くんくん日記

バックナンバー

[先月] [目次] [来月] [最新版] [トップ]

2006年2月2日(木) コンソメスープとメバル

初めてル・トリスケルのディナーに行った。0歳児を連れて行くことに気が引けていたのだが、わがままをいわせてもらった。さらにスープはコンソメスープを前もってリクエスト。僕の思い込みかもしれないけれど、こういうわがままって言われて悪い気はしないと思う。僕はフレンチレストランは、どうやらバターの香りが苦手なのだけれども、ここのお店はそういう苦手な香りもなく、気さくな感じもあって気に入っている。
コンソメスープは妻と私にとっては特別なものだ。我々にとってのコンソメスープとは東京の香味屋のものだ。それを超えるスープをトリスケルに期待していったのだが、誠に美味なのだが正直なところ別のものだった。たぶんフレンチのコンソメスープと、洋食屋のコンソメスープの違いなのだろう。
そんなことより、その後に出てきたメバルの料理は、ぷりぷりとした魚とハーブの加減が最高だった。とても幸せになれる料理だった。そのあとにはA5の和牛のステーキも出てきたのだが、それよりもメバルが今夜は主役だったな。
我が家の感性は舌に集中している。またそれもよし。

2006年2月3日(金) 満足のいく生き方

デザイナーはなぜ自分の名前を作品に描かないのですか?と学生から訊かれた。
まぁ名前を描きたがるデザイナーもいる。有名なデザイナーは、その名前だけでも商品が売れることもある。有名になりたいのか?有名だから良いのか?そこがどうやら本質だ。
有名になりたいからデザインしているんじゃない。使う人に喜んでもらいたいからデザインしているのだ。仕事というものは斯様に社会に貢献することの喜びなのだ。そのようなことを答えた。
我々の給与が下がるらしい。しかし理事の手当ては上がるらしい。どうにも納得がいかない。我々のモチベーションを下げるつもりなのか。
そんなことに怒っている僕もまた自分だ。
お金が欲しければ、もっと儲かる仕事を選んでいる。いまの仕事には喜びが大きいからこその部分があるはずだ。そうではなかったのか。
そうではないかもしれない、と感じたときにとても虚しくなる。
自分に満足のいく生き方を選ぶしかない。それはたぶんお金では買えない。

2006年2月6日(月) アジア的価値観

3月下旬にロサンゼルスに出張にいくことにした。今日は帰りの便のビジネスクラスへのアップグレードを申し込んだ。行きのプレミアムエコノミーと乗り比べてみたい。僕はたいてい後ろが壁になっている席の通路側を選ぶのだが、今回は窓側にしてみた。シートピッチが広ければトイレに出るは窓側でも容易いだろうし、僕は横を向いて眠ることが多いから片方が壁なのは都合がよいと思ったからだ。そうなると、後ろが壁の席よりも、前が壁の方がより出入りしやすいのではないかと考え、いまは最前列の左窓側にしている。
今日は生協で、ロスのガイドブックを立ち読みした。どうもロスの治安の悪さばかりが気になってしまう。
アメリカの価値観は絶対的なお金持ちを夢見るものだし、庶民もアメリカンドリームを夢見ている。香港や中国の価値観は、もちろんお金持ちもいるのだが、庶民の生活の良さを認めているし、お金持ちを風刺すらしていることが多い。僕はそういうアジア的な価値観が好きなのだろう。成功者なんていうのは、みんな違うベクトルだしそういうものはたいていの場合お金では買えないのだ。
お金で買えないものの価値を、僕らはもっともっと語り続けなければならない。

2006年2月9日(木) 山陽道のスリップ事故

午前3時半ごろに起きたスリップ事故で、山陽道下り線がいま(午後3時)になってもまだ通行止だ。700mに渡って37台の玉突き事故とのこと。いつも通る道なので写真を見たらどこだかすぐ解った。確かに緩いカーブと坂道で滑りやすいところだ。
今週は毎日のように雪がぱらついている。積雪があるときはもちろん、止んでいても凍結が怖い。こういう天候のときに、公共交通機関に頼れない地方都市の弱さを実感する。
僕は子どもの頃から乗り物が好きで、自動車も鉄道も船も飛行機もどうにも興味を持ってしまう。でも、こういう天候で自動車を運転するのは苦痛だ。それでもバスが1時間に一本しかなくて、しかもダイヤが不安定なこと、自家用車だと一日で1時間以上、通勤時間が短縮されることから、やむなく自家用車通勤を続けている。
でも雪の中をでかけることは、本当は嫌いじゃないはずだ。雪国を鉄道で旅することは、子どもの頃から憧れている。しんしんと雪が降り続ける中を、ことことと進む鉄道。
自分が運転しなければ危険を感じなくて、ハッピーなのだろうか。僕はやはり公共交通機関を信頼しているのだろう。

