ただいま読書中(近況一言報告)
1999年8月
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1999.08.31
- ブギスからアラブストリートを経てイスラム教のモスクを見学。他の宗教にくらべて内部の装飾はとても簡素に見える。イスラム教は偶像崇拝を禁じているからだろうか? 礼拝の時間ではなかったが、何人かお祈りをしている人がいた。
- 中華料理の食材などを売っている市場を眺めつつリトル・インディアへ向かう。
中国系の文化は日本文化もその影響下にあることもあって比較的身近に感じられるのだが、インド系の文化は僕らの目からみると、本当に異文化という感じがする。まずはヒンドゥ教の寺院。神々の彫刻をこれでもかとばかりに飾り立てており、その派手派手しさに目を奪われる。イスラムのモスクとは対照的。ストリートにはインド風の服、インド映画のビデオ、インド音楽のCD、香辛料等などの店が並んでいて、それらもいちいち興味深い。特に面白かったのは店頭で流れていたインドの映画のビデオ。若い男女が痴話喧嘩のようなことをしているのだが、突然女性の方が口から火を吹く! 一体なにが起こったのか、もしかして女性が「怒っている」ということを表現しているのだろうか? などと思いながらさらに観ていると、今度は歌と踊りが始まる(いつのまにかバックダンサーも登場して)。『ムトゥ』を観た時も「これは一体なに?」と驚いたものだが、あれは特殊な例ではないのだということがよくわかった。いやあ、インド映画、すごく面白いです。
昼食はインドレストランでフィッシュ・ヘッド・カレー。魚の頭が丸ごとどんと入ったカレーで、辛くて、とてもうまい。バナナの皮にカレーやライスを乗せて食べるというのも面白い。
リトル・インディアの通りには時々インコ占いの老人が座っている。お金を払うとインコが運勢を書いたカードを選んでくれるというやつ。僕は当然占いなど信じていないが、おみくじの類いは嫌いではないので一枚引いてもらう。カードを選ぶインコのしぐさが愛らしい。
ズジャオ・センターというところにある巨大な食材市場を眺めて、屋台でやたらに甘いマンゴージュースを飲み、一旦ホテルへ戻る。
- 夕方からチャイナ・タウンへ。モールやホーカーズ・センターなどをうろついた後、ヒンドゥ教のスリ・マリアマン寺院を見学。屋根の彫刻や天井に描かれた神々の絵などがすばらしい。
チャイナ・スクエアという4階だての巨大な食堂街で軽く夕食をとり、フェスティバル・マーケットという海ぞいの巨大な屋台街へ。サティの屋台がたくさん出ていたので、魚のサティ(バナナの皮に包んで焼いてある)、トリ、マトン、ビーフのサティを食べる。
1999.08.30
- 地下鉄とバスでシンガポール動物園へ。この動物園はとても素晴らしい。柵で囲わず堀などで動物が隔離されていたり、人が檻の中に入って直接動物と接することができるようになっていたり、可能な限り身近に動物を観察できるように展示が工夫されている。
特に面白かったのは、豹が泳ぐ(!)ところを見ることができた事。そしてArapaimaという魚のFeeding。池の上に魚を吊るしてやると、バフン!というようなでかい音をたてて餌に食いつく。あとは、カワウソ、ミアキャット、アライグマなどが愛らしかった。Maned Wolfも遠目にしか見えなかったけど、良かった。
昼食は動物園でマトンカレー、チキンカレーなど。
ギフトショップでカエルと昆虫の絵が入ったマウスパッドを買う。
- バスに乗ってチョウ・チュウ・カンへ。SEIYUのモールがあったのでふらふらとうろついていると「祭」とかいうポスターが貼ってあって、ハッピを着たお姉さんがお客さん相手に水の中のビー玉を箸(プラスチック製)で掴むというゲームをやらせている。何か日本文化に対する誤解が広がっていないかと心配になる。ちなみに賞品はコケシとかダルマとかでした。
- ふたたびバスに乗ってナイト・サファリへ。これは動物たちの夜の姿を見る事ができるという世界でも珍しい動物園。トラムに乗って回るコースと歩いて回るコースがある。闇の中でのっそりと動いているサイや、トラムカーの後をつけてくるハイエナ、闇の中で魚を狙うスナドリネコなどを見ていると、昼間の動物園とは確かに違う雰囲気を感じることができる。サイエンティフィックな興味を満たすというよりは、むしろ非日常的な世界を体験させるという見せ物的な要素が強いように感じた。印象に残ったのは、客のほとんどが西欧人と日本人だったこと。昼間の動物園では中国系、インド系、マレー系など様々な客がいたのだが。
1999.08.29
- 午前中は観光地をいくつかまわる。マーライオン・パークでは日本軍が人々を弾圧しているという内容(だと思う)の寸劇をやっていて、人が大勢見物していた。戦争の記憶を風化させない努力が続けられていることをうかがわせる。
他に植物園、マウント・フェバーなど。街でカエルとカタツムリの柄のスカーフを買う。
昼食は中華料理のレストランで、点心、平たい麺の焼そば(?)など。
