くんくん日記

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2007年3月2日(金) 27年ぶりの同窓会

小学校の同窓生とmixiで出会ったのをきっかけに、プチ同窓会が今日開催された。二週間前に3人とは国立新美術館で会っているためか、それほど緊張することなく到着。ところが半分ぐらいの人が誰だかわからない...。そりゃそうだ。小学校は4クラス、140人いたのだから。
それでも、アルバムを見ながら、また名前を聞いたりしているうちに、どんどん過去の記憶がよみがえってくるから不思議だ。あのころはよかった、という話は好きじゃないのだけれど、消えつつあった記憶を蘇らせながら話をするのは、なかなか快感だ。
一次会の二時間はあっという間に過ぎ、二次会に突入してもその勢いは変わらず。15人もいると、けっこういろいろな人の消息がわかってくる。
僕らが通っていた小学校は受験とも無縁だったし、朝から晩まで友達と遊んでいた。朝からサッカーをやっていたし、暗くなるまでなんかいろいろと遊んでいた。銭湯に通っていた人もたくさんいたらしく、そのときのエピソードなんかもあった。そういう時代だったなぁ。
今日集まったみんなは、それぞれなかなかの人生を送っている人ばかりだった。きっと今日来られなかった人も、いろいろなところで活躍しているのだろう。
なかなかご機嫌な時間が過ごせた。なにより、みんなが変わらず元気なのが一番だった。

2007年3月4日(日) 再びセンセイと遭遇

夕方に、紀伊国屋書店で再び小児科のセンセイと出遭った。僕がエアラインという雑誌を読もうとしたら、平積みになっていたそれのうえに、単行本が3冊おいてあって邪魔だなぁと「ちょっとどかせてもいいですか」と訊こうとしたら、その人があの特徴的なお髭だったのだ。
今日は挨拶だけではなく、実に会話が弾んだ。センセイは航空工学の世界に進みたかったこと。パラグライダーを10年ほど前からやっていて、いまでも一月に一度は飛んでいること。昨年パラグライダーで腰を痛めたけれど、ギブスをはめて診療をつづけたこと。などなど。親子ほどの年の差の先生と、じつに20分は話していたと思う。
僕がセンセイであることも知っておられた。先生同士がのりもの雑誌コーナーで立ち話しているのは、後から考えるとかなり滑稽だったかもしれない。

2007年3月5日(月) 新しい髭剃り

髭剃りを買った。出張用のコンパクトなものだ。以前から長く使っていたのはBRAUNの乾電池式の小さなものだった。一枚刃だったけれど、出先で朝にじんわりと剃るのには、むしろ適していたような気がした。それが3月2日の夕方に使っていたときに、ふいに止まってしまって、それから全く動かなくなってしまったのだ。
早速髭剃りを分解してみると、これが実に単純な構造になっている。電池でモーターを回転させ、その運動を往復運動に変換させるだけである。配線も簡単だし、ICもLSIも入っていない。だから修理は簡単なはずだが、単純すぎて打つ手はなかった。仕方が無い。10年以上も使ったのだ。

家電ショップに行くと、実に多くの髭剃りが並んでいた。幸いなことにBRAUNは電池式のコンパクトな製品を一つしか出していなかったので、迷わないで済んだ。僕はひげそりはBRAUNと決めているのだ。
今回選んだのは、Pocket Shaver 575というタイプ。やはり一枚刃で電池二本で動く。しかしデザインは大きく進歩していて、おおきなカバーが回転して使えるようなギミックとなっている。しかもカバーをちゃんと半回転して開かないと、電源が入らない。これまでのようにカバーが開いてしまって、袋の中に細かな髭が飛んでしまったり、間違えて電源が入ってしまうこともない。それに、水洗いが出来るようになった。そもそも髭剃りは水洗いするのに、それほど問題はなかったようだ。ただ電池周りの電気系統の防水が必要だったらしく、そのお陰もあって、電池もはずれにくくなった。

男性にとって、髭剃りは毎朝やらなければならないことだ。そのまだ眠気の残る時間をどんな場所でも慣れた道具を使って過ごすことは、とても豊かなだと思う。
きっとこの髭剃りは、網刃や内刃を新しくしながら、十年以上使うのだと思う。いろいろな国にも一緒にいくだろう。旅行仲間が一つ増えた。なんだかとてもうれしい。

2007年3月21日(水) カオニャオ・マモアン

バンコクはいまが夏。今日は33度ぐらいだが、いつもより涼しいらしい。

昨日はとてもおいしいマンゴーのデザートを食べた。路地モノのマンゴーと、ナッツ入りのアイスクリームと、ココナツ風味のお米が並んでいて、それらを一緒に食べるもの。この時期にしかないタイのデザートらしい。

昨夜はこれが、夕食の最後にでた。食事もとてもおいしかったが、最後のデザートの印象が強すぎて、ほかを忘れるぐらいおいしかった。

でも、実は部屋のエアコンのお陰で、デザートを食べるころには体が冷え切っている。外に出て食べたいぐらいだった。

そのデザートの名前は「カオニャオマモアン」。カオニャオっていうのがご飯の意味で、マモアンがマンゴー。アイスは普通はついていないとのこと。
タイ語は発音が難しい。

2007年3月25日(日) 李香蘭の時代

テレビ東京が制作したテレビドラマ「李香蘭」を見た。RCCでたまたまやっているのを見た。主演の上戸彩は、CMのイメージしか持っていなかったが、なかなか演技がうまかった。
これまでも李香蘭の名前はなんとなく知っていたが、なんと本人はまだ存命らしい。イサムノグチとの結婚もこれまで知らなかった。戦前から国際人なのだ。いや、戦前のああいう時代だからこそ、国際的だったのかもしれない。
満州に対して、僕は憧れを持っている。新しい文化を創っていこうという、そういう時代にいまも憧れている。その憧れはいまも変わらないが、満州が新しい大陸文化を模索しているとともに、先の見えない終末観を伴ったものであったのだということを、改めて感じさせられた。

李香蘭は、最初満州の生まれの中国人スターとして有名になった。そして、ここが大切なのだが、世界が戦争に向かっていく時代に、李香蘭は満州だけでなく日本や中国でも大きな人気を博したのだ。
例えるなら、我々が北朝鮮のスターに熱狂するようなイメージだろうか。
上戸彩の李香蘭のイメージが強すぎたのか、ウェブ検索して李香蘭本人の写真を見たら、すこしバタ臭く感じた。

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written by hikizo
Akiary v.0.51