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      認知発達理論研究会例会報告第1-1号通信
      -------初年度第1回例会を開催して------

        認知発達理論研究会世話役             
          足立自朗(埼玉大学)
adachi-j@sainet.or.jp
          中垣 啓(国立教育研究所)
nakagaki@nier.go.jp
          住吉チカ(福島大学)
Chika.Sumiyoshi@ma2.seikyou.ne.jp
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目次  1 会代表の挨拶

    2 第1回例会概要

    3 報告者として参加して

    4 ショートレクチャー要約

    5 例会参加印象記

    6 例会報告資料(添付書類)

例会の開催日とテーマ一覧へ

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1 会代表の挨拶

  足立自朗(埼玉大学)adachi-j@sainet.or.jp

 6月17日の研究会には、当初の予想をこえて30名余りの参加者をお迎えしました。世話人としては、たいへん嬉しく感じました。

 このたびの研究テーマはコネクショニズムの検討ということでしたが、はたしてコネクショニズムが発達研究における生得論と学習論との乖離や対立をこえて、それらに橋を架ける媒介項になりうるのか、両者を含みつつ超える統合理論への道を開く手がかりを与えるのかどうかという点が、大きな関心事の一つではあったと思います。しかし、そもそもコネクショニズムとは何ものであるかが、私をふくめて大方の心理学系参加者には理解されていない、こんなところから報告・議論が始まったと言っていいでしょう。

 もしも3層のレイヤーをセットしてモデル構築するというアプローチが、たんに入力ユニットと出力ユニットとの間、刺激と反応との間に、ひとつのhidden layerという中間項をおくことを意味するにとどまるならば、それはかの新行動主義の構想と変わるところがないと言っても言い過ぎではないように思われるのです。いくつものhidden layersを挿入して考えるというなら、新しい構想と言えなくもありません。

 今回は工学サイドの研究に造詣の深い河原哲雄さんをコメンテイターにお迎えすることができましたし、工学的研究そのものに関わっておられる方の参加も得られました。これは、コネクショニズムの理解と検討の上で、とても有意義で有り難いことと思われました。報告を担当された院生諸侯は、それぞれなじみの薄い領域の論考に戸惑い、ご苦労されたようです。しかし、討論はかなり活発に行われましたので、その労苦も報われたと言って良いでしょう。

 次回の研究会は9月23日(土)、micro genesis (micro development) の検討をテーマとして開きます。次代の研究の前線を拓いていく院生・若手研究者の、多数のご参加を心から希望します。(30/07/2000 記)

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2 認知発達理論研究会第1回例会概要

  住吉チカ(福島大学)Chika.Sumiyoshi@ma2.seikyou.ne.jp

・日時:2000年6月17日午前10時から午後5時10分まで

・場所:国立教育研究所西館講義室

・出席人数:30名

・コメンテーター:河原哲雄(東京大学大学院教育学研究科)

・テキスト:

 Elman, J. L. et 1996 Rethinking Innateness: A connectionist approach on

 development. MIT Press pp. 441

 エルマン,J他 1998 『認知発達と生得性 −心はどこから来るか−』 乾敏郎、

 今井むつみ、山下博志訳 共立出版 334頁

当日の進行:

・10:00〜10:30  開会の挨拶及び参加者自己紹介

   中垣啓(国立教育研究所)

・10:30〜11:10 第2章 なぜコネクショニズムか

   報告者 布施 光代(名古屋大学大学院教育学研究科)

 10:10〜11:50 第2章についてのディスカッション

   司会 中垣啓(国立教育研究所)

・11:55〜12:30第3章 個体発生的発達:コネクショニストによる統合

   報告者 齋藤 瑞恵(お茶の水女子大学人間文化研究科)

 12:30〜13:20 第3章についてのディスカッション

   司会 同上

・14:00〜14:40 第5章 脳の発達

   報告者 伊藤 崇(筑波大学大学院心理学研究科)

 14:40〜15:00 第5章についてのディスカッション

   司会 杉村伸一郎(神戸女子大学文学部)

・15:15〜15:50 第7章 生得性を考える

   報告者 松本 博雄(中央大学大学院文学研究科)

