くんくん日記
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2003年12月2日(火) 砂漠で平和復興
イラクで日本人外務省スタッフが二人殺された。それ以前より、市街地ではテロに遭う危険性が高いので、自衛隊の出動はよく考えようという話だ。首相は「状況をよく見極めて決める」という立場(これは立場ではなく手法である)を固持している。
そして自衛隊は、誰もいない砂漠に駐屯するらしい。砂漠にいたって生活をするためには市街地にいくし、それになによりも人の住む場所をよくすることが平和復興なんじゃないだろうか。
怖いから無人島を守りますって感じで、なんか外国から笑われるだけのような気がする。
武力を行使したくないし、行使されたくない。それはよく解るし、日本の憲法にもそう書かれている。だから派兵はおかしいのだ。派兵する人はお国のために命をかけて、最前線で戦うことを強いられてしまう。
砂漠で戦ったら、イラクの人のほうがずっと上手だろう。状況は見極めなくても明確だ。
2003年12月4日(木) 英語をしゃべること
京浜東北線で、僕の前に座っていた外国人の中年女性二人が、メモを見ながらきょろきょろしていた。どうやら駅名を知りたいようだ。京浜東北線は新しい車両ばかりだから、どの扉にも上に駅名が表示される。駅ごとにそれを読んでいるらしい。
メモには大井町の100円ショップへの行き方が書いてある。品川駅の4番線から横浜方面に乗って3分。なるほど。
ふと目が合った。この電車が大井町まで連れて行ってくれますよ。品川で乗り換える必要はありません。と英語でいった。珍しく声が上ずらすにいえた。外国にいるときはともかく、こういう突然のシチュエーションだと僕は英語で話すとき声が大きく、そして高くなってしまうことが多い。もう少し冷静に格好良く話せないかなぁと思っていた。今回は普通に日本語で話すように話せてとてもうれしかった。
英語が通じると解ると、話は止まらなくなる。東京の鉄道は複雑だ。もう2度も間違えてしまった。といわれた。うんうん。日本人にも難しい。笑ってくれるとなおうれしい。
僕は大井町までいくわけではなかったので、良い日々を、といって下車した。
感謝されたこともうれしかったが、それ以上に普通の声で話せたのがうれしかった。
2003年12月8日(月) 反対勢力
このところニュース番組の冒頭では「治安悪化が著しいイラクでは」という言葉が定着している。治安悪化はアメリカの統治に反対する勢力や、フセイン政権の残党だそうだ。
本当にそういう勢力や残党がいるのかもしれない。でも僕はこの半年のアメリカ軍のやりたい放題の攻撃に、怒りを覚えた民衆が決起しているように思えてならない。
ちょっとアヤシイ行動したら射殺。フセイン政権の残党がいるという情報があったら、建物ごと爆破して市民を巻き添えにする。情報の真偽に係わらず大量の報奨金を出して、物事の善悪よりも金で解決する姿勢。発狂している獣のようだ。
攻撃は新たな恨みしか生まない。20世紀にそれを学んできたはずなのに、おろかなものだ。日本がアメリカに教えてあげなくちゃいけないのだ。
2003年12月10日(水) 欲しいパソコン
友人がPCを買おうとしている
ノートPCで、ビデオ編集もいちおうできて、これまで撮った写真なんかもそれで整理して、自室で使う。愛着のわくPCが欲しい。よくわかる。
僕はPowerBookのデザインが好きなので勧めてみたが、やはりwindowsでないと困るのだそうだ。僕も初代のPowerBook G4とThinkPad X31を使っているから他人のことはいえない。
プリンターも困る。だいたいプリンタなんて、家では年賀状のときくらいしか使わない。僕はいま、仕事場の机の上にHPのOfficejet6150という複合機がある。いまはこういう複合機がおすすめになってきた。プリンターも見た目が重要だ。PCより存在感がある。
パソコンは見た目と触りごこちだ。ずっと前からいっているが、やはりいまでもそう思う。
2003年12月11日(木) 日常のクオリティ
林望さんの講演を聴いた
続きはあとで。
2003年12月15日(月) golden panda?