2006年2月10日(金) お勧めの本と座右の銘

職業柄、自分のプロフィールを配られることが少なくない。僕の話をきいてくださるのに、僕個人のことにも興味を持ってくださるのだ。求められるというのは、仕事の原点なのだろう。
今回は学生が運営主体となったシンポジウムのコーディネータ。本と言えば村上春樹の世界の終わりとハードボイルドワンダーランド、そしてシャーロックホームズの冒険を上げることが多い。が、今回は技術者のあるべき姿についてであって、単に僕個人の興味を伝えるのとは違うような気がした。そこで家に帰って本棚をごそごそと漁っていた。
まずはRPファインマンの「科学は、不確かだ!」。本来なら「ご冗談でしょう」と「困ります」が筆頭だろうが、科学の本質を考えさせる意味ではなんといってもこの本だろう。次は池澤夏樹の「楽しい終末」。科学技術の光と影について、ちょっと難解な文章で書かれている。彼が物理学科中退だということにも共感するし、本当は「憲法なんて知らないよという人のための日本国憲法」でもよかったかな、と思っている。
三冊目は悩んだ挙句に、宮脇俊三の「時刻表昭和史」にした。旅行記の中ではもっとも記録として書かれていること、昭和の初めから、戦中、そして終戦、戦後に至るまで、鉄道旅行という視点で社会の移り変わりと本当の姿をいきいきと描いている。
さて、次に悩んだのが座右の銘。
これまで座右の銘とか、尊敬する人、という問いには「無し」と答えることが多かった。もちろん尊敬する人=ルパン三世とか、座右の銘=明日できることは今日やらない、とかQuality Eat and Sleepなんていってもいるが、先生という立場ではさすがに相応しくないと感じるのだ。
googleで座右の銘と検索すると、みんな悩んでいることがよくわかる。僕の場合いろはカルタが出てきてしまって、「論より証拠」とか「犬も歩けば」みたいな教訓でもなんでもないことばかり思いついてしまう。幼稚園のころ両親がいろはカルタで遊ばせたのが染み付いているのだろうか。
とはいえ、この数ヶ月にも「うーん、いい言葉だなぁ」と思ったことが何度かある。それが出てこないだけだ。なんだっけ、と思いながら世界の終わりとハードボイルドワンダーランドをぱらぱらとめくって見るが何も見つからず。
「真実は小さな声で語られる」
村上春樹だったが誰かの小説の帯にこんなフレーズがあった。これはメディアの特性でもあるし、生活の中でもとても的を得たフレーズだなと、思っていた。このフレーズには、音の強弱、虚勢と真実のコントラストを表現しているとてもカラフルなものを感じる。
よし。僕はとても気持ちよい気分でこれを採用することにした。これからもきっとこれを採用するだろう。
これまでと思っていたら、最後に参加者へのメッセージ(50文字)というのがあった。50文字なんて、歌詠みじゃないんだから、たいへんだ。これを先延ばしにして、とりあえず終わり。終末はメッセージを考えることにした。土曜日は姫路で学会のシンポジウムがあるんだけれど。

2006年2月11日(土) トリノオリンピック

トリノオリンピックが昨夜開会した。世界の祭典、世界中のエンターテイメントが詰め合わせになった入場式、人々をあっと驚かせる演出。オリンピックはなんだかエンターテイメントに偏っているイメージが拭えない。
イベントの演出などに協力する立場の僕にとっては、こういうエンターテイメントの演出を先読みして、自分の演出の練習をするのには好都合だ。今回の聖火の点火や、そのあとパヴァロッティが出てきて歌うところなんかは、もうバッチリ予想できた。
それにしてもいろいろな国がある。国の呼び方も様々だ。今回一番驚いたのはオランダが、英語ではnetherlandで、イタリア語では全然違う呼び名だったこと。それとマケドニアを旧ユーゴスラビアの、と注釈付きで呼んでいたこと。まだまだ知らないことが多い。冬のオリンピック参加は80カ国。僕はその半分も行ったことがないのだ。

