くんくん日記
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2006年3月1日(水) 春の天丼
広島に住んでいると、うまい天ぷらを気軽に食べることがなかなかできない。もちろんそれなりのお店に行けばなかなかの天ぷらが食べられるのだが、僕としては予約もせずにいって、千円台の予算で食べられるような、そういうものを求めているのだ。そもそも天ぷらはそんなに高級な食事ではないはずだし、大衆的でおいしい天ぷらを出してくれるお店がもっとあってもよさそうだ。
今日は紙屋町に買い物にでかけたので、夕食はそごうの地下で天一の天丼を食べることにした。ときどきおいしいお店だ。カウンターしかないし注文を悩まないですむのもよい。
しかし、今日はびっくりした。春の特選天丼というのがあったのだ。もちろんそれを注文した。海老が2尾、タラの目が2つ、牡蠣が2つ入っていた。海老はうまかった。タラの目はちょっとべたついていたし、牡蠣そのものはよかったが、フリッターになっていた。
それでも大満足だった。なにしろ春の到来を感じさせる食材を天ぷらで食べられたのだから。僕はタラの目やフキノトウの天ぷらがこの時期無性に食べたくなるのだ。なので今日は大満足で帰宅した。
2006年3月2日(木) 飛行機の世代交代
今日は777-200に乗っている。6Hという座席で、一番前の区画の通路側というのは僕のお気に入りの場所だ。
旧型のジャンボジェット機が退役するという。747といえば二階席があって圧倒的な存在感のある特別な飛行機(マニアは機材と呼ぶ)だった。その国内線用747SRがそろそろ退役だそうだ。
僕は鉄道旅行が好きだったので、学生のときも国内は鉄道で移動していた。そんな僕が初めて乗ったのが、JALの新潟−ハバロフスク線で、このときは旧塗装の767だった。なにしろ初めての海外だったから、舞い上がっていた。このときはアンカレッジ経由でサベナベルギー航空のDC10で帰ってきた。
初めての香港にはキャセイのトライスターだった。747-400に初めて乗ったのは英国航空でロンドンにいったとき、このときは二階席がエコノミーで得した気分だった。
777-200に初めて乗ったのはキャセイのCクラス、日航がMD11を導入したときもさっさとCクラスで利用した。確か「やいろちょう」という名前がついた機材だった。エアバスは日本では乗る機会が少ないけれど、JASのA300,VSのA340-300,TGのA330にも乗った。いまはA340-600なんていう大きな飛行機も飛んでいる。A320はVNだったかな。
B757,Tu-154,ATR,737-800なんかにも乗ってる。
そして、広島に住むようになってからはほとんど777。767もいつの間にか767-300という新型ばかりになってしまった。
いまはトライスターやDC10,MD11はもう日本にはいない。そしてこの秋にはSQのA380がデビューする。世代は着々と交代しているのだ。
2006年3月3日(金) ロイヤルパークホテルと中国茶
今回は蛎殻町のロイヤルパークホテルに二泊した。横浜との比較もしてみたかった。やはり、というか仕方がないことなのかもしれないが、パブリックなスペースで自分がどちらの方角を向いているのか、わからなくなる。例えばロビーからどちらにでると水天宮なのか、地下鉄の駅がどちらの方向にあるのか、わかりにくいのだ。だから出て行ったときとは別の入口から入っちゃうと、エレベータがどこにあるのか迷ってしまう。
たぶん、エスカレータの向きがあちこち向いていることも一因だと思う。半蔵門線から入ってきて、左折して一つあがって右折してUターンしてもう一つあがる、なんてもう迷路にしか思えない。
そのUターンするところに、桂花苑という広東料理レストランがある。宿泊者向けの特別メニューだと五千円+税サ。ちょっと高いけれど払えない金額じゃない。
結局一人で食べてもつまらないと思ってやめてしまったけれど、この店は実はとても評判がよいそうだ。中国茶もちゃんとしたのがでてくるらしい。
この10年で日本の中国茶事情は大きく進化した。ちゃんとした中国茶を飲ませてくれるお店がけっこうたくさんできている。お陰で自宅でもちゃんとした中国茶を飲むことができるし、そうやってどんどんおいしいお茶に舌が肥えてきている。
