角谷快彦 | 広島大学医療経済研究拠点・広島大学大学院社会科学研究科社会経済システム専攻

Japanese

「寓話で学ぶ信用貨幣論」の補足説明1

2020年5月10日(同8月31日一部修正)

ますは 「寓話で学ぶ信用貨幣論」をお読みください。

拙稿「寓話で学ぶ信用貨幣論」は、財政政策を含むマクロ経済の政策決定において、論者の貨幣観の違いが、全く逆の結論を生むことを明らかにしました。お陰様で同コラムは各所で拡散され、概ね「わかりやすい」とご好評を頂きました。一方で、特に寓話の部分が「まったく意味がわからない」とおっしゃる方が一定数居たのも事実です。そこで、本稿ではより丁寧な貨幣(お金)の説明を行い、皆様のご理解の促進に供したいと思います。

まず、現実社会の貨幣観である「信用貨幣論」および私の寓話の意味を理解できるかどうかは、一重に、私がコラムで何度もしつこく書いた「貨幣は『何もないところから』創出される」ことがわかるかどうかにかかっています。まずは「信用創造」を十分に理解された上で、「経済成長」、「貨幣の信任」、「政府の信用創造」にお進みください。

信用創造

お金ってどうやって生まれるの?

あらゆる経済の根幹をなすこの問の答えを、特に日本では、驚くほど多くの人が間違えています。私の肌感覚では、専門家も含め、概ね日本人の9割くらいが間違えていると思います。経済学部の私のゼミ生も最初は全員間違えていました。

典型的な間違いを挙げます。下記のリンクはGoogleで「信用創造」と日本語で検索した結果に出てきた上位3つです。そして、全部の解説が間違っています。ちなみに、「信用創造」とは英語の「money creation」の訳語。つまり、より平易に訳せば「お金の創造」のことです。

【現代の経済社会②】信用創造の仕組みがよくわかりません。
貸し出しを繰り返してお金を増やす!? 銀行の信用創造の仕組み
銀行の機能2〜信用創造〜

3つの解説に共通しているのは、「銀行は預かった(もしくは借りた)お金を又貸ししてお金を増やしている」という部分です。これ、間違いです。
もしこれが本当だったら銀行って何なのでしょう。金主のお金を高利で貸し出す闇金と何が違うのでしょうか。

もちろん、現実社会の近代的な「銀行」は、400年くらい前のその誕生時から現在に至るまでそんな「又貸しビジネス」はしていません。 「何もないところから」借り手の信用を担保にお金を生み出す。これが現実社会の信用創造(money creation)です。

例を上げます。私が銀行から500万円を借りるとします。
私:「家のリフォームで500万円必要なので貸してください。」
銀行員:「(この人は大学教員だから500万円くらいなら返せるだろう)いいですよ」
銀行員はそう言って、私の預金通帳にあらたに「500万円」と書き込みます。私は「500万円借りました」という借用書を書いて銀行に渡します。

この瞬間、日本に新たな貨幣「500万円」が誕生しました。いわゆる「万年筆マネー」による信用創造です。

そして、この銀行員は、いざというときの現金通貨の引き出しと信用創造後の銀行間決済に備えて、日本銀行に一定額の準備預金を預け入れます。

おわかりいただけたでしょうか。銀行の信用創造とは銀行が「何もないところから」借り手の信用を担保にお金を生み出すことなのです。そして銀行が日本銀行に預け入れる準備金は、貸し出しの元手ではなく、貸し出したお金の急な引き出しに備えるために法令に従って用意しておくもの、与信後(信用創造後)の銀行間決済に備えて用意しておくものに過ぎません。

では、準備金を積み立てる目的を除けば、銀行はなぜ資金を集めるのでしょう。繰り返しますが、銀行はそれを貸し出しに使う(又貸しする)ために集めているのではありません。 先に書いたように、現代の金融システムにおける信用創造は、ほとんどの場合、銀行通帳への記帳によって行われます。ですので、銀行が信用創造するためには借り手に銀行通帳(=銀行口座)を持っていてもらわなければいけません。

