21日(金) 東京

神田のレストランや丸の内の知人のオフィスに顔を出して、その後丸ビルの前を通った。やっぱり自分の故郷は東京なんだなと感じる瞬間である。
いくら新しい建物ができても、ブランドショップが並んでも、変わらないものがあるはずだ。だいたい計画的な都市計画は、必ず成功するものであり、同時にほぼ無意味なものでもある。つまり、例え都市を設計図通りにつくったとしても、人々の営みや商店の並びなどは、そこの場のもつ生活感が決めるものであり、それはもう設計とは無縁に流れ続けているものだからである。だからどんなに現実離れした計画でも、人々は柔軟に受け入れて少しずつ改善しまた淘汰していく。町というものは、そう簡単に創れるものではないのだ。自然発生したものを壊すことは簡単だが、取り戻すことはとても難しいことなのである。大学が都心部から近郊に移転した際、もっとも軽んじられていた要素でもある。

2003年11月22日(土) お茶の水

本郷での研究会に出席するため、乗り換えのつもりでお茶の水駅で降りた。結局本郷までは歩いてしまったのだが、その前にちょっとだけお茶の水を歩く時間があった。
お茶の水は僕が予備校にも通っていたし、学生時代はその予備校で働いてもいたので、合計で7年ほどうろうろしていた懐かしいところだ。高校生から大学生になって数年までは音楽活動もしていたので、お茶の水の楽器店はワンダーランドのようなところだった。しかし、楽器にあまり興味を持たない今となっては、楽器屋さんが台頭しすぎているとしか感じなかった。あとはファストフードやレストランのチェーン店と、ゲームセンターやパチンコ店が並ぶ。こんな町だったかなぁと、少し寂しさを覚えた。
ときどきお昼を食べていた喫茶店は、カラオケボックスになっていた。ポータブルCDプレーヤーが欲しくてときどき眺めていたキムラヤは、薬品と化粧品しか売っていなかった。うーん。
オレンジ色の中央線だけが、ずっと変わらず走り続けているのだった。中央線が銀色にならないことを切に願うのであった。

2003年11月23日(日) CD

ポイントカードの期限が切れそうなので、あわてて1万円分のCDを購入した。なんだか得をしたのかよくわからないが、欲しいCDを次々手に取るのは快感である。
先日買ったクリスマスアルバム以来、千住真理子のバイオリンが耳から離れないので、彼女のCDも買った。
暖かい部屋でバイオリンの音を愛でる、なんていう生活を想い描いている。クリスマスが近づくとそういうことを考えるようになるから不思議だ。

2003年11月25日(火) 腕時計 with PalmOS

Fossilから、PalmOSで動くのデジタル腕時計が発売された
Fossilのサイト
以前から噂されていて、すごく欲しかったものだ。スケジュールも住所録も、PCから転送して持ち歩けるし、時計が秘書代わりにアポイントメントを教えてくれる。
もう少しすると、こういった腕時計にニュースや天気予報がプッシュされるサービスも開始されるらしい。腕時計なんて、この四半世紀の間あまり変化がなかったのに、ここに来て大きな変化がありそうだ。
「すごいんだぞ」と妻にいったら、ケータイで十分じゃないといわれた。なるほど。

2003年11月26日(水) ダイエー

ダイエーホークスのオーナー代行の高塚(こうづか)さんの話を聴いた。
管理職は、社会と従業員の間の盾にならなければならない、という言葉にはその通りだと思った。そういう気持ちがいまの経営者には欠けている。自らの利益を求めてしまっているんじゃないかな。

2003年11月27日(木) テレビの影響力

テレビは民意を反映するものですよね。学生にそういわれた。
難しい話だ。同時多発テロが起きたとき、メディアなら米国の報復行動を避けることができたのではないか、ということだ。
僕は報復行動は米国人の民意だと感じている。黙って我慢する人種ではないと思っている。僕の米国人感は相当偏りがあるけれど、このことはそれほど間違っていないんじゃないかな。
TVというメディアが人々に与えた影響は、実は同時多発テロの時も松井の満塁ホームランの時も同じだ。一瞬にして衝撃が伝わるかわりに、冷めるのも早い。TVはどんなに衝撃的な情報を伝えても、次の瞬間には可愛い子犬が尻尾振っていたりするから、だから私たちも安心して観ていられるのではないか。
テレビは民意を反映するか、学生への質問に対する回答は、まだまだ先になりそうだ。

2003年11月28日(金) 大学と社会

今日、神戸大学で社会との窓口役をやったり大学広報を担当している人が、オフィスに訪ねてきてくれた。僕が3年間やってきたことに関心を持ってくれていた。とてもうれしいことだ。
国立大学には、教育と研究という現業と、事務という言葉に代表される間接業務がある。しかし、これまであまり考えられてこなかった業務もある。組織経営、経営企画、広報と渉外、新規事業の創出、営業や学内外のコーディネートなどである。
これら民間企業では当たり前の業務がこれまでの国立大学にはなかった。そのためいまになって、付け焼き刃で教員や職員の中から担当者を選んでいる。お粗末といえばそれまでだが、外圧によって急激に組織体が変わらなければならないのだから、仕方があるまい。
問題は、これらの業務が本来は間接業務であることである。間接業務は組織内でのプロフェッショナルが担当するべきだ。そしてそれは教官ではないはず。うーん。

2003年11月29日(土) 

「その時歴史が動いた」というNHKの番組がある。先日再放送で幕末の江戸城無欠開城における勝海舟と西郷隆盛の話をやっていて、夜中なのに最後まで観てしまった。
勝海舟は「公」を守るために、あえて自分のいる側のシステムを否定し、新しい勢力にこの国の未来を託した。私利私欲にとらわれず、国のことを考えるというこの姿勢は、実にすばらしい。
貨幣紙幣や金券の偽造や、保険金詐欺、銀行口座の不正利用、ヤミ金融、マネーロンダリング、おれおれ詐欺など、社会システムを裏切る非道な犯罪が、多発している。公を顧みず私利私欲のみを求める姿勢が、ごく当然と考えられてしまっている。そんな「自由」では国家はなりたたない。
目に見えない電子マネーや電子投票などでは、こういった犯罪はより容易く気軽にできてしまうだろう。効率化や利便性は、社会システムがまともに運用されている場合にのみ追求するべきなのではないだろうか。
交通ルールの知らない社会に、信号機や標識を立てているような空しさが感じられる。

2003年11月30日(日) スタッドレス

スタッドレスタイヤを買った。またクルマの出費をしてしまった。
雪も降らないうちから、だいたいまだ昼間は15度もあるというのに、スタッドレスで大丈夫なのかと思ったが、タイヤというものはすぐに力を発揮するというものではないらしい。そして当然のことらしいが、特に何か変わったという感じもしない。
雪が降るとびくびく運転していたのが、今年はそれに悩まずにいられる。それはそれでうれしいことだ。
物置にはノーマルタイヤが4本積まれた。みんなああいうのって自分で持って帰ってきて保管しておくものなのだろうか。いろいろ面倒なものだ。

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written by hikizo
Akiary v.0.51