 15:50〜16:40 第7章についてのディスカッション

   司会 大浜幾久子(駒沢大学文学部)

・16:40〜17:10 ショートレクチャーおよび一般討論

   コメンテイター 河原哲雄(東京大学)

・17:10〜17:15 閉会の挨拶 

   会代表 足立自朗(埼玉大学)

全体の様子:

開会前にしばらく停電のハプニングがあったものの、総じて第1回例会は潤滑に進行致しました。発達・認知心理学の研究者のみならず、工学者の御参加も頂き、異なる視点からの活発な討論が交わされました。主に、“ニューラルネットによる学習は認知発達現象をそのままなぞらえたものとみなせるのか?”・“コネクショニストアプローチは認知発発達のモデルとなり得るか”といった点が討論されました。報告者による発表時間よりも、参加者間での議論の方が長くなるほどの白熱ぶりでした。

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3 報告者として参加して(例会で議論されたことを中心に)

■第2章「なぜコネクショニズムか」を報告して

  布施光代(名古屋大学大学院教育学研究科)fuse@lilac.ocn.ne.jp

 第2章「なぜコネクショニズムか」では,主にコネクショニストモデルの概要が紹介されていました。まず議論にあがったのが,「隠れユニット(hidden layer)を含めた3層構造によってすべてが説明できるのか?」という問題でした。本文には,「どのような問題も3層のネットワークによって解が与えられる(p.57)」と書かれていますが,それに対して心理学的アプローチをする方々から「本当にすべてが説明可能なのか?」という疑問の声が上がりました。それに対する工学的アプローチからの回答は,中間層を設定することによってすべてが実現可能であるということでした。ただし,これは脳が実際にやっていることとは切り離して考える必要があり,コネクショニストモデルによって近似ができるということのようです。心理学的アプローチでは説明原理としてコネクショニストモデルを利用したいと考えているのに対し,工学的アプローチは実際に行われていることとよく似たモデルを作ることを目指しているのではないかと理解しました。

 また,「ホムンクルス(homunculus)の排除」についても話題になりました。コネクショニストモデルはホムンクルスのようなコントロールする存在を排除できると主張していますが,そもそもネットワークの解説者がホムンクルスとして機能しているのではないかという問題が出されました。この点に関しては,ネットワークそのものの中にホムンクルスを置かなければ,排除できたと考えているようです。つまり,コントロールをネットワークの外に置くことによって,ホムンクルスを排除したことになると捉えました。

 他にも議論された話題はありますが,ここでは,心理学的アプローチと工学的アプローチの違いを感じた2つの話題を取り上げました。同じコネクショニストもでるという対象について異なるアプローチを用いていること,また,心理学と工学ではまったく違った考え方をしていることがとても興味深く思えました。このように,1つの対象に対して多方面からのアプローチが可能であることから,学問領域を超えたより学際的な研究ができるのではないかと思います。今後,コネクショニズムの研究がどのような方向に進んでいくのか楽しみになりました。

 最後になりましたが,報告の機会を与えてくださった世話人の方々,当日議論に参加された皆さまに感謝いたします。

 

■第3章「個体発生的発達:コネクショニストによる統合」を報告して 

  齋藤瑞恵(お茶の水女子大学人間文化研究科)mizuesai@syd.odn.ne.jp

 研究会当日は,発達を扱う3章について様々な点が議論の対象となりました。ここでは,3章をご報告する上で私が疑問に感じた点と,特に熱心に議論された話題をご報告いたします。

 まず,3章を通じて私が常に疑問に感じていた点は,発達を「シミュレーションで説明できる」ことと,「実際に人間でもそのような変化が起きている」こととの違いでした。この点に関して工学の方々から,ネットワークに学習できることと出来ないこととを示し脳や行動についての研究にフィードバックすること,そして,シミュレーションを通じて新たに検証すべき仮説を提示することが,シミュレーションの重要な意義であるというコメントを頂きました。発達心理学の立場で研究を行う上でも,ある理論である現象を説明・予測できるかという問題と,その現象を支える脳のメカニズムはどのようなものかという問題を併せて考えていく必要があると考えます。コネクショニストアプローチはこのようなことを考えていくための一つの手だてを与えてくれるものと思いました。

