くんくん日記
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2004年12月1日(水) 羽田空港の第2ターミナル
たまたま東京出張が入ったので、開港初日の羽田空港第二ターミナルにいってきた。夕方の構内は見学客やTVカメラ、初日対応のお店のスタッフなどでごった返していた。地方都市に暮らして4年目にもなると、人ごみで疲れてしまう。困ったものだ。
ターミナル2には新しいお店が数多く入っている。飛行機が見える展望台も売りのようだ。
ドメスティックの空港は、なんといってもまず基本的な機能が求められる。天井が高く広々としているのは第1ターミナルと同じだが、人の流れは不必要に交錯しているように感じた。単に慣れていないだけのことだろうか。
そういう僕も、しっかり展望デッキで見慣れた全日空の飛行機を眺め、松崎煎餅の売り場を探し求めて、出発フロアーをうろうろと彷徨ってしまった。
2004年12月1日(水) 僕のやりたい仕事
今日は酒井さんが羽田の第二ターミナルまで送ってくれた。開業初日は見学客とメディアと、多くの様子を見に来たスタッフなどたくさんの人々でごった返していた。セキュリティゲートを通ったら、そこから先は空いていた。ゲートの外は本当に混んでいた。人の流れが今一つスムーズではない。人が固まってしまうところと、そうでないところにむらがある。あまり計算されていないように感じた。
僕はいつまでいまの職場にいるのかよくわからない。大学教員というものには任期があるし、いつまでも東京を離れているわけにもいかない。かといって、具体的にどこかの企業や大学とのお話があるわけでもない。
こういう状況は不安といえば不安である。いまの日本の状態は僕に限らず皆がそういう状態なのだろう。そしてそれを皆がおそれるあまり、組織にしがみつく人が多くなっているのだ。日本経済がサービス業にシフトしているのに、従業員は目の前のお客さんよりも自分の上司や組織を見て仕事をしてしまっている。こんなんで日本がサービス業大国になれるとはとても思えない。
他人に頼られる、自分にしかできないことを少しずつ増やして行くしかない。僕は、いまそれを見いだしつつある。決め付けることはないのだが、そういうものを少しずつ形にしていくことは大切だ。
地図、都市のイメージ、観光情報、情報空間デザイン、歴史的景観、文化遺産と博物館空間とメディア、メディア論。そういったことをトータルに考えていく。手を広げすぎではない。これらは全て一つの方向を向いているのだ。
それを自分がどのような立場で展開していくのか、それが一番の問題だ。
2004年12月3日(金) talby
携帯電話を新しくした。もともとストレートタイプが好きだったのだが、この数年は折り畳み型のものを続けて使っていた。今回はtalbyというちょっとよいストレートタイプが出たのと、ポイントやらなにやらで意外と安く購入できることが解って、さっさと購入してしまった。もう10年間携帯電話を使っているが、確かにもう5機種目だ。PHSも4機種使っていたから、やっぱり携帯電話市場ってすごい。
2年の進化はすごい。画面も見やすいし、軽くて薄くて高性能になっている。新しい電話機に情報が登録されるまでの一時間、僕と妻は街で他の用事をすました。携帯電話を所有しない空白の一時間だ。
携帯電話を持っていないと、最初のうちは不安だ。家内と行動を共にしないと離ればなれになったら連絡が付かない、とか、誰かから連絡が入ってきているんじゃないか、とか。そういういうことだ。
しかし、実は気がつくと予定の一時間を過ぎて、2時間近く経ってから電話を受け取りにいった。
そのころには電話のない生活に慣れていた。携帯電話なんか意識しないで、我々はCDを選び、本屋で落ち合い、おいしいラーメンを食べていたのだった。
2004年12月5日(日) ゲームやの不思議
何度かいったことのあるボードゲームやカードゲームを売っている店がある。ビルの一階の奥にあって、店の中には無数のゲームが(整理されてとはいい難い状況で)置いてある。
秋葉原なんかにいくと、こういう店は何件もある。おたくとか、マニアとかの一言で片付けられる店だ。僕はあまりそういう店に近寄らないのだが、地方都市だとこういうお店に行かないと手に入れられないものがある。
