認知発達理論分科会 第4回例会報告

   第4回例会世話人            
    小島康次(第4回例会担当幹事:北海学園大学)
kojima@msv.elsa.hokkai-s-u.ac.jp
    足立自朗(会長:埼玉大学)
adachi-j@oak.zero.ad.jp
    斎藤瑞恵(事務局:お茶の水女子大学)
mizuesai@syd.odn.ne.jp
 

目 次

1 第4回例会概要

2 報告者として参加して

3 ショートレクチャー要約

4 例会参加印象記

5 例会報告資料(添付書類)

例会の開催日とテーマ一覧へ

Topページへ

 

1 第4回例会概要

■日時:6月16日(土)午前10時〜午後5時

■場所:早稲田大学西早稲田キャンパス14号館8階会議室807

■出席人数:22名

■検討文献

Bowerman, Melissa and Levinson, Stephen C. (eds.). 
LanguageAcquisition and Conceptual Development. Cambridge University Press. 2001.

■例会当日の時間割および報告者(予定)

10:00−11:10 第2章 A. Gopnik. Theories, language and culture: Whorf without wincing

    報告者 松本博雄(中央大学大学院)<o7330007@grad.tamacc.chuo-u.ac.jp>

11:10−11:20 小休憩

11:20−12:30 第3章 E. S. Spelke & S. Tsivkin. Initial knowledge and conceptual change: space and number

    報告者 布施光代(名古屋大学大学院)< fuse@lilac.ocn.ne.jp >

12:30−13:20 昼休み

13:20−14:30 第4章 L. B. Smith. How domain-general processes may create domain-specific biases

    報告者 西垣順子(京都大学大学院)<Junko.Nishigaki@ma1.seikyou.ne.jp>

14:30−14:30 小休憩

14:40−15:50 第5章 M. Tomasello. Perceiving intentions and learning words in the second year of life

    報告者 坂田陽子(愛知淑徳大学)< sakatayo@asu.aasa.ac.jp>

15:50−16:00 小休憩

16:00−17:00 ショートレクチャーおよび総括的討論。

    前半30分は岩立志津夫先生によるショートレクチャー

    (テーマは「言語発達のローカルルールとinput重視の説明の可能性」)

 

各章とショートレクチャーの主な論点(準備中)

 

目次へ

 

2 報告者として参加して

 ■第2章を報告して 松本博雄(中央大学大学院文学研究科)

 先日の研究会にて、テキストの第3章を報告させていただきました。私自身の方で準備に十分な時間を確保することができず、本来さらに吟味された上でなされるべきでしたが、今回はほぼ内容の報告のみにとどまってしまったことをはじめにお詫び申し上げます。本稿は当日の報告内容の補足ということで、簡単にお伝えさせていただければと思います。

 第3章で述べられた議論は、Theory theoryという考え方を用いて認知発達における言語と思考間の相互作用を説明しようという試みでした。Theory theoryとは、認知発達の過程を「(子どもにおける)知識獲得の過程=知識・概念の再構成の過程」として捉えたとき、同様の現象の生起を科学における理論の形成および変化の過程にみて、そのアナロジーとして認知発達を説明しようとする考え方です。本章ではこの妥当性について、主に乳児期の子どもを対象にした認知発達研究、また英語—韓国語間の交差言語学的研究を通して論じられていました。

 当日も議論になりましたが、科学理論における「変化」や「理論の精緻化」というアナロジーは「科学革命の構造」などで有名なクーンのモデルを参考に打ち立てられたのではないかと思われます。同時期に出現する認知発達と言語発達の相互作用によってある領域における「理論の変化」がもたらされるという点、さらにそれを具体的にいえば、概念変化とは言語を媒介として代替理論が受け入れられていく過程であるが、その生起は前の理論に対する反証ではなくその子どもにとって「それがより妥当な説明である」という信念(いわば子どもの納得)によって説明されるという点などは、クーンの「パラダイム変換」を連想させ、説明の一つとして非常に興味深く感じました。ただし一方で、変化の現象の説明としては面白かったものの、そのような変化は何を原動力としていかにして生じたのか、また初期の理論そのものの発生がいかにして説明されるのか、そこにおける大人の介在はどのように考えられるのかなどの部分に、個人的には若干のもの足りなさのようなものが残ったのも事実です。