 次に,熱心に議論された点として,「発達とは何か」,「発達=学習か」という問題がありました。多くの方々が発達心理学,工学などそれぞれの立場から様々な見解を明らかにしてくださった結果,この著書の中では「発達」とは「質的・量的な変化」という記述的な意味合いで用いられているらしい,学習は個々のルールの獲得,発達はそれらを足し合わせたものというように理解いたしました。この議論では,それぞれの学問領域,それぞれの理論的立場によって,同じ用語がかなり異なるニュアンスをもって用いられていることに注意が必要であり,この点を意識し明確にする必要性を改めて痛感しました。

 また,「バランスビーム課題と保存課題の等質性」についても熱心な議論がなされました。3章の中にはバランスビーム課題のシミュレーションが紹介されていますが,工学の方々から「保存課題のシミュレーションは難しい」というコメントが出され,そこから2つの課題の課題構造,先行経験の影響,フィードバックの明示性などが議論されました。この話題に関連して,ネットワークは事象を表象として持つのか,それとも関数を表象として持つのかといった点も論じられました。この点は人間の学習でも非常に興味深い問題であり,常に考慮しなければならないと思います。

 今回の研究会では,発達を研究する者として,改めて「発達とは何か」ということを考え直すきっかけを与えられました。また,発達心理学の一般的な手法以外にも発達を考える手だてがあること,それによって,問題を様々な方面から多角的に明確にする可能性が広がることなどを感じました。

 最後に,力不足の報告にも拘わらず,多くのコメントをくださり議論を盛り上げてくださった皆様に感謝いたします。

 

■第5章「脳の発達」を報告して 

  伊藤崇(筑波大学大学院心理学研究科)dunloe.ito@nifty.ne.jp

 神経生理学に全くコミットしていない自分が5章を報告するハメになるとは。当日のレジュメは,まさに恐る恐る作り上げたといった感があります。残念ながら(幸いにして?)神経方面をご専門にされている方が当日おられなかったこともあったせいか,5章で紹介されている実験結果や細かな内容を確認する質問はありませんでした。私自身もそうですが,神経の具体的な機能や振る舞いを提示されたとしても「だから何?」と,捉えかねる所があったのかも知れません。

 その代わり,関心は神経構造とシミュレーションの関係に集中しました。当日出たお話では,脳構造や神経系の活動を基にモデルを作り,そこで何ができ,あるいは何ができないのかをシミュレートしてみるということが,一つの方法としてあるそうです。これにより,ある認知活動に強く関わる可能性のある神経構造を同定できるのだと理解しました。

 そこで問題となってくるのが,具体的構造−モデル−パフォーマンスを結ぶロジックだと思います。他の章も含めて当日何度も繰り返された議論ですが,私の理解できた範囲でまとめると,「問題の対象と抽象度のレベルを明確にし,それに応じて説明の方法とモデルを構築する必要がある。さもなければ,(心理学的アプローチと工学的アプローチは)話がすれ違うだけ」ということでありました。心理学が探求している「こころ」と,その背後にある脳構造の間には,話のレベルの大きな開きがあります。これを埋める有効な一つの手だてとして,より抽象化された脳構造モデルとそれによるシミュレーションがあるのだと思われます。しかし,問題によって方法の立て方・議論の仕方が異なるのでは,いつまでたっても認知機能の全体像を作ることができないのではないでしょうか。

 関連して,問題がもう一つあります。当日もちらりと出された話題ですが,構造と機能はどの程度まで一致していなければならないのかという点です。機械の場合,構造が複雑になればなるほど,それと機能の間の乖離は大きくなります(ゆえに使いやすいインタフェースが求められます)。神経系の発達と認知機能の発達との間にも,生後数ヶ月のうちには,両者の依存関係が存在しそうだということが結論としてありました。しかし,両者の対応はフレキシブルなものだそうです。つまり,構造と機能は一致していなくてもよいわけです。「結果としてある機能が発生する」ための構造形態には,複数の可能性があるというのが,5章の1つのミソかもしれません。