今日も、子供でも遊べるヨーロッパのボードゲームやカードゲームを探しにいった。この店の品揃えはなかなか侮れないのである。
今日も怪しげな店長がむかえてくれた。家内のリクエストにさっと応えて、我々が欲していたカードゲームがいくつも机の上に(正確には机の上にある書類やゲームの上に)置かれた。大したものである。
これはこの前もお奨めしたけど、とタイルゲームを出してきたときには驚いた。確かに前回もみたゲームだったからだ。しかし前回って一年近く前の話だぞ。そんなに珍しい種類の客なのだろうか。
そして、この店長の奨めるゲームというのが、どれも素晴らしいのだ。こうして、アヤシいとかいって置きながら今日もたくさんゲームを購入してしまった。
2004年12月9日(木) 戌の日
家内が妊婦になるまで知らなかったのだが、安産祈願にはいくつかのイベントがある。その一つが妊娠5ヶ月での犬の日の祈願である。我が家はこういうイベントが大好きなのだ。今日が戌の日だったので仕事の合間に時間をとって、妻と待ち合わせをして広島護国神社に祈願にでかけた。
2004年12月11日(土) 双子ザウルス
家内の友人夫婦が我が家に遊びに来てくれた。1歳2ヶ月の双子の女の子にとって初めての、お客さんとしての外出だったらしい。我が家を選んでくれて光栄である。
残念なことに僕は今日は仕事で会議があって、最後の30分ぐらいしか合うことができなかった。僕が帰宅したとき、双子の女の子とが我が家の中をうろうろと歩いている様子は、僕にとってなんかとてもうれしかった。僕がこどものころから双子というものには、不思議なあこがれがあるのである。それが小さいこどもであれば、可愛さ百倍である。
我が家が来年5月に出産予定であるが、そのことを彼らはとても祝福してくれた。他人におめでとうといわれることはとても嬉しい。そして彼らは本当に自分たちのように祝福してくれているのが伝わって、僕はとてもうれしかった。
2004年12月12日(日) パパママスクール
最近は出産前の話題ばかりだ。生まれる前から生活のペースが赤ちゃんを中心にまわるものなのだと感じる。
友人に紹介されて、区役所のパパママ講座にでかけた。日曜日の朝10時。会場には40組の妊婦カップルが集まった。机の上には全部で20体の赤ちゃん人形。なかなか精悍である。初めての父親としての研修なので、特に男親はぎこちない。年齢も格好も様々だ。こうやって並ぶと、夫婦というものはだんだんと似てくるものだと感じられる。
子供が罪を犯したら、子供を怒るよりも、謝り方を学ばせるべく、父親自ら土下座しにいく。子供を育てると云うことの難しさを改めて感じさせられた。
2004年12月15日(水) 新撰組とTVの力
今年は大河ドラマが新撰組だったこともあり、近藤勇や土方歳三の人生を紹介した番組がときどき見られる。
彼らが自らの信念を貫き、最後には新政府軍に破れて果てるという話は昔から変わらない。こういうのを見ると薩摩や長州が裏工作をして幕府を倒した悪人のように見える。榎本武揚なんか、最後まで幕府軍として戦っておきながら、明治政府の役人になっている。歴史の一面だけを見させられているからこういうことになるのだ。
新撰組は若者の集まりだからそれだけでも物語はおもしろい。武士にあこがれて剣術を磨き、幕府のために働くことに喜びを感じる若者たち。これまでそういう彼らを批判的に見ることはなかった。でももしかしたら、彼らは単に武士になりたくて、武士という制度を守りたくて、武士という文化を守りたくて、戦ったのではないかと思うようになってきた。
大河ドラマは視聴率が低迷を続けているようだ。そんな中今年の33回で山上敬介が自害する回だけは、アンコールの要望が多く、年末の総集編の後に異例の再放送をするらしい。
メディアの講義で、僕は大河ドラマのカメラワークを学生に説明して、カメラワークと演出のあり方について考えさせるようにしている。今年の山上啓介役は、確かに演技がうまかった。
新撰組の生き様がどうであろうと、僕は山上啓介にはとても親しみを覚えたのだ。これもテレビの力なのだろう。
2004年12月17日(金) 震災復興祈念館
