くんくん日記

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2004年3月2日(火) 巨像に挑んだ技術者

久しぶりにプロジェクトXを観た。LSIを用いた日本初の大型計算機を設計した富士通の池田さんという人のお話だった。戦後IBMが圧倒的なシェアを握っていた大型計算機の世界に、クズといわれた会社で、だめ社員といわれていた池田さん。実は芸術を好み、そして原因不明といわれた電話機のノイズの原因を理論で突き止めた才能。技術者の心をつかんで引っ張っていくリーダー。独創的なアイディアと実行力。51歳で亡くなられたのは、本当に惜しい。
拝金主義のアメリカに影響されて、知的財産という名前のもと、特許収入を得ようと裁判沙汰になる昨今である。日本の技術者は金儲けに走るし、企業は技術開発が進むと経営が圧迫されてしまう。成果主義は競争を生むが、個人主義を増大させる。
研究者は、夢を追い続けるものなのだ。金の猛者であってはならない。お金で買えるものなど、所詮そのようなものには価値がないのだ。もっと大きな夢を持ちたい。

2004年3月5日(金) 体が資本

体が資本お金で買えないものにこそ価値がある。お金で買えないものを得るために、お金を使うのだ。
東京の国際展示場で開催されている展示会にいってきた。特にICカードやセキュリティの展示は、多くの人で大変な混雑だった。年度末なのにみな時間に余裕があるのだろうか。しかも展示内容には、目新しさは見あたらなかった。
帰りは、新木場までの無料送迎バスというのを試してみた。立たされるのかと思ったら、日の丸観光の普通の観光バスがきたので、少し驚いた。これに、見知らぬもの同士が補助席もフルに使って乗り込んだのだが、周辺の道路が混雑していて新木場までは30分以上かかってしまった。バスの中では大半の人が眠っていたようだ。僕も眠っていたのでわからないが。
都会で暮らすのにも体力が必要だ。自家用車で通勤している我々は、体力が衰えているように感じる。でも前の会社の仲間たちは、仕事の無理が体に来ているようだ。体を休めることも、扱くことにもバランスが必要なのだ。ううむ。

2004年3月7日(日) ラストサムライ

トムクルーズと渡辺謙が競演しているラストサムライを観た。渡辺謙がアカデミー助演男優賞候補だったこともあって、午前中の上映なのに珍しく映画館は混んでいた。といっても地方都市であるから席の半分が埋まっているというレベルである。
サムライの精神を描いているこの映画は、とてもよくできていた。トムクルーズのチャンバラは滑稽であったし、格闘のシーンは観ていて飽きることもあった。しかしそれでも日本が持つ固有の文化の素晴らしさを表現していた。とても外国人の脚本とは思えないものがあった。いや、外国人だからこそこう表現できたのかもしれない。
日本人が失いつつあるものを、ハリウッドに気づかされる。時代はそういうものなのだろうか。

2004年3月8日(月) メディアのオープンスペース

先日、メルプロジェクトの研究会に参加した。ワークショップも盛り上がった。
いつも、メディアリテラシーのことについては、一人でうんうんうなっているのだが、同じ悩みを抱えている人たちとお話しすることはとても刺激になる。特に西日本代表という意識もあるから、なおさらだ。
みんなともう少し話がしたかたが、残念ながら飛行場に向かった。
けっこうぎりぎりであせったのだが、こういうときに限って出発が1時間もおくれた。まぁそんなもんだろう。

2004年3月10日(水) 古本屋

予定の合間に、古本屋に立ち寄った。絶版となった専門書を探しているのだ。
しかしというか、当然というか、お目当ての本は見つからなかった。一件しか入っていないのに見つかると期待するべきではない。そうやって探していくのが古本屋巡りの楽しみなのだ。
お目当てのほんの代わりに、別の本を二冊購入した。そのうち一冊は専門書ではなく、中公新書の「ゾルゲ事件」という本。尾崎秀実の実弟の著作だ。これも絶版書で350円だった。家に帰って見てみると実にきれいな本だったが昭和38年の初版本だった。なんか掘り出し物をした気分になった。
思えば、大学の近くにはこういう古本屋があるのが当然の環境にいた。荻窪にも何軒もの古本屋があったし、神田も身近な街だった。久しぶりに学生時代に戻った気分だった。

