最近 読んだ本(1998年7月〜)

最終更新日 1998.08.27

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1998年1〜3月分/ 1998年4〜6月分/ 1998年7〜9月分/ 1998年10〜12月分


"ただいま読書中"(近況一言報告) 7月8月9月

9月


8月


7月


コメント

もうすぐ書きます…。しばらくお待ちください。








エクリチュール元年(三浦俊彦)
「実習校」「エクリチュール元年」「朧々一九九五」の3編を収めた小説集。収録作の共通点は「大学小説」であることだそうです。
著者は『虚構世界の存在論』、『可能世界の哲学』などの哲学書も書いている人で、「エクリチュール元年」も「可能世界理論」をネタに使った作品。テレパシーで登場人物の心を読むことにより、作品に書かれていない作品世界の真実をも知ることができる、という画期的解釈法が発表されて……というお話。落ちにあたる最後の数ページは笑えた。
他の2作品は何だかよくわからない。読んでいて筒井康隆を思い出してしまった。

<海越出版社:1998年2月刊:1500円>
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クィア・パラダイス ―「性」の迷宮へようこそ―(伏見憲明)
『プライベート・ゲイ・ライフ』『<性>のミステリー』の著者である伏見氏の対談集。「クィア」は日本語でいえば「ヘンタイ」というような意味。過去にはネガティヴな使われ方をしてきた言葉だが、現在では「クィア」的な生き方を選んだ人たちが自分たちのアイデンティティを表わす積極的な言葉として使うことが多い。本書ではゲイ、レズビアン、トランスジェンダー、トランスセクシュアル、バイセクシュアル、そしてこのようにカテゴライズすることも容易でない様々な「クィア」の人々が、自らの性を語っている。
印象的なのは、対談している人達が伏見氏の質問に対して「自分でも分からない」とか「うまく言葉にできない」というような反応をしている場面が多いこと。考えてみれば、生物学的性とジェンダーと性自認が一致してしかもヘテロセクシュアルという平凡な人間(含む僕)であっても、たとえば自分のセクシュアリティや性自認がどのようなもので、成長過程でどのように生じてきたのかということを突っ込んで問われれば、答えるのはけっこう難しいだろう。それでもステレオテイプな「性」には紋切り型の答えがそれなりに用意されているから、それに合わせて語ることはできる。たとえば同じように人を好きになっても、同性の友達なら「友情」という言葉をあてはめ、異性であれば「恋」という言葉を当てはめれば良いわけで、その実質は問われずに済むところがある。しかしそういう紋切り型が通用しにくいところにいる「クィア」は一々その実質まで踏み込んで答えを探さなければならない場合が多い。そもそもそのような感覚を表現する概念や語彙自体が存在しないということさえ有り得るわけで、答えるのが困難になるのも当然なのだろう。そしてそのような困難さは逆に、幸か不幸か「平凡」な性の枠内におさまっている(と思い込んでいる)者にとっても、自分の「性」の自明性を疑わせ、こんな風に紋切り型に当てはめてしまって良いのだろうか?という疑問を抱かせることにもなる。そういう契機を与えてくれる本。おすすめ。

<翔泳社:1996年1月刊:1456円>
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国際おたく大学(岡田斗司夫編)
いろんな人がいろんなネタを書いているんだけど、僕にとって面白かったのは、『少年マガジン』編集部が読者アンケートをどのように利用してきたかを分析した大沢南氏の「アンケートによる部数日本一奪回の分析」と、子供文化のフィールドにおける『コロコロコミック』(小学館)と『コミックボンボン』(講談社)の熱い戦いを語った西谷有人氏の「コロコロ vs ボンボン、かく戦えり」の2本。講談社っていうのはいろんな意味で面白い出版社だなあ、と思う。

<光文社:1998年7月刊:1600円>
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フルハウス ―生命の全容― 四割打者の絶滅と進化の逆説(スティーヴン・J・グールド)
生物の進化に「複雑化」「進歩」「前進」というような「トレンド」は無い。そのように見えるのは、生物が単純なものから出発して多様性を増していったことの副産物にすぎない。進化の実相を理解するためには、偏見によって選ばれた特定の系列ではなく、生物界の全容を見なければならない、というような内容。
帯には「革命的進化観」とあるけど、進化についてある程度の知識がある人にとっては、それほど「革命的」ではないかも。特にある程度グールドの本を読んでいる読者にとっては。
さて、生物が単純なものから出発したことが「単純→複雑」という「方向性」のようなものが読み取れてしまう原因であるということ、そして、生物は必ずしも複雑化しなくても立派に生きていける(現に今も地球の生物の大部分は「単純」なバクテリアである)ということ。それは良い。他方で、少数とはいえ現に「複雑化」してきた系列があるというのもまた事実だ。グールドが言うような統計的な説明も一方で可能ではあるが、それだけで理解として十分だとは言えない。個々の系列の「複雑化」それ自体にもやはり(偶然性を伴いつつも)何らかの原因というものはあったはずなのだから。
たとえば「単細胞生物→多細胞生物」という「複雑化」は生物進化の過程で何度か起こっている事象だ。もちろん最初は単細胞生物しかいなかったわけだから「単細胞生物→多細胞生物」というのは「多様化」の結果であると言っても別に間違いではないだろう。しかしそうだとしても、そのような一見はなはだ困難に思える「複雑化」がいかにして可能だったのかを、その具体的プロセス、それを可能にした条件(どのような環境が必要だったのか、どのような遺伝子が無ければならなかったのか等々)、適応的意義といった観点から調べていくことは十分に価値があることだ。と言うか、我々が知りたいのは統計的な説明よりもむしろそのような説明だろうと思う。
「全容」を理解することと、その中でどこに着目するかを決めることは、別のことだよね。進化にしてもスポーツにしても。

