教養ゼミその3

教養ゼミの発表も、今回が最終回。毎回いろいろと考えさせられるわけですが、今回もまた新たな気づきを提供してくれました。

今回の発表では、被爆や広島、戦争をテーマとした芸術のほか、絵本、伝承のメディアとしての美術、風刺画をテーマとした発表がありました。

絵本の発表で紹介されていた戦時中の写実的な絵本の表現が、戦後のプラモデルの箱絵と非常に様式として似ているなあということが個人的には非常に興味がわきました。様々な表現が可能になってなお、なぜプラモデルの箱絵といえばあのようなスタイルで描かれるのか!?時代性を反映しているからなのか?

大戦中のモデルなら分かるのですが、現代の護衛艦なども同様のスタイルなのですよね。たとえば護衛艦ひゅうがなどは最新鋭の自衛艦ですが、箱絵の表現スタイルは踏襲されています。実は尖閣沖らしき海域で中国の空母らしき艦船を撃沈しているかのような構図で物議を醸した初期バージョンがあったわけですが、そちらはさらに様式に忠実であると言えるでしょう。兵器との親和性の高い様式だということなのか、さまざまな表現が可能な現代においてなお、なぜこの様式が継続して採用され続けているのか、というのは大変興味深いところです。

風刺画の発表では、日本の描かれ方の変化が、第二次大戦の前、戦中、戦後でどのように変化していったのか、アメリカからの視点の変化について考察されました。風刺画というのはその国や文化の持っているステレオタイプ的なイメージをさらに強調して見せるものでもあり、日本人のイメージは変わってないのだなあと改めて思うとともに、いまではそうしたイメージの少なからぬ部分を中国人が引き受けているのだなという思いも強くしました。

広島や戦争をテーマにした芸術としては、日系人として強制収容所に隔離された画家であるジミー・ツトム・ミリキタニ、原爆の図、そして前回のコメントでも触れたChim↑Pomの作品などが取り上げられていました。

蔡國強とChim↑Pomの作品と社会との関わりに関する議論は、簡単に結論が出るものでもないですが、広島を題材に作品を制作する上で避ける事のできない問題を先鋭的に浮かび上がらせた事件であったと思います。広島で美術を学ぶ上で、ひとりひとりに考えて欲しい問題でもあります。

伝承のメディアという点において、芸術の力は非常に大きいと思いますが、伝えるメッセージの主観性あるいは恣意性という点について考えないわけにはいかないでしょう。原爆の図に関する発表の中でも触れられていましたが、たとえそれがドキュメンテーションを意図して創造された作品であったとしても、現実はもっと悲惨だった、いやグロテスクさを強調しすぎている、といった矛盾する批判はつきものです。その点において、例えば原爆投下や核兵器に関わる作品として、ブルース・コナーの核実験映像による作品〈Crossroads〉など、より忠実なドキュメンタリーとしての写真や映像との比較があると良かったと思います。

3回の発表をとおして、みなさんそれぞれ平和や戦争、広島について考えるという機会に対して、非常におもしろい発表をしてくれました。でも、今回発表したことで終わりということではなく、これを出発点として、さらに関心を拡げていって欲しいと思います。また、比較的伝統的なメディアを扱う傾向にあったかと思いますので、より現代的な表現にも対象がひろがると良いですね。

今年は多くの美術館でも戦後・被爆70周年をテーマにした企画が多数開かれますので、ぜひあちこち足を運んで下さい。