- 午後、オーチャード・ロードへ。「東南アジア最大」という紀伊国屋書店が先頃オープンしたということなので行ってみる。確かに大きな本屋だった。洋書がこれだけ並んでいる本屋は初めてなので、わくわくする。生物学のコーナーを中心に見ていたのだが、進化関係、特にダーウィンのなんたらというような本が多く目につくのに対し、発生生物学や細胞生物学の本はほとんど無い。これにはちょっとがっかり。"Molecular Biology of the Cell"とかGilbertの"Developmental Biology"のような基本的な教科書すら見当たらないというのはどういうことか。何か事情があるのでしょうか?
結局この日に買ったのは、J.M.W.Slackの"EGG & EGO - An Almost True Story of Life in the Biology Lab"、"A Natural History of Amphibians" (R.C.Stebbins & N.W.Cohen)、"AFTER MAN" (D. Dixon)の3冊。
- 夕食はニュートンにある屋台(ニュートン・サーカス)へ。牛肉がのった麺、カエルの脚の空揚、青菜の炒めもの。他にインドのお好み焼きみたいな食べもの(ムルタバ?)をテイクアウト。
1999.08.28
- 深夜、眠っていたら突然左の耳の先に痛みを感じて目が覚めた。嫌な予感がして電灯をつけると、案の定、枕の上にムカデが。ムカデには外にご退出願ったが、耳が腫れて結構痛いので何とかしたい。しかし噛まれたのは初めてなので、どういう処置が必要なのかよく分からない。ネットで調べてみようかということになって、検索してみるが、使える情報はなかなか見つからない。結局30分くらい探して、岡山理大の保健管理センターに簡単な応急処置法が載っていたのでそれを参考に治療。まあ噛まれたのが首筋とかじゃなくて不幸中の幸いだった。
- 旅行先はシンガポール。新婚旅行とかにも行っていないので、同居人と二人で外国に行くのは初めて。というか、そもそも他に何の用時もなく二人で旅行に行くこと自体、今までほとんど無かった気がする。
広島空港を昼頃出るシンガポール航空の直行便で、夕方チャンギ国際空港に到着。機内に持ち込んだ本は『クローム襲撃』(ウィリアム・ギブスン)だが、短編を3本ほど読んで飽きる。
シティ・ホールのホテルに荷物を置いて、夕食を食べに出かける。ブギス界隈を歩いて、中華料理の店でエビ、豆腐と卵の炒めもの、焼きビーフンなどを食べる。辛くて美味しい。オープンエアの店の隣には仏像が置いてあって、文字どおり老若男女が次々とやってきては線香をあげていく。宗教が生活の一部になっていることがよく分かる。
食事の後、露店を見て歩く。アメ横なんかと似た雰囲気。Tシャツ(中国の動物たちがプリントされたやつと、スター・ウォーズ EpisodeI のパチモンくさい安いやつ)を買う。同居人は中国の怪しい胃腸薬や、果物(マンゴスティン、ドリアン、ドラゴンフルーツ)などを買う。
1999.08.27
- 山口貴由による『マカロニほうれん荘』(!)が載っているというので、『少年チャンピオン』を買う。
- 『異形コレクション12 GOD』(井上雅彦監修)購入。
- 明日から休暇をとって旅行に行くので、しばらくネットにアクセスできません。
1999.08.26
- 『砂ぼうず』5(うすね正俊)購入。
- 『ゲーデルの哲学』読了。しかしいつもよく分からないのは、数学システムにおいて真であるにもかかわらず証明できない命題が含まれる、という事が、物理学なり生物学なりの経験諸科学に対してどのような意味をもつのか、経験科学に何らかの制限を課すようなものなのか、ということ。少なくとも生物学にとってはほとんど関係ないんじゃない? っていう気がするけど、数学に大きく負っている物理学なんかにとってはどうなのでしょうね。
- 図書館で雑誌をみていたら、Scienceの"EVOLUTION"特集号(6/25日号)に Andrew H. Knoll と Sean B. Carroll による"Early Animal Evolution: Emerging Views from Comparative Biology and Geology." というレビューが載っていた。ぱらぱらと眺めると、ここ3、4年くらいの間に出てきた古生物学、分子系統学、分子発生学、地質学の面白い話を網羅している感じで、面白そう。見落としている論文がないかのチェックにもなるし。
1999.08.25
- 『T.R.Y.』(井上尚登)を半分くらい読んだのだが、あまりにつまらなくて放り出す。タニグチリウイチさんの書評を読むと、終盤は盛り上がるのかな? という気もするけど、半分まで読んで何の面白さも感じないのでは読むのがつらい。
口直しに『サラマンダー殲滅』(梶尾真治)を読みはじめる。
- 講談社現代新書『ゲーデルの哲学 ―不完全性定理と神の存在論―』(高橋昌一郎)購入。
- 『アフタヌーン』に高野文子のマンガが!
