くんくん日記
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2004年1月3日(土) ジョンレノンミュージアム
さいたま新都心にあるジョンレノンミュージアムにいった。僕が聞いたところではもともと広島に打診があったのを、広島市かどこかが何かの理由で断ってしまったらしい。平和都市ひろしまとジョンレノンって、すごくマッチしているのに惜しい。
その気持ちは実際に訪れるとさらに高まる。ジョンレノンミュージアムはさいたまアリーナという巨大施設の一角にあるのだが、まったく他の施設と関連性がないのだ。これが広島の平和公園の近くにあれば、その相乗効果は計り知れないものがあったのに。
でもいまさらこういうことをいっても仕方がない。
ミュージアムには遺品があるだけのことだと思えばいい。ジョンレノンとオノヨーコの平和を希求する精神は、別に埼玉でも広島でもなく、ワールドワイドに拡がった全てをカバーするものなのだから。
2004年1月4日(日) 十五年前のシベリア
友人と東京駅のカフェで会った。1989年にシベリア鉄道で出会い、その後旅行関係の仕事の手伝いなどもさせてもらいながら、いままでつきあいが続いている。一緒に旅させてもらった国も多い。
今年は2004年だから、もう15年も前のことになる。15年前にシベリアで、なんて考えると、終戦直後のシベリア拘留みたいに聞こえてしまう。ソ連もベルリンの壁も、共産圏なんていう言葉も、アンカレッジ経由の欧州線も、当時は当たり前だったことが、いまは遠い昔のようだ。
でも、その人と僕は15年前と変わらぬ調子で、そして2年ぶりなのにいつも会っているかのように会話をし、また明日会うかのようにそれぞれの帰途についた。
2004年1月5日(月) カーナビが欲しい
カーナビが欲しい。そう言い続けて3年になる。そろそろ欲しい。
何を隠そう僕は滅多に道に迷わない。初めての土地でもすぐ道を把握できる。唯一の自慢である。
それでもカーナビが欲しい。それは「新しい情報」のためである。それには二つある。
一つは地図情報の更新。新しくできた道路や施設は、やはりいち早く知りたい。
もう一つは、リアルタイム情報。交通情報や天気予報、ニュースなんかが知りたい。
こういったことはGPS付きの携帯電話でも実現できるが、自動車の運転者が利用できるものではない。
そういうわけで、Air-Naviをずっとウォッチしている。JATEの情報によると、どうやら来月あたりに新製品が発表されるようだ。
問題は、AUDI A4のあのきちんとまとめられたインテリアのどこに設置するか。実に悩ましい。
2004年1月6日(火) 土地の名前
サマルカンド、マラケシュ、テオティワカン、イスファハン、コペンハーゲン。地名を聴いただけで、とても行ってみたくなるところは多い。
「名前に喚ばれ」て旅をする。こういう旅は実に楽しい。古来の地名はその土地の土着の文化の結晶なのだ。土地の名前は、その場所の文化や精神の、もっとも簡潔な表現といってもいいと思う。だから古い地名に僕はとても興味がある。
長野県を信州にすると、長野県知事が年頭の挨拶でいったらしい。旅行ガイドやメディアでは、長野より信州のほうがよく使われるというのがその理由だそうだ。信州というの名前は、どちらかというと好きだ。でもこの理由は嫌いだ。マスメディアが文化を決めるなんておかしいのだ。編集者やライターの価値観だけで、その土地の名前を決めるなんて愚行としかいいようがない。
メディアの特性を教育する立場として、もっとがんばらないといけないと感じた。
2004年1月7日(水) 欲しいものは傘?