それなのに中国料理店の中国茶はなぜ進化しないのだろう。ホテルで安いジャスミンティーとか味のしないウーロン茶が出てくるとがっかりしてしまう。コーヒーなんかよりもおいしい中国茶をゆっくりと時間をかけて飲みたいこともある。それが中国料理のもう一つの楽しみでもある。
ようやく日本もそれができるようになってきた。大阪のリッツカールトンのようなトップクラスのホテルには中国茶の鑑定士がいるところもあるそうだ。たいしたものだ。
2006年3月7日(火) 路面電車はお風呂のポジション
今日は市内での仕事ばかりだったこともあり、久しぶりに公共交通機関で仕事に出かけた。広島は公共交通機関が決して便利な街ではないが、路面電車があるのでイメージが良いようだ。
広電に乗った。最初に乗ったときは3950という普通の床の高さの路面電車だった。乗るときによっこらせとステップを登るものだ。だいたい地上65センチぐらいのところに床があるらしい。バスよりちょっと高い目線なのと道幅が広いところだったので、気持ちよかった。いや、たぶん今日は気温も上がって春めいた天気だったからそれだけで気持ちよかったのだろう。
帰りに乗ったのは5100グリーンムーバーマックスという最新の低床車だった。ノンステップで乗ることができるので、評判が良いらしい。最近はこれを見かけることも多くなった。
椅子に座って景色を眺める。床が地上30センチぐらいのところだと、かなり地上すれすれ感がある。それに電停に立っている人から見下ろされる。窓が大きくてずいぶんと下のほうに座っているような気がする。これは何かに似ている。
それはまさにお風呂の椅子に腰掛けているようなイメージなのだ。
道端にお風呂の椅子を置いて座ったときと同じような目線なんじゃないかな。そんなことしたことないけれど。
2006年3月10日(金) 拍手した
10ヶ月の息子が始めて拍手した。ぱちぱちぱちと。僕が手を叩くと、うれしそうに真似をする。ぎこちないけれど拍手だ。まだバイバイだってできないから、はじめてのボディーランゲージは拍手ということになった。
これまでも表情や声でのコミュニケーションはたくさんあった。一緒に同じ動作をするということの楽しさが足されるのは、なかなかうれしいことだということが解った。
2006年3月11日(土) PSE法で欲しいもの続出?
PSE法が4月から施行されるとかで、ニュースや新聞では中古販売業者の怒りが報道されている。そりゃ5年間の猶予期間があったにせよ、5年以上前の中古製品の売買が禁止されてしまうのだから、たまったもんじゃない。20世紀の製品は、前世紀のものだから危ないですよ、使っちゃあいけません。ってわけだ。
古くても良いデザインの製品を入手して、それをメンテしながら長く使いたい。そう思っている僕にとってはPSE法は困る。だって、古い製品を買おうと思っても売買が禁止されているのだ。
いつかは欲しいシンセサイザーの名機Prophet-5だとか、ラジカセの名機CFS-10"Metal365"とか、もう欲しいもの続出!!といろいろ思っていたんだけど、いざというと思いつくのはそれぐらい。古くて欲しいものって意外と無いのかもしれない。
2006年3月13日(月) 律すれば輝く
なんだかこの二年間、周りの人たちがどんどん嫌いになっていく。精神的に少し病んでいるのかもしれないが、それだけではないと信じたい。公務員体質が強い組織はもともと自分に合わないと思っていたのだが、本当にあわない。単に時間が過ぎていくことを尊ぶ事務職がたくさんいる。出る杭は打たれ、陰口をたたく。大した成果も無く、ただ時だけがすぎていく。
そんな人々に囲まれた生活をしていると、自分が腐っていくような気がする。
そうはいっても、そういう人々の中にも自らを磨き、しっかりとした成果を挙げている人も数人はいる。そういう人がいるということは、僕も単に一緒に腐ろうとしてるだけで、自らを律すれば輝くはずなのだ。
とにかくステップを踏み続けるのだ。メロディはやがてやってくる。
2006年3月13日(月) クロックムッシュとクロックマダム
昨日、ダイヤモンドシティの紅茶やさんに入ろうとした。結局入らなかったんだけれど、メニューにクロックムッシュがあって「プラス60円でマダムにできます」と書いてあった。
そういえばクロックマダムという食べ物もある。クロックムッシュといえばサンドイッチの焼いたようなもの程度のイメージしかなくて、クロックマダムもクロックムッシュも何が違うのかさっぱりわからない。プラス60円っていうことは何かが足されるのか???