1999.08.24
- 久しぶりにCでプログラムを書こうとしたら、かなり基本的なことも忘れていることに気付く。しょうがないので参考書を引っ張り出したり昔書いたプログラムからコピー&ペーストしたりして、どうにか動くものを作る。むちゃくちゃ単純なプログラム(ランダムにDNAの配列を作って、制限酵素のサイトがあれば、どのくらいの長さの断片が切り出されるかを調べ、その数を数える)なのに、2時間くらいかかってしまった。やっぱりちょっと勉強したくらいじゃ、すぐに忘れるなあ、いつも使っていないと。でも我々の研究でプログラミングが必要な場面というのはほとんど(というかほぼ全く)ないので、使う機会がないのだ。
- 『大問題’99』(いしいひさいち&峯正澄)購入。
1999.08.23
- 『細胞工学』の9月号を買った。増井禎夫氏のインタビューが載っている。生物学は今後もっと定量的になるべき、という話がおもしろい。連載「発生生物学物語」の第2回、岡田節人氏の稿も良い。
1999.08.22
- 午前中はだらだらとしながら本やマンガを読んだり。昼飯に同居人が高速道路のサービスエリアで買ってきてくれた「尾道冷麺」というのを作って食べる。「尾道ラーメン」というのは尾道近辺に揚がる小魚から出汁をとっているらしいのだが、こちらも同じく小魚出汁のスープ。変に凝らない昔ながらの甘酢だれ冷やし中華で、美味でした。
- 『天然コケッコー』11(くらもちふさこ)購入。「天波屋」のエピソードが良かった。
- 『ハサミ男』読了。もう一ひねりくらいあるのかなと思ったんだけど、まあこんなものか。読んでいる間はそれなりに楽しめた。
1999.08.21
- 『あまい果実』(スガシカオ)、『オーイエー!!』(スーパーカー)購入。
- 黒木掲示板で「サルがヒトになった」という表現に関する次のような書き込みを見て、ちょっと考えこんでしまった。
進化論は、サルがヒトになったなどとはいっていません。サルとヒトの共通の祖先がいて、その子孫の一部は進化してヒトになり、一部は進化してチンパンジーになり、一部は進化してゴリラになり、一部は進化してオランウータンになったのです。これを、「サルが進化してヒトになった」という人は、進化論が理解できていない点において、創造論者と変わりません。
僕は進化論の基本は一応理解しているつもりではいるが、「ヒトはサルから進化した」というような言い方は普通にする。たとえば広辞苑で「猿」を引くと「サル目(霊長類)のヒト以外の哺乳類の総称」とあるが、もしこの定義に従うなら「ヒトはサルから進化した」は別におかしな言い方ではない。
もしこの表現に問題があるとすれば、この中で使われている「サル」という語が(「ヒト以外の」という条件に示されているように)「その他」グループだという点である。「原生生物」とか「無脊椎動物」という語と同様、そこに系統に従わない分類の人為性や人間中心主義を見て批判するという立場はあり得るだろう。僕は必ずしもそのような立場には立たないので、「サル」や「無脊椎動物」という言葉も日常的に使用している。
一方、上記の引用は、いま論じたような意味で「サル」という語を問題にしているわけではないように思える。では一体何が問題なのだろう? 想像するに、上記の引用の中の「サル」は「現生の何らかのサル」、たとえばチンパンジーなりゴリラを指しているのではないか。もしそうだとすれば、なるほど「ヒトはサルから進化した」は間違った表現かもしれない。しかし「サル」という言葉に「現生の」という意味を含ませる用法がどれだけ一般的なのか。たとえば単に「無脊椎動物」とか「爬虫類」とか言えば、それは現生のものも絶滅したものも全てひっくるめた集合を意味すると考えるのが普通だろう。「サル」だって同じだ。だとすると「進化論は、サルがヒトになったなどとはいっていません」というのは(まして「創造論者と変わりません」というのは)やはり言い過ぎのように思える。
