雑感

このページはブログで、おおよそ年に1~2回の頻度で更新をしています。
記事の内容は、浮穴個人の考え・意見に基づくものであり、広島大学の公式見解を示すものではありません。

2024年8月 日本学術振興会・特別研究員への応募を考えている貴方(達)へのひとりごと

 特定の人にメッセージ書いているわけではないです。そろそろ新しいブログ書かないの?という見えない(そもそも,そんなのない?)プレッシャーに押され,大学も夏期一斉休業で頭が空っぽになったので,つぶやいてみます(ついに,実質2年半ぶりに更新!本当はやらないといけないことは沢山ありますが,現実逃避です)。最近も総科50周年記念パーティーや卒研生のデュアスロン世界大会出場など,世界で頑張っている先輩・同輩・後輩,そして学生達と接する中で,思うところも多くありました。ただ,「研究者で食っていく」と決めた自分自身の経験から,次世代(主に若手の人達)研究者へのメッセージぐらいしか書けないなと思いました。

 感染症拡大・収束に波があるように,博士人材養成にも時代の波があるように思えます。半世紀前のオーバードクター問題を経て,四半世紀前の私が大学院生時代ごろのポスドク1万人計画,そして,今は科学技術振興機構(JST)「次世代研究者挑戦的研究プログラムSPRING事業」で博士課程後期(ドクターコース)進学者に手厚い生活支援や研究費サポートがなされています(広大の取り組みはこちら)。それ以前にも卓越大学院プログラム(広大で言えば,山本卓先生主導のゲノム編集先端人材育成プログラム)などの支援で,授業料免除や生活支援も行われており,企業とのパイプができて博士号取得後の企業への就職もひと昔前よりは改善されているように思えます。ここまで来たら,企業も新卒大学院生の半分は博士号取得者にしてくれたら良いと本当に思います。

 科学者にとって今まで不明な事項が研究によって明らかにでき,それを学会発表や論文発表として発表することは何事にも代えがたい喜びです(評価が良かった場合?)。研究には失敗が付きもので,何度もトライアル&エラーを繰り返すことで壁を越え,新しい結果を得ることはオリンピックでメダルを獲得するのと同様に嬉しいことです。ただ,若者は趣味で研究を行える財力も時間もないのが普通ですので,研究者としての報酬(給与や奨学金)を得られないと,活動を続けることはできません。つまり,生活と研究するためにはお金が必要なのです。研究活動は崇高なもので,無償で霞を食ってでも行うべき,というのは半世紀前の亡霊です。とは言っても,皆が公平・均等に資金を獲得できるわけでもなく,それなりに厳しい競争を勝ち抜かならないのも事実です。

 ドクターコースに進学し,博士号を取りたいと思う人なら必ず意識する国家レベルの制度として,標記の学振DCやPD制度があります。採択率2割程度に採択されれば,生活支援としての研究奨励金や研究費が支給され,それに加え,本制度に採択されたという実績は,その後の研究者として独り立ちする上でも自信や実績となるのは間違いないです。
 私は,過去10年間にドクターコースに進学した5名全員が幸いなことに学振DCに採択された経験を持ちます(私の指導力が優れていると言うつもりはないですが,それなりの戦略を学生達に示したのは確かです)。マスターコース2年次にDC1に応募したけど不採択で,翌年の応募でDC2採択になった人達もいます。その後も,PD応募1年目は不採択だったけど,2年目でPD採択が叶ったポスドクもいました。そのような経験をもとに,私が思うところを列記します。

1.申請書作成は確かに大事かもしれないけど,それに多くの時間を費やすより,研究を進め,一早く論文にまとめた方がいいよ!
 研究者の心構えとしてトップジャーナルへの論文掲載は夢ですが,そのようなジャーナルの要求(エディターに気に入られなければ,速攻エディターキックですし,運良くレフリーに廻ったとしても対応は時間がかかります)はとんでもなく高いです(研究開始から5年以上の歳月を要するのは当たり前と思います)。もちろんそれを諦めよと言っているのではなく,ある程度のジャーナル(IFが1~3程度)に論文掲載できるサブテーマを持ち,できれば1~2年に1報は確実に業績を出した方が良いと思います。私の感触は,「初心者なら,いきなりホームランを狙うよりもバントヒットでも塁に出よ」,と思っています。
 メインテーマが上手くいかないのにサブテーマを持てないと思うかもしれませんが,どんどん自分の頭で考えて研究計画を組みましょう。指導教員が許してくれないって?そんなの内緒で進めたら良いのです。ただ,研究費ができるだけかからない(ラボに備わっている試薬や器材でできる範囲)サブテーマであって欲しいです。そのうち結果が出たときに報告したら十分です。そんな姑息なことしてたら指導教員が腹立てるって?そうなら,他所に出ましょう。本当に優れた上司は何に対しても寛容だと信じたいです。

2.申請書の研究内容は,応募者自身のオリジナリティーを盛り込んで欲しい!
 ビッグラボに在籍していれば,そこの先生や先輩達も優秀で,研究業績が優れているのは分かります。ただ,今,貴方が研究室に入って2年ほどの間で独自に組み立てた実験系や実験結果,解釈を是非ともアピールしてください。先生や先輩が敷いたレールの延長線上の研究展開だと面白味が欠けます。ドクターコースからラボを移動した人がD1の時にDC2を申請することもあるかもしれませんが,ドクターコースからの成果は殆どないはずなので,慌てて申請するのではなく,余裕をもってD2の際に申請するので十分ではないかと思うのです。上記1にも通じますが,申請書作成に時間を費やすよりも新しい場所で新しいデータを出すのが一番だと思います。移動直後は慣れるのに必死で,研究の中身を楽しむ余裕が無いのは仕方のないことです。研究が好きなのは十分に理解できますので,焦らなくても大丈夫です。D3からDC2に採用された方がPD給与1年付いてきますし。

3.ポンチ絵,太字等を使って強調すべき箇所のアピールなど,工夫をしてみて!
 ポンチ絵は今の若い人の方がシニアの研究者より上手です。審査員は大量の書類を読んで,減点法(あら捜し)で点を付けないとなりません(私の科研費審査の経験からそう思います)。強調している個所(審査員がそこだけ繋げて眺めても申請書の要点が分かるように)が応募者自身の着想であることが分かり,支援すれば成果が出そう・サイエンスとして面白い,と感じたら減点はできないように思うのです。貴方の研究分野を全く知らない分野の人が読んでも理解できる申請書にしてみてください。自分の知識をひけらかさずとも,謙虚に科学者としての興味と感心でアピールできるはずです。若い人(社会人を経験して大学院に戻ってくる場合もあるので年齢のことはとやかく言えませんが)の情熱を感じれば,審査員も納得してくれるのではないでしょうか。学振ではないですが,私は民間財団への申請書が審査員の心に刺さって採択していただけた経験があります(授与式で審査員の先生から直接言われました)。本当に面白いと思う研究は,ある程度分野外の人が読んでも共感するのではないかと思いますし,そのようなものに仕上げて欲しいです。

4.指導教員と積極的にコミュニケーションとってね!
 ラボに入ったばかりならともかく,2年ほど研究を進めたら,指導教員や先輩よりもあなた自身が毎日目の前で対応している研究テーマに詳しくなっているはずです。上司から「こうなるはずだ!」と言われてやってみても,逆のデータが出続けるのならば,新たな解釈が必要で,新たなサイエンスが始まろうとしているのかもしれないです。それがラボのテーマや方針に従わない場合でも,貴方が心底,信じてそれに賭けたいならば,とことん進めても良いのではないでしょうか。もちろん,上記の保険の研究も必要でしょうが。指導している先生も,そのような経験を何度もされているはずです。自分の考えに忠実な学生よりも,扱い辛くても芯のある学生の方が伸び代がとんでもないことの方が多いです。私も天邪鬼で先生の言うことは(裏では)聞かない学生でしたが(先日のパリオリンピックで何かの外国人監督が言ってましたが,日本人は質問もしに来ない。表面上ではハイッ!と言ってても,本人が納得しないことはやらない,ということを言ってましたが,確かにそう思います),諦めずにやったら上手く行ったことの方が多いです。ただ,何を考えているかは先生に分かってもらった方が良いです。人間性も含め,貴方の本性(長所も短所も)は上司に分かってもらった方が色々と楽です。そのためにもコミュニケーションが重要です。なになに,「先生と話したくてもいつも会議でいません」って?そんな四六時中会議に出ている先生もいないので,根気強くコンタクトしましょう。先生は孤独で寂しがっていますよ。何より,学振の応募書類には指導教員のコメントが必要です。そこのネタのためにも普段から接点持ちましょう。最近は宴会しても〇ハラ怖さで上部だけの付き合いになってしまいます。

5.学会発表賞を狙え!
 私が学生の頃には「学会発表するなら違うテーマで」という指導をされていましたが,今の学生達を見ていると,ほぼ同じ内容で発表していますね。奨学金返還免除申請のためにも学会発表賞がカウントされるのが要因でしょうか。これは研究内容の二重発表という研究倫理にも関わる話です。同じテーマでもできるだけ新しいデータを追加して発表するように意識しないとならないと思います。
 何年かやっていれば必ずびっくりするような面白いデータが出たりします。それが若いうちに得られたらラッキーです。結果を見ただけで心臓がドキドキして血液が逆流しそうな状況に出くわすのは(もちろん,健康体で),人生でも数回しかないと思いますが,若いうちにそのような経験ができたらハッピーです。それに近い結果が出た際には是非とも学会発表賞を狙ってみてください。今は若い人向けに多くの学会で学会発表賞が設けられています。幸いにも受賞出来たら,それも成果になります。もちろん,賞が採れたのは運が大きいので,自分を過信・過大評価しすぎないでください。謙虚さとひたむきさを忘れてはなりませぬ。逆に賞が取れなくても気にする必要はないです。相対評価ですので,たまたま他により優れた発表があったにすぎません。また,賞の選考のためには選考委員が成果をよく見てくれるという特典もあり,それが将来のポスドク先や助教の就職先にも繋がることもあり得ます。

6.鈍感力,忘れやすさ,ポジティブシンキングが大事!
 どんな申請書を書いたら学振に採用されるのかググって,この記事にたどり着いた貴方,そんな些細なことを考えるよりも研究しましょう(冗談です。ここまで読んでいただいて感謝です)。学振は応募者5名中,4名は不採択になるのです。採択される方が珍しいと考え,最初から期待しないでください(これまた意地悪ですね。申請書作成の困難はよく理解しています。私は科研費の代表で15件採択されていますが,その倍以上に不採択も経験しています。民間財団の助成金申請を入れたら10倍以上の不採択かと思いますが,数えきれないほどです)。DCで筆頭著者論文3報,PDで5報程度あっても不採択なら,書き方の問題なのかもしれません。次こそ,先生・ラボメンバー総出で巻き込んで良いものに仕上げましょう。そうでなかったら,1つでも多く論文を書いた方が早いと思います。不採択の通知のみで貴方の人間性が否定されたわけでもサイエンスの中身が悪いわけでもないです。業績と伝え方の不手際の問題です。どうかすぐに気持ちを切り替えて,前に向かって頑張ってください。JSTのSPRINGに採用されているなら十分に生きていけますし,ビッグラボなら先生の研究費で食いつなぐことも可能です。焦らず,慌てず,お先にどうぞ,です。カメはゴール前でウサギを抜かせます。働いたアリはキリギリスよりも長生きします。学振DC採択で満足してしまって天狗になってその先が上手くいかなかった学生達をずいぶんと見てきました。大器晩成で良いのです。どうかクヨクヨせずに研究に打ち込んで,嫌なことはすぐに忘れましょう(落ち込んで立ち直れないのだったら,せっかく関わってくれた多くの人達を裏切る行為だし,今後の試練を乗り越えられないでしょう。その方が心配です)。
 私はドクターコースの頃,学振DCの制度すら知らなかったです。指導教員も教えてもくれなかったです(それを恨んだことは一度もないです。今のようにインターネットも発達しておらず,情報に疎かったので研究に専念でき,逆に幸いでした。どれだけ昔人間?)。マスター時代に筆頭著者論文を5報持っていたはずですが。奨学金を借りていたし,十分に生きていけました。

最後に
 ここまで書いてネット販売の誇大広告のようですが,浮穴研では大学院生,学振PD研究先人材を募集中です。
 また,広島大学では学位取得後の若手を3年または2年任期の特任助教(それぞれ育成助教,選抜助教と言います)として募集する制度があります(下記のリンク参照)。過去に私のところに学振PDの受け入れ先で応募してきた2名が保険として育成助教に応募し,学振PDは不採択ながらも育成助教に採用された,という例もあります。自称,ライフセーバー浮穴です(誰も呼んでない?)。遠慮なく,いつでもご連絡をください。