「クロックムッシュとクロックマダム」でgoogleしてみた。違いは目玉焼きの有無であるということがすぐわかった。便利な世の中だ。やはりクロックムッシュとクロックマダムの違いは何だろ?と思う人が多いみたいで、だからこそわざわざブログなんかにも違いが書いてあるのだろう。
2006年3月15日(水) サクラ二題
1)上野駅コンコース
桜の木がどーんと設置してあります。近づいても本物としか思えませんが、花びらが落ちていないので作り物だと思います。さっそく桜満開です。
2)京急羽田空港駅のスターフライヤーの宣伝
今日北九州空港に就航した新しい航空会社スターフライヤーの展示があります。座席に自信があるらしく、座席そのものが二列分展示してあって、座れないように周りがガードされています。
しかし、
ナントそこには座っている人が。
本を読んだり居眠りしたりしています。
しかも、黒いスーツを着た男女です。
これはいったいどういうことでしょう。
たぶん、サクラです。
2006年3月18日(土) さようなら交通博物館
先日、神田の交通博物館に行って来た。「さようならそしてありがとう」というべたなキャッチフレーズで、いま万世橋駅の遺構を一般公開している。あの博物館は昭和11年にできた建物なのだ。戦前の昭和の良き時代の建築だと眺めていた。
なにしろ僕が福田の祖父に初めて連れて行ってもらったのが昭和49年のこと。当時僕は祖父母の家に預けられていた。電車が好きな小学校1年生の僕はとてもよろこんでいたのだろう。
僕はそろそろ次のステップを考えようと思う。現状を変えることも大切だが、自分の立場を変えることも、時には必要なのだ。これから二年間の間に、どんどん変えていきたいと思う。自分が必要とされているところを探すのだ。
2006年3月19日(日) シャーボを贈る
紀伊國屋の文具コーナーで、シャーボを衝動買いした。衝動買いといっても、商品を選ぶ前から買う決心がついていて、あとは良い品物を探すだけとなっていた。そしてステッドラーの2000円のシャーボを買った。avant-garde(あ、なるほど。これでアバンギャルドと読むんだ。) lightというシリーズで、直径1cmぐらいの胴体なのに、赤と黒のボールペンと、シャープペンの3本が仕込まれている。色はオレンジというか銅色。プラスティックじゃないアルミの冷たさが僕は好きだ。
自分でシャーボなんて初めて買った。しかも今日紀伊国屋に行くまではシャーボなんて考えてもいなかった。たぶん明日からのロサンゼルス出張と関係があるのだ。海外出張となるとどうもお守り代わりの身の回りの品を何か気にするようなきがする。
そういえば最初の海外旅行となったシベリア鉄道のときも、シチズンのチタン製の腕時計とコニカのコンパクトカメラを購入した。信頼できる小物は、人を安心させるのかもしれない。
2006年3月20日(月) ロスへGO!!
久しぶりの太平洋航路だ。ロスへは約10時間。今回はNew style Club ANAだ。
ロスには、僕の友人のしぶりんも住んでいるし、今回はホテルはずっと空港の近く(=カンファレンス会場の近く)なので、気が楽だ。
そして、いまビジネスクラスの食事が終わった。ANAが国際線就航二十周年ということで、特別メニューが出された。鯛があったり、紅白の魚の煮付けがあったり、パフェがでてきたり。ゆっくりと食べていたら離陸からすでに3時間近くが経過した。
ロスには朝10時に着くのだから、さっさと眠らないといけないのに、そしてちゃんとフルフラットのシートになるのに、羽毛布団も用意されているのに、でも寝るのがもったいない気がする。
僕の周りは旅なれたビジネスマンが多い。みんな自分たちのペースで過ごしている。興奮している素振りもなくいい感じだ。そして気になるのがBOSEのノイズキャンセリングヘッドホン。以前から機内でときどき見かけていたが、効果があるのだろう。物欲が漲る。
今回は時差17時間のロスに午前中到着して、空港にしぶりんが迎えに来てくれている。有難いことだ。すぐに観光もとい博物館の見学に向かうことができてしまうのだ。もし僕の体力が許すなら、の話だけれど。
僕は飛行機の中でこうやって仕事をするのが、割と好きだ。新幹線ではなかなかこうはいかない。バスだと気持ち悪くなっちゃう。何が違うのかよくわからないけれど、機内は割りとはかどる。いまも月末締め切りの原稿のチェックをしていた。こういう面からも眠るのが惜しい。でも寝ないと明日は時差ぼけ必死だ。
さて、この便の機材はボーイング777-300ERという最新鋭機だ。就航して半年足らず。まだ保有している国が限られている高価な機材でもある。747と違い二階席はないが室内は広く、エンジンは2発しかない、双発ジェットだ。双発で太平洋線を飛ぶのは、飛行機の(正確にはエンジンのだろう)信頼性の高い証明が必要で、この機材はそれをクリアしている。だからエアバスのA340という四発機よりもボーイング777を購入したのだろう。なんだかアメリカの営業行為みたいで、ちょっと気に入らない。
でも飛行機はなかなかよい。こんな大きい飛行機に、大半のエコノミーの乗客が後ろ半分に乗せられていて、前半部分にプレミアムエコノミー、ビジネス、ファーストがゆったりと位置している。