 とはいえ、「認知発達」というテーマについて改めて考える機会の少ない私にとって、今回発表および討論の機会を与えていただいたことは大変よい勉強になりました。また、本章以外の討論においても、研究における理論と実践の関係について多くの考えがあることをお聞きできて、個人的には多くの示唆を得ることができました。世話人の皆様、参加者の皆様に改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。

 

■第3章を報告して 布施光代(名古屋大学大学院教育発達科学研究科)

 3章では,初期の知識システムおよびその変化について,「空間表象」と「数の表象」という2つの領域を取り上げて検討されていました。そのさい,人間の発達だけではなく,動物研究からの知見も取り上げられていました。これは,前回の例会で取り上げられた進化心理学の視点につながるものではないかと思いました。3章を通して著者は,「初期の知識システムはモジュール化された表象システムであり,それは言語を媒介として結合することによって発達する」と主張しています。Fordor(1983)やKarmiloff-Smith(1992)では,言語も1つのモジュール化されたシステムである,すなわち1つの領域であると見なされていますが,著者は言語について,概念変化をもたらすシステムであり,領域を媒介する1つの領域一般的なシステムであると捉えている点は大変興味深いものでした。しかし,当日の議論でも話題に上がりましたように,なぜ言語なのかという点については述べられていないので,説明不足の観は拭えず疑問が残りました。

 研究会で議論されたことの中心に,「領域一般(domain general)vs. 領域特殊(domain specific)」がありました。何を領域一般と捉え,また何を領域特殊と見なすのか,という問題や,著者のSpelkeをはじめとする代表的な研究者達がどのような立場に立っているのかについて,様々な意見が出されました。個人的には,Karmiloff-Smithの立場に関心を持っていますので,Karmiloff-SmithとSpelkeの関連や考え方の違いについて教えて頂けたことは大変有益でした。知識システムをはじめとした認知をどう捉えるのか,という問題は認知発達研究の大きなテーマであると思いますが,研究する上では常につきまとうものであり,だからこそそれぞれの立場を明確にしていく必要があるのではないかと考えました。また,時代の流れを含めて全体的な動向を見通す視点を持つことの必要性も感じました。

 最後になりましたが,このような報告の機会を与えてくださった世話人の方々,コメントを下さった岩立先生をはじめ,当日議論に参加された皆さまに感謝いたします。

 

■第4章を報告して 西垣順子(京都大学大学院)

 個人的には領域固有性を主張する論文を読んだり話を聞いたりする機会がこれまで多かったため,この論文は大変新鮮でした。制約論などの領域固有性に関する主張には納得させられる部分も多くあるのですが,言われているような種類の制約(constraintsであるかassumptionであるかはともかく)が長期的で複雑な言語発達過程の中でどのようにその役割を変化させていくのかについて見通しが持てず,ただよくわからないなあという気分でいました。今回発表させて頂いた論文は,注意学習という一般的で基本的な認知メカニズムが領域固有であるように見える語彙学習過程を生み出していく様が論じられており,これまでに抱いていたよくわからないという気分にぴったり来るところが多かったので,読んでいて大変興味深かったです。言語獲得の説明として,領域一般性と領域固有性のどちらが妥当なのかの判断は私の力量を超えているため,この論文については興味深いとしか言えないのですが,やはり言語発達を論じる上で「子どもの姿が見えてくる発達理論」というのが,それなりに大切なのではないかと思っています。

 東京女子大で発達心理学会があったとき,言語発達分科会において制約論についての意見としてフロアから「こんなコンピューターにデータを入力していくような...」という趣旨の発言がありました。記憶が曖昧ですが保育の実践をしておられる方からの発言だったように思います。研究者側からの反応は「また出たか,そのコメント...」という感じだったと,少なくとも私は感じました。ただ私にはそのコメントをした人の気持ちがすごくわかるという思いがありました。"事物全体仮説"のような制約が存在すること自体を否定するつもりはないし,それらは"科学的"な実験手続きを経た見解だとは思います。けれどそれらの理論をいくら読んでも,そこに子どもの姿が見えない...という思いを感じます(単に読みが浅いのかもしれませんが)。言語発達に関してはこれまでに幅広い豊富な理論が存在しています。細かな話も大切ですが,それらを包括的に統合した,「名詞の獲得」だけではなく「子どもの言語発達」を論じられるような理論が欲しいなあとは,改めて思いました。