広島大学 SPARK!Plan

2022年12月 過去のひとりごと

 今年も色々とありました。一番の出来事は、日本動物学会賞を頂けたことと思います。これに関しては、様々な先生方・同僚・研究室の皆さんのおかげです(出来事欄参照)。
 普段、色々なことを新たに思いついたような気になるのですが、それは過去に既に考えつくしたことであることも多くなりました(つまり、本人忘れてるだけ)。この「雑感」記事でさえ、同じ内容をリフレインしているように思います。そこで、2020年2月にホームページをリニューアルした際に削った原稿を再掲載したいと思います。たまにマニアの読者(?!)から、「あの記事削除したよね」「先生の研究室運営の考え方を参考にしています」と言われることもありますので(私は感情の生き物なので恥ずかしい限りです)。
 単なる手抜きですが、「過去のひとりごと」を掲載し、「今年最後のひとりごと」としたいと思います。PDFファイルに変換しておりますので、お時間ある際に眺めてください。古い記事だと16年以上前に記したものです。ブレずにいるのか、若気の至りなのか、それとも初心を忘れているのか、時代遅れなのか、自分でも分析してみたいと思います。

過去のひとりごと(PDFファイル)

2022年3月 年度末のひとりごと

 今年度の最大の出来事は、恩師の筒井先生がご逝去されたことです。2006年夏に筒井先生が早稲田に転出されたことにより、完全PIとなって今年度末で15年半が経ちました(教授になってからも丸6年)。ついに私も50歳になりました。独立後の2007年以降に出した自分自身のファーストやコレスポの論文数を数えてみると35報でした。広島大学では1教員当たり年間2報以上は論文出すように言われているので、そのノルマは何とか超えている程度です。生命系を選択する学部学生数の減少から考えると研究を続ける難しさを感じた時も正直何度もありました。量より質を目指して暗中模索していた当初の7年間はほぼ自分自身の業績が無かったことを考えると、そこそこ頑張った気もしますが、まだまだ道半ばですね。とは言え、関わってくれた研究員や学生達の頑張りに感謝です。
 幸運にもNPGL/NPGMという新規脳因子を発見できたというプライオリティーのおかげで、研究費獲得にも有利に働いていることに疑いはないです。柱となる因子を研究室で見つけられた事はラッキーとしか言いようがないです。しかし、次は生理的意義や受容体探索など、難しい課題が残っています。これらに関しては、若い学生達が自主的に、ある意味、PIの私の考えを超越した成果を出してくれる時期に来ていると感じています。決してプレッシャーではなく、自由に楽しく研究してくれたら良いと思っています。もう昔の大御所(?)のように、「こうなってくれるはずなので、そのデータを取りに行く」ということは無いです。「心の底からやってみたい、チャレンジしたい研究」を研究員や若い学生達が思う存分、失敗を恐れずに取り組んでくれたらよいです。その環境づくりのための下準備をするのがPIの私の仕事です。日々の物品注文から会計伝票入力、廃液処理など、何でも私はやります。
 最近の学生達は、「修論にまとめるデータを使って国際誌へ投稿するために英語で論文書いてみました」と言って持ってきてくれます。もちろん、奨学金返還免除申請のための業績作りをしたいというのもあると思います。何事も業績が無いと評価されないのは博士課程前期の学生でも十分に理解しています。1年ほど前までは研究のイロハも分からなかったのに、これは大変な驚きです。すごい成長だと思います(もちろん、初めて学生が書いた後は添削という私の修行が始まりますが…)。本人には言えませんが、「そんな能力あったの?もうちょっと早くに頑張っていたらエクセレント・スチューデント・スカラシップ(半期の授業料免除特典付き)も取れたのにね」と心の中で思います(今まで7割以上の院生が受賞しているので、エクセレント・ブリーダーと呼ばれてますし!?)。若者の潜在能力の高さには驚かされますし、逆に、「自分の限界を作らない」という私の教育姿勢に間違いはなかったと安堵もします。秘伝の「浮穴研メソッド」が上手く機能しているとも思います。困ったときの研究室メンバー同士の助け合い精神が原動力です。研究は一人では何もできません。互いに協力し合ってこそ新しいことができると感じます。ソーシャルディスタンスが叫ばれている時代ですが、助け合わないと生きていけません。「他人に迷惑かけるな」と言う人が一番迷惑かけているものです。何事も「お互い様」ですし、先生や先輩から受けた恩は同僚や後輩に返してください。我々は見返りなど1ミリも期待していないです。
 新型コロナの影響で、この2年間は「我々が行っている生命科学研究は不要不急なのか?」という命題を常に突き付けられました。確かに研究しないでも良いのでしょうが、学生や院生が高い授業料を払っているのに研究をさせないというのは問題ありです。「成果を出すための研究」ではなく、大学という教育機関で研究をすることは「研究は成長の一手段である」ということだと常々思います。「研究成果を出すことを最優先」すると、どうしても窮屈になり、嫌気が差してきます。成果至上主義だと、「成果が出ない=存在意義がない」ということと勘違いしてしまいます。「結果が出ない原因を追究する」ことも立派な研究ですし、「どうしたら次は上手く行くか?」ということだけ考えている方が頭を使えて楽しいですし、本当に上手く行った時の感動は忘れられないものです。「面白いからやる、楽しいからやる、変な結果が出たから原因を知りたい、次どうなるか知りたいからやる」というのを最大のモチベーションにし、「やらされるのではなく、自らやってみる」という自主性が成長の起爆剤だと思います。「自分の頭で考えて、次に何をしないとならないいか」を常に考える癖を付けましょう。「成果を挙げるために無駄なことはしない」というのは間違いで、「結果として無駄になっても良いので、まずやってみる」という姿勢が大切です。
 あと、「変化に気付く」「兆しを逃さない」ということが大事です。今のオミックス解析の時代だと多くの情報があふれています。その中にはお宝が眠っているはずです。そのダイヤの原石を見つけたと思ったら、それが本物か偽物か、とことん磨いてみましょう。磨いて小さくなるようだったら偽物ですし、光りだしたらその原石を見つけたことを誇りに思ってください。目先の成果だけ気にして、磨くことをしない若者に今まで何人も出会ってきました。「ゴミ山の中にはゴミしかない」と思うのと、「お宝はゴミの中にこそある」と思うのとでは取り組むモチベーションも結果も大きく変わってきます。「直感」を大事にし、しつこく食い下がる諦めの悪さ(=執念)が大事だということは我々も何度も経験してきています。もちろん、気が遠くなるような時間も労力も研究費もかかるのも確かです。何度もくじけそうになったり打ちのめされたりするものですが、「七転び八起き」の重要性はいつも感じます。努力は有形の結果に結びつかないことも多いですが、精神的な満足度・達成感・成長の肥やしとなります(オリンピックでもそうですが、メダリストよりも4位の方が感動は大きいです。全てのアスリートの皆さんに敬意を表しますが)。こころの成長には臨界期が存在します。若者の特権は感性の良さですので、この時期の成長と努力は中年期以降に役立ちます。その「成長の手段として研究」は最高に素晴らしいものだと信じたいです。成長はさらなる発見の足掛かりに繋がります。
 冒頭の筒井先生のご逝去に際し、比較内分泌学会誌の追悼文にも記しましたが、筒井先生の教え(私の解釈も含め)を最後に記したいと思います。良い師匠に出会えたことは私の最大の幸運・財産です。ここまで育ててくださり、成長させていただいて心から感謝申し上げます。筒井先生は今でも、そしてこれからもずっと、私の中におられます。同じ、和義ですから。
 
 ・ピンチはチャンス(ピンチの時ほど新たなチャンスが生まれる絶好の時)
 ・研究を面白くもつまらないものにするのも本人次第(いくら先生が面白いと思っても本人に興味がなければ発展はないし、その逆も真)
 ・深刻になるな・真剣にやれ(頭の中で餅ついている暇があったら行動に移せ)
 ・凡人は日々コツコツと努力することで天才を超えられる(真摯な努力の積み重ねが大事)
 ・やる前から諦めるな(諦めなければ先はあるが、諦めたらそこでアウト)
 ・賞の価値は受賞者が決める(賞は受賞者自身の研究態度や研究成果により価値が上がるし、下がる場合もある)
 ・感謝を忘れない(周りの皆がサポート・協力することで全ては動いているし、完成する)

2021年7月 オープンアクセスジャーナル誌への論文掲載

 以前は学生達の論文が受理されたら解説をしていましたが、ホームページ改修でページを整理したので論文掲載に至る経緯についての雑感記事が無くなっていました。アーカイブとして過去の記事をPDFファイルにしたので文末に貼り付けます。
 そして、新たな雑感を記します(実際にはこの記事を書いた後に過去のアーカイブ記事を探して読み直したのですが、言いたいことは既に5年半前に記していました。成長はしていないということか、変わらないことは良いことなのかは不明です)。

 我々実験科学の研究者は、実験をして成果を出さないとならなりません。成果とは卒論生や修論生ならば卒論や修論だし、博士号を取得するにはレフリー付きジャーナルに論文が掲載されないとならなりません(所属機関によって違うようですが、広大の場合は必要です)。博士号を取得して研究者として就職するにも業績の数や質で評価されます。もちろん、ピンポイントの研究分野での公募もあるので、専門外の業績を山ほど持っていてもダメかもしれませんが、大概は似たような分野の応募者が集まれば、足切り突破のために業績数や質が問われます。
 そもそも研究するためには研究費が必要だし、学会発表するにしても旅費がかかります(昨年からはオンライン学会のために出張も無くなっていますが)。実験用の消耗品や試薬も高価だし、研究員を雇用するにも研究費が必要です。ある程度自腹でやる人もいるでしょうが、こちらも生活しないとならないので、多くの給料を突っ込んでまで研究する人は多くはないと思います。ということで、研究できるかどうかは、業績(今回の話では論文)が必要だし、それによって研究費や就職といった無限のループが形成されると言っても良いと思います。
 2006年に独立した頃は、ホームランを狙って研究を開始したので業績は二の次で、時間がいくらかかろうが論文が出ないことは気にしないことに決めました。もちろん、過去のデータもあったし、合間に進めていた仕事で業績も出しましたが、本命の仕事が論文になるまで10年ほどかかりました。当時は若手だったということで投資の気持ちで研究費を頂けていたというのもあり、任期制の職であったら真っ先にクビを切られていたと思います。運の良さにただただ感謝です。と言っても後半には博士課程の学生も数名おり、彼らの就職のためにも業績稼ぎでアップアップでした。まだ数年前の話ですが。

 ようやく本題です。昨年の夏ごろ、知り合いがゲストエディターを務めることになり、某M社が発行している完全オープンアクセスジャーナル誌(オプションでの選択ではなく、印刷媒体は存在しないウェブ上論文のみの形態を今回指しています)に論文を投稿する、ということを経験しました。老舗の国際学会発行誌のインパクトファクター(以下、IF)値低下が騒がれる一方で、この手の新興オープンアクセス誌のIF値上昇はどうなっているのか不思議に思うこともあります(ちなみに今回のジャーナルもIF値が6近く出てました)。また、この手のオープンアクセスジャーナルは、やたらめったらメールを送付してきて、「次の論文出さないか?今なら論文掲載料(APC料)を安くできるよ」みたいな、悪く言えば悪徳商法っぽい勧誘をしてきます。ということで、私も当初は半信半疑でしたが、知り合いからの直接的な依頼から、引き受けることとしました(招待されるとAPC料が1割引きになるという特典もあります)。
 実際に投稿してみると、知り合いがゲストエディターと言えども、過去(9年前)に共著論文があるという理由から、ジャーナルマネージャーは最後までゲストエディターに連絡もせずにレフリーを決めて、採否を出しました。つまり、「エディターがお友達だったら、すんなり通るどころか、敢えて接触させないようにする」という利益相反のコンプライアンスを重視するシステムになっていました。また、徹底した早期審査を心がけており、質の高いレフリーが審査してくれました(こちらが間違った解析や記載をしていると必ず指摘していたし、レフリーの指摘通り修正することで内容も随分と良くなったことは間違いないです。意見が割れると3人目のレフリーも立ててくるし)。通常、アソシエートエディター等の仲介を介すとやり取りに時間がかかるのが普通ですが、レフリーコメントもジャーナルマネージャーから直接来るため、最初の結果が出るのも早いです。またレフリーが良いと思ってもエディター判断でリジェクト(不採択)もあるようで、例えば、この手のオープンアクセスジャーナルに多い総説論文は過去の総説と似たような内容であれば、英語を変えていてもリジェクトに簡単にするようです(これも知り合いの経験です)。
 次に、メジャーリビジョン(大きな論文修正が必要)であっても、再投稿までの〆切が10日後に設定されており、当然ながらレフリーの指摘する実験はとてもできないので、そのできない理由をきちんと説明すればよいようになっていました。2~3回のリバイスのやり取りで、最終的にマイナーリビジョンの場合は3日以内という〆切で、最終判断までに 1月半ほどでアクセプトになるという、大きな利点があると思います。
 APC料は日本円換算で20万円を越えますので(広大の場合、年間の公費がこの倍も無い・・・)、全ての論文をこの手のオープンアクセスジャーナルに投稿することもできませんが、「審査が早くて、掲載された論文をオープンアクセスで誰でも読んでもらうことができる。その読まれた回数も分かる(短期間に何百回もダウンロードされると気持ちの良いものです)。論文が片付くことで次の研究に集中できる。」という利点があると思います。一度論文が掲載されると、別の特集号がある場合には、「次もAPC料支払いに使えるクーポン出すよ」という甘い誘惑もあり、クーポン地獄に突入という、スマホ決済やスーパーの割引のごとく世の中の仕組みと同様のやり取りが繰り返されますが。
 デメリットとしては、「あのジャーナル、ハゲタカではないのか?」と思われる気もしますが、上記の通り、きちんとした審査がなされていて、質の悪い論文がAPC料集めのために掲載されているわけでもないと思います(実際に上記の通り高いIFが付いてるので引用されているということなのでしょうし)。逆に、レフリーを引き受けるとクーポンがもらえるというので引き受けて甘く審査すると、エディター判断で却下、というふうになっているようです。
 もちろん、老舗の国際学会誌ジャーナル(私の分野でいえばEndocrinology誌やJ. Endocrinol.誌など)に全て掲載されると良いのかもしれませんが、結局のところ学会費や掲載手数料・カラー印刷代などを計算するとこの手の完全オープンアクセスジャーナルのAPC料と変わりはないし、IF値も遜色なく(というか、むしろ上)、審査時間の短縮になるというのが正直な感想です。老舗ジャーナルはIF値と比例せずに、掲載される論文の質が高いのは間違いないので、この手の老舗ジャーナルへの投稿も忘れてはならないとも思います。