この表現は「要注意であり、誤解を招きたくなければ使わない方が良い」というくろきさんの意見は(賛成はしないけど)まだ理解できるんですけどね。
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これを書いた後に気付いたんだけど、あの引用文は「サルがヒトになった」という表現が分岐ではなく直線的な「進化」をイメージさせることを問題にしていたのかな? そう思って読んでみると、そう読めないこともないなあ。まあどちらにしろ言い過ぎだとは思うけど。
1999.08.20
- 臨海実習最終日。海藻に関するレクチャーを聴いて、ウミボタルの観察、および最後の発生観察。後片付け。今年も大きな事故もなく、楽しく実習ができて良かった。実験所のスタッフの皆さんに感謝しつつ西条に帰る。
- 西条に戻り、さあ実験を再開しようと思ったら、業者が入って廊下の清掃が行われていて実験室への移動ができない。仕方がないので生協に行って時間潰し。『三匹の猿』(笠井潔)、『はじめの一歩』49(森川ジョージ)購入。
1999.08.19
- 臨海実習2日目。干潮の時間が9時ということなので、7時に朝食をとり、8時に磯採集に出発。雨が降るかと心配したが、曇りから晴れの天気で安心した。大潮ではなかったのと人数が少なかったのとで、去年よりは採集できた種類がちょっと少なかった感じ。今年はナマコやウミウシがまったく採れなかった。その代わり、珍しい物もいくつかとれた。特に初めて見るカイメン(最初カイメンだとわからなかった)や、種類のよく分からないホヤなどもいて、面白かった。
- 昼食後、採集した生物の分類と発生の観察。オレンジ色の粒が集まった、ひらひらしたものを採集したので顕微鏡で覗いてみると、軟体動物(おそらく腹足類)の卵塊で、ヴェリジャー幼生が殻の中でくるくると繊毛運動していた。学生時代に浅虫で見たアメフラシの幼生によく似ていたように思う。卵の色も似ているが、卵塊の形は違っている。
- 夜はバーベキューとウミボタルの採集。
1999.08.18
- 臨海実習1日目。今年は学生の参加者が少なく、7名。向島臨海実験所に12時集合。
- ウニの発生実験。ムラサキウニを使う予定だったが、10匹生ませてもオスしかいない。仕方ないので、少し時期は遅いがサンショウウニを使うことになる。こちらはちゃんとオス、メスがとれて、受精もうまく行った。
- ホヤの発生実験。カタユウレイボヤを使用。こちらも問題なく発生。
- 夕食後、ホヤについての簡単なレクチャー。
1999.08.17
- 明日から臨海実習。
- BSで甲斐バンドの番組を観た。最近はぜんぜん聴いてなかったけど、やっぱり甲斐よしひろの声は良いなあ。むかしFMで「サウンドストリート」を聴いてた頃のことを思い出した。
1999.08.16
- 臨海実習のための予習で、最近の動物系統の論文などを読んだり。
- 今日も生協の食堂は休みだったので、昼食は研究室の皆で外へ食べに行ったのだが、あのうどん屋にはもう2度と行かないだろう。
1999.08.15
- 久しぶりに安佐動物公園に行ってきた。
入り口正面のアヌビスヒヒの山で子供(←ヒトの)がシャボン玉をサル山に向かって飛ばして遊んでいた。サルたちは興味ぶかそうに寄ってきて、シャボン玉をつかまえてすぐに口に持って行こうとするのだけど、消えてしまうので不思議そうにしている。その仕種がおもしろい。
アフリカのエリアの方をまわっていたら雨が降ってきたので、雨宿りしようと近くの建物に入ったらガラスの向こうにチンパンジーの子供がいた。退屈そうにしていたので、手にもっていた傘を開いたり閉じたりして見せたり、くるくると回して見せたら、興味深そうに眺めていた。やはりサルは好奇心が旺盛ですね。
サルといえばもう一つ印象に残ったのが原始的なサルのガラゴ。こいつらは夜行性の小型のサルなのだが、とても身軽で敏捷で、見ていて飽きない。あれがスローロリスと近縁な仲間だというのだから面白い。ということで今回はサル系がなかなか面白かった。
