くんくん日記
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2004年8月3日(火) 情報デザインを語る
講義の一環で、情報デザインについて講演を頼まれた。
情報デザインを語るのに、プレゼンテーションが言い訳のしようもないので、直前まで悩んでばかりで手つかずだった。結局 less is more ということを念頭に置いたシンプルなものにした。あまり情報デザインの実際的な話をせずに、僕が情報デザインに目覚めたきっかけと、研究者になるまでの道程について話をした。
出来映えをセンスの良し悪しでかたづけるのではなく、また研究者をエリート扱いするのでもないこと、そして、学生時代に出会った本や友人が大きな結果となったことを伝えたかった。僕が学生の頃はインターネットは研究のためのものだったし、ウェブはなかったし、情報デザインなんて「なんじゃそりゃ」でしかなかった。だからそのためになにかやってきたわけではない。好奇心で道を開拓してきたようなものだ。それはこれからの時代もかわらない。プロジェクトXを過去の物語で片づけてはいけないのだ。
2004年8月5日(木) 街を音楽で満たす
平和芸術週間といって、町中を音楽で満たす試みを手伝った。交通整理をしたり募金を手伝ったりとそんなことだ。交通整理を他の人たちが手伝ってくれなかったのは意外だった。
天気もよかったし、特にアンデルセンの前でやった演奏は人だかりがすごかった。アンデルセンのイメージと音楽がマッチしていたのだろう。音楽だけでも街のイメージは変わる。もっともっと豊かさとはどういうものか考える機会を持つことは大切だ。
手伝って解ったのは、それと平和を結びつけることに僕が疑問を抱いていることだ。こういう豊かさは、運動でも料理でも睡眠でも性行為でも満たされるものだ。その全てを芸術ということもできるが、僕はそういうのが平和かどうかわからない。たぶんそういうのを他人よりよいものを求めるために、争うこともあるのだ。
2004年8月9日(月) ボランティアであること
先週に引き続き、平和芸術週間のイベントを手伝った。今回はホールでのコンサートだ。
ボランティアでの参加だから気軽といえば気軽だが、仕事はきつかった。この前考えたように僕は芸術と平和を結びつけることについて、もう一度考え直したいと思っているので、来年は参加しないつもりだ。それを気軽にいえるのが、ボランティアのよいところだ。
今年はよい経験をさせてもらった。それに見合う協力もしたつもりだ。来年は自分のことを少し見つめ直したい。そう強く思った。
2004年8月10日(火) かみなりはおそろしい
地学の先生と私が雷をこわがっていた
学生は稲光に興奮して、携帯電話で実況中継していた。稲光によろこぶなんて、大学生も大人に見えるけれどまだまだ子供だ。そういいながら、地学の先生と僕は、雷の怖さを感じていた。
僕が小学5年のとき、杉並区の上井草にある都営プールに友達と泳ぎに行ったときのこと。そこのプールは50円で50mプールが利用できる数少ない施設だった。なんとなく遠くに雨雲が見える明るい曇りの日だった。休憩中に、フェンスの向こうで行われている野球を観ていた。審判もいるわりとちゃんとした試合だった。その直後、僕が泳いでいるときに、轟音とともに目の前が真っ白になった。次の瞬間には僕らはプールからあがるように指示され、帰宅させられた。審判の帽子の金具に落雷があったと知ったのは、帰宅してからであった。
僕が雷にうたれていてもおかしくない状況だった。
2004年8月11日(水) お茶を食べる
食の安全
あたりまえのこと
2004年8月13日(金) アテネオリンピック
2004年8月14日(土) 宮島の花火大会
山に響く轟音。水中花火と打ち上げ花火がつぎつぎと打ち上げられた。
すごい人手で宮島口の駅で積み残しがでるというほど。人手が多いのと、交通手段の脆弱さの両方に問題があると思うが、それにしても35万人というのはすごい。
そうびくびくしながら、しかし夫婦で浴衣を着て出かけた。行きの電車に乗る前から、すこし気分が優れなかったのだが、座ることができたのでそのまま宮島口に向かった。
宮島に渡るか迷ったが、松代連絡船のほうは並ばずに乗れそうだったので、とにかく渡ってみることにした。渡ったところはすごい人手であった。帰り道のことを考え、宇品行きの高速艇の乗り場を見ておくために、人々と反対方向に向かうと、そこにも花火の見物客がいた。高速艇の桟橋にも見物客がいて、よく見えそうだったので、僕らもそこにいたのだが、それが正解だったみたいだ。
帰りは高速艇で宇品に向かった。終わる前から並んでいたから、すぐに乗ることができた。とっても得した気分で、Jカフェによって帰宅した。