2006年2月12日(日) こどもと大人の環境

こども環境学会のシンポジウムで、姫路に行ってきた。環境と一言でいっても、遊び場や生活の場という意味での環境から、こどもが育つ社会的に環境、さらには障害者にとっての環境、環境汚染の問題など、様々である。
今回も、小川や空き地、雑木林や空き地といったこどもの遊び場が減ってきていることへの懸念が指摘されていた。それはちょうど30年前の遊び場の話しだ。そのころだって小川なんて滅多にあるものじゃなかった。
それで現在のこどもは遊ぶ環境がなくて家の中で遊んでしまうのだ、という。本当だろうか。
僕はこどもというのはもっと想像力があって、どんな環境でも遊びを創ってしまうものだと考えている。単に現在の大人が、こどものときと同じ遊びをしようとすると、環境が変化していてそういう場がない、ということなのだ。
だから、こどもにとっては、どんな環境でも遊べる。でも大人と一緒に遊んだり、大人に遊びを理解してもらう(これが大切なことなのだ。家に帰って価値観を共有することはとても大事だ)ことをしようとすると、大人はそんな環境では遊んだことがないから、理解できない。これは問題だ。こどもと大人が、遊びについてコミュニケーションをとれないし、大人がこどもに遊びの秘訣を教えてあげることもできない。
たぶん環境の変化が著しくなる以前は、それはおじいちゃんと孫ぐらいのギャップだったのかもしれない。それがいまでは、環境が、流行が次々と資本主義の波に押されて変化してしまう。親子のコミュニケーションを取る上で、親の世代とこの世代の、育つ環境が異なることが大きな問題だと思う。これをどう解決するか、親子でプレイステーションをやっていればいいのか?課題は山積している。

2006年2月15日(水) 果報は寝て待て

副学長から人事について相談したいと急に呼ばれた。2年間待たされ続けた案件がようやく前進しそうな気配だ。なにしろちゃんとしたポストを用意することは、僕が大学に残るときの条件だったのだ。
ようやく自分の個室が用意されるかもしれない。その分講義や研究にもより力を注がなければならない。自分がこれまでやってきた数多くの業務は果たして誰かが引き継いでくれるのだろうか。いろいろと考えてしまうが、いまはそれすらも楽しい。

2006年2月17日(金) 寝違えること・お風呂に浸かる

昨朝、目覚めると首がいたくて起きあがれなかった。両手で首を持ち上げるようにしてなんとか起きあがるが、首を支えていることができず、すぐ伏せてしまう。そんなことを繰り返してなんとか起きあがり、2年半前に交通事故に遭ったときに使った首のギブスをはめて、そのまま東京出張へ。ビタミンB飲料と肩の痛みの塗り薬でごまかしながら、今日の夕方なんとか帰広し、そのまま整形外科へ直行。痛みがひどく寝ている時も何度も起きてしまう。これはなんか大変な病気なのではないかと不安を感じながら診察を受けた。
結果は、寝違えただけのこと。特に処置も受けずに痛み止めと湿布をもらって帰宅した。
今考えてみても、よく羽田まで飛行機に乗って、痛みをこらえて会議に出席し、そのまま横浜に一泊して帰ってきたものだ。
泊まったホテルが、横浜ロイヤルパークホテルのなかなか良い部屋(6424号室)でゆったりとお湯に浸かることができたのがよかった。チェックアウトまで3度も浸かってしまった。