 なお,研究会では実験結果の解釈について若干議論がありましたが,著者の主張そのものについてはそれほど反論などはありませんでした。論文の最後にO'Reilly &Johnsonのリカレントネットワークによるシミュレーションがあったのですが,発表者の知識不足もありネットワークモデルの具体的な形式についてはよくわかりませんでした。シミュレーションというのはいろいろなところでよく見かけるのですが,そのモデルの組み方,また初期値の設定を含む数値の入れ方については,それが妥当であるのかどうか(ときどき,実験結果にあうように数値を入れているだけではないか?と思えるものもあるので)を私自身はうまく判断できない部分があります。またそのあたりも勉強していきたいところです。

 

■第5章を報告して 坂田陽子(愛知淑徳大学)

 私は、Tomaselloの章(第5章)を担当させていただいた。Tomaselloは、語学習に関し、MarkmanやGleitmanらが主張する“制約アプローチ”に対して否定的な立場をとる。その上で、社会プラグマティックアプローチ(social-pragmatic approach)を展開する。彼は、“制約”のみで語意学習の問題を説くことは出来ない。制約はある特定の文脈における、他者の特定の指示的意図についての社会プラグマティック情報と共にのみ働く、と述べる。そして、語学習は他の文化的スキルや慣習を学ぶのと同じ基本的なやり方で語を学習する。また、社会相互作用の一種の副産物、もしくは他者との社会的相互作用の不可欠な一部分として語を獲得する。それは社会的相互作用の自然な流れの中で行われる、と主張する。しかしながら、全面的に“制約”を排除しようとしているわけではない。彼は、新奇語の指示的意味の決定は、制約 プラス プラグマティックな手がかり による、と述べている。しかしこの点について、報告途中で岩立先生からご教示いただいたのには、「Tomaselloは本を書く上で、少し制約説をソフトにとらえたのだろう。彼に直接聞けば、たぶん制約説をもっと否定的にとらえているだろう。」ということだった。

 Tomaselloは、この章の中で7つの実験を紹介している。その結果をふまえて、子どもは大人の意図を理解する能力を複数持っており、これらの社会的認知スキルが語学習の根元にある、と考察している。また、この社会的認知スキルは、いわゆる“心の理論”と通ずるものであり、これはヒトだけでなく、チンパンジーなどにも見られるという。

 以上の見解から、Tomaselloは語獲得、語学習において、領域一般の立場を取ることがわかる。しかし、彼は、社会的能力以外の能力(例えば、記憶や、他の認知能力)との関連については詳しく言及していない。これらの能力をすべて含んだ上で、語学習の領域一般性を主張しているのかは、本論文からは分からなかった。

 またTomaselloは、子どもが他者意図を理解する能力は、言語発達の初期から子どもの語学習のスキルに組み込まれている、と述べている。しかしこの能力が生得的に備わっているのか、社会的相互作用の中で獲得されていくものなのか、本論文では言及されていなかった。これについて、報告中、内田先生より「Tomaselloはコアになるものは生得的に持っていると言うでしょう」とご教示いただいた。それゆえ、冒頭に戻るが、制約 プラス プラグマティックな手がかり が語学習の基盤となるとしたのだろうと、私は解釈した。

 語学習において生得的制約説を唱える研究者が多い中で、Tomaselloはそれと異なる立場を提唱している点は、語学習を多面的に検討する上で重要な役割を果たしていると思われる。今後の語学習の分野の理論展開には、制約的アプローチ、もしくは社会プラグマティックアプローチといった一次元的な見方ではなく、語学習のどの部分までが制約的アプローチで説明でき、同様にどこまでが社会プラグマティックアプローチで説明でき、また、どの部分は相互作用で説明できるのか、といった多次元的な見方が必要になってくると思われた。

 

目次へ

3 ショートレクチャー要約

岩立志津夫(日本女子大学)