 話は違いますが、完全オープンアクセスジャーナルと言えども審査の遅いジャーナルもありました。最近の経験ですと、巨大Eジャーナル社が発行している昔からある速報誌に昨年10月に投稿したところ、珍しく1月半後に結果が戻ってきて(通常はエディター判断なので1週間ほど)、「却下だけど別のオープンアクセスジャーナル紙へトランスファー(そのままの形式で転送)したら」、と言われてしたら、5カ月ほど完全に放置でした。その間、何度もオフィスへメールで問い合わせをしましたが、「今、コロナ禍でレフリーが皆断るので待ってくれ」の連発でした。リバイス指示も大したことはなかったですが、結局受理されるまでにトータル8ヶ月半かかりました。こちらとしては作用経路がユニークなために速報として出したかったのですが、大遅報となってしまいました。しかも、このジャーナルの遅い審査を誤魔化すためか、ファーストディシジョン(レフリーコメント送信)の日付が何故かリバイス投稿日になっていました。びっくりですね。

 長くなってしまいましたが、言いたいことはここからです。大学でラボを構えている教員として、大論文をトップジャーナルに出すことは夢です。ただ、皆が皆、それが可能でもありませんし、今の時代、トップジャーナルの要求はトンデモなく高いです。我々の分野だと何種類もの異なった実験手法や結果、遺伝子改変動物での解析、バイオインフォマティクス、シミュレーション解析など、とても地方弱小ラボ1つでは完成させることは不可能になっていると思います。多くの共同研究、研究費、スタッフの人員などと運の良い(?)テーマが合わさってチャンスが来るものと思います。そのチャンスがいつか来るのではないかと思い、10年近くの時間を費やしたのが冒頭での話でした。もちろん、そのチャンスが二度と来ないとは言えませんが、今やるべきことは大学院生や若手研究者の力(論文を書く力と業績数)を付けることと割り切っています。博士号を取得する必要がある博士課程後期の学生達は、立て続けに3報ほどは自分で英語の論文を書いてみて、指導教員に手直しをしてもらうというトレーニングが必要と思います(以前も記したことがあります。下記のアーカイブ記事参照)。今の時代、日本語から英語の翻訳ソフトもフリーであるのでしょうが、英語を英語で考え表現し、データから何を主張すべきか、そもそもこの研究は何のためにやったかを明確に記す必要があります。そのトレーニングとして、レフリーとのやり取り(レフリーへのレスポンスは、Rubuttal Letterと言いますので、反論することも必要です)を経験して、論文が受理される経験を積むことは、彼らが一人前になるために避けては通れない道です。それ以前に奨学金返還免除や学振の特別研究員採用など、業績はいたるところで必要です。その経験を積むというためにもジャーナルへの論文投稿は重要です。論文が出ないことは仕事をしていなことと同じだと言われたことがありますが、「大学院生達の教育の一環として論文を書く(正確には書かせる)」ことが大事と思い、そのツールとして完全オープンアクセスジャーナルへの論文投稿は1つの手だと思いました。
 今、上記の巨大Eジャーナル社らの論文閲覧料高騰で、世界中の大学が困っているという問題が発生しています(読みたい論文が自由に読めない)。そのため、誰もが自由に読めるように著者負担でAPC料を支払い、オープンアクセスの権利を取得しておくというのもあります。これもやはりAPC料を払えるのか?という研究費問題を含んでいます。

2016年1月「新たな論文受理で思うこと」

2021年6月 SDGs

 久しぶりの雑感なので、まじめなことを記します(前回から1年半経ってしまいました。色々と書きたいネタはあるのですが、書けていないです)。
 SDGsというのは、「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略です。2015年の国連サミットで採択された2030年までに達成すべき17目標があります。
 この中で、我々が進めている研究内容で言うと「2:飢餓をゼロに」と「3:すべての人に健康と福祉を」が近いと思います。正確に言えば、「当たらずとも遠からず」程度だとは思いますが、考え(勝手な解釈?)を述べます。
 まず、「2:飢餓をゼロに」ですが、これは貧困で苦しんでいる人達に食料を供給できるようにする、というのが本来正しい目標かと理解しています。ただ、我々生物繁栄の道筋は生命誕生以来、ずっと飢えとの戦いであり、飢えをしのぎ食料を得たいという生得的行動を発達させてきました。つまり、食欲が重要です。逆に言えば、食欲や脂肪蓄積の能力がなかったならば、飢餓に直面したらすぐに死に絶えたかもしれません。私達は、「食欲やエネルギー代謝調節に関わる脳内因子」を研究しているため、「飢餓を乗り越えるための体の仕組みの理解」を通じ、「飢餓をゼロに」という目標へ貢献できると考えています。
 次に、「3:すべての人に健康と福祉を」です。不健康な生活を送っていながらも、病気にはなりたくないなと思いがちです。現時点では健康でも不死身の人はいません。福祉も重要です。上記の「飢餓を乗り越えるための食欲やエネルギー蓄積」は、飽食・運動不足・ストレス社会の現代社会では容易に「肥満や生活習慣病の発症」へ直結します。本来の我々の体には、エネルギー恒常性があり、「過度に太らない」システムが備わっていたはずです。美味しい食べ物・高カロリーな食べ物は、その恒常性の破綻を急速に引き起こしてしまい、容易に病気を発症してしまいます。我々は基礎研究を通じて、「みんなの健康と福祉に役立つ」ことを目指したいと思います。したがって、「すべての人に健康と福祉を」という目標へ貢献できると考えています。
 生命科学研究を通じて少しでも世の中のためになることをさせていただくことに感謝です。

2019年12月 今年最後のひとりごと

 気付いたら年末になっていました。今年の年始ごろは修論生1名・卒論生3名の面倒でドタバタとしましたが、その間、私生活でも長く住んだ東広島から子供の通学に合わせ広島市内へ引っ越しをしました。長年染み付いた通勤スタイル(車で15分程度、夜でも好きな時にラボに戻って来られる)からの変更に慣れるのには時間がかかりました。年齢はまだ若いと思っていても、もとから体が硬いのがいけないせいか、ガチガチに固まる頻度が高くなってきたので、そろそろ体力強化を考える必要性が出てきたように思います。長年の不摂生のツケが廻ってきました(それは贅肉?)。
 世の中の働き方改革に合わせ、ラボの研究スタイルも完全分業制を取り入れ、かなり時短で研究を行うことができるようになりました(そうすることでプロが5倍速程度で働いてくれます!)。もちろん教育効果からすると、皆が色々な手技を習得することも大事なのでしょうが、全員が研究者になる(目指す)時代でもなくなったので、ある意味、時代の流れに沿った改革と思っています。と言っても、研究はルーチン作業で進むわけでもなく、困難や壁を乗り越えていくしか新発見はできないです。その過程をいかに楽しむことができるかが大事といつも思います。
 研究に関して言えば、NPGL研究も2014年に最初の論文出てから12報目が出たし、今年は種をまく時期だったと思います。いよいよ来年は収穫の年と思っています。山の向こうに広がった未だ見ぬ景色を楽しみにしているところです。相変わらずの楽観主義者ですね。
 研究費も2018年春ごろの状況からは大きく改善し、ずいぶんとありがたい環境で研究を進められることができていると思います。関係各位に心より御礼申し上げます。
 先日、トップページの研究室名を「神経内分泌学」から「神経代謝調節学」に変更しました。分野名や研究室名に縛りはないので自由なのですが、「末梢組織でのエネルギー代謝調節を脳はどのように制御しているのか?」という今の研究内容を的確に表していると思っています。
 来年4月からは新メンバーも加わるはずですので、なんだか今からワクワクしています。
 それでは、1年後(!?)に。

2015年3月 この10年間を振り返って

 2005年度に助教授(2007年度から職名変更で准教授)に昇任して2014年度終了時点で丸10年経ちました。ちょうど区切りが良いので、この10年間を振り返ってみたいと思います。助手の7年間よりも、はるかにあっという間で、少しだけ辛くて、それ以上に楽しく、濃いものでした。

 最初の1年は見習い期間でした。一人での作戦会議でした。コツコツ安打製造機に徹するか、ホームランを狙いに行くべきか、結局は後者にすることにしました。ただ、今まで一本もホームランを打った経験がありませんでしたが。もちろん、今でも打てていないのですが・・・。
 以降の9年間は、3年周期で研究室が動いていたように感じます。
 2006~2008年度は種蒔き・つぼみ探しの時期で殆ど学生さんもおらずに暗中模索状態の第一期でした。かなり心身共に苦しい時期でした。転出されたボスの偉大さを痛感し、自分の非力さを恨みました。
 2009~2011年度は古満さんや大口君らが入室してくれ、少しずつ芽が出てきた苗を育てていきました。この時期はペプチド産出ができないとどうしようもない時期でしたので、古満・益田さんらが中心となりペプチド産出を目指していました。そして、少しできたペプチドを使っての機能解析でした。再現性は?幻データか?捨てデータか?というのがこの第二期の後半の日常でした。上手く行かないことの方が多く、手の打ちようがなく途方に暮れていました。上手く育つのか、このまま枯れてしまうのか、崖っぷちの瀬戸際でした。ただ、言えることはこの時諦めていなくて本当に良かったということだけです。
 2012~2014年度の第三期は、優秀な人材が集まり、一つの突破口を皮切りに一気にデータが蓄積してきました。黄金期と言っても良いほど、恵まれた時期となりました。生研センターや大型科研費の採択が続き、2013・2014年度はピークとなりました。浮穴も研究の世界で少しずつ認められてきた実感があり、これも研究室メンバーのおかげです。「広大にも面白い研究している若手(もう中堅ですね)研究者がおるなー」ということが拡がってきたと思います。特に、科研・新学術領域の班員に4年間加えていただいたことは大きな収穫でした。医学系の著名な先生方の前で、当初はかなりしょぼいデータを話していましたが(本当に何もデータがありませんでした)、今は胸を張って素人の特権である「知らぬが仏」といった具合で発表させて頂いています。どんなベテランでも皆最初は初心者だと都合よく考えています。自分でも成長できた3年間でした。学生達も研究での壁を乗り越える努力に比例し、成長が目に見えて分かるようになり、先生冥利に尽きる経験を沢山させてもらいました。ありがたい思いでいっぱいです。

 この10年間を振り返ると、本当に色々な経験をさせて頂きました。講義、学内運営、学会活動、研究活動とそれぞれ内容は異なりますが、取り組んでいる際は大変だった分、充実した期間でした。どれも私なりに手を抜くことなく全力で取り組んだという気持ちはあります。隣の研究室にいらした安藤先生が私が助教授になるときに言われた言葉として、「助教授時代が一番仕事ができるのだから、時間はかかってもいいので焦らず頑張れ」というものでした。今思えば、この10年間、業績は二の次にして難しいテーマに果敢に挑戦できた自由な環境とそれを辛抱強く支えてくださった周囲の先生方・学生達の皆様のおかげです。これまでの研究者人生を振り返ってみて、マスターコースの大学院入試の時、ドクターコースへの進学の時、助手にしてもらった時、助教授にしてもらった時、学生が一人も研究室に来なかった時、上手く研究が進まなかった時、学会賞を受賞した時、研究助成が採択された時、学内の大型プロジェクトが採択された時など、見えない何らかの大きな力が働き、私を救ってくださったと感じます。周囲の大勢の方達の存在や良縁に恵まれたからに他なりません。
 ただ、哀愁に浸っても、これで引退とはならないので(卒研開始から22年が経ちましたが、定年まであとちょうど22年あります)、次の新たなステージへ進むためにも、これまで以上に頑張りたいと思います。次の3年間はいよいよ大輪の花を咲かせ、実ったものを収穫し、それを売りに出す時期だと思います。高値で売れるか安く売るかは私次第です。他の人よりも多くの時間と費用がかかってしまったのかもしれませんが、自分なりの進め方でやるしかないと半分は開き直っています。
 そろそろ締めますが、この10年で得られた有形無形の財産を有効に使い、さらに上を目指していきたいと思います。10年後、これまでの10年間よりもさらに飛躍できていればハッピーです。つまり、今が頂点ではなく今を踏み台とし、ジャンプできたらよいと思います。何故か私の人生は、結果オーライで上手く行っているような気がしますので、地道に頑張りたいと思います。安藤先生がドアに貼られていた「謙虚に、ひたむきに、感謝の気持ちで」を忘れないようにします。今まで支えてくださった大勢の先生方や学生達に恩返しをするためにも今後も精進を続けたいと決意を新たにしました。