- 『白夜行』(東野圭吾)、『ハサミ男』(殊能将之)、『天使の誘惑 ―黒いチューリップ 5―』(東城和実)、『王道の狗』4(安彦良和)、『ガールフレンズ』(やまだないと)、『JET STREAM MISSION』(あびゅうきょ)購入。
1999.08.14
1999.08.13
- 『水木しげるの妖怪文庫』3、4(水木しげる)購入。
- 臨海実習関連の資料を準備したり。
- 『S-Fマガジン』の増刊号を買ってみる。
1999.08.12
- 『T.R.Y.』(井上尚登)購入。帯に「横溝賞史上、最高傑作!」とか書いてあるので買ってみたが、考えてみると横溝賞ってそもそもそんなに大した作品を(作家も)輩出していないような気が。
1999.08.11
- 『め組の大吾』20(曽田正人)、『仮面ライダーZO』(島本和彦)、『池上遼一耽美傑作集』(池上遼一)購入。『め組の大吾』は良い感じで終わりましたね。曽田氏の次の作品に期待。
- 同居人と一緒に夜中の散歩。西条農業高校の農場で牛を見る。
1999.08.10
- 『からくりサーカス』9(藤田和日郎)、『スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス』(テリー・ブルックス)購入。
- いま岡崎の基生研にいる卒業生が帰省がてら研究室に遊びにきてくれて、カエルサブレーをお土産にもらった。おいしかったですありがとう。
- 『風の挽歌』(栗本薫)読了。イシュトヴァーンがゴーラの王になり、グインがケイロニアに帰り、ということで、これで主要登場人物たちがすべて、居るべき場所に腰をすえることになる。あとは怒濤のように終盤に向かって話が進んでいくのだろうと期待する。
1999.08.09
1999.08.08
- のんびりと起きだして、散歩がてら丸善へ。グイン・サーガ67『風の挽歌』(栗本薫)、『マンガの力』(夏目房之介)、『マッド・サイエンティスト』(S・D・シフ編)購入。
- 友達の家でタコヤキ。
- LD『カウボーイ・ビバップ』#8購入。
- 久しぶりに万歩書店に行って古本を買う。『ドクター・アダー』(K・W・ジーター)、『プレイヤー・ピアノ』(カート・ヴォネガット・ジュニア)、『砂漠の惑星』(スタニスワフ・レム)、『黄色い部屋の謎』(ガストン・ルルー)、『証拠が問題』(ジェームス・アンダースン)、『ドロップ』(藤原カムイ)、『僕達のサヨナラ&感電タウン』(いしかわじゅん)、『若奥様とセールスマン』(こいずみまり)、『4Pの事情』(松井雪子)、『鯱―シャチ―』(土田世紀)購入。
1999.08.07
- 『ヒカルの碁』2(ほったゆみ&小畑健)購入。
- 『水木しげるの妖怪文庫』1、2(水木しげる)購入。
- 実験を終えて夕方、同居人の車で岡山へ。夏期限定ドイツレストランが今日でファイナルということで、友達夫婦と一緒に行って、たらふくビールを飲む。
1999.08.06
- 広島原爆忌。この日の朝は、いつも晴れているようなイメージがある。毎年、あの日もこんな良い天気の日だったのだろうなあ、と思いながら空を見ているような気がする。
- 『封印』(岡田北斗司夫、田中公平、山本弘)読了。
1999.08.05
- 実験はとりあえず山を越えた。が、結果がどうでるかは、まだ先にならないと分からない。まあ博打のようなものです。
1999.08.04
- 昼食休憩以外は、朝から夜までほとんど休む暇なく、ずーっと実験。疲れた。
1999.08.03
- 3週間ほどかけて色々準備してきた実験の、本番を今日から開始することに。うまく行くと良いのだが。今日はカエルを2匹手術した。
1999.08.02
- 『星兎』(寮美千子)読了。きれいで、切ないお話。この美しさは宮沢賢治や長野まゆみに通じるものがありますね。
1999.08.01
- 実家の父に還暦のお祝を送ろうということで、何が良いかと考えたのだが、やはり西条名物ということで地酒を送ることにする。酒屋で物色し、賀茂泉と賀茂鶴の、ちょっと高めのお酒を送る。この酒屋では全国各地の酒も販売されていたので、自分用に田酒を買って帰る。