2006年2月18日(土) 外から日本を見る・平和活動・科学技術

広島の学生たちが中心となって広島国際平和シンポジウムなるものがこの週末に開催されている。その分科会1のコーディネータを今日務めて生きた。懇親会でも学生のみんなと楽しいひと時を過ごした。
懇親会で少し気になったことは、彼らがどうやらあまり海外に行ったことがないようだ、ということだ。おそらく国内もあまり旅していないだろう。旅をすればよいというものではないが、自分の住む国や地域を外から眺めることで初めて気がつくことも少なくないのだ。
僕は90年代前半、民主化の波が押し寄せつつある社会主義国、共産圏を好んで旅した。激動の時代をこの目で見たかったからではない。激動なんていう言葉は、歴史の中でしか使われない言葉なのだ。そのときは何か新しいことが起きる予兆ぐらいなものだった。そういう街には、活気がみなぎっているし、言葉はわからなくても、彼らの目指す方向がなんとなく理解できて、その日本との違いに驚いたり感心したりしていた。
自国の文化を尊重すること、資本主義や裕福な生活だけが幸せではないこと(むしろ裕福な生活は不幸な歴史で必ず終焉を迎えていた部分ばかりが目に付いた)、日本には自然をありのまま楽しむ独特の文化が残っていて、それは世界中でも珍しいそして美しい文化であること、などなど。
歩く僕の横を、UNと書かれた国連軍の装甲車が爆走していってこともある。始めてベトナムに行ったときは、成年男子の少なさに戦争の悲惨さを身近に感じた。中国では実弾を撃たせてもらい、カンボジアでは現代の紛争の跡に触れた。その争いと同じことが、いまも世界のあちこちで起きている。その争いの種は、日本も残念ながらいくつか持っている。平和は祈ることだけでは解決しない。理想を追い求めていても得られない。広い心を持つために、広い見聞が必要なのだ。
科学技術と平和の関係、というのが僕の担当した分科会のテーマだった。
「理系」と呼ばれる人々が、もっと積極的に科学技術の光と影を伝えること、技術者に留まらず、理系出身の人々が社会を動かす職種に就いていくこと、それを一言で言うと「コミュニケーション」かな、というまとめにした。
「理系」がもっとグローバルな視野をもたないといけない。もっとラディカルに貧欲に社会のことを学ばないといけない。新しい分野を創造しないと。本当はいいたいことはたくさんあった。

2006年2月19日(日) 電停の変遷と情報コミュニケーション

広島電鉄の市内電車の電停の変遷を追いかけている。路面電車の電停に壁面が作られ屋根ができていく過程で、そこで提供される情報も増えていっている。この当たり前のことが実は世界では珍しい事例なのかもしれない。欧米のLRTの電停(LRTでも電停って呼ぶのだろうか)には情報なんて何もなくて、あるとすればその路線の駅案内(これはちょうど日本のバスのようだ)とたまに時刻表、そして券売機がある。新しいところには地下鉄のように、次の電車の到着時刻と行き先を表示する電光掲示板。なんとも初めての客には不親切な乗り物のように思える。しかし言葉のわからない中欧や東欧にいっても、トラムはたぶん他のどの公共交通機関よりも便利な乗り物である。
電停が柵で囲われるようになるのは、モータリゼーションもだいぶ過ぎた昭和50年代だ。壁面ができたのはもっとあと。おそらく屋根と壁面は同時期に作られている。その時まで、電停の情報とは、その電停の駅名だけであった。
鉄道の駅では路線図や運賃、時刻表など様々な情報が提供される。電停が鉄道駅のように多様な情報を提供する必要が果たしてあるのだろうか?バスなどは今でも乗り換え案内すらないではないか。
観光案内にかかれていれば十分なはずの情報が、電停に貼られている。新交通システムは鉄道並みの情報提供がなされている。トラムには、新交通システムとは違う、街のインフラの立場があるはずだ。そして、トラムの電停は、あくまでstopであって、ステーションではないのだろう。

2006年2月20日(月) 銀座のママの生き方

ニュースがオリンピックやライブドアばかりでつまらないので、なんか観るともなく、日本テレビでやっていた「私が銀座でNo1の女・超一流ホステス物語」というのも見てしまった。銀座の超一流だからそれは綺麗な女性だし、僕なんか対面したらきっと照れてしまってうまく会話できないだろう。そういうところに常連として出入りして毎回40万円ぐらい、時には100万円を超える支払いをして、お金では買えない満足を得ていく人々がいる。番組を見ていて、僕もちょっとクラブにいってみたくなった。少なくともそういう身分にちょっとだけ憧れを感じてしまった。
しかし冷静になってみるとやっぱり僕はああいうお店にはいきたくない。クラブにいかなくても話し相手ぐらい見つけられるし、第一僕はお酒がまともに飲めないのだ。
お酒を飲まないクラブっていうのがあったら、一度行ってみたいかもしれない。でもどうだろう。マッサージだって勿体無いと感じるぐらいだ。お金を払って話し相手をしてもらうぐらいなら、一人ぼっちの時間を楽しむほうが性に合っていると思う。
やっぱりそっちのほうがいい。