2004年3月11日(木) 都市とビートル

都市とイメージというその筋ではあまりにも有名な本の原書が届いた。インターネットで注文すると送料もかからずに二日で届いた。実に便利な世の中になったものだ。
英語の文章を読むのはあまり得意ではないので、とりあえず写真を眺めた。ペーパーバックの写真であるから、白黒で昔の新聞の写真のようだ。なにしろ1960年にMITプレスから発刊された本だから50年代のアメリカの風景ばかりだ。そこにはテールフィンも誇らしげなアメリカ車に混じってフォルクスワーゲンの姿があった。ビートルの、それもコンバーチブルが載っている写真があった。もう一度ビートルに乗りたくなってきてしまった。

2004年3月12日(金) 門司港と鮨

門司港にいった。ほんの少しだけ開館を手伝った海峡ドラマシップという施設に来館者向けの情報システムを見に行った。来館者を観察させてもらったりして、あっという間に時間は過ぎてしまった。ついでに昨夏に開館した九州鉄道記念館にもいってきた。戦前の気動車の室内にはいることができたのが嬉しかった。木でできた室内は、東京の世田谷線沿線に住んでいた頃を思い出させた。
仕事が終わって小倉に移動した。夕食は妻の薦めでお鮨を食べた。カウンターに8人だけという鮨屋に予約もせずに入れたのは幸運だった。板前さんのもてなしぶりにも感服したし、なにより鮨があまりにもよかった。フグ、さわら、寒鰤、しらうお、シャコ、なまこ、煮鮑、穴子、フグの白子、いか、大戸路のあぶり、ミル貝、子持ち昆布、タケノコとどれも思い出に残る品だった。しばらくは何も口にしたくないほどの、うまい鮨だった。

2004年3月15日(月) 地方都市のコミュニティ

出身大学の同窓会に誘われた。東京ではまず考えられないことだ。誘ってくれたのはテレビ局のアナウンサーをやっている人である。これもまずないことだ。
東京という都市が大きすぎるのだろうか。それとも地方都市のコンパクトさがよいのだろうか。単に東京に対するジェラシーがそうさせるのだろうか。
その辺はよくわからない。東京にいるときも、例えば山口県出身者で盛り上がるというようなことにときどき遭遇した。
共通の趣味を持つ人が集うように、共通の話題=故郷を持つ人が集まることは、当然のことかもしれない。そしてそれが人間の特性なのだろう。
そういう僕も東京に来て、町屋や荻窪、三軒茶屋なんかにいくと懐かしさがこみ上げる。やっぱり同類だ。

2004年3月16日(火) 続・地方都市のコミュニティ

朝日新聞の記者の送別会があった。20人ぐらいの小規模な送別会だったが、出席者はそうそうたる顔ぶれだった。東京の感覚では考えられないほどである。
それは実は地方都市のよいところである。広島にいることで、メディアや官庁やお役所、産業界や大学の距離はかなり近く感じられるようになった。
東京にいるときには、例えば通産省の部長クラスとの食事なんて、もう大変なイベントだった。でも広島では僕が自家用車でお送りしてしまう大らかさがある。
そしてこういう転勤族の人脈が、東京で再会したときの大きな財産になるのだろう。海外赴任者の集いがなぜ盛り上がるのか初めて本当に理解できた気がした。