僕は一月生れである。プレゼントは何がよいかと義母から訪ねられた。困ってしまった。
僕は決して物欲が少ないわけではない。いまでもHDDレコーダーや、カーナビなんかも欲しいと思っている。でも、本当に欲しいと思う製品があるのなら、買っているような気もする。
それにだいたい誕生日プレゼントなんだから、そんな高価なものじゃないのだ。数千円程度で買えるものといったら、洋服や小物類、CDぐらいなものだろうか。そういうのって自分で選びたい。
悩んだ末に、軽量の折り畳み傘をリクエストした。僕はもうこの6年間、パンパシフィックホテル横浜で入手した折り畳み傘を使い続けているのだ。これはこれで気に入っているのだが、格好付けたときに似合う傘があってもいいなと思ったのだ。
2004年1月8日(木) 地図は楽しい
昔から地図が好きだ。空間が紙に表現されていることが、なんだかとても素晴らしく感じるのだろう。だからどこにいっても観光ガイドマップとか路線図とか館内マップを貰ってきてしまう。そしてどんどん貯まっていく。
いつのころからか、地図と情報システムを扱うようになって、地図そのものの情報デザインの要素についても考えるようになった。これはきっとリチャード・ワーマン氏の影響だろう。そして大学のキャンパスマップなんかも作るようになって、ますます地図と情報デザインのことが研究の対象に近づいてきた。
人々の視点と、地図の視点は大きく異なる。これは構造物の中でも、景観でも同じことだ。これを理解し、またその隙間を補完することはできないのだろうか。地図というのは真上から観て正確な地図である必要はないのだ。むしろ不必要な情報を、省く勇気が必要なのだ。
情報デザインと建築意匠の間には、研究するべきことがたくさんあるように感じている。
2004年1月9日(金) CONTAX SL300L T*
新しいデジカメを手に入れた。物欲がないなんて冗談のようである。
もともと10年以上前から、僕のメインのカメラはコンタックスT2というフィルムカメラで、海外旅行でも出張でもこのカメラをもって歩いていた。デザインもとても気に入っているし、なにより撮れる写真の質がすばらしい。ズームなんかなくてもぜんぜん構わない。
でも時代の流れはデジタルカメラだ。CASIO QV100, SONY DSC-F2と試用してみて、少しブランクがあってからCANON IXY-digital, CANON Powershot G3と続いて5代目だ。PowerShot G3はいい写真が撮れるしバッテリーも保つので、このときからコンタックスT2の出番が減り、写真の管理もPCでやるようになった。
そして、やっぱりコンタックスブランドに誘われてしまった。TVS digitalというのもあるのだが、G3との棲み分けが難しいので、よりコンパクトなものを選んだ。コンタックスとしては安価なモデルなので、どれほどの実力があるのか、これから試してみる機会が増えそうだ。
2004年1月10日(土) 観光立国
祖父の従兄弟の娘という、叔母から電話があった。祖父が大学時代にそこの家にお世話になっていたらしいし、私の母もそこの家に世話になったこともあり、また家も井荻と大泉と割と近いこともあって、遠い親戚の割には付き合いは多い。
一昨年故人となった叔父さんは、海外旅行手配の会社を興した人で、学生時代アルバイトでお金が貯まれば海外旅行に出かけていた僕にとって、なんともうらやましい存在だった。
その叔父が、生前に叔母をザルツブルグとプラハに連れて行ったらしい。プラハは僕も2000年に家内と両親を連れて出かけたところだ。少し叔父に近づいたようで嬉しい。
外国を知ると、日本の良さがよくわかると叔父は言っていたらしい。僕もそう思う。日本は観光するととてもおもしろいところなのだ。しかし10年前の中国や共産圏と同じで英語が通じないから、その土地の言葉ができないと本当に不安にさせられる。
日本には資源がないといわれるが、観光資源には恵まれている。これからは日本は観光立国になるべきだ。昨年から政府もそんなことを言っている。しかし具体策はなかなかでてこない。
思い切って具体策に打って出てみようか。そう思った。
2004年1月11日(日) 洋食屋のもてなし
僕はどういうわけかレストランに1時間以上いることができない。緊張を強いられるレストランだと体調が悪くなってしまうこともある。たぶんうまく呼吸ができていないんだと思う。