2006年2月22日(水) サイドバイザー

走っているクルマを見ていて、このところ無性に気になっているのが、このサイドバイザーだ。いまアウディのホームページでアクセサリー検索をして、ようやく「これ」がサイドバイザーという名称であることをしった。「スマートなデザインで、雨の日や喫煙時の換気に便利です」ということだそうだ。
無性に気になる、というのは、どうにもこのサイドバイザーを取り付けている割合が多いということ。外国車には少なく軽四輪やミニバンに多い。国産車では割と高級なクルマにも付いているし、スポーツカーなんかにもときどき付いている。
窓を開けても雨が入らず換気だけ、というのは確かに便利な機能だろう。でも現代はフルオートエアコンで一年中晴れだろうが雨だろうがエアコン付けっぱなしの人が多いのではないのか。わざわざ雨の日に窓開けて走るなんて、なかなかなさそうだ。
喫煙者の場合は確かにもっと換気したいのかもしれない。ということは喫煙者が世の中にこんなにいる、ということなのか。
マイカーをぴかぴかに磨いて、アクセサリーなんかも凝っちゃって、こだわっていそうで、実はスタイル台無しのサイドバイザーを付けちゃう。
まぁひとそれぞれだからいいんだけど。

2006年2月23日(木) 驚きのapple news

28日にアップル社が何やら新しい製品を発表するらしい。プレスに思わせぶりな招待状が配られているとのこと。1月13日にintelのimacとmac bookを発表して、ようやくその製品が出荷されたと思ったらもう次だ。
いまは何も解らないから、勝手に想像してみた。
1) 4CPU搭載のsuper mac 愛称 big mac
2) HD対応のipod high-def
3) デジカメ機能搭載のipod ipod shot
順当に考えるとintel入りのibookのような気がするが、それだったら勿体ぶらずに発表するだろう。僕としてはどれでもいいんだけれど、みんなの考えないような新しい製品が出てくることを、この会社にはまだまだ期待しちゃう。

2006年2月25日(土) 宮島・茶店・UNO VINOでアクアパッツァ

今年初めての宮島詣。宮島はなんどいっても良い気分転換になる。桟橋からまっすぐ厳島神社に向かう。参堂の右手の海を見ながら、あと数年たったら息子を連れて潮干狩りに来ようと思う。お決まりの場所で鳥居をバックに記念写真。そしておまいり。
帰りは町屋通りを歩いたが、今日はなんだかクルマが多くてゆっくり歩く雰囲気ではなかった。やはり商店街を歩く。焼牡蠣の香ばしい香りが漂う。お好み焼きやにぎり天の香りもすきっ腹によくきく。そしてようやく角にあるもみじ饅頭屋のミヤトヨに着く。ミヤトヨは手焼きの饅頭の店で、ここにしかない柚子こし餡のもみじ饅頭があることと、奥でお茶を飲んでゆっくりすることができるので気に入っている。もちろん今回もいくつか店内で食べた。ちょっと混んでいたので、注文する前から奥に座ってお茶を飲んで待ち、適当なところでもみじ饅頭を食べる。お茶を飲む。ゆったりして、これで饅頭代だけだ。こういう茶店(サテンではない。チャミセである)が昔はもっとあったのかもしれない。いまでは茶店といっても、抹茶を飲ませていい値段を取るところが多い。スタバもいいけれど、茶店もまたよい。
そして、五日市のUNO VINOというイタリア料理屋で、アクアパッツァのコースを食べて帰宅。塩分が濃い目だったがまぁまぁおいしかった。

2006年2月27日(月) どんぶりウォーク

広島駅前市場の魅力創造ワークショップを担当している。昨年の7月以来3回のワークショップを開催し、ついに今週土曜日に、どんぶりウォーク実験を限定30食でおこなうことになった。
市場には素材はいくらでもある。卸が多いからとっつきにくいだけだ。もっと気軽に味見させてもらって、新しいものや品質の良さをしってもらったらいいのに、という考えから、どんぶりウォークは始まった。クーポンと引き換えにどんぶりの具を次々と入手し、おもむろに食べる。まさに市場のどんぶりだ。
これが市場の人と学生と、市役所の人がみんなで考えた、市場オリジナルの最初のプロジェクトだそうだ。そんな大役だとは僕は知らなかったけれど、なかなかよい案ができたと感じる。
このプロジェクトは、市場の人が学生とともに市場の魅力について真剣に考えてくれた結果生まれたものだ。僕はその進行役だったに過ぎない。大学の教員というのはこういう貢献の仕方もあるのだろう。
残念ながら当日は僕が上京していて不在なのだが、たぶん実験は大盛況になってくれるだろう。そして多くの課題が生まれ、それをもとに毎週土曜日恒例の行事に育ってくれることを期待している。報告が楽しみだ。

[先月] [目次] [来月] [最新版] [トップ]

written by hikizo
Akiary v.0.51