銀行は、日本銀行に預け入れる準備金を積み立てる他は、将来信用創造や決済をする可能性のある、多くの人に口座を作ってもらうために、預金者(=口座保有者)を集めるのです。あとは、口座を作ってもらうことで預金者のお金の流れを管理し、タイミングを見て「お金借りませんか?」と営業したり、いざ与信をして信用創造をする際に、借り手が本当に信用できる人か判断するための情報を得るのため等に口座を集めます。

ちなみに、これらのことは、少なくとも金融に関わる人々にとっては単なる常識です。世界で最も歴史のある銀行の一つで、イギリスの中央銀行でもあるイングランド銀行も、その季刊誌で私が上記に書いたような「正しい信用創造」について解説しています(リンク)。

さらに言えば、日本銀行の黒田東彦総裁も2019年4月4日の参議院予算委員会で西田昌司委員の信用創造の定義に関する質問に対し「銀行が与信行動をすることで預金が生まれることはご指摘の通り」と答え、私やイングランド銀行と同じ見解を明らかにしています。

加えて、正しい信用創造を2分で解説したこの動画でも、フローニンゲン大学のDirk Bezemer教授の説明に加え、IMFエコノミストのMichael Kumhof氏が「銀行の又貸し説は完全に間違っている」とした上で「銀行は何もないところからお金を生み出す」と証言しています。単なる事実なので当然ですが。

寓話の「銀行の誕生」の場面は正にイングランド銀行誕生の歴史のオマージュです。持ち運びにくい貨幣を金庫に預け、その預り証が、貨幣の代わりとして、いつしか預かった貨幣の量に関係なく流通した経緯。そして、太郎が三郎を信じ「自らの金庫の中身を確認することも、サイン色紙の預け入れをすることも何もなく、『借用証 お父さんのサイン色紙を1枚預かりました』と書いた借用証を100枚書いて三郎に渡しました」の場面はまさに信用創造です。

事実、イングランド銀行の信用創造は、後のイギリス産業革命の原動力の一つにもなり、また世界中の銀行が行う信用創造もその後の世界経済の発展に大いに貢献しています。そして今この瞬間も、世界中の銀行で信用創造(お金の創造)が行われており、それが私達の経済を支えているのです。

経済成長

先程、銀行の信用創造によって生み出された私のリフォーム資金は、全額使われ、工務店や大工さん、家財メーカー等の所得となりました。そして、その500万円はそのまま日本のGDPに計上されます。信用創造により「何もないところから」お金が生まれ、日本のGDPが500万円増えたのです。

もう少し言うと、その500万円は、銀行が、「貸し付けた500万円」と「私の500万円借りましたと書いた借用書」を等価だと思ったから生み出されたのです。言い換えると、私の「何もないところから借用書を書きその紙切れを銀行に『受け取ってもらえる私の信用』」が500万円を生み出したのです。もっとも、現実の私はそこまで信用がないので、銀行もおそらく借用書に加えてもう少し私に要求すると思います。そしてその分が多くの場合「利子」として返済の際に上乗せされます。

さて、私は家を無事にリフォームして日本経済にも貢献したものの、私が使った500万円は私が銀行から借りたものなので返さなければなりません。私は、生活を切り詰め、時間を掛けてこのお金を銀行に返します。

そして、私が借りたお金を返す行為により、私の信用から生み出された500万円のマネーストックは消えてなくなります。もちろん私がリフォームのために工務店等に既に払いGDPとなった分が消えるわけではありませんが、私の500万円の返済により、銀行が持っていた私の借用書は無効(ただの紙切れ)となり、日本経済のマネーストックから500万円が消えるのです。

このように、経済とは、それが財やサービスの購入に使われる限りにおいて、誰かが負債を増やすことで拡大し、その負債を返済することで縮小します。

どれくらい負債を増やせるかは借り手の信用の大きさによって決まります。先程私は私の「相手に(借用証を)受け取ってもらえる信用」によって500万円を生み出しましたが、もっと信用のある人ならさらに大きなお金を生み出すことが出来ます。そして、個人よりも、企業、例えばマツダのような大企業なら、融資によって何千億円といったお金を生み出すことも可能でしょう。

