フレーベルの生涯5




はじめての教育実践

   ナポレオン失脚後、ふたたびベルリン大学にもどったフレーベルは、 1816年、34歳のとき兄が3人の子どもを残して亡くなったことをきっかけに、 大学をやめて本格的な教育実践に着手しました。このとき兄が残した 3人の子どもを含めて5人の子どもを対象としてグリースハイムに創 った学園を、一般ドイツ教育所といいます。ミッデンドルフとランゲ タールもかけつけました。この学園は1817年にカイルハウに移されました。 これをカイルハウ学園(一般ドイツ学園)といいます。生徒数は次第に増加し、フレーベル は自分の教育に対する考えを世に示すために主著 『人間教育』を書き ました。しかしまもなくカイルハウ学園についてよくないうわさが流れ はじめ、生徒数が減少し、フレーベルは活躍の場を求めてスイスに行く ことになりました。

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1. 子どものころ 2. 大学での生活
3. 先生になろう 4. ふたたび大学へ
5. 教育実践の開始 6. スイス時代
7. 幼稚園設立 8. フレーベルの最期


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