くんくん日記

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2005年1月2日(日) 明治神宮・大雪の名残・偽札

毎年恒例の初詣に明治神宮に行った。21年ぶりに大晦日に大雪が降った影響からか、明治神宮は例年になく混んでいた。いつもはせいぜい30分しか並ばないところに1時間半も並んでしまった。天気が良くて暖かかったが、それでも足下から冷えてしまった。これだけ並んだんだから御利益も大きいだろうと、勝手なことを考えてしまった。
今日は自分の実家から家内の実家に移動した。途中で明治神宮に寄り、そのあと友人宅に顔を出した。5才と2才の女の子が遊びに来ていた。もう素晴らしく元気がよくて僕は父親になれるか、すこし自信を失ってしまった。
家内の実家に着くと、初詣で偽札が見つかったというニュースをやっていた。お賽銭にお金以外のものを入れると罪になるのではないだろうが、偽札を製造したことは罪になるだろう。それにしても罰当たりなことをする人がいるものだ。

2005年1月4日(火) 科学館はおもしろい

上野の科学博物館に行った。PDAの案内システムと、ICカードを用いた建学履歴システムを見たかったからだ。地上3階地下3階の新館を上から見始めたのだが、3階のほ乳類の剥製の展示のところで「これは予想外におもしろい」と思った。そして結果として一番おもしろくないと予想していた地下3階のエネルギーや元素の展示まで、とてもおもしろく楽しんでしまった。
PDAの案内システムは秀逸だった。赤外線で位置が検知されるそのタイミングも実によい。ぴろーんというシステムの音に立ち止まると、すぐよこの展示の説明が聴けるのである。そしてそれが単なる解説ではなく、アナウンサーと学芸員の対話形式で実に楽しい。ICカードが子ども達にとって単なるスタンプラリー化していたのとは対照的であった。
国立科学博物館

2005年1月6日(木) 23時間56分(天網の会)

星空シミュレータで、23時間56分ごとに描画する。恒星を停めて惑星だけを動かすことができる。そんなこと考えたこともなかった。
岡山県の鴨方高校で行われた天網の会に出席した。天網の会とは、天文とネットワークのそれぞれの研究者が集う会で、今回は特に広島大学に移設される望遠鏡がテーマだった。
天文の世界は僕も無縁ではないし、ネットワークメディアは今の研究分野でもあるので、聞いていて楽しい。物理や天文の分野が持っている、身分を超えてフランクに意見を言える環境を久しぶりに感じた。
必要な機器やプログラムを自分たちで作ってしまう天文屋のパワーに、同行してくれた情報通信の先生は驚いていた。忘れかけていたそういうパワーを思い出させられた。

2005年1月8日(土) プール

久しぶりにプールで泳いだ。今年はまずは基礎体力を付けることを目標にしている。
金曜日の夜8時にもなるとプールは空いている。だいたい1コースに二人ぐらいだ。真冬のこの時期でもプールは暖かくて気持ちがよい。
準備運動をして、日頃使わない筋肉が動くことを一つ一つ確認しながら、ゆっくりとストロークをしていく。日頃どれだけ体を動かしていないかがよく解る。それを一つ一つほぐしながら泳いでいく。
50mを6本ぐらい泳いだところで今日はおしまい。一度に頑張ってはいけない。じっくり続けていきたい。
家に帰っても体が暖かかった。体を動かすと体内の温度が上がるということ、そして自分の体が冷え切っていたことに、改めて気がつかされたのであった。

2005年1月9日(日) 鉄道員(ぽっぽや)

TVで鉄道員(ぽっぽや)という映画をやっていた。一度見たことがあるが、雪の中を走る気動車のオープニングを観たら消せなくなって見続けてしまった。一人で観ている気楽さも手伝い、後半は感極まって声をあげて涙してしまった。こんなこと始めてかもしれない。
僕は子どもの頃、鉄道会社で働くことに憧れていた。人と物を運ぶ。社会のシステムを責任を持って動かし続ける。そういう職業に憧れていた。
D51やC62を走らせることで、日本が復興していくのだ。そういう気概で彼らは石炭をくべ、煤やガス、暑さや雪と戦い、人と物を運んだ。国の復興のために、自らができることを精一杯やる。それが職業というものだ。
同じ原作者のシェエラザードという小説を寝床で読んだ。現代の日本は、良心やこだわりというものを失っている。ただのファッションでしかない。