 今回取り上げた4つの章の理論的位置づけを示すとともに、研究会の最後に話した内容の要点を述べてみたい。

1 4つの章の理論的位置づけ

 今回とりあげた本は序文にもあるように、MaxPlank研究所主催で開かれた会議をまとめたものである。会議に参加できなかったのが悔やまれるぐらい、多くの著名な研究者が集まり、内容の濃いものだったようだ。しかもそのまとめ役の一人ががBowermanだったことも注目に値する。というのは、彼女の研究はこれまで2語文以上の段階、それも文法を中心に進められてきたからで、その彼女が語の獲得についてどのようか関心も持っているのか知ることは興味のあることだ。本の編者にもBowermanが含まれている。

 今回の研究会でとりあげた4章は、序論的な第1章・第2章にある4つの論文で、その2つが認知発達の方向でのもの、残りの2つが言語発達の方向でのものである。この中でもっとも保守的な議論を展開しているのがSpelke & Tsivkinの論文だろう。Karmiloff-Smith(1992)のRRモデルと近い議論を展開している。RR モデルでは言語発達を「領域固有の段階から領域一般へ」変化するものと説明していた。Spelke & Tsivkinの説明には、RRモデルにあったformatの変化などについての説明がない。Gopnikの研究は、僕にとっては今回始めて触れる考え方で、とても勉強になった。ただ、Theory theory(TT理論)の視点からの言語発達研究は、理論的検討が甘く感じた。比較言語的な資料(英語と韓国語)を使っているが、TT理論から言語相対論が出てくる筋道が明確ではないように思った。Tomaselloの論文は今回も自分達の最近の研究を多数引用して、自説の正しさを証明しようとしている。それは研究会でも述べた通り、理論とは呼べないようなもので、「子どもに言語を獲得させる時大人は自分が持っている意図を伝えるとともに、子どもも教え手の意図を理解しようと努める」という主張と言えるだろう。この主張はチンパンジーを使った研究でも盛んに使われている。言語発達の研究者の立場から見ると、一連のこれらの研究はinputの影響を証明することには役立つが、言語発達の流れを理解したり、言語発達理論を構築するのには貢献しないように思う。言語発達研究者にとって興味があるのは、inputが役立つとして、それはどんな発達条件(発達年齢、認知発達水準、どんな個人の社会的状況など)で起こるのか、という点である。これらの点についてTomaselloはこれまで、Langackerの認知言語学にそって興味深い議論を展開して来た。Smithの論文は今回の研究会では一番議論になった。出席者の一人の内田が著者の見解に反対する意見を述べたからである。Smithは「Thi s is a dax.」という言語表現が与えれれると形バイアス生じるという傾向が加齢とともに強くなるという可能性を述べている。これに対して、内田は違った解釈を示していた(詳細は、内田の議論に期待したい)。僕自身はこの現象とSmithの説明が当たっていて、「語彙爆発」に至る発達のある側面がその背景にあると理解したいと思う。

2 岩立の関心と取り上げた4章の位置づけ

 研究会の最後に駆け足で「言語発達のローカルルールとInput重視の説明の可能性」というタイトルで話させていただいた。時間的制約や多少疲れていたこともあり、説明が十分ではなかったので、言いたかったことの要点を述べたい。

 理論的に見た場合、第1に言いたかったのは、「発達理論から見えてくる子どもの姿」と「子どもの姿から出てくる発達理論」には違いがある、ということである。ここでは「発達理論」と「こどもの姿」の2側面がある。理論について言えば、理論から入った理論と子どもの姿から構成された理論には違いが出るという主張である。生成文法派の人達が主張する理想的言語話者に基づく言語獲得理論(PinkerのLanguage Learnabilityの研究も含む)は、理論から入った理論の典型で、岩立自身は子どもから入った理論をあくまで追及すべきという立場である。そしてこの根拠の一つとして、研究会では言語発達が遅れた子どもの臨床事例を紹介した。この事例では、家庭の言語環境が特に劣悪という訳でもないのに、自発発話が2歳5ヶ月になっても出てこなかった。構音もaとoを出せるだけだった。言語理解は2歳前後あった。しかし、集中的な言語訓練を実施した結果、3ヶ月程度で、いくつかの発達段階(例えば、単語の一部を言う段階、質問に答える段階、相手の気持ちを気にしだす段階など)を経て、語彙爆発の前後まで言語発達が進んだ。この事例からどんな言語発達理論が考えるだろう。これが岩立の現在の関心である。少なくとも、理論的が母国語話者を想定する生得論者の言語獲得理論は出てこないだろう。おそらくそこに構築される理論は「Inputを可能にする、言語的・認知的発達」を個々の子どもの個性にそって記述することを目指す理論となるだろう。