2014年4月 生研センターのプロジェクト終了に際して思うこと

 2011年8月から開始した生研センター(イノベーション創出基礎的研究推進事業、若手研究者育成枠)の大型プロジェクトが2014年3月31日で終了しました。この3年間を振り返ってみたいと思います。
 まずは3年前、5回目の申請で39歳という年齢制限最後のチャレンジでした。申請書を出して少ししてから宮崎大・井田さんが主催された「ペプチド・ホルモン若手研究会」に声をかけていただき、初めてニワトリのデータを自分の所属学会以外の専門家に見ていただきました。今から思えば大したデータではありませんでしたが、あまりの反響の大きさにびっくりしたのを覚えています。この手応えだと生研センターも面接には行けるのかもの期待しました。その直後、東日本大震災があり、公募自体が白紙になると覚悟をしました。しかし、面接に呼ばれることがわかり、ニワトリ研究者の先生方に色々とアドバイスをいただきました。6月には面接があり、いつになく緊張した発表となりました。自分でも上ずっていることがわかり、大きなグラント審査の怖さを知りました。採択通知が届いた時には夢のようでした。申請書に書いていた計画が広すぎるということで、半分になりましたが、それはそれでやりたい研究に専念できるのでかえって良かったと思いました。
 その後、東京・埼玉での研究計画の打ち合わせや毎年度の報告会等では、なかなかこちらの研究成果ややりたい事を認めてもらえず、歯がゆい思いをしたこともあります。異分野、さらに応用研究という今まで携わったことのない分野にチャレンジすることの難しさを痛感しました。そもそもPIとしての研究の進め方からして悪いのではないかと何度も思い悩みました。大概そういう時は愚痴しか出ないのですが、堀場雅夫・スティーブジョブズ・稲盛和夫氏らの大経営者達の文庫本を読み、「自分の進むべき道は間違っていない。このまま続けよう」と思いとどまったものです。しかし、それは途中での苦労であって、3年間終わった今となっては本当に良い経験をさせていただいたと感謝の気持ちで一杯です。研究途中で関係の先生から次のようなお言葉をいただきました。「生研センターの支援を受けるということは、通常の科研費で進められる何倍もの推進力があるので是非ともチャンスを活かして頑張ってほしい」というものです。今の結果を得ることが出来たのは、確かに生研センターの支援の賜物だと思います。
 話は戻って、2011年8月からの研究開始でしたが、最初の二ヶ月間は研究環境を整えるのに費やしました。特にペプチド合成機の選定には手こずりましたが、結果的にはこの合成機があったからこそ研究が大きく進みました。日本で理研・東大に続く3台目の導入という点でも、支援のありがたさを感じることが出来ます。もう一つは、保険の実験の大切さを知りました。表から攻めて駄目だった場合は、裏から攻めるということ、そして両方同時に攻めておくことの大事さを知りました。また、学位取得直後の若いポスドク研究員の雇用でポスドク問題を身近に感じることもできました。ポスドクの葛藤と若手研究者の現実(力量や業績等)を知る機会にもなりました。
 この3年間の研究の進展を振り返るとまさに転機がありました。上記の繰り返しになりますが、この転機は間違いなく生研センターのご支援のおかげです。研究開始から1年半ほど経った2013年に入ってから漸く成果が出始めました。それまでやってもやってもネガティブで再現性も取れず、「とんでもない外れのテーマを選択してしまった」と日々後悔の念や撤退の時期を探していました。しかし、「諦めることを諦めた」瞬間、急にデータが出だし、今までの停滞が嘘のように視界が開けました。分かってみれば大したことはなかったのかもしれませんが、全てのピースが合った瞬間でした。点ばかり探して前に進めませんでしたが、点が2つ見つかったことで、それらが繋がって線となりました。この線がどこまで繋がっているのかを解析していくことがこれからの楽しみとなりました。2012年までの約4年間、徒労に付き合って今の成果を知らずに研究室を離れていった研究室メンバー達へは、皆の「道なき道を切り拓く努力」があったからこそ今の浮穴研があるということに対して御礼を言わせていただきます。最近では、色々な学会発表賞や学長表彰等をいただくことが出来ました。多くの努力をしてくれた研究室メンバーの試行錯誤の延長線上に今があり、これからも着実に成果を挙げていく使命があります。現時点では、学術論文としては1報ですが、10報以上になる基礎的なデータを集めることが出来ています。これからは論文としての成果を世に送り出し、研究の価値を認めていただけるようにより一層頑張らなくてはなりません。この3年間、「多くの研究費をいただいたからには超一流誌へ」という思いが強すぎて逆に論文にできなかったという負の循環もあったことも否めません。今できるベターな選択肢を選ぶことも私の仕事だと思います。それは肝に銘じて精進していかないといけないと改めて感じました。
 最後に、生研センターの研究リーダー、主査、評価委員の先生方には常に温かい励ましのお言葉を頂戴しました。「置かれた立場で何が出来て、今何をすべきか」という社会では当たり前のことを学ばせていただきました。どうしても大学で研究をしていると、「好きな研究を自分のペースで」と思いがちですが、国民の皆様の税金で研究をさせていただいているという基本を改めて感じました。つまり、費用対効果が重要です。その点では多々至らない点もありましたが、「若手育成枠」ということでお許しいただきたいと伏してお願い申し上げます。このご支援を足掛かりにして更なる研究発展を誓って、新年度に臨みます。決してエープリールフールの戯言ではありません。ありがとうございました。

2013年9月 挫折しそうになったら

 最近、嫌なことがあった直後に良かったことがあり、精神的に落ち込んだり立ち直ったりした経験がありました(今に始まったことではなく、いつも気持ちは期待と不安の間を大きく揺れ動いているのですが)。私の科学的興味は「喜怒哀楽は脳内分子の働きで説明できるか?」というものですので、どうすれば、元気よく前向きに、ポジティブ思考で明るく生きていけるかということを常に考えています。
 研究をしていたり、講義をしていたり、社会生活(人生?)を営んでいると色々な嫌なこともたまにはあるものです。色々とやらないといけないことを抱え込んでいるうちに大事なことから目を背けたいと思い、現実逃避をしたいことも多々あります。
 さて、そのような際にどうやって研究(実験)生活を生き抜けば良いのかを私なりにまとめてみました(空港で3時間待ちという時間ができましたので)。あくまでも私の個人的な考えですので、参考にならないかもしれません。しかし、私の文章を読んで頑張ってみようかと思い直したという若い人もいましたので、そのような人が一人でも多く出てくれるようにまた記します。いつもの戯言です。

1.実験で思い通りに行かない場合

<初心者編>
 まずは色々とやってみましょう。本当の初期は、確立されている実験系でデータが出ることを確認しましょう。練習が大事でデータの出し方や結果の解釈の方法を学ぶ必要があります。研究生活は誰でも行っている日常生活とは明らかに違います(それが次第に逆転していきますが)。その後、答えの分からない未知の研究をするようになりますが、実験は10回やって1回成功すれば良い方です。それ以前に方法(プロトコール)を作っても間違っていることがあるのです。初心者は謙虚に先輩や先生の言うことを聞いて確認をしてもらいましょう。自分の思い込みで進めているのかもしれません。謙虚さとひたむきさが大事です。方法に問題がなくとも、「自分が与えられている仕事は先生や先輩が望んでいる通りにやっているのか」を認識しておく必要があります。私も経験がありますが、やらないといけないことが分からずに突き進んでいるために、方向がズレてしまって正解に辿りつけない場合が初期には往々にしてあります。まずは、言われたことができるようになることが重要です。オリジナルを発揮するのはまだ先です。自分の考えで研究を進められないことに劣等感やひがみ意識を持たないでください。特に最初の半年~数年間はこれが続きますが誰でも初期に通る道です。何も知らない、分からないことは初心者の特権です。

<中級者編>
 新しい研究室での1年目は気が張って頑張れるかもしれませんが、2年目になると1年目のように先輩や先生方も付きっ切りで指導してくれることは少なくなります。2・3年目に自力で頑張れるかどうかがその後順調に進んでいくかの分かれ目です。これまでの私の経験からも「放っておかれた際に、自分の頭で考えて研究をどれくらい進めていけるか」が肝心だと思います。逆に放っておかれていることに不安にならないでください。研究は常に孤独なものです。ある程度、放っておかれることは貴方が信頼されている証です。放っておかれない人は逆に何も信じてもらっていない人なのかもしれません。もし自分で考えることを楽しむことが出来れば、研究を楽しめているということです。「どういう結果がでれば自分の仮説が証明できるのか」を考えて研究することはとても楽しいことです。研究することはものすごくポジティブなことだと思います。誰も失敗したいと思って研究をする人はいません。成功したい、良い結果を出したいとポジティブに考えて研究をします。それが出来ないと、苦痛以外の何物でもありませんので、とっとと別の道に進みましょう。
 ある程度、技術もしっかりと身についてきたけど、上手く行かない場合。この場合はポジティブコントロール(ポジコン)をしっかりと取りましょう。ポジコンが出るのであれば技術的には問題ないのでまずは喜びましょう。小さいことを喜ぶことは重要です。大きな成功は小さい成功の積み重ねです。応用は基礎ができていないとできません。明らかに上手く行く系なのに、自分の実験が上手く行かないのは、もう一工夫や別の角度からの実験が必要な場合があります。つまり、新たな技術が必要です。今時は便利な時代で、メジャーな実験手法に関しては様々なハウツー本が売られています。それらを参考にしたり文献を調べたりして実験を繰り返しましょう。別の可能性を信じてトライアル・アンド・エラーの繰り返しが必要です。時には別のベテランに手を変えてやってもらうということも必要かもしれません。本当に実験の上手い人にしか出せないというデータも無いことは無いです。「慣れたころに安心感が出て失敗している」可能性だってあります。とことんやったのに望みがない場合には、思い切ってテーマ変更や別の実験への変更を先輩や先生に伝えてみましょう。ただ、その際には「これだけやったけどダメだった」という証拠が必要です。「自分の努力不足」では理由になりません。このためには、自分の頭でとことん考えて行動してみる必要があります。自分の技術と感覚を高めることで、違った目線で研究することが出来てきます。自分で作った料理は、多少美味しくなくとも最後まで食べられるものです。他人が作った料理にケチをつけていても決して美味しくはなりませんし、嫌いになるでしょう。

<ベテラン編>
 もう何本か論文も書いて学位も取得できそうなドクターコースの人とかポスドクの人についてです。上述の通りたくさん実験をしていても上手く行くことは滅多にないことは身を持って承知しているでしょう。ですので、「保険の研究」が必要です。学位を取得しても職に就けない人はたくさんいるので、業績を稼ぐ必要があります。そのために手堅く論文になりそうな研究を一つは持っておきましょう。ただ、先のことだけ考えすぎで目の前のやらないことが進まないというのでは本末転倒です。
 銅鉄実験ばかりでも実力が付きませんので、難しく大きなテーマを進めるのも決して忘れないでください。そのためには、「隠れ実験」、「こっそり実験」、「裏実験」が必要です。私は今の研究内容を進めるまでに10年近く予備実験をしていました(もちろん論文になる研究テーマを柱にしていましたが、あくまで本命は別にありました)。本当にやりたい研究を行うには、それぐらいの準備期間が必要でした。若手イケメンシェフがテレビで、「若い人で、期待され業績を残している人は、遊ぶ時間や寝る時間を削ってでも仕事をしている」というニュアンスのことを言っていましたが、同感です。楽して成功することは天才でなければ無理でしょう。私の経験だと、学位を取得してからも10年頑張らないと一人前にはなれないと感じます。漸く最近になって、「自分の目利きは正しかった」ということが増えてきましたが、たいがいは間違った方向に突き進んで、時間と研究費を無駄にしています。ただ、無駄の中からしか宝物は出てこないような気もします。研究ほど「非効率な仕事」はないのです。数多くの失敗やネガティブデータの先に上手くいく種が見つかると思います。そのちょっとのチャンスを見逃さない注意力が必要です。効率だけ求めるのは酷ですが、世間は成果しか見ないのも確かです。バランスを考えるのも重要です。研究の道でご飯を食べようと思っているのならば、オーバーワークでも何ら気にならない体力と四六時中研究のことばかり考え続けられる興味とモチベーションが必要です。もちろん、人間は機械ではありませんので休息も必要ですが、メリハリが大事です。楽して成功したいと思う人は別の道に進みましょう。