2005年1月15日(土) 昔ながら

三田の慶応義塾大学にいったあと、東京駅で前の会社の上司と仕事の話をした。東京は僕にとって故郷だ。今回も感じたが、東京にいると僕はとても生き生きとしている。人が多くて空気が悪い。混雑だって気持ちいいものではない。それでも僕は東京という空間で、より生き生きとすることができる。単に故郷だからだろうか。
それは東京にはたくさんの刺激があるからだと思う。自分を奮い立たせるだけの様々な事象があるからだと思う。コンプレックスなんかなくて、とにかく成長しようと感じさせる何かがあるからだと思う。そして偉大な友人や知人たちがいるからだと思う。
東京で行くお店は、いつも昔から知っている店だ。僕にとって食事をするところとはそういうところなのだ。新しいスポットにある、知名度の高いブランドもののレストランなんか堅苦しくて落ち着かない。広島にいる僕はそういう「昔ながら」がまだ少ないだけかもしれない。
いつもいく床屋さん、牡蠣を買いにいく直売店、イタリアレストランなどなど。少しずつだけど時間が経つと「昔ながら」になっていることに気がついた。

2005年1月18日(火) おさいふケータイ

昨年末にお財布ケータイの登録数が100万台を超えた。ときどき持っている人を見かけるが、使っている人が少ないので、100万という数字には驚いてしまった。
felicaに代表される13.56MHz帯のRFIDカードは、パッシブタイプのICカードしてどんどん普及しているようだ。僕もそうだが、カードは財布かカード入れにまとめていれておくことが多い。大学で実験用に使っている別のRFIDとsuicaが一緒に入っていると、そのままではsuicaで改札口を通れないのだ。お財布の限界か。
お財布ケータイは、ものめずらしさよりもその課題をクリアするのに適している。お財布ケータイには、多くのRFIDのカード情報を付加することができる。しかも多くのカードとともにしまい込んでしまうことは、ほとんどない。
お財布というからお金の機能ばかりイメージしてしまうと、ドコモの担当者がお財布ケータイというネーミングを気にしていた。お財布に入っているのはお金ばかりじゃありません。カードもお守りもレシートも入ってます。といったら妙に納得してくれた。しかし実際には僕の方こそ、今日実機をみてお財布ケータイの将来性を実感させてもらったのだった。

2005年1月19日(水) ちんちん

生まれる前から、子どものペースにはまっている。どうやら男の子らしい。
僕はどういうわけか、なんとなく男の子だという確信があった。特に男の子が欲しかった訳ではないが、男の子と聞いて、思った通りだと思った。これでプラレールやレゴで遊べる。
性別が判ると、いっきに具体的になってきた気がする。のんびりしている場合ではなさそうだ。

2005年1月21日(金) aprica

7ヶ月にもなると妻のお腹もだいぶおおきくなってきた。そろそろ身の回りの準備をしないといけないのではないかと、アカチャンホンポにでかけた。
これまでにも何度か行ったことがあるのだが、やはり赤ちゃんのことが具体的になると見る目がかわるらしい。これまで気がつかなかった多様な品揃えだった。実は5月までもうセールがないかもしれないと思って、ベビーカーやチャイルドシートを見に行ったのだが、それほど慌てる必要もないと判ったのが一番の収穫だった。
他人の話を聞いて現物をみると、ものの善し悪しがよくわかる。なるほど。
今日気に入ったのは、apricaのチャイルドシートとベビーカー。今日は見るだけだった。定価じゃとても買えないけれど、意外と安くなるものらしい。
しかし、ものは増える一方だ。とりあえず自分たちのものを半分に減らさないといけない。