パソコンの電源も用意されている。到着したときに充電済みなのはうれしいことだ。
そして、テーブルがパソコンで作業するのにちょうど良い高さなのだ。
3年前にロンドン線で乗ったときには気がつかなかった細かな工夫を今回は感じている。
2006年3月22日(水) センセイもやってみた
僕はこの数年、現在の職である大学教員の次のステップについて考えを巡らしていた。そのつもりだった。しかし実際には「大学教員だったのに」といわれるのが怖くて、大学教員以外の選択肢は考えていなかったようだ。だから、なんとか大学にしがみつこうと、またはほかの大学に雇ってもらおうと、そんなことばかり考えていた。
今日、僕の信頼している女性から「センセイもやってみた」って考えたらどう?といわれた。研究員をやって、教員をやって、というのは、いろいろなことをやっているという実績になると思うよ、ということだった。なるほど。そういう考え方は僕にはなかった。
僕は前職でこの人を雇っていて、その能力の高さに助けられていた。今回もLAに来て助けられてしまった。こういう人は僕の人生にとってとても大切だ。
とにかく実績をつくろう。僕の新しいステップはそこから始まる。
2006年3月24日(金) 出直し
僕の行く道に怖いものなどない。
僕はただ、皆が喜ぶものを造り続ける。使いやすい地図、解りやすい案内。
どこに属しているかは関係ない。世間体は二の次だ。大切なのは何を目指しているかということ。地域を愛し、そこの人々を愛し、魅力を創造していく。この作業は僕にとってはとてもやりがいを感じるのだ。
そういう実績を積んだ上で、僕は学生を教えることがあるかもしれない。
センセイもやってみた。しぶりんの言葉通りだ。だからこそできることがある。次はもっと大きな人になる。誰にも僕を邪魔させることはできない。誰の命令も聞かない。
2006年3月26日(日) 東京へ
日付変更線を超えると、あと5時間あまりで日本に到着する。地球をおよそ1/4週してロサンゼルスから戻っている。17時間の時差になれるべく、11時の出発と同時に日本時間に時計を合わせ、昼食を軽めにして数時間睡眠をとる。日本時間のお昼前ぐらいには起きていればすっかり体調は日本のリズムだ。西回りの旅行はこれが楽だ。窓の外はずっと明るい。僕はiPod shuffleを聴きながらリラックスしている。
ベーリング海を南下している。アンカレッジから成田へのルートが揺れたのを思い出す。離れた地で気丈に暮らす友人しぶりんの強さと健気さを胸に抱いて、僕は愛する家族のいる日本を目指している。
6日間、僕はこれからの自分のことに考えを巡らしていた。これまで出会った人たちが夢の中にも多く出演した。まるで皆が僕を見守ってくれているかのような不思議な体験だった。僕は多くの人々に見守られているのだ。
帰りはプレミアムエコノミーの一列目右側の窓側17Kに座っている。ここは、ほかの席より足元が広くてうれしい。それでもビジネスクラスと比べると、横になるという感じではない。昔のビジネスクラスはこんなものだったのだろう。普通席の人と比べると、ちょっとした優越感がある。
目覚めてからいままで「博士の愛した数式」という映画を見ていた。オイラーの定理の話だからてっきり洋画だと思っていたが、寺尾聡が博士を演じていた。数学の純粋さ、美しさは物理を学んだ僕も少しは理解しているはずだ。
2006年3月29日(水) 音楽の遺伝子
音楽の遺伝子っていう番組をいまさっきNHKでやっていた。槇原敬之にとっての三つのDNAを紹介する番組だった。
槇原敬之なんて興味もないのになぜ見たかというと、実は今日の新聞のラテ欄に
"世界にひとつだけの花"誕生の秘密▽YMO
って書いてあったから、YMOが出るのかと思って録画してしまったのだ。
結局YMOは出演することもなく、槇原敬之にとってのDNAの一つとしてビデオが流れただけだった。そりゃぁ1960年代世代にとっては当然のことだ。中学生のころはみんなそろってテクノカットだった(そのころから僕は髪型が変わっていないような気がする)し、発売されたばかりのウォークマンでYMOを聴きながら街を歩くのが最新のスタイルだった。
YMOには世界に通用する格好良さがあった。ああいうユニバーサルな存在に僕はまだ憧れている。
2006年3月30日(木) 古い夢は置いていくがいい。再び始まるドラマのために
帰りのクルマの中で、ゴダイゴの銀河鉄道999を聴きながら帰ってきた。
そうさ君は気づいてしまった、安らぎよりも素晴らしいものに
古い夢は置いていくがいい、再び始まるドラマのために
うーん。いい詩だ。まさにそう思うぞ。
今はとりあえず何事にも一生懸命取り組んで納得のいく研究をすること。成果や評価はそのうち付いてくる。いま必要なのは納得のいく研究をすることそのものなのだ。
成果や評価はどうしても遅れてやってくるし、それは本質ではないのだ。
安らぎよりも素晴らしいこと、それはたぶん一生懸命没頭することなのだろう。
邪念を捨てて、信じる道を自分で築くのだ。そのうち道は拓ける。