くんくん日記
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2005年3月2日(水) 胃は呼ぶ
観光に食べ物は大切だ。食べることなくその土地を知るだけなら、短い時間でもきっとなんとかなってしまう。食事をすることで、その土地を感じることもあるし、食事の前とは違うその土地の景色が見えてくることもある。食事をしたあとは、ものごとをのんびりと眺めることができるようだ。
そういう時間を持つためにも、食事のクオリティは重要だ。そんな話をしていたら、家内が一言「胃は呼ぶよ」。名言であった。
2005年3月4日(金) コミュニケーション
ウカツにも飛行機の中で感動して泣いてしまった。
僕は毎月一度は飛行機に乗るので、だいたい機内での過ごし方は、うとうとしたり考え事をしたり、小さなPC(HPのjorunada720というちょっと昔のキーボード付きPDAがいまでも一番のお気に入りなのだ)に仕事の文章や日記を入力したり、そんな感じだ。音楽が聞きたければiPodで好きなものを聴く。だから機内サービスの音楽やムービーなんてまず見ない。最初の頃は毎月落語を聞くのが楽しみだったけれど、いまはiPodでジャズだ。
今回は違った。ドリンクサービスが始まってしばらくしたころ、離陸前に機内誌の広告でみたIPテレビ電話がでてくるショートドラマが始まった。いつもはナビゲータが沖縄や北海道に行く番組をやっているのだけれど、今回はいま流行の(僕はそう思っている)ショートドラマだ。それになぜか見入ってしまった。
筋はこうだ。男の子と奥さんを自宅に残した単身赴任の夫がいる。そろそろ子どもの野球の試合の日がやってくる。夫は子どもにピッチングを教えると約束するが、会社の上司から重要な案件をまかされてしまい、家族のもとに帰れなくなる。しょぼくれる親子が手にしたのがIPテレビ電話。
IPテレビ電話にお父さんから電話がかかってきた。怪訝な顔をしてそれに向かう息子。お父さんが息子にピッチングフォームを教える。IPテレビ電話だから伝わる。親子共々うれしそうだ。
こういう、もうベタベタの宣伝ドラマなのに、僕は涙をうかべてしまった。僕はこういうかけがえの無いものというのに、とても弱いらしい。飛行機というのは、スチュワーデスさん以外とは顔をあわせないような空間だから、つい気が緩んだのかもしれない。うかつだった。
2005年3月5日(土) 東京の摩天楼
Eスクエアアドバンスという研究会に出席するためにお台場に出かけた。知り合いと昼食をとった後、都心に戻るために新交通ゆりかもめに乗った。昨日まで雪が降っていたのに、今日は快晴である。雪が降った翌日は空がとてもきれいなのだ。その窓から注ぐ昼の光を浴びながら、ベイブリッジをゆりかもめはゆっくりと走る。その横をはとバスが追い越していく。
ベイブリッジからの眺めも数年で大きく変わった。左手前方には品川のビル群がまるで富士山からの風をガードするかのようにそびえ立った。右手には東京タワーが目立たなくなるほど汐留や霞ヶ関のビルがきれいにならんでいる。ニューヨークのブルックリンブリッジからの景色にも引けを取らない摩天楼だ。
あと自由の女神が足りないな、と知人が冗談をいった。でもそれも小さいのがお台場にあるのだった。東京にはもうなんでもある。
2005年3月7日(月) 科学コミュニケーション
科学コミュニケーションの研究会に出席するために和歌山大学に日帰りで行ってきた。広島からひかりレールスターと紀州路快速を乗り継いで4時間。そこからバスで30分。現地には5時間弱しかいられず、懇親会に出席できなかったのがとても残念な、とても内容の興味深い研究会だった。
科学的思考能力に劣る人々、理科が嫌いな人々、そういう区別は背の高さの違い程度の個性だと考えた方がいいように思う。でも確かにいまはそういう差がみられる。問題は個性の違いをコミュニケーションで埋めようとしていないことだし、どちらもがコンプレックスを持っていること、そして知らなくても良いと開き直ることである。知らない方が格好いいというのは、ちょうど「一生懸命が格好わるい」という風潮と似ている。日本はどこからこういう風潮が蔓延ってしまったのだろうか。これが前提だとコミュニケーションは生まれにくい。
2005年3月10日(木) ものもうす
横綱は自分から仕掛けない。相手が仕掛けてきたときに、初めて受けて立つのだ。
大義なき力は暴力だ。力なき大義は無力だ。米国には今、力も大義もある。だからこそ、国際協調を追求すべきだ。
日本には昔、将軍と天皇がいた。将軍は権力を持ち、天皇には権威があった。米国は今、極めて強大な力を持っているが、イラクの戦後問題は米国だけでは解決できない。国際協調のため、国連という権威を使うことが必要だ。