- 広島のジュンク堂で買い物。『鈴木いづみコレクション4 女と女の世の中』(鈴木いづみ)、『封印』(岡田北斗司夫、田中公平、山本弘)、『霧が晴れた時』(小松左京)、『そして五人がいなくなる』(はやみねかおる)、『星兎』(寮美千子)購入。
- マンガは、『ぞろぞろ』(唐沢俊一&唐沢なをき)、『おさんぽ大王』1(須藤真澄)、『愛のふじつぼ』2(こいずみまり)を購入。
- 水木しげるのキャラクタをあしらった花札、『妖怪花あそび』を購入。デザインが素敵です。
- 読みはじめたのはずっと前だったのだが、短編集ということで1話読んでは休み、また1話読んでは休みして、結局ずいぶんだらだらと読んでしまった『キリンヤガ』(マイク・レズニック)をようやく読了。これで心おきなく他の人の感想や議論を読める。
とりあえず現時点での感想を書いておく。あまりまとまっていないし、他の人の考えを読んだら、考えが変わるかもしれないが。
テラフォームされた小惑星にキクユ族のユートピアを築こうとした主人公のコリバは、結局、志なかばで挫折する。しかしコリバはなぜ挫折したのか。表面的には西欧の「文明」に非西欧の「未開」文化が破れたというありきたりの図式に見えるのだが、事情はもっと複雑だ。まず、キリンヤガは「キクユ族のユートピア」として建設されたものだが、それを可能にした技術と思想は「西欧」のものであったという現実がある。次に、これが重要だと思うのだが、前記の事情にもかかわらず、コリバはキクユ族の文化を守るという目標を「西欧文明に関する情報を一切遮断する」という手段によって行おうとした。キリンヤガは「西欧文明」という大海の中で、薄壁一枚に囲われた小さな「ユートピア」だった。コリバがいくら努力をしても、「西欧文明」という水が壁からもれ出すのははじめから不可避だっただろう。コリバが述懐するように「ひとりですべての穴をふさぐには指が足りな」かったのだ。
ではこのような世界において「キクユ族のユートピア」はいかなる形でも存在しえないのかといえば、そうではないと僕は思う。コリバ自身が西欧で教育を受けていながら「キリンヤガ」の建設に身をささげるという立場に立ち得たように、「西欧文明」に触れてその現実を学んだ上でなおかつ「キクユ族のユートピア」に参加しようという立場は十分にあり得る(『マナモウキ』もそのような物語だった)。そのような鍛えられた思想と自覚をもった「原理主義者たちのユートピア」ならば、恐らく可能だったのではないかと僕は思う。しかしコリバは「西欧文明」の力を恐れるあまり、そのような可能性を信じることができず、「西欧」からキリンヤガを守るためには、情報の遮断しかないと考えた。そのため、情報の漏えいが始まった時、思想的に鍛えられていない住民達はコリバが恐れたようにたやすく「西欧文明」に染められていった。
コリバがとったような方法で「ユートピア」を築こうとすることは、少なくとも方法論的に間違っていると思うし、僕の立場からすれば、他人を「無知」の状態にとどまるよう強制しているという点で、倫理的にも問題があるように思える。コリバを、住民を無知の状態に押しとどめようとする頑固なじいさんとして描き、その不可避的な挫折を描いたレズニックの意図は何だったのだろう、とちょっと疑ってしまう。これが「情報操作で人々を支配する独裁者が、情報の侵入を阻止しきれずに倒される話」だったら、図式的だなあと思いつつも気楽に読めるのだけど。「西欧対非西欧」という図式で描かれると、ちょっとなあ、という気がするんですよね…。
- やっぱ田酒は美味しいわ。(そんなこと言ってないで地元の酒を飲め、というのは正論。いつもは賀茂泉や賀茂鶴や亀齢や…を飲んでいます。でもたまには良いよね。)
- 鈴木いづみ、表題作『女と女の世の中』だけ読んでみる。なんかよくある普通の日本SFというかんじ。
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