でもさらに、その上を行く信用の持ち主は日本政府です。日本政府の信用は企業よりも遥かに大きく、日本円であれば、文字通り「無限」に相手に受け取らせることが出来ます(自分で発行する通貨ですので当たり前です)。

だから、少なくとも「日本円」に対する信用が無限大で、変動相場制を採用している日本政府の財政支出の上限は、単なる貨幣発行記録の一部に過ぎない国債発行残高やそのGDP比で見るのではなく、「インフレ率」で見るべきだと私は考えるのです。

経済成長のために負債を増やすのは、家計でも企業でも政府でもいいのですが、誰が増やすのがいいでしょうか。一般論として、私は、企業が負債を増やし続けるパターンの国が健全だと思います。すなわち、100万円を銀行から借りて創業したベンチャー企業が成長し、次に100億円を銀行から借りて工場を建て、さらに成長して今度は1000億円を銀行から借りて技術研究所を新設する—-といった企業が雨後の筍のように次々に出てくる国です。高度経済成長時の日本がこのパターンでした。寓話でも三郎に続いて子供達が起業して次々にビジネスを展開する様を描いています。

ただ、別に負債を増やせるのは企業だけはないので、実際にはいろんなパターンがあります。例えば、高度経済成長期後半の日本は、家計と企業が主に持ち家や工場等の設備に投資するために銀行から大量のカネを借りて負債を増やしたことで成長し、政府は負債をそれほど増やす必要はありませんでした。
似た例は90年代後半の米国のITバブルで、この時も家計と企業が、成長が見込めるIT関連投資のために負債を大幅拡大して民間経済が成長し、この間米国政府はむしろ負債を減らしました。

ただし、厳密には、家計・企業・政府に加え、外国要因も影響します。経常収支黒字がそれで、国内で負債を増やさなくても、その国のために外国が負債を増やしてくれればその国の経済は成長します。90年代の中国が典型ですが、中国国内の家計も企業も政府もそれほど負債を拡大しなかったのに、米国をはじめとする多くの外国が、(中国のために)対中貿易赤字という負債を大幅拡大してくれたので、中国経済が急成長しました。

逆に、私のリフォーム話にあるように、経済主体が負債を縮小すると(借金を返すと)経済が縮小します。一斉に行われる個人の合理的な行動が全体を破壊することを経済学では「合成の誤謬」(借金の返済は一人ひとりにとっては正しい行いだがそれを皆が一斉にやると経済全体が崩壊する)と言うのですが、これは大変危険です。

バブル後の日本が典型ですが、バブル崩壊での大損に「羹に懲りて膾を吹いた」家計や企業が、一斉に借金を返し始めて民間経済が大幅に縮小しました。ただ、その時、代わりに政府が負債を大幅に増やして下支えしたので、成長率は落ちたものの、なんとかしばらくは経済成長を続けることができました。

しかし、97年頃からの構造改革(≒行政部門の効率化)や消費増税で、政府が負債の拡大スピードを落とすと、借金恐怖症を克服していなかった家計と政府は相変わらず負債の拡大をほとんどしなかったので、その後は低成長もしくはデフレ基調になってしまいました。

経済は、未来に希望をもち、借金を重ねて事業拡大するという、ケインズが言うある種の「アニマル・スピリッツ」によって成長し、借金が怖くなってカネを借りなくなり、借金を返す行為で縮小します。

この度の新型コロナ禍は、家計も企業も大変な打撃を受けていて、とてもではありませんがアニマル・スピリッツを発揮するような状況ではありません。もちろん、コロナ禍は世界中で被害をもたらしているので外需に頼ることも出来ません。ですので、代わりに政府が負債を拡大して経済を下支えする必要があるのです。