2.先輩や先生に怒られた場合
 どうして怒られたのかを理解していますか?貴方を嫌いだから怒っているわけでもいじめているわけでもありません。怒る側もそれなりのエネルギーと精神的な負担があるのを理解してください。貴方のことを思って言っているのです。怒っている対象は行為であって、貴方の存在や人格を否定しているものではありません。本当です。逆に、怒られなくなったら「見放されている、無視されている」可能性大です。上述の通り、先輩や先生の思いを汲み取れるかということですので、あまりピンとこない場合は、「怒られた理由を確認」してみてください。期待感が強いから怒られるのです。上司は単にストレス発散しているのではありません。「倍返しだ、土下座しろ!?」と思う前に自分の行動を冷静に見つめ直しましょう。人間性が無く怒るのであればハラスメント委員会に訴えましょう。
 研究で怒られる場合は、幾つかの原因があります。以下に例を挙げてみましょう。
 初歩的には片づけ・掃除や研究準備が不十分な場合。研究室のルールを何度言っても守れない場合。ノートやデータ整理がすぐに出来ない場合。過去の自分のデータを忘れてしまっている場合。気が入っておらずに実験する場合。はしゃぎ過ぎたり、自分勝手な行動ばかりして周りに迷惑をかけている場合。皆でやらないといけない作業をやらない場合。他人に横柄な態度ばかり取っている場合。研究室の雑用は後輩がやるものだと思っている場合。準備不足でセミナーや学会発表の出来が悪い場合。時間を守れない場合。遅刻や重役出勤が続く場合。ダラダラとして周りに悪影響が出そうな場合。やらないといけない仕事を真面目にやっていない場合。やるように言われた仕事をいつまでも放っておいてしまっている場合。出来ない言い訳ばかりしている場合。他人事だと考えている場合。嫌々感を前面に出している場合。他人の仕事ばかり気にして自分の仕事がおろそかになっている場合。自分ばかり不幸だと思っている悲観的な場合。先生や先輩が自分のことを悪く思っていると被害妄想している場合。などです。
 どこかの会社のCMで「100回試みて1000回省みる」というのがありますが、確かにそうだと思います。

3.思い通りに行かない場合
 確かにそうですね。期待した通り、思い通りに行けば苦労しないです。自分の適性はなかなか自分には見えないものです。でも、「好きなこと」を見つけてください。好きなことだと多少の嫌なことがあっても耐えられます。ノーベル化学賞受賞者の下村先生に言わせると、「途中で諦めるくらいだったら、それは本当に自分がやりたかったことでも好きなことでもない」ということのようです。本当に好きだったらとことんやり続けられるのです。ただ、それも思い通りにはならないのも確かで、失敗続きだと、「自分には適性がないのかも、別のことをやったら成功するかも、別の道があるかも、もっと楽したい、頑張りすぎじゃないのか?ここから逃げ出そう」と思ってしまいます。その時には、原点に戻りましょう。「自分が言い出したことなので、とことん挑戦してみる」ことが重要です。結果的に全てが失敗に終わっても、心はすっきりしているし、それなりの達成感も逆に湧いてきます。これぐらい努力して無理なら、他の誰がやっても無理だと思えるまでやってみましょう。でもその過程で、自分らしさや健康に害が出てしまったら、それこそ、「縁が無かった」と諦め別の道に進むことも有りです。決して負け犬ではありません。人には出来ることと出来ないことがあるのです。頑張っても無理なことは確かに存在します。心身共にこれは仕方のないことなのです。現時点では自分の実力と運がなかったと開き直りましょう。嫌なことは早く忘れて別の道で生きることも大事かもしれません。負けるが勝ち、大器晩成型だと思って、生きていきましょう。けっして逆恨みだけは無しにして欲しいです。

4.周りからの評価が悪い場合
 それに気づいているということは十分に見込みがあります。評価の悪い人はたいがいそのようなことには感心がありませんので。
 社会では、「ホウレンソウ」が重要なようで、報告・連絡・相談が必要です。自分の思い込みで進んでいては周りのものはいい迷惑です。まずは、この「ホウレンソウ」が出来ているかどうかをチェックしましょう。また、気配りが重要で、疲れない範囲で気を回す必要も集団生活をしていれば生じます。評価の低い原因は、大抵は、「自分勝手、自己中心的、周りの意見を聞かない、やるべきことをやらずに遊んでいる、仕事をしない、気が回らない」というもので、少々本筋で成果が出なくとも、他人のために努力をしている場合は、目をつむってくれるものです。ですが、本筋で成果を出して誰からも高い評価を得られるようになりたいものです。そのためには多少の犠牲も必要です。今頑張らないでいつ頑張るのでしょうか。「今でしょ」は流行語です。別の道に進んだ時に頑張れると思ったら大間違いです。今頑張れない奴はいつまでたっても頑張れないと理解しましょう。「後でやる、は絶対やらないの同義語」だということを私は配偶者から叱られて漸く気付きました。
 また、期待されていることが出来ているのかというのも評価になります。先生や先輩は、10のことを要求していても8しかできない場合は評価が悪いのです。6しか期待していないのに8できた場合、評価は高くなります。同じ8なのに理不尽ですね。自分の置かれた立場と期待度を絶えず客観的に判断できるようになれば一人前です。自分の都合だけで期待を裏切るのは、相当な落ち度だと考えたほうが良いです。それがバレないと思っている方が間抜けです。心にやましい気持ちがあると自分らしさを発揮できず窮屈になります。百戦錬磨を戦い抜いてきた上司は部下の気の緩みや隙は簡単に見破れます。無言でも評価は下がっているのです。一度評価が下がるとそれを挽回するのには相当な努力が必要です。
 ただし、評価ばかり気にしていてもどうしようもありません。自分の価値観を確立し、少々陰口や悪口を言われていようが結果で示せるように開き直るたくましさもこれからの時代重要です。これが鈍感力というのかも知れません。

5. お金、友人、恋人で問題が生じたら
 そんなことは本人が解決するしか方法がありません。私が教えられる範囲を超えています。自分自身が痛い目をして乗り越えていくしかないのです。良い方法があったら是非とも私に教えてください。

2013年3月 特に優れた若手研究者(DR:Distinguished Researcher)に選定されて~出すぎた杭は打たれない存在へ、「Dreamer & Researcher」~

 これは、広島大学から「国際的にも認められる研究大学として発展するように、教育や大学運営はそこそこで良いので、脇目も振らず研究を猛烈に行い、世界トップレベルの業績を出し、外部資金を少しでも多く稼ぎ、大学の看板・宣伝となるような研究を行う若手研究者として期待している」というお墨付きを与えられたということでしょう。大変名誉あることだと思います。
 確かに、本当に能力のある研究者ならそれも可能なのでしょうが、私のような非力で気弱な教員がそれを成し遂げるのは無理だと思います。私は学生達に、「最初から無理だと思うな」と日々言っていますが、「自分の置かれた状況で、研究だけに専念する」ことは不可能だと思いますし、そもそも、大学教員は研究職で良いのかという疑問があります。研究だけをしたければ、自分で研究所を立ち上げればよいと世間から叱られそうです。ということで、以下のような大きな目標を掲げたいと思います。DRに選ばれたからこそ書ける夢を記します。大きな夢を見る研究者(DR:Dreamer & Researcher)になりたいのです。結局は、研究というものを土台にしながら、人材育成・講義・大学教員としての仕事・学界活動ができれば良いと思っています。それができれば、本当に突き抜け、誰からも認められる存在になるでしょう。まぁ、いつもの戯言です。

1. 現在進めている研究を完成させるように研究室一丸となって研究に打ち込む。それをできるだけサーキュレーションの良い科学雑誌に掲載されるように努力する。
 背景:確かにここ数年、多くの貴重な研究費をいただき、研究をすることができています。大変ありがたいことです。これは、研究者としての私の直感から「本当に思い通りの成果が出れば世の中がひっくり返る新発見となる!」とアピールし、審査員も半信半疑ながら、「そこまでの思いがあるならやってみたら」という期待感があったからだと思います。しかし、研究ほど「予想が外れる」こともないと思います。この4年間のほとんどが、やってもやってもネガティブデータでした。たまに出たチャンピオンデータも再現性が取れませんでした。期待が大きければ大きいほど、失望も大きいものでした。出口がどこかも分からず、暗闇をさまよう日々もありました。もういっそのこと諦めた方が楽ではないかと思うことも何度もありました。しかし、ここ数か月で、それも抜け出せるかもという状況になってきました。「やっぱりDRに選ばれるだけはあるわ―」とも思います(!?)。あとは、できることをやって、早々にまとめていきたいと思っています。それができないと、将来的に我々をサポートしてくれる研究費も人材もいなくなるでしょう。本当にウソつき研究者で終わるでしょう。

2. 研究を通じて、「考える力」「努力する姿勢」「困難に打ち勝つ精神力」「継続性の大事さ」「謙虚さと感謝の心」を持った若手人材(学部生、院生、ポスドク研究員等)を育てる。
 背景:この「雑感」でもさんざん記してきたように、「楽して成功したい、カッコよく上手くやり過ごしたい」と思う人が多くなってきました。時代の流れなのかもしれませんが、そんなことを考えている人は浮穴研を選ばないでしょうし、間違って選んだとしたらとんでもなく不幸になるでしょう。逆に、将来の糧になるように今こそ苦労して頑張りたいと思える人材育成をしたいと思っています。もちろん、人間は機械ではないので、「しなやかさ、柔軟性、臨機応変」が効く人になって欲しいものです。浮穴研で得たものを人生の礎にする人が育ってほしいものです。常に前向きでいるためには、「楽天家、ユーモア、愛情、包容力、寛大さ、図太さ、鈍感さ」が基礎にないといけません。

3. 以上の2つのことを地道に行えば、学会発表賞、奨学金、助成金、ポスト等は学生・研究員へ自ずと返ってくると信じる。
 背景:研究室を主宰してから、ありがたいことに私以外の研究室員達も、学会賞、学会発表賞、学部長賞、研究費をいただく機会に恵まれました。それが学生・ポスドク達の自信や地力に繋がれば嬉しいと思っています。もちろん期待通りに事が進まない経験も数多くありましたし、受賞が最終目的ではありません。それに向かう心掛け・心根が重要なのです。決して「どうせ頑張っても先は無い」などと悲観的に思わないでほしいのです。努力は必ず報われる世の中であってほしいと思います。先生や親のために研究をするのではなく、自分自身の喜び・成長や将来のために研究に打ち込むことを第一に考えれば、「しんどいことをやらされている」という考えは生まれないでしょう。人間には本能として「知らないことを知りたい、見つけたい。研究したい」というものがあると思います。卒論生でも秋ごろになると、「○○の実験をやってみたいのですが」と言ってくれるようになりました。これは大変すばらしいことだと思います。指示されるのを待つのではなく、自分から問題を見つける力がついてきたということだと思います。答えを知るよりも問題を見つけることの方がよっぽど大変なのです(もちろん答えが分からないので苦労しているのですが…)。

4. 講義を通じて、「現代社会における生命科学の重要性、問題点、興味、不思議、わかっていないこと」を学生に伝える。教員の一所懸命さを理解してもらえるように講義を行う。
 背景:このDRというのに選ばれたからと言って、講義分担をたちまち減らしてもらえることは無いでしょう。最近は、受講生は「お客様」化しており、匿名の授業評価アンケートで、ずいぶんと「上から物申す」学生さんも多くなりました。それもしょうがないのかもしれませんが、「学生にとって授業料を無駄にしない講義」をきちんと行うことも大学教員の使命ですので、頑張りたいと思います。講義を初めて行っていた7・8年ほど前は、「先生の講義は面白いです。他の講義も受けてみたいです。是非、研究の話も聞かせてください」と言ってくれ研究室にも遊びに来る学生さんも何人かいました。今では、質問さえしてくる学生も激減です。「自分の理解できないことは別世界の出来事」と思っているのかもしれません。これは何の影響なのかわかりませんが、とにかく若者の理科離れ・生命科学離れというのは深刻なような気がしてなりません。「新しいことを自分の目で発見してみる。解決してみたい」と思う人がもっと増えてくることを期待したいです。

5. 組織の一員として、与えられた仕事は嫌な顔をせずに受け入れ、積極的に解決する。
 背景:私はこれまで頼まれたことは大抵断らずに引き受けるようにしてきました。「人がいいねー」と言われますが、「せっかくお願いしてきてくれたのだから」と思ってしまいます。大学業務の大部分はいわゆる「研究とは関係の無い雑務」です。雑務をこなしていると仕事をした気分になりますが、研究をしたければしたいほど雑務はしたくなく、できれば後回しにしたいものです。頻繁に〆切を守れずに謝っています。しかし、多くの事務の方も含めて誰かがその雑務を本職としてやっているのも確かなのです。バランスを考えながら、それらの仕事をこなしていく必要があります。組織の中で生きていることを忘れることの無いように組織や社会に役に立ちたいと思います。私は常々、「社会に役に立つ仕事をしたい、健康や福祉に還元できる研究をしたい」と言っています。家では、「ほんとに役に立たんねー」といつも言われますが(T_T)。

6. 学界の発展を考える。
 背景:自分の学界(学会組織を含めた研究領域)は、「動物学や比較内分泌学」でしょう。脳ホルモン研究を通じて、数多くのことを学んだり研究したりしながら日々生活をしています。この学界の大部分は大学関係者のボランティアで成り立っています。色々な活動がありますが、自分のできることや立場を考えて行動していきたいと思います。あと、学生達にも積極的に学会大会へ参加させ、色々な人と接して交流を持たせたいと思います。学会大会に参加することで、「自分が行っている仕事」を積極的に他人に伝えることの大変さや面白さを実感してほしいのです。そして、大勢の人達が真摯に研究に取り組んでいることを知ったり、影響を受けたり、「自分の知らないこと」を少しでも理解したりできるように努めてほしいと思います。