中国人からもらってしまった土産物というか記念品について、雑談をしていた。
すごいレストランで接待されてしまって、しかも帰りにスワトウのハンカチなんかをもらって、「次回はそちらの社長さんと」なんていわれて、引っ込みがつかなくなるなんていうパターンがあるとかないとか、そういう話をしていた。
シンガポールで世話になった人から、金色のパンダをもらったという話をきいた。渡した本人は貴重な物と思っているらしいが、どうにも困った代物だったらしい。
しかし、金色のパンダって、よく考えると単なる金色の熊なのではないだろうか。
そう考えると、巧妙に騙されているのかもしれない。考えすぎだと思うが。
2003年12月17日(水) ライト兄弟
ライト兄弟が空を飛んで、今日で100年。
まだ100年しか経っていない、とときどき話題にしていた。だって、日本国内だけでも飛行場と名の付く施設が90を超えているのに、100年も経っていないのだ。
B747というジャンボジェットの初飛行は1971年。もう32年も前のことだ。68年の歳月で、二度の世界大戦があり、結果としてライトフライヤーはジャンボジェットまで成長した。すごくワクワクする歴史を感じるが、実際には苦労の多い厳しい時代だったらしい。
年間30回は飛行機に乗る。まだ100年の技術が僕の生活を支えているのだ。
人生は短いというけれど、100年の変化はすごいものだ。
2003年12月18日(木) 広報は難しい
組織の広報戦略について、検討するグループに参加している
広報は、他がおこなっている取り組みが、表面的なアウトプットしか見えないから、実は検討は難しい。
例えば僕が、受験生向けの大学情報を得る機会は、新聞やTVの広告しかない。しかし、受験生はむしろその他のメディアから情報を得ている。
2003年12月19日(金) 浅間丸のころ
浅間丸というのは、昭和初期に太平洋航路での欧米の客船に対抗して建造された1万トンクラスの豪華客船のことである。日本郵船の所属で最初に「二引き」マークが付いた船でもある。
この船は結局、海軍に徴収されて輸送船となり、昭和19年に南沙諸島沖に沈んでしまう。その生涯が書かれた文庫本を、ときどき繰り返して読んでしまう。
それを再度読んだ。昭和初期は、世界恐慌のあおりで不況が長引き、世界各国は利権(特に植民地と資源)を争っていた。そして業を煮やした軍が、徐々に政治に介入していき、あっという間に開戦となってしまう。
昭和5年頃の日本は、いまととても似ている。気を許すとあっという間に戦争が始まってしまうところに、いまの日本はいるのだ。おろかなものである。
2003年12月20日(土) 黒のラーメン
ローカルな話だが、中の棚に「でっち」というラーメン屋さんがある。ここは僕が越してきてからできた店で、開店当初は牛骨ラーメンを売りにしていただのが、直後にBSE騒動があって、すぐに豚骨とか海鮮に衣替えした。なんかこだわりが薄いのではと、敬遠していたのだが、食べてみるとなかなかうまいので、ときどき行っている。
そこの「あっさり黒ラーメン」というのが最近の僕のヒットである。黒の要素が何かはヒミツだそうだ。黒といえばイカスミだと思ったが、そうではないらしい。
うーん、なんだろう。そう思いながら、昨日も食べた。うまかった。
2003年12月21日(日) 暖冬の雪
今年は暖冬だといわれている。12月に入っても暖かい日が続く。自家用車で通勤している僕なんか、ほとんどコートを着る機会がないほどだ。といっても襟巻きと手袋はしているんだけれども。
暖冬なのにこの週末は雪が降った。実は暖冬の方が雪が降りやすいのだ。
昨日は夕方から高速道路が通行止めになっていた。ずいぶん積もってしまったようだ。北の空は昨日一日真っ黒だった。
雪が降ると空がきれいになる。すがすがしい。空の汚れを全て雪がきれいにしてくれる。そして僕のクルマのボディにその汚れを残していくのだ。
2003年12月23日(火) ビデオの次