なお、政府の家計や企業への支援は貸付ではなく、給付にすべきだと私は思います。なぜなら、貸付にしてしまうと、コロナ禍の後に、まだアニマル・スピリッツが復活していない家計や企業が、一斉に借金返済に走って民間経済が大幅縮小するからです。

貨幣の信任

現実社会の「信用貨幣論」では、通貨の信任は政府が裏付けすることになります。寓話で示した「貨幣の信任」の物語は、厳密には信用貨幣論の中で、「国定信用貨幣論 (Credit and State Theories of Money)」と位置づけられます。この国定信用貨幣論は、言ってみれば、貨幣の価値の厳選は国家権力にあるとする「表券主義」を信用貨幣論に組み入れた考え方です。そして、私が寓話の「貨幣の信任」部分の原典と言えるMoslerの「家族クーポンの話」は、MMTに引き継がれ、貨幣の信任の根拠の一つとされています。

前置きはこれくらいにして、具体的な解説に入ります。寓話で子供達が貨幣を信任する部分は、「通貨を流通させるために」政府が国民に徴税を課すアナロジーです。徴税により、政府が発行したただの紙切れである通貨は、国民にとって「国家に課せられた納税義務を解消することができる」という価値をもつことになります。そしてそのことにより、通貨は国民に受け入れられ、また納税以外での目的(財やサービスの取引や貯蓄)にも広く使われるようになります。

上で述べたように、このストーリーはMMTで用いられる論理ですが、私は妥当だと考えます。確かに、MMTも認めるように、世の中(および歴史上)には「無税国家」もあるので、徴税が通貨を流通させるための「必要条件」とは言えないかもしれませんが、脱税で牢屋に入れられたい人はまず居ないはずなので、少なくとも「十分条件」ではあると思います。ですので、少なくとも日本を含むほとんどの国では徴税制度が維持される限り、自国貨幣が紙切れになることは、それこそハイパーインフレーション以外、あり得ません。

みなさんも不思議に思ったことはありませんか。例えば、発展途上国を訪れても、そこで暮らす人々は現地通貨を使い、貯金しています。合理的に考えれば、国外に出た瞬間にその価値がほとんどなくなる現地通貨を貯めるより、アメリカドルやユーロで蓄財した方がいいようなものですが、ほとんどの人はそうしません。その国に暮らす限り、その国の現地通貨を持つことが合理的だからです。そして、そのことは国に徴税制度があることによって担保されているのです。

では、他に通貨の信認をあらわす尺度はあるのでしょうか。強いて言えば2つ挙げられます。為替レートと国債の長期金利です。まず、為替レートは、一般論として、長期的に自国通貨が強くなるのは、良いことだと思います。しかし、短期的には、円高になっても円安になってもそれぞれにメリットとデメリットがあり、一概にどちらが良いとは言えません。良し悪しの感じ方は論者の立場や時間軸によって異なると思います。

次に、国債の長期金利です。長期金利が低いのがその貨幣に対する信頼度が高い証左です。日本国債の長期金利は、ほぼ0%なので、現在の日本円は最も信任の厚い貨幣の一つです。別の言い方をすれば、日本の国債発行残高は少なすぎるという市場のサインとも言えます。

一方で、この低金利もあまり長く続くことは褒められたことではありません。国債の長期金利はその国のインフレ率の長期予測でもあるので、日本国債の長期金利が最低水準ということは、日本の予測インフレ率も最低水準であることを意味します。インフレ率と経済成長率は、元来密接な相関関係がありますので、日本は経済成長しない国だと市場から見られている証左と言えます。

いずれにしても、日本政府が新規国債を発行し、それを国民を救う公共事業として支出すれば、日本経済は少なくともその分だけインフレ(≒経済成長)に進みます。

新型コロナ禍で多くの国民が経済的に困窮する中、新規国債発行の大量発行による国民救済にあたり、現在の日本政府を取り巻く環境はある意味「条件」が整っていると言えます。