2004年3月18日(木) 非日常の東京

東京に向かう飛行機ではひたすら眠っていた。今日は離陸も着陸も覚えていない、完璧な睡眠だった。お陰で羽田に着いてからしばらくは朦朧としていた。
珍しく品川プリンスホテルに宿泊した。エグゼクティブタワーの角部屋である。なかなか居心地がよい。フロントの雰囲気も少しエグゼクティブな感じだった。
夕飯は6時過ぎに汐留のディンタイフォンで小籠包などを食べたのだが、8時頃にはもう空腹を感じてきていた。
エグゼクティブタワーなのに、ルームサービスがないので、とぼとぼと京急ウィンズでマフィンやあんみつやコーヒーをテイクアウトしてきて部屋で夜景を見ながら食べた。これははたしてエグゼクティブなのだろうか。
僕は別にエグゼクティブにこだわっているわけではない。プリンスホテルに過剰な期待をいだいているわけでもない。
それにこの部屋は窓も大きいし眺めもそこそこで調度品も嫌みがない。でもシャンプーは備え付けだし、ミニバーもない。給湯器のお茶は全くおいしくない。
これは本当の意味での豊かさをはき違えていないだろうか。この部屋でテイクアウトのマフィンとコーヒーがエグゼクティブなのだろうか。
今後はほかの日本系ホテルを試してみよう。これでは東横インが儲かるのもよく理解できる。

2004年3月19日(金) プラネタリウム満天

サンシャインシティプラネタリウムが、満天という名で再オープンする。コニカミノルタプラネタリウムの運営によるメーカー直営プラネタリウムだ。
今日その内覧会にいってきた。プラネタリウム関係者のおじさんばかりが170人もプラネタリウムに座っている様は実に新鮮であった。
今日は35分のプログラムを3本見せてくれた。興味はあったのだがやはり最後の一本は眠ってしまった。正直に白状すると3本目は内容をまったく覚えていない。
そもそもプラネタリウムは、眠るのにもっとも適した環境なのだ。あらためてそう思った。
プラネタリウムの製品技術はますます進化している。しかしそこで教えられること、伝えられることの内容や教育技術は、それほどの進化がない。
技術におぼれず、技術に目を向かせずに、しっかりと宇宙や地球のことを考えてもらうことは、とても難しい。
新しいプラネタリウムが、どこまで話題になるのか、興味深いところだ。

2004年3月20日(土) 日本の行方

刺激的な話だった。実はデータも分析結果も目新しさはないし高度なテクニックも使われていない。
しかし、実にはっとさせられる切り口だった。
東京はあまりにも大都市になりすぎた。メインフレームの時代は終わったのに、一極集中型でなんとかしようとしている。
「よいものをどんどん安く」ではなく、本当によいものを価値あるものとして育てていくこと。それを考えながら家路についた。
そしてバスに乗ったときに思った。ショコラティエだ。一粒250円のチョコレートがよく売れていることをよく考えてみる必要がある。
もっと僕らはこだわりをもって、ものを作らなければならない。こだわりを持って人を育てなければならない。こだわりをもって、ものをいわなければならない。
それは独善的であったり好き嫌いであったり、直感的なだけではいけない。イメージは大切だが、それを裏付けるデータを大切にするべきだ。
ものづくりが国を救うとか、景気がよくなれば国がよくなるとか、産業の誘致やインフラの整備が地方を救うとか、そんなことはイメージで述べていることなのだ。
そういう国が採るべき本来の道筋を、誰が見いだすのか。いまのシンクタンクにはそういう機能到底望めない。学者にも望めそうにない。
誰もが他人事のように考えて、単に国が年老いていくのだろうか。このままでは2150年に本当に日本人が絶滅してしまうのかもしれない。
ついで、というわけではないが、田辺さんに赤坂でお昼をごちそうになった。なかなか味のあるヌーベルシノワーズだった。

2004年3月22日(月) 平和と芸術とラーメン

Jカフェで4時間近く話し込んでしまった。平和芸術週間についての話だ。そのあと4人でラーメンを食べにいった。屋台村のMONGOIラーメンは4月末で閉店し東京の日本橋に新しく店を構えるそうだ。それはとてもすばらしいことだ。僕はここのラーメンはかなりおいしいと思っているのだ。
4人で店長を激励した。広島の文化を考えたい、そしてそれを発信していきたい。そういう想いを話していた4人だったから、店長にはなんとしても頑張って欲しいと、やっぱり思うのだった。
でも、きっと周りから見たら、たんなるほろ酔いでいい気分になった人たちに見えたのだろう。誰一人として飲酒していなかったのだけれど。