 この議論から今回取り上げた4つの論文は、どうしても子どもから見えてきた理論とは離れたものに見えてくる。しかし、子どもから見える理論への多くの示唆を含んでいるのも事実である。

 

目次へ

 

4 例会参加印象記

加藤義信(愛知県立大学)

 人間が言語をひとつの有力な手段として認識活動を行う存在であることは疑いない。そうであるなら、発達の過程でも認知と言語の関係はたえず問い質されるべき重要な問題であるはずだが、多くの発達研究者にとっては、認知発達と言語発達は別の研究領域であり、一方の専門家は他方の研究の現況に疎いというのがこれまでの実情であった。その点、今回の研究会で取り上げられた本は、こうしたギャップを最新の情報で埋めるのに最適の材料であったといえる。

 当日、報告の対象となった章は、Gopnik: Theories, language and culture, Spelke & Tsivkin: Initial knowledge and conceptual change, Smith; How domain general processes may create domain-specific biases, Tomasello; Language acquisition and conceptual development. の4つであった。

 4つの章が共通に扱っている問題を大胆にまとめるとすれば、(1) 認知発達の方向性 ─「領域固有から領域一般へ」か、「領域一般から領域固有へ」か、(2) 認知発達における言語(あるいは言語発達における認知)の役割、の2つである。(1)については、周知のように1980年代から最近に至るまで認知発達の「領域固有性」を主張する論が圧倒的に優位な状況が続いた。本書をみても、Spelkeらは基本的にこの立場を堅持しながら、領域特殊な表象を結合しより一般的なシステムの構築を促す役割を言語に割り当てる主張を展開している。ところが興味深いことに、本書を読むと、言語の発達に焦点をあてた研究においては、むしろ「領域一般から領域特殊へ」という主張が最近は前面に出てきているという印象を強くもった。Smithの主張はこの立場をもっとも鮮明にしたものであろうし、Tomaselloも初期の語学習能力の背景に他者の意図的行為を理解するより“一般的”能力をみることによって、この立場に間接的に与しているように私には思われた。今後おそらく、認知発達に焦点をあてた研究においても、こうした流れは着実に大きくなっていくのではないだろうか。「領域固有性」論はPiaget批判の中から台頭したのだが、私見によればそれは、ヨーロッパ大陸の合理論的思考の中にはらまれていた全体論的傾向に対して、イギリス経験論以来、英語圏心理学の中に根強く生き続けてきた要素論的傾向が現代的アンチテーゼとなってあらわれたという性格をもっていた。ところが、そうした構図が単純ではなくなってきていることに、私はたいへん興味をそそられる。今後の展開に注目する所以である。

 (2)については、認知と言語の関係を”theory theory” という科学理論をモデルとする図式で説明しようとするGopnik の論が、単純な言語優位の論でないという意味で、今後検討に値する論であるように思われた。しかし、実証的データと主張との間を緻密に埋める作業がまだこの論には必要であるようにみえたのは、私だけだろうか。

 研究会の最後には、コメンテーターをお引き受けいただいた石立志津夫先生によるミニ・レクチャーが行われた。「発達理論からみる子ども」と「子どもからみる発達理論」という2つの視点の対比による問題提起はたいへん新鮮であり、特に先生は、後者の視点に依拠して子どもを取り巻く具体的な制約条件の詳細な記述の中で発達の個人差や個人内変位を考えていこうとされていると私は受け取った。実験心理学的なまなざしで子どもを見ることに慣れてしまっている研究者にとっては、先生の主張は貴重な問題提起であるように思う。ただ、理論を、特定の文脈、条件のもとで切り取られた現象にもっぱら適用可能な一般化(ローカル・ルール)としてとらえたときに、限りなく細かい複数の小理論の並行論となっていかないか、そのときには、かえって生活条件の違う子どもたちを共通の「子ども」として見る眼差しを失っていくことにならないか、といった疑問を私は抱いた。今後、お目にかかったときに改めて議論させていただきたい点である。

 

目次へ

5 例会報告資料(添付書類)

 

必要に応じてダウンロードしてください。ダウンロードの方法

第2章 テキスト

第3章 テキスト

第4章 テキスト

第5章 テキスト

 

目次へ