35万人で5000発。70人に一発。竹原の花火は4000発で15000人だ。4人に一発の計算。こういう計算もおもしろい。
2004年8月19日(木) またまた台風
今年は本当に台風がよく日本に来る。東からアプローチしてきて、伊豆諸島から南紀白浜沖を経て、高知県に上陸した後、広島に再上陸なんていうのもすごかった。それに比べると今回はオーソドックスな台風だった。九州の西をぐるっと回って日本海を北上し、東北から北海道に上陸というルートだ。日本海を通っているのに、広島はなかなかの強風だった。そして、月を観測したいのに、いつまでたっても雲が消えない。実は困っている。
2004年8月21日(土) 学会@岡山
広島からだと岡山は出張という感じがしない。東京でいうと大宮ぐらいな感じだろうか。
学会に参加していて、司会者が語尾をはっきりいうのが気になった。〜です、の「す」をちゃんと発音するのだ。その人の特徴なのかと思ったが、別の部屋の司会者もそうだった。岡山ってそういう発音が主流なのだろうか。
帰りは岡山から、ひかりレールスターで帰った。土曜日の夕方のせいか、自由席は満員だった。僕はあまり新幹線を利用しないのだが、新幹線って山陽本線よりも市内電車よりも混んでいると感じた。なんでこんなに移動しないといけないのだろう。不思議だ。どうでもいいことだけど。
2004年8月23日(月) 女子マラソン
野口みづきが金メダルをとった。マラトンからアテネのパナシナイコスタジアムまでを走る、オリジナルのマラソンコースだ。高橋尚子が代表から外れて、今回のランナーは相当プレッシャーがあっただろう。それをはねのけての金メダルだ。すごい。
スポーツや文化が必ずしも優遇されていない日本なのに、今回のメダルラッシュはどういうわけだろう。日本人の精神力が強くなった、というだけではないと思う。
2004年8月26日(木) 研究仲間
研究仲間と、受託元との会議に出席した。終わった後「我々、いいコンビになってきたねぇ」といわれた。研究仲間って簡単に得られるものじゃない。こういう出会いはとても貴重なのだ。うれしい。
2004年8月27日(金) 月がでた
ずっと待っていた月がでた。
大学の天文台にある50cmの反射望遠鏡にハイビジョンカメラを取り付けて月を収録し、それをハイビジョンのまま教材として使うとどうか、というテーマに取り組んでいるのだが、肝心の月がでなかったのだ。出ても短時間でピントがあわなかったり、満月に近かったりが続いていたのだが、今晩月齢12日で観測できた。
ハイビジョンで撮った月の映像は、すごかった。接眼レンズを直接覗くよりもディテールがはっきりと見えた。これはこれまでの標準画質のビデオでは得られなかったことだ。ちょうど、接眼レンズの小さい画像を顕微鏡で拡大して見ているような状態だ。
初めてみたすごい月だった。
2004年8月28日(土) 銀メダル
シンクロの団体の演技を観た。日本の演技は素晴らしかったが、やはりロシアは格が違った。観ていてそれが解るほどだった。
どんなに厳しい練習でも、世界のトップで競うなんて光栄なことなのだから、と引っ張ってきたコーチも引退するらしい。四半世紀もチームを引っ張ってきたことはすごいことだ。
メダルはなぜ3位までなのだろう。金メダルは文句なく嬉しいが、銀メダルや銅メダルには素直に喜べないものがあるようだ。2位や3位って名誉だが哀しいポジションなのだ。¥
2004年8月29日(日) 調和とはぶつかり合うこと
調和とはぶつかり合うことだ。お互いがぶつかり合うことで、閉ざされていたものが開かれる。
岡本太郎が万国博覧会の仕事を引き受けるときに、万博のテーマだった繁栄と調和というのが気に入らなかったらしい。産業的なものがコピーのように並ぶだろうと予想し、それを壊すために、太陽の像をつくった。それが人々の心をうったのだ。
僕はよく人とぶつかる。権威にしがみついている人にこそぶつかるべきだと思っている。やはりぶつかり続けていくことが大切なのだ。
台風16号が近づいている。相当に大型の台風らしい。
2004年8月30日(月) 自宅と台風
台風16号に直撃された。熊本から豊後水道に抜け、岩国からこちらにやってきた。僕は職場を午後3時に出て、風雨が強まる中なんとか高速道路を通って帰ってきた。風速30mだと、橋の上で停まっているクルマの中にいるだけでも怖いものだ。
でも自分のうちにいると、なぜだか安心する。あとはテレビを観ながら台風がすぎるのを待つのみだ。交通機関も全て止まってしまった。タクシーはすごい列らしい。そして台風には直撃されているのに、雨も風もむしろ弱まっている。実はこれが台風の目のようだ。
台風の次の日は、街が洗濯機にかけられたようで、清々しい。それが楽しみだ。