 いずれにせよ,未知の領域である脳からは,まだまだ新たな知見が出てくるという雰囲気があります。あらためて脳探求の重要性を考えさせられました。

 最後になりましたが,拙い報告をたたき台に,議論に参加された多くの皆様に感謝いたします。

 

■第7章「生得性を考える」を報告して 

  松本博雄(中央大学大学院文学研究科)o7330007@grad.tamacc.chuo-u.ac.jp

 「コネクショニズム」「コネクショニスト・モデル」ということばを、恥ずかしながら発表前までは「耳にしたことがある」という程度にしか知らなかった私が、まさか今回報告する羽目になろうとは思っていなかった、というのが正直なところです。ただ、考えてみれば、もし報告の機会を割り当てていただけなかったら当日もなかなか発言できずに終わってしまったかもしれない、と思うと、大学院生を中心とした若手に報告者を割り当てるという世話人の皆様方の基本方針に改めて感謝する次第です。

 本章の内容については、テキストもしくは後掲の報告レジュメを参照いただきたく思いますが、本書におけるこれまでの論の整理および筆者らの立場の規定に関する部分と、今後の展望に関する部分がありました。前者に関しては、本書の意図はコネクショニズムの考えを用いてモデルを構築しシミュレートできるか、発達に関する仮説をどの程度検討できるのかというところにあったのではと思います。個人的には、コネクショニスト・モデルにおいては、単一の学習メカニズムが全く別のものとして観察される行動をさまざまな時点で産出することが可能である、という部分に非常に興味を覚えました。このような現象が示されたということは、発達において外的な現象の劇的な変化と思われるものが観察されたときに、われわれがそこから直接内部の質的なメカニズムの変容を考えがちである(これは認知発達における「発達段階」の存在に関する信念といってもいいかと思います。)、ということに対して一石を投じることになるのでは、と思います。つまり、外部の劇的な変化という現象を観察しただけでは、内部の変化について語ることはできない。内部の変化について言及するためにはそのための手段を確立する必要がある、ということではないでしょうか。

 一方で、シミュレーションモデルはあくまでシミュレーション、すなわち「こういう説明もできる」という可能性を示しているにすぎないのでは、ということもまた感じました。本章の後半部では、今後の展望として「モデルがより広範な発達的・生態学的妥当性を持つことが重要である(P.288)」として、そのようなモデルは「複雑な環境下において複数の行動を実行する」モデルでなくてはならないという主張がなされています。また、孤立したネットワークではなく社会的なネットワーク共同体の中でのモデルを考える必要がある、といった提案もなされています。しかしながら、現状の課題を限定した単一の目的をもった単一のモデルに新たな行動を追加する、もしくは単一のモデルに別のモデルを追加するといったような足し算の発想が、いわゆる「生態学的妥当性」を実現できる方向へと向かいうるのかどうかということには私としては疑問が残りました。また、そのこととも関連して、モデルが説明を想定している領域、それで明らかにできるであろう行動の範囲・問題をきちんと位置づけしていくことは重要ではないかと思います。具体的には、コネクショニスト・モデルはひとつの説明のフレームであり、(実際の子どもにあるような)「こうしたい」「こうしよう」という構えと能動的行動を持つモデルではないということ、また当日も指摘があったように、活動のコントロールブロックを外部に置いたモデルであるということをきちんと位置づけるということです。このような範囲の中で、コネクショニスト・モデルとそれによるシミュレートは、現在の認知発達理論の中に、例えば上に述べた行動の劇的な変化についての説明のようにかなり大きな視座を提供しうるのではと思うのです。

 紙面の都合もあり本稿はこのあたりで終わりにさせていただきたいと思います。今回の研究会、もしくは本ニューズレターがさらに今後の議論の発展への呼び水となればよいなと考えています。非常につたない報告であったことと思いますが、気づかれたことなどございましたらご助言いただけると幸いです。ありがとうございました。