両国に泊まった。初めて両国の街を歩いたかもしれない。背の高いホテルの隣にはさらに背の高いオフィスビル。そして国技館と江戸東京博物館。その陰に隠れるように、旧安田庭園と震災復興記念館がある。国技館も江戸東京博物館もホテルもオフィスビルも、新しい建築物だ。この街が次々と世代交代していくさまがよくわかる。18階のホテルの窓からみえる景色は、細かな路地に至るまで大小さまざまなビルディングで埋め尽くされており、民家なるものは見あたらない。昨夜ホテルの周りをあるいたが、コンビニが転々としている街だった。
2004年12月18日(土) ロシアから見た日露戦争
ロシアから見た日露戦争という番組を見た。今日の夜のNHKは総合テレビでイラク紛争の報道についての番組をやっていて、教育では日露戦争。なかなか重いテーマだが見応えのある番組で、僕はチャンネルを切り替えながら見ていた。
ロシアの皇帝ニコライ二世は自分に都合の良い家臣だけを周りにそろえ、国力を過信し、日本軍に旅順を侵略させてしまった。前線にいる軍人達の悲鳴が皇帝に届かない。劣性が伝えられてから、急ごしらえのバルチック艦隊を数ヶ月もかけて現地に送り込む。国民の不信感は高まり、敗走してきた戦士達が降り立ったシベリア鉄道の各駅では、レーニンら改革派の運動が喧伝された。
僕たちが学んできた日露戦争は、百戦錬磨の艦隊を破って大金星というイメージがあるのだが、それを大きく覆す番組だった。
帝国の終焉。軍事作戦が遂行されていなければ戦争状態ではないといえるのか。闘いは常に繰り広げられているし、闘わなくなったときが終焉なのかもしれない。闘いにもいろいろある。常に自らを鍛錬し、状況を的確に把握し、国力を保ち、国民の信頼を得続けることも闘いかもしれない。
日本は、北朝鮮ととても危険な状況にある。経済制裁は国力の行使だ。戦争は始めることは容易だが、収めることは困難を極める。アメリカに同調してイラクに派兵している日本は国際的にも孤立するかもしれない。
我々は闘うエネルギーを持て余しているのだろうか。戦争だけが闘いではない。
2004年12月18日(土) ブラニフエアライン
床屋に行ったついでに、パルコで開催されているブラニフエアラインの展示会に行って来た。1960年代から80年代にかけて、航空業界にデザインという新しい流れをつくったブラニフエアラインの、グッズや写真が集められていた。
CIとかデザイン○○とかが叫ばれる前から、退屈しない飛行機を演出し、乗務員の服や鞄、客室やチケットホルダーやタグまでデザインしてしまう姿勢は、とても参考になる。
特に僕の目を奪ったのは機内で配布されたトランプだ。一枚ずつに可愛い絵が描いてあって、英語とスペイン語とポルトガル語が書いてあるというもの。こういうのっていいなぁと思ったら、ちゃんと販売されていた。トランプに2400円は高いと思ったが、53枚入りのカードと思えば安いと、都合のよい解釈をして購入。うれしい。
2004年12月26日(日) いつもの場所で祝福を
早めの年末休暇を取って東京に移動した。今日は妻の誕生日である。今回は例年とは趣向を変え、銀座のホテルに明後日まで滞在することにした。
夕食は帝劇の地下にある香味屋。妻と初めて食事をした場所でもある。ここのコンソメスープは、いつも変わらずじんわりとさせてくれる。
今回初めて食べたビーフカツレツは感動的なおいしさだった。お店の方の好意で小さなケーキを出してもらった。そういう小さな心配りもうれしい。そして僕にとってのいつもの場所は、これからもいつもの場所であり続ける。
2004年12月27日(月) ホテルモントレラスール
昨日から銀座のホテルモントレラスールというところに泊まっている。銀座の表通りから一本入ると意外と静かなものだ。昨日はホテル西洋でお茶をした。ほうじ茶ミルクティが大変おいしかった。
ここのホテルは部屋は広くないけれど必要十分なスペースだ。水回りもきれいにしてあるし、ルームサービスがないぶん料金も安い。緑色に塗られた壁は、世田谷の上町に住んでいた頃を思い出させて、僕にはとても懐かしい。
立地上仕方がないのかもしれないが、部屋の窓は鍵がかかっていて開けることができない。お風呂の換気がなくて、長く入っているとのぼせてしまう。その二つが数少ない難点である。
そういうわけで、しばらくここに泊まることがおおいだろう。