<早川書房:1998年7月刊:2200円>
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五分後の世界(村上龍)
パラレル・ワールドもの。主人公が飛ばされた「もうひとつの日本」は「アンダーグラウンド」と呼ばれる地下に建設された少数精鋭の国家であり、第二次世界大戦後、日本を占領している連合軍に対してゲリラ戦を続けている。主人公はわけも分からぬままにその戦闘に巻き込まれていくが、やがてその世界にひかれるものを感じ始める、というような話。
ぜんぜん駄目。日本民族の誇りとか、勇気とかプライドとかいう言葉が、「国家」と「戦争」と結び付いた形で美化して語られるというのが超うさんくさい。アイディアもストーリィもつまらないし。
続編の『ヒュウガ・ウイルス』を読もうと思って読んだのだけど、読む気が失せてしまった。

<幻冬舎文庫:1997年4月刊:533円>
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海燕ホテル・ブルー(船戸与一)
船戸与一の作品はデフォルトで読むことにしているので読んだけど、はっきり言ってつまらない。男を魅了する魔性の女と、女の虜になって破滅へと転がり落ちていく男。こういう話は船戸が書くまでもなく、もっと上手に書く作家がたくさんいるはず。これは船戸与一しか書けない、という作品(『猛き箱船』とか『砂のクロニクル』のような)が読みたい。

<:1998年月刊:円>
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虎よ、虎よ!(アルフレッド・ベスター)
「ジョウント」と呼ばれるテレポーテーションが実用化された時代。外衛星同盟と内惑星連合の戦争の時代。遭難した宇宙船乗組員ガリー・フォイルは、自分を発見しながら見捨てた宇宙船「ヴォーガ」に復讐を誓う。
説明するまでもない名作SF。全編、どこまで本気でどこまで冗談か分からないような奇抜なアイディアにあふれていてる。ガリー・フォイルというキャラクターの造形も見事。他の登場人物も奇妙で面白い。

<ハヤカワ文庫SF:1978年1月刊>
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やおい幻論(榊原史保美)
『JUNE』系の小説家である榊原氏が「やおい」とは何か、を考察している。
「やおい」的嗜好をもつ少女たちは、自らがやおいに関わることを恥じるような、自虐的で屈折した感情をもっており、しかしどうしてもやおいから離れることができないというジレンマを抱えている、というような話から始まって、世間でのやおいの受け止められ方や、やおい業界内部の事情などが語られる。そこまでは良いのだが、途中から急に、「やおい」的嗜好の背後にあるのはFTMトランスセクシャル(肉体的には女性だが性自認は男性であるというギャップ(肉体的性への違和感)をもつ人)、ことにFTMトランスセクシャル・ゲイ(FTMトランスセクシャルであり、かつ、性愛の対象として同性(すなわち男性)を指向する人)である、という議論が展開される。これには驚かされた。これが本当だとしたら、僕の「やおい」観は大幅な変更を迫られる。著者にはすまないが、この本の内容だけでは到底納得しがたい。著者自身が「やおい」的なものを求めたのが、FTMトランスセクシャル・ゲイという精神のありかたに根ざしている、という個人的事情までは理解できるが、それを他の「やおい」愛好者たちにまで敷衍するには、それなりの論証が必要だろう。この本にそれができているとは思えない。
「やおい」関係者たちの中ではどう受け止められているのだろう?