2006年7月 ある随想からの抜粋

 2005年4月にPIとなり独立した研究室を構えることとなりました。NatureやScienceなどの一流誌の業績があるわけでもなく、さらには海外留学経験も無い研究者が、地方大学ながら30代前半にしてPIになれるという機会に恵まれたことは幸運と言えるでしょう。ここ最近は、研究室立ち上げと経験の無い講義準備に明け暮れました。講義に自分の研究経験をいかに反映させるかも大学人としての使命であると考え、日々奮闘しています。私が所属している研究科は、教養教育の責任部局でもあるため、二十歳前後の若い学生にライフサイエンスの面白さと教養としての重要性を説く必要があります。このためにも、これまで狭い研究観を捨てて、幅広い知識と柔軟な思考が必要であると痛感しています。研究の方は、未だスタッフや学生も殆どおらず、まとまった休みや講義の合間をぬって進行している状態です。大学も法人化し、メリットとデメリットが交錯する中で戸惑うことも多々ありますが、これが現実と諦め(?)、自己改革をしているところです。
 仕事の内容について一般の人から「何を研究していますか?」と尋ねられると、「脳内伝達物質について研究しています」と答えるようにしています。高校生のころに「脳内麻薬や快楽物質」の存在を知り、脳内伝達物質について興味を持ったのが、現在の研究のきっかけです。卒業研究からの13年間、実験材料やテーマは色々と変わりましたが一貫して脳内伝達物質研究に携われてきたことは、幸運なことだと感謝をしています。その過程で、学位をとるまでの6年間とその後の7年間、先生以外の先輩が研究室には全く居らず、自ら暗中模索して実験方法や解釈を体得していくしかない環境にいたことも自分にとっては良いことだったと思っています。助手になり学生を教える身分になっても、ある程度の放任主義は学生が力をつける手助けになると実感しました(それなりの辛抱も必要ですが)。卒業研究時に師事した指導教官の先生からは、「実験は10やって1つ成功すれば良い方なのだから、卑屈にならずとにかく諦めずにコツコツとやりなさい」と指導を受けました。この意味することころはすぐに体得できましたが、困難をどのように克服するか、その対応をどう楽しむかは、まさに研究の醍醐味だと思います。高い目標を掲げて、簡単にできそうなことに逃げずに困難な課題に果敢に挑戦していきたいと思っています。私が所属している研究科のキャッチフレーズに「無限への挑戦」というのがありますが、今改めてその重要性を認識しています。その一方で、学生の価値観は多様であり、今後対応していけるか不安になることもあります。特に、現代社会はストレス社会だと言われるくらいストレス要因が多くあり、今時の学生は、以前より躁鬱状態になりやすいと言われています。ストレスをどう感じないようにするか、ストレスに上手く対処するにはどうすればよいかについて考えていくことも、私の研究や教育の興味であり課題です。
 生体の恒常性維持や喜怒哀楽・ストレス等を制御する未知の脳内伝達物質の発見を目指して、基礎研究を今後も展開していきたいと考えています。


博士と助手のブルース

2011年11月に記した「笑いたいけど笑えない、すべりたくないけどすべってしまう「博士と助手」の5年間の話」だけトーンが違っていて面白いというコメントをたまにいただきましたので、年に一度のシリーズとしました。「博士と助手の〇〇年間」とタイトル付けてましたが、16まで来て数えるのが面倒になったので(定年まで行くと30かな)変更しました。毎年、年末更新しています。
以下、フィクション・妄想の会話です。

2007年

博士:毎日のルーチンワークにも疲れたのでここらで冒険でもしてみようと思うんだけど。ヒット打つ技術は覚えたけどホームランがどうしても出ない。
助手:そうですね。誰も読まないつまらない論文を産出するのにもそろそろ飽きましたね。他人の後追い研究しても心は晴れないですし、達成感もなく楽しくないです。先代教授のテーマをやっていても師匠は越えられないですしね。私も次の職があるわけでもないので、冒険に付き合いましょうか?
博士:では、私の助手時代からずっと温めていたテーマでもやってみる?
助手:それは面白いのですか?
博士:当たれば面白いけど、外れたらどうしようもない徒労に終わる仕事。でも上手くいけば今の閉塞感は打破できるかも。三振かホームランかのどちらかしかない。
助手:博打仕事ですね。1年やって芽が出そうもなければ辞めましょう。球根のまま腐ってもしょうがないので。
(助手は猛烈に働き、文句を言いながらも博士の片腕としてデータをコツコツと集めていったのでした。)

2008年

助手:博士、そろそろ約束の1年が経とうとしているのですが、いっこうにお宝が発見できそうにありませんが。どこかの埋蔵金のように本当はないのでは?
博士:困ったね。ここまで来るのに経費もたくさん使ったし、もうちょっとだけ確認実験をさせて。もしそれでダメだったら別のテーマを探そう。
助手:でも、他のテーマ探しも並行してやってきたけど、そちらも全てダメでした。本当にこのまま突き進んでいって大丈夫でしょうか?それと、この間、博士も気が狂ってきたようで、そろそろ潮時では?心を落ち着かせる漢方薬を煎じるのも疲れました。部屋も臭くなるし。一番は、研究室に入室したいという学生がいないのも致命傷です。学生に人気が無い研究室は存在価値が無いのでは?
博士:隣の教授なんて、定年退職間近なのに、毎晩深夜まで働いて、しかも、しょっちゅう徹夜しているよ。まだまだ我々はやりようが足りないんじゃないのかね?先に帰宅するのが忍びなくて。
助手:やることやってます。あと3ヵ月やってダメなら撤退で。

助手:3つ残っていた可能性も2つがダメでしたが・・・。
博士:あと1つあるよ。残りものには福があるって言うじゃない?福君は娘のアイドルでしょ。○○モリモリ。
助手:3年前はポニョのお姉さんでした。さすがに妄想の中の会話なので時期がめちゃくちゃです。

助手:ちょっと様子が変です。博士の予想通り、なんだか今までにない手応えがありそうなのですが。
博士:うーん。これはひょっとしたらひょっとするかも。とりあえず、これ以外の仕事は全て止めて、これに賭けてみる?
助手:もうここまできたらやけくそ感が・・・。
博士:これは本当に当たりでしょう。早急にできる実験は全てやってみよう。
助手:経費が底をつきそうです。
博士:良い仕事をしていれば何とかなるって、どこかの教授も言ってたよ。
博士:本当に救いの援助が来たよ!経費も底をついて来たけど、砂漠で井戸を見つけた気分。大衆娯楽の神様、万歳!ありがとうございます(某遊具機器メーカー系財団の研究費採択)。
助手:博士の学生時代に鷹野橋界隈で授業料一杯払ったのが今頃戻ってきたの?
(ここでは、有頂天でした。ゴールはすぐそこだと心底思っていたのです。その後の困難など微塵も考えていなかったのですから。)

2009年

博士:なんだか途方もない大きなお宝の卵を発見したかも。ただ課題山積。これは助手と2人でやってても、らちがあかないね。
助手:そうですね。マン・ウーマンパワーがないとどうしようもないということですね。あと、今年から大学から雇用されたので、博士はもはや私のボスではなくなり、博士1号と博士2号という関係になりました。
博士1号:助手改め博士2号、了解しました。宝の話を学生さんにしたら入室してみたいという何人かが研究をやってみても良いと言うことなので、テーマを分担しながら進めることにしよう。
博士2号:なかなか上手く行く手応えが無いです。簡単なことは進められますが、壁が高すぎです。
博士1号:辛抱辛抱。壁はいつも高杉晋作(!?)。いつか何とかなるかも。今まで出会った中で一番優秀な学生もいるよ。
博士2号:途中下車する者も出てきました。何とかならないですか。
博士1号:うーん。どうしようもなし。本丸突入したいけど、武器がない。ひょっとしたら泥沼突入?なんだか試薬代も桁違いに高価ではないかね?いくら予算があっても足らない。
博士2号:また別のところで大ぼらを吹いたら、援助してくれるというお方が出て来られました。ありがたいですね。期待感だけちらつかせて援助をせしめていますが、出る出る詐欺にならない?
博士1号: 返す言葉なし・・・。先端材料万歳!(某大手企業系財団の大型研究費採択)
(学生も入室し、理想の研究室像に近づいた感もありましたが、現実の厳しさを痛感。社会勉強もしました。)

2010年

博士1号:今年こそ何とかせねば。
博士2号:やはりペースを上げていかないと、何処かの誰かに先を越されるかもしれません。自分たちが一番と思っていたら実は二番煎じに終わるかも。
博士1号:また興味を持った学生さんが入ってきたので、分担してやっていこう。
博士2号:なかなか難攻不落で、皆意気消沈です。博士1号を知っている昔からの付き合いの仲間も、博士1号はもはや研究諦めたのか?遊んでいるのか?と陰口を言っていますが。
博士1号:そうだね。学会も行かずに研究室にこもっていると健康にも悪いね。何かやっていることを示すために学会に行ってみる?
博士2号:何か仕事をしているというアピールは必要ですね。
博士1号:予想以上に学会発表のインパクトは大きかったみたい。博士2号も若手優秀発表賞なんて貰えたし。
博士2号:でも隣の学生さんは、「若手の定義は何だ!」と連呼してました。
博士1号:気持ちだけは若手でしょ。いつもサバ読んでるし!?

博士1号:2年近くネガティブデータ続きの学生さんが漸くグッジョブデータを出したね。
博士2号:材料提供チームとそれを使うチーム(1人だけど)はある意味冷戦だったですからね。
博士1号:しかし使用チームの学生は諦めずにコツコツ続けられたものだね。
博士2号:黙々と続ける姿勢には脱帽です。特許申請を急いだほうがよいですね。
博士1号:しかし、やればやるほど、奥が深く、「これは本物のようで、実は偽物かも」と思うことも多し。撤退か?それとも突入か?暗中模索。光は何処に。一喜一憂、三歩進んで二歩下がるのは当たり前。前向いて進んでるだけまし。一割バッターでもホームラン王になれる?でもエキサイティングなテーマに出会えたことに感謝。
博士2号:これは心中も覚悟かも。でも学生さんの中には満足感もあるようだし、努力や継続力の大切さを学んでいる様子もあり、人が成長する姿を見ることができるのも嬉しいです。
博士1号:うーん。中には失敗続きで疲労困憊の学生もいるぞ。もはや突撃する余力もないという状態。
博士2:皆が皆、ハッピーになれればそれで良いけど、それは現実的に無理です。流れに乗れない者は、別の道を進むのもしょうがないです。研究やってて楽しいか楽しくないかは本人が一番分かっているはずです。

博士1号:年度末に来て、なんか良い手応えが得られて来たんじゃない?材料も揃ってきたし、未来は明るいのかも?
博士2号:また出る出る詐欺?バラ色の未来なんて時代錯誤よ。
博士1号:あるところで研究紹介したら、話す前は見向きもしなかった人達から、評価をいただいたよ。最後は胴上げされたりして。
博士2号:天狗になるのは成果が出てからでしょうに。
博士1号:しかし、ペプチドハンターの神様は凄かった。これが自分の目指すとこだと思ったね。
博士2号:またしても経費が底をつき、学生達には強制休暇を与えましょう。
(期待と失望の繰り返し。どちらで振り子は止まるのやら。)

2011年

博士1号:今年は入室希望の学生無し?
博士2号:博士1号のムスッとした無愛想顔が良くないのでは?他人を寄せ付けない雰囲気満々よ。
博士1号:私ほどフレンドリーな先生はいないのにね。
博士2号:そんなわけなーい。
博士1号:うちは他大学に行く学生は受け入れないという噂が広まっているみたい。
博士2号:興味が無い学生相手にするのもしんどいので、それはそれでいいことでしょ。今はやるべき仕事を片付けるほうが先です。優秀な学生達が残ってくれたのだからいいじゃない。ノーベル賞の下村先生も、「努力しなさい。頑張りなさい。」って仰られてましたよ。

博士1号:またしても隣の学生から、「先生のところは過疎化が進んでますね」って馬鹿にされたよ。
博士2号:私も普段からちょくちょく馬鹿にされてるから気にしないことよ。
博士1号:ダメもとで出していたビッグプロジェクトが採択されるかも。
博士2号:もう申請5回目?しかも、年齢制限の最後?
博士1号:これが当たったら暗闇から脱出できるかも。
博士2号:博士1号の名前も売れてきたのか、今の仕事の噂も広がってきたのかもね。ありがたや、ありがたや。
博士1号:遂に獲ったどー。ゲッツ(古!)、フォー(古!)、ラブ注入(古!)。
博士2号:プレッシャーもかかるよ。トントン拍子に思われると恨みを買うよ。
博士1号:現実は、落ち込み9割・喜び1割のうなだれオヤジです。

博士1号:年度後半から新しい人達も入ってなんだか賑わってきたね。
博士2号:特に学生さんは刺激を受けてるみたいね。
博士1号:もっとディスカッションが必要ってことかも。

博士1号:ついに期待していたデータが出たね。表現型にあらわれるとは期待以上?
博士2号:良かったー。ひと山越えたかも。飲み会飲み会。抱き合って喜ぶの?
博士1号:今度は3年間待ちに待った待望のケータイのデータが出た!何回抗体を作ったことか。偽遺伝子かもと言われたことがあったけど、これで本物だと3年目にして確信できた。世の中のケータイもスマートフォンに変わっていくと言うのに、体はすっかり反スマート。
博士2号:ケータイ違いで形態でしょ。相変わらずいつものオヤジギャグね。しかし、またしても良かったー。良いことは続くものね。二つ目の山を越えたかも。あと何山あるの?
博士1号:山あり谷あり、一乗谷。ロックしてる?
博士2号:ソフト○○クから援助もらってんの?
博士1号:通話料払ってます。