うまいものをうまいと思う能力については、育ててくれた親に感謝している。しかしうまいものと高級なところは別だ。お店の人よりこちらのほうが恐縮するような状態で、消化しろというほうが間違っていると思う。単に僕が極端に恐縮しやすいのかもしれないが。
珍しく一人で外食した。小さな洋食屋でハンバーグ定食を食べた後、スターバックスコーヒーでくつろいだ。ここの小さな洋食屋は味はいまいちなのだが、さっと出てくることとスタッフの応対が清々しいこと、店内が明るく一人でいても寂しくならないことなど、様々な理由で気に入っている。常連さんのオーダーから察するとカツカレーが人気らしい。常連でもない僕にも、店主もウェイトレスも気持ちよく挨拶してくれる。
もしかして、これが「もてなし」ではないか。僕が求めているもてなしは、こういうものなのかもしれない。
そしてスターバックスコーヒーにいく。夜8時にもなると店内は空いていて、一人の客も多い。スタッフも気持ちに余裕があるようで、なかなかの「もてなし」ぶりであった。
2004年1月12日(月) ウェーブレディオ
祖母が昨年引越をした。先日遠い親戚の叔母から祖母がピアノを弾いていたこと、先日ピアノの演奏があって嬉しそうに聴いていたことを聞いた。それ以前から、好きな音楽をいい音で聴けるようにと思っていた。CDがよい音で聴けて、操作が単純なものを探していたが、こういうマトモな製品は本当に少ない。
それで
ボーズ社のウェーブレディオ というのにした。本当は操作ボタンが日本語で書かれているのがよかったのだが、これしかなかったのだから仕方がない。リモコンがシンプルなのもよかった。
メイドインジャパンは、もっと高級でシンプルなものを指向したらどうだろうか。機能たっぷりで安価でお買い得っていうんじゃ、作る方もこだわりが薄いし、儲けも少ないと思う。以前のソニー製品なんかには、作り手のこだわりを感じるようなものがあった。ウォークマンなんか本当にそうだった。当時の値段で3万円以上だったけど買いたかった。そしてソニーのウォークマンは高級品だった。
IBMのThinkPadなんかは、やっぱり高級品だと思う。日本法人が企画しているらしい。こだわりも感じる。日本人もやるじゃないか、と思いたい。
2004年1月14日(水) たくさんつくるよろこび
イベントで小学生にカンバッチを作ってもらおうと企んでいる。
小学生一人一人にデザインしてもらうつもりだ。そしてみんながオリジナルのバッチを作る。よくある話だろう。
僕は、小学生の一クラスに1000個ぐらい作ってほしい。簡単だ。一人30個ぐらい作ればよいのだ。自分以外の人々に喜んでもらうための大量生産。これこそがいまの社会体験に欠けている要素なのではないだろうか。大量生産をしたあとの達成感を感じて欲しい。
1000っていう大きな数でも、30人集まれば意外と身近な数だ。チームでやれば大きなことができるって感じてもらうこともできるだろう。
なんだか、どんどんこのイベントが楽しみになってきた
2004年1月15日(木) 土星をみて
大学の望遠鏡で土星を観た。それで思いついたわけではないのだが、理科教育における視聴覚教育の活用というテーマで、研究論文をまとめてみようと思った。この一年間ハイビジョンカメラを使ってきて、ハイビジョン映像は理科教育の視聴覚教材を根本から変える可能性があると思ったからだ。
土星を観た。望遠鏡は一度に一人しか見れないのがポイントだ。まず土星を観てもらう。見えた?見えた。カッシーニの間隙は見えたかな?「???」
このとき初めて「同じものを見ているのに、見てなかった悔しさ」を感じる。最初から見えるといわないことで、悔しさを感じるのだ。ニクイ演出ともいえるが、教育現場にはこういう配慮が必要なのだ。教育というのは本当に奥が深い。
2004年1月17日(土) 中華街フェア
三越の中華街フェスティバルにいってきた。すごい人出だった。天井の低い薄暗い8階には、たくさんの人が並べられた肉まんや点心、月餅や中華菓子をにらんでいた。
なるほどなと思ったのが、9階の催事場だけでなく1階から8階までの各階に中華街コーナーがあったことだ。1階のエスカレータ前では中国茶のお店がでていた。
イートインで重慶飯店の麻婆豆腐を食べた。唐辛子と山椒の辛さで、汗が全身から吹き出した。しびれる辛さだった。