世間ではDVDレコーダが大流行だ。250GBのハードディスクを内蔵したものだと100時間以上の録画ができるらしい。容量換算でDVD50枚分以上だ。2時間テープ50本以上と考えると、すごいことだ。なにしろ僕はビデオテープをたぶん30本も持っていないのだ。
そういう僕はコクーンというHDDレコーダに興味を持っている。僕の好みを覚えてくれて、勝手に録画してくれるというものだ。こういうインテリジェントな機械が僕は大好きだ。
でも、よく考えたら僕はテレビをほとんど観ない。「テレビ観る時間が足りません」というコクーンの販売員の言葉が印象的だった。
2003年12月25日(木) BSEとスーパー銭湯
米国でもBSEに感染した牛が見つかった。アメリカ人は牛肉が大好きだから、どうなっちゃうのだろうか。
日本では、さっそく米国産牛肉の回収を始めた。マクドナルドなどのハンバーガーショップはほとんどが豪州産だそうだ。新聞にそう書いてある。ふーん。
新聞によると、牛丼のチェーン店は大変らしい。吉野家なんか99%だ。松屋も数パーセントを除いて米国産なんだってさ。そういったら「スーパー銭湯だけが違うの?」って訊かれた。数パーセントって、難しい。
2003年12月26日(金) 蕎麦と宇宙
妻の誕生日なのに近所に蕎麦を食べにいった。なぜかというと僕が体調を崩してしまったからである。なんというか本当に申し訳ないことである。
近所の蕎麦屋というのは、ちゃんとした蕎麦屋で、うどんを出したり天丼があったり、ということはない。あるのはざるそばや鴨南蛮、それに日本酒とおつまみである。
店内は真っ白なインテリアで、いまどきな感じのお店だが、金曜日の夜しかも年末のためかお客さんは誰もいなかった。
蕎麦はまあまあだったが、鴨南蛮のしるは関東風でうまかったし、鴨はやわらかかった。みそ豆腐は絶品で、下戸の僕が日本酒をなめたくなるほどだった。
もう帰ろうかというころ、親父さんがでてきて、宇宙の話になった。親父さんは書店にある宇宙関係の本はほとんど読んだのではないかと思われるほど詳しかった。蕎麦をうちながら宇宙の広さを考えているのだろうか。
2003年12月27日(土) 托鉢の僧
そごうの入り口のところで、托鉢僧を見かけた。暖冬で昼間は暖かい日が多いのだが、それでも外で直立不動の修行は大変なことだろう。
小さな女の子が興味深く見ていた。両親に促されてその場を去るときに、その子は「バイバーイ」と一生懸命手を振った。
托鉢僧は、祈る右手を小さく振って応えていた。ほほえましいというか、笑いをこらえてしまった。
2003年12月29日(月) イランの地震と救助犬
イランの古都バムで大きな地震が起きた。数万人の死傷者がでている。日本からも自衛隊や救助犬が援護に向かった。
阪神淡路の地震の時、各国からの救助犬を日本側が断ったという話がある。思うにこれは検疫に時間がかかり、救助犬が有効な活動に間に合わないという理由だと思う。
ということは、日本から向かった救助犬は、帰国するときにやはり時間のかかる検疫を受けるのだろうか。
検疫システムが悪いとは思わない。伝染病や外来種から日本が守られていること、島国はそれに有利であることを、ひしひしと感じた。
2003年12月31日(水) 煩悩の多い世の中
紅白歌合戦が終わって、行く年来る年が始まった頃、実家の近くのお寺にいった。
2年前にも妻と一緒にいったのだが、そのときはすごく寒かったためか、人がまばらで除夜の鐘をつくひとが足りなかったと記憶している。(もっとも一突き千円を納めるのを渋っていたのかもしれない)
しかし、今回は一転してなかなかの人出であった。寒くなかったからかもしれない。景気が悪くて東京から離れなかったからかもしれない。そしてそのお寺は、希望者が多いと除夜の鐘を108プラスαにするのだが、今年は20も多く出していた。それでも希望者は殺到し最後まで列は長いままだった。もちろんその中には私たちも居たんだけれど。
2003年は慌ただしい年だった。2003年の厄を落として、よい新年を迎えたい。