博士1号:2011年ももうすぐ終わりだ。来年には成果をまとめて世の中に公表したいものだね。
博士2号:私の任期はあと数ヵ月よ。それまでに笑えるの?
博士1号:笑えないのは自分のギャグだけにしたいもんだね。
博士2号:気付いていたの?
(さてさて、来年はどうなるでしょうか。皆で笑える年にしたいものです。鬼だけ笑うかも。続きは夢の中で考えます。)

2012年

博士1号:今年はどうだった?
博士2号:私の任期は3月で終わってしまったけど、研究室には博士がいっぱい。
博士1号:そうだね。我々1号・2号に加え、3人(ハルちゃん、タニー、マエジ)の博士号持ちがそろったね。石を投げれば・・・。
博士2号:何失礼なこと言ってるの。研究は少しは進んだの?優秀な4年生が浮穴研にばかり行くって周りから妬まれてたわよ。
博士1号:今年は昨年のチャンピオンデータに引きずられた年でした。何度やってもあのデータの再現性が出なかった。浮かれて飲み会をやったのが悪かったのかな。「浮」かれた後には「穴」があるって名前が良くないのかな。年末にきて、またチャンピオンデータの亡霊?
博士2号:確かに、再現性が取れない実験が多かったわね。でも、ちゃんと再現性が出るデータをそろえて成果発表しないとね。何度やっても出ないデータはネガとしては貴重よ。
博士1号:そう言えば、博士2号もOM賞をいただけてよかったね。これは年齢制限もなかったので、隣の学生さんからクレームは無かったでしょう。
博士2号:そうね、定職につけないことは嘆いてばかりでもないわ。新しく4月から来た博士5号も学会発表賞をいただけたし、受賞続きね。
博士1号:でも、「あれだけ色々と派手に学会発表してるのに、まだ論文出せて無いの?」って陰で言われてるよ。
博士2号:しょうがないわ。一にも二にも再現性でしょ。誰が何を言おうが何をしてても自分たちの信じる道を突き進むしかないのよ。
博士1号:確かにその通り。猪突猛進。来年は亥年ではないので、「ちょっとずつ猛進」かつ「ヘビー」な年にしましょう。ハードル上げていく?
博士2号:それが皆にとって一番「やり辛い」のですが・・・。
(来年こそ、自虐ネタが終わるようにしたいものですね。)

2013年

博士1号:今年はたくさん学会発表してみて、色々な方々からコメント頂けたね。
博士2号:そうそう、夏まではもう機能解析は諦めたと思われていたけどね。
博士1号:しかし、評価が二分して、精神的なアップダウンは半端なし。学会では高評価、グラント元からはケチョンケチョン・・・。
博士2号:仕方のないことよ、論文としての業績が出なかったのだから。結果と成果は別物でしょ。沢山研究費もらっていることは皆知ってんだから。
博士1号:我慢してナンバーワンを狙うのはしんどい。下手したらナンバーワンでなくて、ナンバーツー?「2位じゃダメなんですか?」って昔どこかの政治家が言ってたのを思い出した。
博士2号:難しいところね。でも、もうこの研究を捨てようかと思っていた間際に何とかなりそうな気配が出てきただけマシよ。
博士1号:本当にありがたいね。
博士2号:全てに感謝よ。
博士1号:なんだか落ちが無く、今年は終わりそう。今がピークってこと?
博士2号:落ちが無くていつも笑えないのは博士1号の得意技でしょ。
博士1号:・・・
(来年こそ、面白いオチになりますように・・・。)

2014年

博士1号:ポスドク二人とも次のポストが決まってよかった。一つ肩の荷が下りた感じ。
博士2号:雇っていただいた先生方に感謝です。
博士1号:新しいところでボスの期待通りに働いてくれたら良いけど。
博士2号:本当ね。もう他人事ではないのだからしっかりしないとね。
博士1号:遂に2008年7月に見つけた遺伝子に関する一連の研究も投稿できるところまで来たね。なんか涙でそう。気付けば6年以上の年月。36歳の時に良いネタ見つけたのは良かったけど、その後が鳴かず飛ばず・・・。
博士2号:最初の4年半ネガティブデータのオンパレード。残りの1年半で怒涛のデータ蓄積。
博士1号:ここからは産みの苦しみだね。
博士2号:そうそう、ここまで来たら拾ってくれるジャーナルがあることを願うのみ。
博士1号:一つの小さなラボでやれることは限られてるし、助けてくださる共同研究者を探そう。
博士2号:結構、知り合いの先生方も増えたし、助けてくださるでしょ。内分泌系の研究者は皆親切。
博士1号:どういう形になっても、「やれることはやり切った」という満足感はあるね。
博士2号:自己満足じゃ世間は許してくれないわよ。
博士1号:いずれにしても来年には一区切りつけないと。
博士2号:とにかく、やるべきことをやりましょう。
博士1号:そうだね、もう一山頑張って乗り越えよう!新しい希望も見えて来たし。これが本当だったら嬉しい。
博士2号:本当にアップダウンの激しい8年間だったね。でも今が一番サイコ~~ね。
博士1号:それって、タルタルソース?
博士2号:研究室の一部の人しか分からないこと言わないで。

博士2号:ところで、2007年から続いているこの夢の中の会話だけど、全て夢?
博士1号:う~ん。夢か現実か分からなくなった。良い夢を見られたのは確か。
博士2号:正夢になる?ならない?
博士1号:悪夢であってほしくない。夢はきっと叶えられると信じましょう。
(来年こそは夢から覚められますように。)

2015年

博士1号:今年のオチはあった?
博士2号:オチはなかったけど越智君という4年生が入ってきてくれたわね。
博士1号:越智学長にもなったし、今治の人多いね。
博士2号:それと、投稿論文はケチばっかりで、エディターキックのオンパレード。
博士1号:レフリーまで廻っていないのでケチはついてないけど、ラチあかず・・・。ある意味、劇オチ君でした。
博士2号:一斉メールで、Call for paperとかInvitation for submissionとか沢山来るのにね。ホントに拾ってくれるジャーナルはあるのかしら。
博士1号:今年は全学インキュベーション拠点の申請に始まり、元ボスの文部科学大臣賞受賞お祝い、12月の学会大会事務局と、ずっと裏方仕事に徹した感じ。
博士2号:そうね、黒子に徹してたわ。黒○徹子に改名したら。
博士1号:DRの認定は目立った?
博士2号:立派な楯もらえたね。
博士1号:これを盾に前に進もー!
博士2号:でも矛もあるよ。矛盾・・・!?
博士1号:そうだね、研究結果の相反するところをどう説明するか、繋げられるデータをどう取っていくが重要な気がする。エディターに認められるには裏をどれだけ取ったかだよね。
博士2号:急に真面目な話になったけど、今まではヤケクソ感で進んできたけど、ここからは知恵が必要ね。
博士1号:うーん。知恵か。じゃリン子チエか、智恵子抄くらいしか思い浮かばない。シオ・コショウ?
博士2号:毎度おあとがよろしくないようで・・・。
(来年こそは後味すっきりしますように。もはや神頼みの境地!?この夢の中の会話も来年は10周年特大号で博士6人全員集合?)

2016年

博士1号:この夫婦掛け合い漫才のような会話も10年経ったね。巣立って行った博士達は皆元気でしょうか。
博士2号:学士も修士達も含め、それぞれ皆違う道で活躍しているみたい。博士1号も出世したみたいだし。
博士1号:PIも10年以上していたら色々経験はさせてもらったし、そろそろ隠居?
博士2号:何言ってるの。拠点と国際科研のミッションで今年は渡米でしょ。
博士1号:いきなり渡米した日に受け取ったメールが論文リジェクト通知。しかも2014年10月の投稿開始以降8回目で初めてレフリーに廻ったのに、ぶった切り・・・。
博士2号:確かに10年間やってきた苦労はなんだったの?て思わせる内容だったわ。
博士1号:広島大では大改革が必要ということで留守中いきなり先生方は大慌てのよう。
博士2号:でも直ぐに戻れるわけでもないので、我々にできることを着々とやっていきましょう。焦ってもどうしようもないのかも。こちらの大統領選だって想定外の結果になったように、考えていてもどうしようもないし。
博士1号:本当に歴史的瞬間に立ち会ったのかもしれないけど、先のことは誰にも分からない世の中になってしまったということだね。一方、カープの優勝にも立ち会えなかったけど。
博士2号:25年前の優勝は大学2年生の時でした。私としては優勝セールに行けなかったのが残念。
博士1号:年齢ばれるよ。アメリカでは、マイ・シャンシャイーン!とかヘイ・ガール!とか呼ばれているのに。
(来年はカープの連続優勝、我々の念願の論文受理など、夢が叶いますように。)

2017年

博士1号:今年はPI独立後、12年間の集大成の年となりました。7つの仕事に関して、延べ19回の投稿作業で、1報はペンディングになったけど、残り6報の論文は全て受理までこぎつけました。論文レフリーも延べ10回以上はやったし、論文に始まり論文で終わったという感じ。
博士2号:ホント、この12年間、気の遠くなるような時間、研究費、労力をつぎ込んだね。
博士1号:凡人でもコツコツやれば何とかなるということを身を以て示すことができたようで、泣きそう。
博士2号:色々な人達のサポートや努力があってこそね。ホームランかどうかは分からないけど、記憶に残る成果にはなったと思う。これが注目されるか忘れ去られるかは、今後の我々の努力次第でしょうし。

博士2号:そういえば、1年間のアメリカ暮らしはどうでした?
博士1号:確かにUC Berkeleyの規模はとんでもなく大きかったね。でも、我々日本人の実力も世界的には決して負けてはいないということも分かった気がする。これまでの20年の仕事にプライドを持って良いと思った。
博士2号:そうね、確かに設備とか日本の方が上のような気もするし。ラボ運営もそんなには悪くないように思うし。
博士1号:世界トップ100という目標が高すぎるのは、大学の規模の違いが大きいように思う。
博士2号:だいたい、日本の国土よりカリフォルニア州のほうが広いし。
博士1号:と考えると、日本の大学数は多いのかな。今後、統廃合が必要という理屈も分かるような気はした。
博士2号:でも、改革という名の将来不安しか無いというのも悲しいね。
博士1号:そうそう、科学というのは本来、楽しむべきものだからね。

博士2号:めずらしく、政治ネタで終わり?
博士1号:将来の事は分からないけど、来年も持っているネタを一つずつ論文にしていこう。
(10年間夢見た中の一つは叶えられたと思うので、新たな夢に向かって突き進みましょう。来年も良い夢見るぞー。)

2018年

博士1号:今年を振り返ってどうだった?
博士2号:4月の科研不採択からしばらく開店休業状態でした。
博士1号:4~6月の3ヶ月間はどうなるかと思ったね。
博士2号:結果的には沢山のサポートをいただけ、ホント、感謝しかないね。
博士1号:科研1件、民間3件は救いの神でした。成果を挙げられるよう頑張るしかないね。

博士1号:そろそろ新しい手法や方向性も考えないといけないね。
博士2号:生理機能を固めつつ、先人の誰も考え付かなかったシステムを提唱できれば良いね。
博士1号:何となくモヤモヤとした想定も見えてきた感じがする。
博士2号:大ボスやその道の最先端を長年走ってこられた大先生とお話しをする機会も得られたね。
博士1号:意外と間違っていないかも、と仰っていただけたし。
博士2号:でも、ここからが大変。
博士1号:10年前だと何も知らずに突き進んでたのにね。
博士2号:ある程度知識も得られてくると、過去の知見と持っている結果をどう繋げていけばよいのかを考えてしまうね。
博士1号:流れが何だか暗くない?
博士2号:そうそう、このサイトは空想の会話だったので、以前はヘンテコなことばかり話してたのにね。
博士1号:確かに。面白い話ができるように、来年は頭を柔らかくするように突飛なことしますか?
博士2号:昔は誰の意見も聞かずに突っ走っていたのにね。丸くなったってこと?
博士1号:横には拡がってきたけど。すっかり浮穴研もホワイト研になりました。
(干支も一回りして、そろそろ新たなステージに進む時がきたのかも。平成も来年4月末で終わるしね。)

2019年

博士1号:平成から令和になったね。
博士2号:私達は平成2年に大学に入ったから、博士1号も広島で30年過ぎた。
博士1号:学部生も生命科学の志望者が減ってきたみたい。
博士2号:何でだろうね。よほど他分野の先輩が脅しをかけるのだろうね。
博士1号:それに影響受けるようだと、しょうがないね。
博士2号:博士1号のように天の邪鬼だったら、行くなと言ったら行くのにね。
博士1号:そうそう、非常○○の「押すな」を見たら押したくなって…
博士2号:ある意味、病気ね。
博士1号:誰もやらないことをやることに意味があると教わったから。
博士2号:それだけは守れてるの?