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4 コメンテイターのショートレクチャー要約

 河原哲雄(東京大学)tkwhr@p.u-tokyo.ac.jp

(1) ``Rethinking Innateness''のその後:本文内でも予告されているとおり,・Plunkett,K.&Elman,J.L. ``Exercises in rethinking innateness: A handbook for connectionist simulations'',1997, MIT Press.・McLeod,P.,Plunkitt,Rolls,E.T. ``Introduction to connectionist modeling of Cognitive processes'', 1998, Oxford University Press.の2冊が出版されている。前者はコネクショニスト・モデルのシミュレータ tlearnの使用法が中心。後者はより広範なリーディングスを含む。tlearn はWindows, Mac,X-Windowの上で動くグラフィカルなプログラムで,入門者にも適しているが,扱えるモデルの範囲は限られている(Elman-netや天秤課題,動詞過去形学習などバック・プロパゲーションを用いるもののみ。競合学習や自己組織化等はだめ)。

(2) 発達のコネクショニスト・モデルの価値について:例会では,Sieglerの天秤課題をシミュレートしたMcClellandらのモデルに議論が集中した。だが私見では,このモデルは「一見するとルールの使用やその獲得が関与しているとしか思えないような現象を,非表象的・分散的モデルでも再現できることを示す」というコネクショニストの研究戦略に沿ったデモンストレーションであって研究上の価値はそれほど高くない(Sieglerのルール評価アプローチや,Klahらによるプロダクション・システムによるモデル化に対抗したということ)。これよりずっと重要なのは,この本の中でいえば例えば動詞過去形の学習のモデル -- Rumelhart &McClelland(1986)のモデルだけではなく,Pinkerらとの論争やPlunkettらによる拡張や補足も含めて -- や,Plaut&Shalliceの神経言語学的疾患のモデルなどである。たとえば前者の研究では,当初の目的であったU字型学習曲線以外の様々な言語現象(不規則変化のサブカテゴリーや,他言語への適用等)について,モデル化以前にはなかった新たな予測が生み出されて検証がさなれ,さらに改良されたモデルに対して新たな批判がなされるというような生産的な研究サイクルが成立してきた。「コネクショニスト・モデルか否か」というAll or Nothingの議論はもはや重要ではない。コネクショニスト(に限らないが)・モデルの価値は,どれほど新たな仮説を生成できるかといった,具体的なディティールの検討で決まるのである。

(3)「発達 vs.「学習」:例会では発達と学習の異同が問題になり,コネクショニスト・モデルでは学習は説明できても発達は説明できないのではないかという意見が出た。こうした主張の背後にあるのは,現在のコネクショニスト・モデルが,発達現象を扱うには,モデル及びデータの規模が小さすぎるという事実である。だが近年,コネクショニスト・モデルでかなり大規模なデータを扱う環境が整いつつある(WordNetのような電子辞書や,CHILDES等の大規模コーパスの使用など)。逆に,筆者は近年の発達研究の問題点として,量的・計算論的な検討を欠いている点があると考える。たとえば,語彙獲得・概念発達の制約説では,「制約なしでは語彙獲得は困難→制約の存在を仮定」といった議論がなされるが,そもそも語彙獲得がどのように困難な計算問題であり,それぞれの制約を加えることで計算上の負荷がどれだけ軽減されるのかといった量的な考察はほとんどない。実世界に近い大規模データを用いたコネクショニスト・モデルの研究は,発達の計算論的側面を明らかにする足がかりとなることが期待される。

(4)生得説 vs.環境の構造:現代の生得説の主張の一つに,「実世界の環境における類似性や相関の情報は不完全で,膨大で雑多なゴミ情報の中に埋もれているので,学習・発達の役には立たない」というものがある。だが,文法獲得に関するElmanの研究は,simple recurrent netというごく単純なメカニズムが,環境における規則性をかなり有効に拾い上げたことを意味している。重要なのは,環境の中にある種の方法で取り出すことの出来る(SRN以外に,もっと有効な方法があるかもしれない)情報の構造が存在していること(存在するからには,何らかの方法で活用しているのではないか?)それ自体である。この本の筆者らは,学習能力に関して非線形性が果たす重要であることを主張しているが,Landauer&Dumais(1997) の Latent Semantic Analysis の能力を見る限り,線形の分析からでも,環境からかなり有用な情報が取り出せる可能性がある。