<夏目書房:1998年6月刊:1800円>
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紅一点論 ―アニメ・特撮・伝記のヒロイン像―(斎藤美奈子)
あの『妊娠小説』の斎藤美奈子氏の第二評論集。「ウルトラ警備隊」のアンヌ隊員、「ガッチャマン」の白鳥のジュンなど、「男の中に女がひとり」というのは我々が見慣れた構図である。アニメ、特撮、伝記などの子供むけメディアに頻繁に見られるこの「紅一点現象」を中心にして、子供メディアの中で描かれてきたヒロイン像を考察している。とり上げられるのは「リボンの騎士」「キューティーハニー」「セーラームーン」「ヤマト」「ガンダム」「エヴァンゲリオン」「コナン」「ナウシカ」「もののけ姫」、伝記では「ジャンヌ・ダルク」「ナイチンゲール」「マリー・キュリー」「ヘレン・ケラー」など。
期待に違わず面白い。明快で切れ味快調な斎藤節で、ばさばさと作品を処理していくのが心地よい。明快というのは、裏を返せば個々の作品のもつ個別性や微妙な味わい等を無視していて乱暴だと取られかねない(特にアニメや特撮マニアから見れば)のだが、斎藤氏はむしろ自覚的にそれをやっている。深層よりも表層、個別よりも全体を眺めたときに、「ヒロイン」というものがどのような描かれかたをしてきたのかを捉えようとしているのだ。これは名高い「文学作品」をただ一つ「妊娠」という視点からばさばさと切り刻んでいった『妊娠小説』と共通する手法だ。こういう「芸」があるというのは強いよなあ。

<ビレッジセンター:1998年7月刊:1700円>
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数奇にして模型(森博嗣)
モデラーたちの世界を舞台にした2つの密室殺人事件に西之園萌絵と犀川創平が挑む。
『夏のレプリカ』、『今はもうない』、そして本作品と、3作続けて似たような趣向(ネタバレ:作者が読者をミスリードする叙述のトリック)を用いているが、これらの中では『夏のレプリカ』が一番きれいにきまっていたと思う。今回のはトリック的にはいま一つ。でも、すでに犀川たちの世界に親しみを覚える読者になってしまった僕は、キャラクタたちの会話や行動だけで楽しめるんだけどね。

<講談社ノベルス:1998年7月刊:1100円>
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赤い激流(グイン・サーガ61巻)(栗本薫)
なかなか話が進まないなあ。外伝も本編も。数だけは出てるけど。

うちの連れあい(T)との会話:
T「今月(8月)はグイン出ないのかな?」
僕「この前、『赤い激流』が出たばっかりじゃない」
T「あんなの、出たうちに入らんわ」
僕 (^_^; 。

<ハヤカワ文庫JA:1998年7月刊:円>
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海の味 ―異色の食習慣探訪― (山下欣二)
日本の各地には珍しい食習慣が数多く残っている。著者は古文献をひもとくなどしながら、そのような珍しい海産(一部淡水産を含む)動物食の情報を集め、あるときは自前で調達し、ある時は現地に赴き、あるときはコネを頼りに「食材」を送ってもらうなどして、実際にその味を試してみる。著者が食べた動物は、クラゲ、フジツボ、カメノテあたりはまだ良いとしても、メダカ、トド、ユムシ、ヒザラガイとなるとかなりあやしい感じが漂いはじめる。ゴカイやヒトデに至ると、これはどう考えても不味そうだ。(実際まずかったらしい。)しかし結果はどうあれ、とにかく食べてみよう、というその前向きな姿勢が良い。ちなみに著者は宮島水族館の副館長さん。「宮島水族館のトド、タロー君」の写真の下に「トド肉の鉄板焼」の写真を並べて載せるとぼけたユーモア感覚も良い。(べつにタロー君が鉄板焼にされたわけではないので念のため。)

<八坂書房:1998年6月刊:1900円>
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エンダーのゲーム(オースン・スコット・カード)
謎の異星生物「バガー」の地球侵攻に対抗するため、優秀な子供たちを集めて訓練するバトルスクールが設立される。早熟の天才少年エンダーは年長の少年たちの中でその才能を延ばしていくが…。

要するに天才少年が成長して、地球を救うヒーローになるというだけの話なのかなあ、と思って読んでいたのだけど、そして確かに物語の9割まではその流れに沿って進むのだけれど、最後の最後でまったく新しい視野が開け、何か宗教的とも言えるようなヴィジョンを示して物語が終わる。このラストには驚いた。傑作。ヒューゴー、ネヴュラ両賞受賞は伊達ではなかった。

<ハヤカワ文庫SF:1987年11月刊:699円>
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複雑系入門 ―知のフロンティアへの冒険― (井庭崇、福原義久)
「複雑系」科学の全体像を広く浅く紹介した入門書。扱っている内容は、フラクタル、カオス、遺伝的アルゴリズム、カウフマンネットワーク、ニューラルネットワーク、人工生命、内部観測、など。これから勉強してみたいと思っている初学者のための見取図として、良くできていると思う。しかしそれにしても郡司-ペギオ幸夫の議論は、こうやってかみ砕いて説明されてもさっぱり分からないなあ。

<NTT出版:1998年6月刊:1800円>
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1998年10〜12月分
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彦坂 暁 (akirahs@ipc.hiroshima-u.ac.jp)