博士2号:研究の方は、今年は少し視点を変えて少しずつ展開が変わってきたね。
博士1号:それにしても夏以降の報告会や学会での発表回数は半端無かった。
博士2号:それも色々と認められてきた証しということでしょう。学生さんもよく頑張りました。180度違う結果が出たりしたからね。
博士1号:それはありがたいことでした。恵まれてます。しかし、諸刃の剣というのもあるわけだし。
博士2号:もうひと山越えたら面白いことも起こりそう。もう少し我慢がいるね。
博士1号:そういう期待があるってことは、まだまだ頑張れるね。
博士2号:努力、忍耐、感謝です。
博士1号:それを続けましょう。

博士2号:来年はオリンピックイヤー。
博士1号:伸身の新月面が描く放物線は栄光への架け橋だ!っていうのは名言だったね。
博士2号:ラボメンバー全員の心身の健康とたゆまぬ努力は栄光への架け橋だ!?
博士1号:ちょうど開会直後からエディンバラで学会?
博士2号:どうせ仕事にならないのだったら、海外出張も良いかも。
博士1号:イノシシ年からネズミ年へ。
博士2号:年男から研究材料へ?
博士1号:ちょっとずつ猛進から、熱チュウ?夢チュウ?
博士2号:猪突猛進して、研究集中でしょ。
博士1号:チョー気持ちいい!
博士2号:まだ続いてたの?
(無事着地?挑戦・冒険・無謀・真剣・遊び心・緊張・弛緩・成功・失敗・喜び・悔しさ・達成感・後悔・希望・失望・太る・痩せる、色々なことが繰り返すでしょうが、皆で楽しみながら進みましょう!まだまだ夢の中)

2020年

博士1号:今年は新型コロナの影響で大学も大変でした。
博士2号:オンライン講義が沢山入り、私も他大学の非常勤講師で準備しました。
博士1号:在宅で講義準備していたら、子供に「何回も同じところやり直しているね」、て言われました。
博士2号:子供の方がプレゼンするのが上手になったりして。
博士1号:こっちは長年やっても上手にならないので、伸びしろの多い子供の方が有利でしょう。
博士2号:しかし、学生さんはオンライン講義ばかりで大学にも行けず、かわいそうね。
博士1号:私が学生の頃は自分の意思で講義に出なかったですが…。
博士2号:それは単なるサボりだったでしょう。

博士2号:研究の方は?
博士1号:研究の方も新型コロナの影響をもろに受けました。研究材料が入らず、ほぼ一年足踏みでした。
博士2号:全世界で同様のインシデントなのでしょうがないね。
博士1号:何もかもが先送り、、、。
博士2号:それは新型コロナの影響ではない気が。先の会話と同じ。
博士1号:うっ。ということは生まれ持ったもの?
博士2号:ニューノーマルではなく、オールドノーマル。
博士1号:アブノーマルでなくてよかった。

博士2号:でも若いスタッフの加入はありがたかったね。
博士1号:そうだね、任期付きで気の毒ではあるけど、学生達にとっては気軽に何でも相談できるお兄さん先生。
博士2号:でも10分毎に入れ代わり立ち代わり相談に行くと、、、。
博士1号:それで、急遽、小部屋風スペース作製。
博士2号:周りの先生からは1畳もスペース無いって言われてるけど。
博士1号:東千田の貨物列車のプレハブよりはまし?ニュース23!!
博士2号:古い話ね。昔は教授室が実験室だったので、教授の先生は学生が席を立った瞬間を狙ってトイレに行かれていたとか。
博士1号:今は自由にトイレに行けてラッキー。ノーマル最高!?

博士1号:来年は新型コロナが少しでも落ち着いて研究・教育活動に打ち込みたい。
博士2号:年末に近づいてから広島も感染者は増えてきたみたい。
博士1号:Go toラボ!Go to 学会!学生達も学会発表できると良いね。
博士2号: 本当にそう。出張も無くなった。
博士1号: 全てが不透明で先が読めない。
博士2号: それは10年以上前から同じ気が…。
博士1号: やっぱり、オールドノーマル!?
(オンライン講義、在宅勤務がニューノーマルになってきた時代、ここで堕落するか自分を磨き高めることができるかどうかは「自己管理能力」があるかどうかという気がしてきました。「やりたいこと、今やるべきことを優先してやる!」という気持ちを大事にして、少しでも前向きに頑張りたいと思います。)

2021年

博士1号:今年も新型コロナの影響が続きました。
博士2号:今年は昨年よりは研究できた感じはするけど、感染者は秋まで増えて研究にも影響はでました。
博士1号:コロナの仲間の別のウイルスの影響もあったし。内輪ネタだけど。
博士2号:大事に至らず良かったです。
博士1号:大学にペット連れてくる必要ある?

博士1号:一番の出来事は恩師が急逝されたことだね。
博士2号:あまりにも急でした。
博士1号:師の業績はあまりにも偉大過ぎて。
博士2号:少しでも近づけるように頑張りましょう。
博士1号:2006年に一人ぼっちになったときにはプレッシャーも半端なかったことが懐かしい。この15年の会話の原点。
博士2号:そうね。あの時は精神的にも大変でした。漢方薬のくだりは2008年の会話にあるね。
博士1号:これを機に健康第一、世界の平和も祈りつつ。
博士2号:無理せず、一歩ずつ。もう若くないのだから。

博士2号:今年は博士1号も学内会議で大忙し。
博士1号:広大の生き残りも他人事で無くなった気が。自分に何ができるのか、何をすべきなのか。大谷選手のように二刀流は無理。少しでも塁に出る作戦。
博士2号:でも、放ったらかし教育でも学生達は育つことが証明されてる?
博士1号:ある意味、いい教育しているってこと?「浮穴研メソッド」は学生を育てるにはもってこい!?
博士2号:狙っていなかった学会発表賞や研究発表賞も頂けたのは彼らにとっても自信でしょう。学振DCも3名とも通ったし。
博士1号:広大も大学院のリサーチフェローや次世代フェローなど、ドクターコースの支援も充実してきた。
博士2号:昔、大ボスから言われた言葉に、「霞を食って生きていく覚悟がないと研究者になれない」というのは昔話?
博士1号:それは仙人ね。学位取得しても職に就けずにいる先輩達を見ているとドクター進学を躊躇するので、彼らに生活費を支援するという、新「千人」計画。馬の鼻先に人参にならなければ良いけど。
博士2号:お金よりも大事なものがそこにはあるはず。
博士1号:好きなことしてお金がもらえるのは悪いことではないけど、楽して金儲けはできない。
博士2号:今年の漢字は「金」でした。
博士1号:コロナの影響でオリンピックを心の底から楽しめなかったのは残念。メダル獲得は良かったけど、ぼったくり男爵というのもお金絡み。
(後年追記:やはり、お金・利権絡みで逮捕者続出。アスリートの方達には何の罪もないが、コロナ禍で強引にやったのは正解だったのか?)
(オチがありそうな、なさそうな、詰めが甘そうな会話。来年こそ研究の詰めを!)

2022年

博士1号:新型コロナ感染症拡大、3年目突入でした。
博士2号:年末にはついに博士1号・2号ともに感染しました。
博士1号:流行りを追わないというモットーの我々のところへもやってきましたが、ワクチンのおかげか大したことは無くて良かった。
博士2号:今年の出来事は?
博士1号:今年から1月前倒しで分かるようになった科研費もついに大型のが採択された。あと、メイン学会の大きな賞もいただけたし。
博士2号:今までの頑張りが評価されたので良かったね。でも研究費は過去の成果から将来どれくらい成果を出せるかという期待値でしょ。
博士1号:そうそう、これからも継続して成果出すしかないね。
博士2号:と言う割にはラボの机も空席が目立つわね。
博士1号:なかなか大学院に進学してくれる学部生もいなくて。
博士2号:それでも生命系の学生数が少ないのに毎年卒研生が入ってくるだけ良いじゃない?
博士1号:そうね。でも、蓄積されているデータも複雑になってきて、解釈が難しいのかな。
博士2号:点と点を繋ぐのは難しいのよ。博士1号のブラックジョークを理解するのと同じ。
博士1号:そうか、全てがシュールすぎる?昨年は「放任の浮穴研メソッド完成か」と思っていたのに。
博士2号:自惚れたらダメよ。博士1号のドヤ顔で笑いが取れたと思ったら、誰も笑わないのと同じよ。
博士1号:ウッ、、、痛い。オンライン講義だと受講生の反応が分からないけど、もうオヤジギャグはオンラインでするしかないかな。
博士2号:そんなの、誰が聴くのよ。

博士2号:今年は博士1号も何年ぶりかの海外出張でした。
博士1号:イギリスとオーストラリアでの国際会議へ。
博士2号:学生さんとの同室での宿泊がかわいそうじゃない?
博士1号:いや、ツーベッドルームだったし、快適じゃない?
博士2号:そう思っているのがア〇ハラかも。
博士1号:そうか、昔のボスとの同部屋経験、今でも思い出すけど。あの念入りな確認を。
博士2号:時代は変わったということね。
博士1号:ア〇ハラは、イモリだけにしときましょう。
博士2号:・・・(反応なし)

博士2号:研究の方は?もう学内業務で隠居?
博士1号:今は、若者達の自主性に任せよう。3人の学振DCが揃っているんだし。
博士2号:そうね、レアな時代かも。
博士1号:博士2号も面白いデータ出てきたね。
博士2号:偶然かもしれないけど、必然かも?
博士1号:昔、新しいペプチド遺伝子見つけた気分。
博士2号:ということはまた長いトンネル?
博士1号:いつも歴史は繰り返す、、、。
博士2号:あの暗黒時代の再来ね。
博士1号:いつまでも初心者、素人、挑戦者の気分を忘れずに。
(過去の経験を活かして来年もやるしかないです。ポストコロナを生き抜きましょう!)

2023年

博士1号:ようやく新型コロナ感染症も5類になって、ラボ内も落ち着いてきた。
博士2号:昨年度の終盤は結構大変だったね。
博士1号:コロナ後遺症にでもなったのか、今までにないパターンでびっくり。でも本人も社会人になったので頑張ってくれてるでしょう。
博士2号:そうね。世間は浮穴研よりも厳しいので、成長してくれるでしょう。
博士1号:浮穴研成長メソッド、完全に機能せず…。
博士2号:どっかの成長戦略会議と同じね。
博士1号:成鳥戦略?
博士2号:ウズラの話?
博士1号:こちらも鳥インフルエンザの影響受けました。

博士2号:今年はボスがラボ内に殆どいないか、ドアを締め切って会議や電話ばっかり。
博士1号:全学の重要ポストを任されて、本当に会議や下準備ばっかりの一年だった。
博士2号:今まで雑用と思ってたのも、奉仕の気持ち?
博士1号:そう、生半可な気持ちでやってたら刺されます。
博士2号:最初は手当てが付くので喜んだけど、とても非効率、オーバーワークで頭ショート、学生放ったらかし。
博士1号:もう世間のコスパやタイパと真逆だけど、誰かがやらないとならない仕事だから。
博士2号:いつまでの辛抱?うちは助教もいないの分かってる?今年は論文もゼロになるよ。基盤A当たってて論文出ないと、次から二度と科研費も当たらないかも。博士2号の「特任准教授」というのは名ばかりでパートで週12時間勤務なのよ。
博士1号:そう言われると苦しいけど、扶養の範囲内でということでやってもらってます。実情は労基署に怒られそう。一応、広大は10年ルールも認めて、クーリング期間は置かなくても良いようになったね。
博士2号:でも、研究費が無いと給与も出ない。

博士1号:こうなったら半年繰り上げて博士8号(注:我々2名、過去の研究員・ポスドク3名、浮穴研で学位を取得した2名までが7号)を作るしかない?
博士2号:思うように行けば良いけど。
博士1号:論文数は足りてるし、博士号取得を半年繰り上げて、特任助教になってラボを助けてもらうしかないね。特任助教は、選抜助教という新しく2年任期のやつができたけど、全学での採用枠に入れるか不安。
博士2号:なんとか希望通りになって、9月早期修了、10月特任助教採用決定(私と違ってフルタイム)!
博士1号:良かった。私は学位取得前に助手になったけど、博士8号は早期繰り上げ博士号取得⇒特任助教採用の正規ルート。
博士2号:25年前には特任ポストが無かったよね。
博士1号:そう、あったらすぐにクビだったかも。
博士2号:え、どこで火事?
博士1号:それ、アメリカ滞在時のラボでも噛み合わなかったファイヤー違いだね。
博士2号:博士1号の先手を打つ戦略が珍しく当たったので、今年のラボへの貢献度の低さは1回だけは許すね。
博士1号:来年はもう少しラボのことも考えます。
博士2号:そうよ、学生指導ネグレクトも立派なア〇ハラよ!
博士1号:う~ん、博士2号の攻めはモ〇ハラちゃうの?あるいは、ハラ・ハラ?
(来年もハラハラ・ドキドキするデータが出たら良いですね。悪いことしなければクビにはならないはずなので、もう1年間は全力で奉仕活動(と少し研究?)します。ファイヤー!?)

広島大学大学院統合生命科学研究科
広島大学総合科学部生命科学

浮穴研究室

〒739-8521 東広島市鏡山1-7-1

広島大学総合科学部内 B403号室

E-mail : ukena[at]hiroshima-u.ac.jp

([at]を@に変換してお送りください)

Tel. 082-424-6571(直通)

Fax. 082-424-0758(事務室)

Copyright © 浮穴研究室
トップへ戻るボタン