政府の信用創造


本稿では「信用創造(money creation)」に焦点を当てていますが、信用創造は市中銀行だけが行うものではありません。政府の財政政策はマネーストックを増やす信用創造ですし、日銀の買いオペもマネタリー・ベースを増やす信用創造です。ちなみに、「寓話で学ぶ信用貨幣論」の解説部分で書いた、年度初めの4月1日に政府が支出するお金は、政府が発行する一種の国債である国庫短期証券を日銀に買い取らせる等して調達(=信用創造)しています。政府が国債を中央銀行に直接引き受けさせるのは、原則として財政法違反なのですが、国庫短期証券は例外扱いとなっています。

ところで、財政法の日銀による国債の直接引き受け(一部マスコミが言う「財政ファイナンス」)の原則禁止ですが、禁止する理由が正直私にはよくわかりません。なぜなら、政府が財政政策を行う際、国債を日銀に直接引受させる場合と、現在行っているような国債を市中銀行を通じてマネタイズする場合は、結果的に同じことになります。つまり国債を日銀に直接引受することを禁じていても、手続きがややこしくなるだけで結局得られる結果は一緒なのです。

この件については、長くなるのでこれ以上は触れません。ご興味のある方は、建部(2014, p.599)中野(2016)の第3章に詳しく書いてありますのでご参照ください。また、米国でも同様に、国債をFRBに直接引受させることは原則禁止されていますが、同国の財政政策のプロセスもややこしいだけで結局はFRBへの直接引受と同じ結果になっています。詳しくはレイ(2019)の第4章を御覧ください。

なお、念のためご確認いただきたいのは、私の説明は、国債を銀行等、日銀当座預金を持つ金融機関が引き受けることを前提としている点です。

実際に、国債の引受はそのほとんどが銀行等の金融機関に限って行われていますし(国債の入札)、日銀の当座預金を保有できるのは政府と銀行等の金融機関に限られているので、この傾向は制度的にも裏付けられていますから、国債の引受を銀行等の金融機関が行うものとして議論することは妥当性があると思います。

一方で、例外的に、国債を日銀当座預金を持たない「非金融機関」が引き受けるような場合(例:家計による個人向け国債の購入)は、銀行の信用創造のプロセスを経ないため全体のマネーストックは増えません。

ですので、国債引受を預金受入機能のない「非金融機関」が行う場合には「国債発行=一種の貨幣供給」という図式は成り立たず、逆に政府が民間貯蓄からお金を借りているように感じられることは、見方によっては、あり得ます。

しかし、繰り返しになりますが国債の引受けは銀行等の金融機関が大半ですし、さらに細かく言えば家計が保有する国債の中でも戦没者遺族等に配布される「記名国債」は政府の指示により実質的には日銀が引き受ける(日銀HP)のでマネーストックを増やすことができます。

いずれにしても、政府は、その気になれば、自国の経済に対し強大な力を行使することが可能なのです。

復習問題


問題:安倍政権で「黒田バズーカ」と言われた大規模な量的緩和(日銀が市中銀行の持つ国債を大量に買い取ってのマネタリー・ベース増加)に関する質問です。黒田日銀総裁は「インフレ率2%」を目標に、2013年3月からマネタリー・ベースをおよそ380兆円増やしましたが、その間、日本の実質の物価はほとんど何も変化しませんでした。これは要するに、市中銀行が持っている大量の国債を日銀が現金化し、市中銀行の日銀当座預金を380兆円程度も積み上げたということです。この政策が物価にほとんど何も影響しなかった理由について考えてみてください。

答え:銀行は手元の資金を貸し出しているわけではありません。なので、手元資金(この場合はマネタリー・ベース)が増えただけでは、市中銀行の「信用創造」は増えないのです。意図された「人々のインフレ期待」も起きませんでした。なお、インフレに寄与するマネーストックは主として市中銀行の「信用創造」によって増加します。

より詳しい説明

よろしければ貨幣の起源に遡る拙稿「寓話で学ぶ信用貨幣論」の補足説明2を御覧ください。
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