僕はこの今朝の新聞記事を読んで、なんだかうれしかった。こういうことをアメリカに進言することこそ、日本が世界から求められていることである。日本は過去1000年以上もの間、国際戦争をせいぜい60年しかしていないという素晴らしい歴史と文化がある。いうべきときにいうこと。これは本来当たり前のことなのだ。小泉首相がこういうことを実践していることを、国民はもっと理解するべきだ。
2005年3月10日(木) コンタックスのカメラ
今朝の日経新聞に、京セラがコンタックスブランドも含めたデジタルカメラの製造をやめるという記事が載っていた。フィルムカメラの一部は海外での需要があるので残るらしいが、それも本当にほそぼそと残る程度のようだ。
僕は大学生のときにアルバイト代を貯めてコンタックスT2というコンパクトカメラを買った。コンパクトカメラに10万円以上かけるというのは、バブル経済最盛期であっても思い切った買い物だった。バブル期だったからこそ本当の高級なものが生まれていたようにも思う。
そのカメラは一眼レフのEOSのサブカメラのつもりだったのだが、それ以来EOSの出番は極端に減ってしまった。発色の良さ、レンズの風合い、カメラの触り心地と色あせないデザイン。どれもがお気に入りだ。世界各国をT2を片手に歩き回った。
2002年を境に、デジタルカメラがメインカメラになった。300万画素以上のCCDと数日は持ち続けるバッテリーが僕には必要だった。それでも僕はコンタックスが好きで、SL-R300T*というコンパクトカメラを今も持ち続けている。このカメラはメモ用と割り切っているが、それでもデザインは現在のデジタルカメラの中でぴか一である。
そういう作り手が持ち手の満足を追求したこだわりのカメラが消えていくような気分だ。久しぶりにコンタックスT2にフィルムをいれて出かけてみようかな。
2005年3月14日(月) 耳で喰らう
職場の人の送別会を開いた。僕が幹事を任された。正確にはこの人が去ることで私だけが残ることとなった。
送別会には11人も集まった。ほとんど関係者全員が集まったことになる。その中にはいま別の大学の学長となっているM先生もいた。
M先生は別名宴会部長と呼ばれる素晴らしいスピーカーである。その先生がいった。いつも思っていることだがなぜ神様は口という部分にモノを食べる機能としゃべる機能を併せ持たせてしまったのか、私はぜひ一度神様に聞いてみたい。
僕はこういう話には、ちゃちゃを入れたくなる性分だ。そして今回もおもわずやってしまった。
先生、もし耳に食べる機能を持たせたら、我々は先生の話を食べながら聞けないんですよ。
後で聞いたら、先生は多くの人にこの話をしていたらしいが、僕の切り返しには驚いたらしい。
そんなことを参加者全員に先生が話した。先生なら耳でも食べるでしょ。瞬時に切り返した人がいた。
そうそう。そういう頭の回転の速い人々と僕は一緒に仕事をし続けたい。
2005年3月17日(木) ホテルモントレ ラ・スール銀座
この3ヶ月で5回目の滞在だ。結局毎回ここに泊まっている。理由は仕事の用事のある丸の内から歩いていける範囲であること、朝食がバイキングではないこと、立地のわりにはシングルでも16平米の広さがあること、外観がヨーロッパっぽいだけではなく、ホテルの機能や室内の色合い、調度品もヨーロッパの都市にある二つ星ホテルに似ていること、床がカーペットではなくフローリングであること、などなど。ベッドがセミダブルなのはうれしい。
僕は淡い緑色の壁がなかなか好きだ。独身の頃住んでいた世田谷区のマンションが、ちょうどそうであった。床もフローリングだった。だからきっと落ち着くのだ。
もちろんリクエストしたいこともある。窓は頼まない限りは鍵がかかっていて開けられないし、インターネット接続も自前のPHSでやるしかない。お風呂の換気は今ひとつな感じがする。デスクが狭い。などなど。
前回は最上階の12階だった。実に気持ちがよかった。今回は2階。2階もなにもかわらないだろうと思ったが、深夜早朝のクルマの音が意外と気になった。せっかくシングルが南側なのに、朝日がまともに入らないのも低層階のデメリットだ。まぁこんなこともある。これまでが良すぎたのだろう。
2005年3月18日(金) jornada 720
東京からの帰りにメールをチェックしようと、jornada720をカバンから取り出した。いつものように電源を入れると、画面が真っ白になってしまう。なんどリセットしてみても同じだ。
jornada720は2001年に購入したPDAだ。OSはwindows CE handheld 2000で、その後PDAの主流となったPocket PCに小さなキーボードが付いた機械だ。
もともと僕は小さすぎるキーボードは付いているだけ無駄だ、と思っていた。それが店先でjornada720のキーボードを冷やかしで触ってみたときに大きく変わった。この機械のキーボードだけは、小さいのにとても使いやすいのだ。