2005年1月22日(土) クラコジア

映画ターミナルを見た。空港で暮らすことになってしまった男の物語だ。僕は一度ロンドンのヒースロー空港で夜を明かしたこともあるし、フランクフルトの空港で8時間もトランジットしたこともある。10年ほど前には成田空港の一部の業務について業務効率化の分析を2年間担当した。だからこそ空港を舞台とした映画にはとても興味があった。そしてこの映画はなかなかコミカルな楽しい映画だった。
人は誰でも何かを"待ち続けている"。
他人から見れば、たとえそれが些細なことであっても・・・。
しかし、時に人はその"何か"を見失ってしまうことがある。
トムハンクスは実はロシア人なんじゃないかと思うほど、英語がたどたどしくてよかった。
ヒロイン役のキャサリン・ゼータ・ジョーンズという人の悪女的なのだけれど寂しさをもつ役柄が僕には魅力的に映った。
なんだか、海外旅行に行きたくなった。続いてTAXI NYを見ようかと思ったが、深夜だったので、短いミッドナイトドライブを楽しんで帰宅したのだった。BGMはもちろんJAZZ。
ターミナル公式サイト

2005年1月23日(日) 空からJ-wave

J-waveがどうしてもききたくなった。P-stationで再送信されているのだけれど、肝心なところで別の番組が始まってしまうのである。以前スカパーの設備があれば無料で受信できると聞いたことがあったので、いろいろ調べてみたら、2004年の9月末でその放送がなくなってしまったそうだ。いま地方都市でJ-waveをきくためには、同軸でも衛星でもU-senのチャンネルとして聴くことしかなく、月額3000円以上の支払いというのは、ちょっとラジオを聴くだけには高い。
結局我慢することにした。でもスカパーの機器で聴いていたら、いまごろ無駄な機器が増えていたのだろう。

2005年1月23日(日) SONY Metal365 CFS-10

中学生の頃、ステレオのラジカセが大ブームだった。機能満載の機種が多い中で、僕はソニーのメタル365という、最低限の機能だけがついた、しかし基本性能のしっかりとしたラジカセがとても好きだった。
実はいま、カセットテープを聴く必要がでてきて、ラジカセを探している。どういうわけか一昨年新車で購入したマイカーにはカセットプレーヤーがついているのだが、自宅にはもうかれこれ10年カセットテープを聴ける環境がない。それでラジカセをということになったのだ。
しかし、コンパクトでデザインがよく、そしておそらく音質のよいステレオラジカセというものは、CD付やMD付を含めても見当たらない。なぜもの作りの人々はデザインを放棄した製品をつくってしまうのだろう。
オークションでメタル365をみつけた。欲しいけど、悩む。

2005年1月29日(土) 積極的孤独

読売新聞に、創造学園大学の孤独学ゼミの話が載っていた。孤独が惨めで寂しい否定的なものと捉えられている。これは組織を重んじ、協調を求める日本の「孤独」であって、個を重視する欧米では孤独に対する考え方も多様だそうだ。消極的な孤独はロンリネス、積極的な孤独はソリチュード。「ひとり」の意味を考え直す機会は、大切だ。

インターネットやメディアの特性、特に子どもの影響を考える上で、孤独というキーワードは重要だ。テレビや書籍や漫画は積極的に孤独を楽しむメディアだ。電話は孤独なときにそれを解消するメディアだ。インターネットは、書籍のように調べ物をする、積極的なメディアであることもある。孤独を解消するために仲間との繋がりを確認し、それを保つためのメディアでもある。
バーチャルな空間で、消極的孤独を感じると、どんどん病的になっていくだろう。
和を重んじると同時に、個を尊ぶのが聖徳太子の17条の憲法の精神だ。日本は積極的な孤独が欠けている。積極的な孤独は、強いリーダーシップを生むのだ。
一人は恥ずかしくも惨めでもない。孤独は人間の成長に欠かせないものなのだ。

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written by hikizo
Akiary v.0.51