2004年1月18日(日) 牡蠣まつり
毎年この時期になると、川崎水産の牡蠣まつりがある。僕は3年連続でこの牡蠣まつりにでかけている。牡蠣を知り合いに送るためにである。そしてその場で味見と称して焼き牡蠣や牡蠣入り餃子などをいただくのだ。
広島といえば牡蠣が有名だから、毎年送る先も増えている。この川崎水産の牡蠣は全日空の機内誌でも取り上げられた有名なもので、ふっくらとしていて品質も確かだ。今年も大量に送った。
そして、大量に味見した。一年分は食べちゃったのではないだろうか。それでもその場を去るときには「ありがとうございました」と川崎水産のスタッフに見送られた。実に気持ちがよかった。
2004年1月20日(火) ソリューションへの転換
ディスカッションやオフサイトミーティングといった言葉をよく耳にする。会議よりも気軽に、しかしまじめな議論をする場を持つことのようである。
実際にディスカッションやミーティングなんかの場を見てみると、これはほとんど愚痴や悪口の言い合いである。そういう場でクリエイティブな議論ができると思っているのだろうか。
ソリューションを提案するということは、とても力のいる作業なのだ。価値観を共有し、解決策を練るというのは、穴を埋めていく作業とは全く異なるものである。
愚痴や悪口のいいあいからは、ソリューションに転換することはない。それは単なるストレス発散であり、仕事でもなんでもないのだ。
2004年1月21日(水) 戦艦「大和」開発物語
戦艦大和には僕は特別な思い入れがある。遠い親戚が設計に関わったからである。
先日文庫で出版された戦艦「大和」開発物語という本の中に、その親戚の名前を見つけたときにはとても驚いた。そしてすぐにその本を購入した。
戦艦大和は戦うために作られた艦船であるから、その目的は僕は評価したくない。しかし技術を結集してその時の最高のものを作ろうとする技術者魂には、心から感服する。
「お国のために」という言葉は軍国主義を表すとしてタブー扱いされている。しかし「お国のために」というのは実は「社会の一員としてのプライドを持って」という意味だ。「お国のために」を否定したことで失ったものが大きいのではないかと、考えている。そして21世紀に我々は、この半世紀で失ったものをどうやって取り戻すことができるのだろうか。これはとても難しい課題だ。
2004年1月23日(金) エコピースマップ
昨年秋からメンバーに入っていた広島板グリーンマップであるエコピースマップができあがった。週末には市内の書店でも売られるようである。
地図としては、まだまだ完成度は高くはない実験的なものである。しかし、1945年の広島の、どの地域が気持ちよくて、どの辺りが気持ちよくなかったかが、よくわかる地図だ。その地図と2003年の地図を重ね合わせて観られるように、2003年の地図をトレーシングペーパーに印刷したのが、今回の大きな特徴だ。
この地図は工学部の建築意匠の研究室と、教育学部が共同でおこなった研究の成果だ。こういったことができるのが、総合大学の強みだと僕は思っている。
2004年1月24日(土) 花瓶
友人の新築祝いに花瓶を買った。市内の百貨店を歩き回ってようやく気に入ったものを探すことができた。自分たちでも欲しいと思ったのだから、きっと気に入ってもらえるだろう。久しぶりに満足できるお祝いだと思った。
妻も僕も贈り物をするのは割と好きな方だ。しかしいざ贈り物を選ぶ段になると、かなり悩まされるのも事実である。
だから、今日はかなりうれしくて、思わず洋食屋さん「みんな」で夕食を食べてそのあとスターバックスコーヒーでのんびりしてから帰ってきたのだった。
2004年1月26日(月) 講義終了
後期の講義の最終回が終わった。初めて受け持った正規の講義だった。僕の講義は出席点とレポートだけなので、あとは成績をつけるだけである。
メディア活用研究というこの講義ではメディアの特性を理解することと、ツールを使って実際に活用してみる中で、その特性の理解を深めることを目的としている。はたしてどれだけの学生がそれを感じてくれるか心配だった。しかし最終回の今日、それまで無口だった学生から「創ることが楽しかった」という言葉を聞いて、嬉しく感じた。
我々は教官なのだから、学生を育てなければならない。研究領域の中で足を進ませるだけでなく、やはり社会性やそれを観る能力を高めることが必要だと感じている。僕が担当している教養的教育では、それはとても重要なことなのだろう。