2004年3月23日(火) 誰のための復興支援なのか

TVニュースでイラクの復興支援に派遣された自衛隊や米国の軍隊のことをやっていた。バグダッド大学の学生が、軍隊は占領軍だ、治安はむしろ悪くなっているなどといっている模様が流れた。ニュースソースとしては実に興味深い。しかしこれも都合のよい演出のように思えて仕方がない。
それでも僕は復興支援には懐疑的だ。それは自衛隊でもNPOでも同じことだ。NPOなら安く済んで武装もしていないからいいというわけではない。武装なんて戦い始めたらいくらでもできることだ。
復興支援をイラクの人々が望んでいるかどうか、がアヤシイと感じることがある。復興支援を叫んだのはイラクではなくあめりかだというところに、根本的な問題があるのではないか。実は誰も助けを求めたいなかったということかもしれない。ニュースを見ながらそう思った。

2004年3月25日(木) BankArt1929

出張のついでに横浜にいってきた。初めてみなとみらい線に乗った。馬車道駅は、モスクワの地下鉄の駅のように、芸術的で広々とした空間だった。プラットホームでは掃除のスタッフが、掃除機を肩からさげて掃除をしていた。ほうきではなく掃除機なのだ。社会はやはりどんどん変わっていく。
その馬車道駅の真上にある二つの象徴的な建物がBankArt1929の会場である。現代美術や舞台芸術と、たまたま両方とも1929年に建てられた近代の銀行建築と、そして横浜を中心とした市民の間での、実験的な取り組みが始まろうとしている。前向きなところに前向きな人たちは集まるのだ。
BankArt1929

2004年3月27日(土) アルミホイールを洗う

裏山の桜も咲いたので、タイヤをスタッドレスからノーマルに戻した。自分でやってもいいのだが、クルマの足回りはプロに任せることにしている。これはビートルに乗っていたときからそうだ。
ノーマルタイヤは、買ってから500kmしか走っていない。それで放っておいたのだが、アルミホイールはブレーキダストでとっても汚れていた。ビニールに入っていたので気がつかなかった。
そしてスタッドレスのほうのホイールもとても汚れていた。とりあえずクリーナーを吹き付けてぬぐっておいた。あらかたの汚れは取れたが、ピカピカというほどではなかった。
日頃自分の身を預けているホイールに感謝して、次の冬まで物置にしまった。

2004年3月29日(月) ダイヤモンドシティ

矢賀にできたダイヤモンドシティという大型のショッピングモールにいってきた。確かになかなか大きかった。例によって広島初出店のお店もあるようなのだが、よく東京に帰っているためか、新鮮な感じはあまりしなかった。
そうはいっても、夜10時までお店が開いていること、レストランは11時までやってるというのは、これまで夜が早かった広島では実にありがたい。この調子では、中心部に遊びに行った後でも、出かけてしまいそうだ。これは危険だ。寝る時間が遅くなってしまう。
住友林業の筑波研究所で、秀吉が愛でた桜のクローンが花を咲かせたという。その秘訣は、冬を経験しないと、バラは花をつけない、ということ。なるほど、と思った。

2004年3月31日(水) 夜桜観賞

夕食を食べた後に、近所の土手を散歩した。桜は満開だった。しかし日が落ちてからは急激に気温が下がって、風が吹いているわけでもないのに、ポケットから手が出せないくらいだった。もちろん花見をしている人たちがいたのだが、とても寒そうで、まるで我慢大会だった。
桜は夜空に向かって華やかに咲いていた。明日には新入社員を迎えての歓迎会があるところも多いのだろう。今晩はちょうどそのリハーサルのようだった。嵐の前の静けさという感じかもしれない。
このたった一週間のために一年を過ごしそして冬を越えて葉よりも早く花をつける桜が、僕はとてもいいと思う。

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written by hikizo
Akiary v.0.51