画面がタッチパネルになっているCE機の宿命か、近頃はしょっちゅうタッチパネルの初期化を行わないと、タッチの位置がズレてしまうようになっていた。それでも駆動部分がないぶんだけ、まだまだ使えると思っていた矢先のことだった。
実は、そろそろ次のをと思って、代替機を探していた。それはまだ見つかっていない。
たぶん、僕はこのjornada720を修理に出すだろう。修理代金はきっと新品のPDAより高いのだけれど。
どう壊れたのか、妻に説明しようと電源を入れたら、普通に起動した。これからも使うぞ。
2005年3月19日(土) 公園は自然ではない、はず
理科教育プロジェクトの会議に出席した。いまの理科教育の考え方が、構成主義に基づいていることが気に入らないとか、そういう話題になった。これはイカンと思っていたら、構成主義でもなんでもいいが、平等主義は困る、という結論となってほっとした。そうなのだ。構成主義は教える側の主張に過ぎないが、教育は機会を等しく提供することは必要だが、到達度を等しくすることには意味はないし、むしろマイナスなのだ。
かけっこが得意な子と、絵が得意な子を同じ到達度にしようとしたら、低い方に合わせないと収拾がつかない。得意な子どもはどんどん得意になってしまうし、苦手なものを得意にするためには、かなりのエネルギーを要する。食べ物の好き嫌いではないのだから、得意なもの好きなものをどんどん伸ばせばいいのだ。そして「やればできる」ということを学び、そしてまた学問の分野というのは便宜的な区分けに過ぎないことを知れば良いのだ。
東京には自然が少ない。公園で自然観察なんかやっている。そんなところで自然を学ぶことは容易ではないし、本当の自然をしらないまま育ってしまうのは、実はかわいそうなことだ。地方都市では本当の自然との距離が近い。もっと我々が地方都市で頑張らなければいけないのだ。
実はこの会議の後、佐古さんという作家の個展のパーティに行った。そこである先生とお会いしたのだが、僕のことを人づてに知っていて驚いた。その人は私のホームページの内容もよく覚えていてさらに驚かされた。ホームページは、その人の履歴書になりつつある。僕もしっかりと更新しないといけない。そう切に感じた。
2005年3月21日(月) 温湿度計・傘立て・お風呂ラジオ
全商品20%OFFという張り紙に、つい衝動買いしてしまった。衝動買いといっても、これまでもずっと探していた物だ。
温湿度計は、5千円ぐらいで部屋にかけておける木枠のものを探していたし、風呂の時計が壊れてしまったので、ついでだからラジオ付きのものを探していた。傘立ては...出かけるときに玄関でたまたま、もっといいのが欲しいねと話していたところだった。
なかなかいい買い物をしたと思う。いい物を買うとうれしくて、何度も見てしまう。
2005年3月27日(日) パパママスクール・家のにおい
父親になったときには母親の気持ちをもっとよく理解するべきである。そういう言葉を聞いて、パパママスクールを受講した。いろいろと参考になった。
今日は公民館に6組の夫婦が集まった。一緒の生活を続けると夫婦というものは、やはりどんどんと似てくるらしい。6組をばらばらにしてから夫婦の組み合わせを当てることができそうだった。きっと我々も似ているのだろう。
沐浴体験をさせてもらった。ベビーバスに人形を入れて石鹸をつけて洗う。お湯が温かくてリアリティがある。みんなが見ている前で沐浴を終えおしめを付けて服を着せる。こういうことを毎日やるのだ。
知人の家に招かれると、その家族特有のにおいがある。家族全体でそのにおいを作り出しているのだろう。親戚だから似たにおいがするとも限らない。においが無い家というのもほとんどない。生活臭とはまた違うなにかが感じられるのだ。
子供ができて我が家のにおいはどう変わるのだろう。いまもそうだが、それは自分ではなかなか嗅ぐことのできないにおいなのだ。
2005年3月30日(水) ホテルグランドパレス
一橋講堂で開催したシンポジウムの演出を担当した。今回の宿は銀座のいつものところではなく気分を変えて九段下のホテルグランドパレスというところにした。この立地で部屋が19平米もあって1万円ちょっとで泊まれるというのが魅力だったのだ。
インターネットで二泊分を申し込んで、友人と上野の井泉でとんかつを食べて(この間、広島で立ち話をさせてもらった店主とここでもまた話をすることができた)その後にチェックインをしたら、ツインの部屋に案内された。古さは隠せないが広々としているし、ベッドもなかなか心地よい。机上にはLANケーブルが飛び出ていて、誰でもPCさえあればインターネットにアクセスできる。試しに家内とskypeで会話してみたが、何の問題もなかった。時代はどんどん変化している。
二日目の晩は、いもやの天ぷら定食。こういうベーシックな食堂が地方都市には実に少ない。自分の故郷に戻ってきたなという感じを井泉に続きここでも感じた。でもそういいながらも、朝も晩も近くのスターバックスコーヒーに立ち寄ってしまったのだった。