2004年1月28日(水) あんパン
その時歴史が動いたというNHKの番組で、木村屋のあんパンのことをやっていた。銀座の木村屋のあんパンは僕も好きなものの一つだ。
木村屋のあんパンは、明治維新のときにリストラされた武士が始めたパン屋が、市民に受け入れられるためにと苦労した結果生まれたものだそうだ。そのあんパンが明治8年には明治天皇に献上されることとなる。それは当時とても画期的な出来事だったようだ。
文明開化ってハイカラなイメージだけがあるが、実は当初は民衆が異なる文化に戸惑い、なかなか理解されなかったようだ。そのような中で牛鍋やあんパンは、西洋の文化と日本の文化をうまく融合させて独自の文化を創っていく。自分たちのライフスタイルがあるからこそ、融合させることができるのだ。
異文化交流は、外の文化をそのまま受け入れることとは違う。自分の文化を大切にしていることが前提なのだと思った。
2004年1月28日(水) 新幹線通勤
先週の金曜日もそうだったのだが、今朝も山陽道が通行止だった。今日は9時45分からの打ち合わせにどうしても間に合わなければいけないので、タクシーで広島駅までいってそこから新幹線で一駅、クルマで迎えに来てもらってようやく約束の5分前に到着した。綱渡り人生を実感した朝だった。
今日乗った6両編成のこだま号は0系という初代新幹線で愛嬌のある顔つきだし、古いといっても客室は明るくて気持ちよい。のぞみ号のように精一杯頑張っちゃってる感じがなくて、リラックスできる。ゆとりのあるのはスピードだけでなく座席も広いしいいものだ。
もちろん博多から新大阪まで5時間もかけて走るのだから、ゆとりもあろう。その間にのぞみ号なら東京に着いてしまうのだ。でも在来線で30分かかるところを12、3分で走ってしまうし、その間にコーヒーは売りに来てくれるし、揺れは少ないしなかなかいいものだと思った。でも570円のところが1400円。大きな出費だった。
2004年1月29日(木) 宮島詣で
今年も宮島詣でをした。近くにこんなに気持ちのよいところがあったのか、といつも思うところだ。背筋がのびる。鹿と意志の疎通を図ろうと気持ちを落ち着ける。砂浜に寄せる波の音に耳を傾ける。沈みゆく夕陽を眺めながら船に乗る。人間の本来の姿を確かめる作業のようだ。
宮島口のうえので初めて店内であなご飯を食べた。これまでも弁当は食べたことがあったが、店内で食べるあなご飯は弁当とは違う味付けで、とてもおいしかった。僕はあなご飯といえば、宮島の和田やふじたやがお気に入りなのだが、値段も味もうえのがいいと思った。
2004年1月30日(金) 誕生日と平和と、人のつながり
今日は僕の誕生日である。とはいえ夕方からは異業種交流会に出席するために合同庁舎に向かった。平和芸術週間の発足人の集まりを兼ねていたからである。
発足人の一人の女性から、ふと友人のガラス作家の話が出た。以前勤めていた会社の同僚で、70人あまりの同期の中でも仲がよかった男だ。学生時代にシベリア鉄道でヨーロッパを目指したことがあるという共通点もある。その男のつくるガラスがとてもよい。
実は僕は結婚祝いにその男からグラスを二つもらった。味わいのあるグラスだと思っていたが、他人に言われるまで心を動かされることはなかった。
もっと心の動きを繊細に感じ取らなくては、と思った。
結局帰宅したら23時だった。誕生日は残り1時間だった。
2004年1月31日(土) マイシャベル
いま住んでいる官舎は、場所は便利なのだが築30年を過ぎていてなかなか年期がある。そして2平米ほどの花壇が各家庭に割り当てられている。その花壇はこの3年近く放置してきてしまって、もとから生えていたミントが猛烈な勢いで生えていた。
そのミントをなんとかしようと、シャベルを買ってきた。シャベルなんて自分では初めて買った。100円ショップで万能ハサミも買ってきた。まずはハサミで土の上の草木を刈り、続いてシャベルで土を掘り起こしながら、土中の根や茎を少し取り除いた。ミントは土の表面にほとんど絨毯のように密集していた。地上がミントで覆われていないのが不思議なくらいの生命力だ。
シャベルを持つと、他のことを考えずに土いじりに集中している自分に気がついた。人間本来の姿なのかもしれない。