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5 例会参加印象記(第1回例会に参加して)

   岩立志津夫(日本女子大学)siwatate@ikuta.jwu.ac.jp

 会員でもないのに第1回例会に参加させていただいた(当日会員登録しました)。取り上げられた文献が魅力的だったからだ。この本は、言語発達研究者の僕にとって困惑の書である。少し前に原書を手にしてそう思ったし、今もそう思う。正直言ってこれをどう評価し、ここからどのような展望を持つべきか、考えが決まらないでいる。生得論をどうしてそんなに目の敵にするのか? Kamiloff-SmithやBatesはどうしてこのような立場をとるのか? 生成文法的生得論者に対する対抗意識はある程度の理解はできても、言語発達という事実に忠実であろうとすれば、僕はどうしてもコネクショニズム万能主義には組する気にはなれない。ただ、言語発達研究は、現在曲がり角に来ているというのは確かで、そして研究の新しい方向を決めそうな研究の一つが今回の著者達の一連の研究であることには間違いがないだろう。さらについでに言えば、夏に来日するTomaselloの社会認知的な研究も新しい方向を暗示させるものである。

 今回の例会は勉強会という形をとっていた。若い研究者が担当章を独自の立場で紹介し、問題点を出し、それをみんなで議論するとうい形である。そして最後に河原氏のコメントを端緒として総括的な議論がなされた。翻訳も出ているので、できれば全員が事前に著書に目を通して来て、学会のシンポジウムのような形式の方が議論が活発で、面白かったかもしれない。しかし、今回の著書にように、工学的・生物学的知識がないと十分な理解ができない場合には、今回のような形式はしかたがなかったかもしれない。僕を含めて自分で読むだけでは得られない多くの示唆をこの例会から参加者が得たものと思う。特に今回の例会では、工学系の複数の参加者が技術的な解説をしてくれた、さらに自分の研究に基づいてコネクショニズム・モデルの目標・展望・心理学者への期待などを正直に語ってくれたことは、有益だった。ただ、残念だったのは、脳研究の専門家と著者達が批判の矛先を向ける生成文法的生得論の立場の人がいなかったことである。生得論者は今回の著者達と同様に脳の発達に非常な興味を持っているので、その立場の人が居れば、もっと深い議論ができたかもしれない。

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6 例会報告資料

 認知発達理論研究会第1回例会資料として、報告者の方に第2,3,5,7章レジュメをそれぞれ提出していただき、それを添付書類としました。テキストおよび本報告を読む際の参考にして下さい。

・第2章 「なぜコネクショニズムか」(pp.39-82)のレジュメ(布施光代執筆)

・第3章「個体発生的発達:コネクショニストによる統合」(pp.83-132)のレジュメ

齋藤瑞恵執筆)

・第5章「脳の発達」(pp.179-232)のレジュメ(伊藤崇執筆)

・第7章「生得性をを考える」(pp.261-291)のレジュメ(松本博雄執筆)

また、例会当日デジカメでとったスナップショット(会代表足立自朗撮影File Format:JPEG)が5枚あります。添付書類としましたので、参加者の皆さんが写っているかどうかご覧下さい(写ってない方もいるようですが、ご容赦下さい)。★写真はサーバーの容量不足のため残念ですが削除しました。2002.7.6

 

必要に応じてダウンロードしてください。ダウンロードの方法

第2章 テキスト
第3章 テキスト
第5章 テキスト
第7章 テキスト

 

【編集後記】例会報告の第1号通信をお届けします。初めは、例会に参加できなかった会員に例会当日に配布されたレジュメをお送りするというだけの予定でしたが、だんだんと構想が膨らんで、いろいろな方に原稿を依頼して本文のような例会報告書となりました。本報告書作成に当たってご協力いただいたコメンテイター、報告者、例会参加者の皆様に改めてお礼申し上げます。また、この報告書および例会を今後ともより良きものにしていくために、会員および例会参加者の皆様のご意見、ご提案をお気軽に世話役までお寄せ下さい。

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ばななはうす 102
Chika.Sumiyoshi@ma2.seikyou.ne.jp