バンダ・アチェの漁村復興プロジェクトと資源管理
発信:山尾 政博 広島大学 食料資源経済学研究室
はじめに    I バンダ・アチェから    II クルング・ラヤ湾の復興プロジェクト    おわりに


II クルング・ラヤ湾の復興プロジェクト

1 ボゴール農科大学が取り組むプロジェクト
3つのデサを対象に復興活動
ボゴール農科大学の沿岸・海洋資源学及び村落開発に関する調査情報機関(Coastal Marine Resources Studies (CCMRS-IPB) and Research and Information Institutes for Community Development (LEIMA))は,バンダ・アチェから車で40分ほどの,マラッカ海峡に面したクルング・ラヤ湾において,津波復興支援のためのプロジェクトを実施している。


プロジェクトの正式名称は"Sustainable Coastal Village Planning"(SCVP)。Ache Besar郡のクルング・ラヤ湾には7つのデサがあるが,このうちのモウナッシュ・モン(Mounasah Mon), モウナッシュ・カウディ(Mounasah Keudee), モウナッシュ・クラム(Mounasah Kulam)という3つのデサを選んで「漁業生計復興計画」(Fisheries Livelihood Recovery Program, FLRP)を実施している。このプロジェクトは,国連開発計画(United Nations Development Program, UNDP)の資金的支援を受けて,ボゴール農科大学がアチェにあるウンシア大学(Universitas Syiah Kelana)との共同で始めたもので,期間は1年を予定している。*
*全体の復興計画は,"Ache Emergency Response and Transitional Recovery Programme"と呼ばれる。


クルング・ラヤ湾




地図1:バンダアチェとクルングラヤ湾とその周辺



ボゴール農科大学が,この3つのデサをプロジェクトの対象にしたのは,同じ湾内にあって生態系を共有し,"Ecosystem Based Management"(生態系にもとづく沿岸域管理)が実現可能な地域であったという理由による。3つのデサをあわせた世帯数は772世帯,漁業者の数は860人である。


プロジェクトの背景
ボゴール農科大学がこのプロジェクトを始めた背景は,次のようなものであった。
 1)物理的な災害復旧の段階から,社会システムの復旧の段階に入ったこと。
 2)外部者が中心になっておこなう災害復旧では,かえって被災住民・地域の自律が妨
   げられる。
 3)住民参加型の復興プロジェクトを実践して,その活動の成果や経験をできるだけ周
   辺に広めたい。


アチェ州では,長年にわたって,中央政府と反政府勢力との間で紛争が繰り広げられてきた。もともと社会文化の独自性が強く,住民の間には自立心と独立心が強い土地柄であった。ボゴール農科大学は,地域住民の意見を反映させ,地域の慣習に配慮しながら復興プロジェクトを進めていくことを目指すことにした。


プロジェクト運営には,他の地域にはないユニークさがいくつかある。まず,復興支援の計画段階で住民との話しあいに徹底的にこだわったこと。住民を代表する人たちを狭くとらえず,さまざな階層やグループが計画に加わっている。多くの漁村では,パングリマ・ラウトと呼ばれる漁民集団のリーダーが復興支援の受け皿となって働くことが多かった。


* パングリマ・ラウト 海のキャプテンと呼ばれる。漁業操業の秩序維持と紛争の解決をはかるために存在する伝統的な管理組織。アチェ周辺の漁業船団の多くがパングリマ・ラウトの管理下にあるが,漁業種類,地域によってバリエーションがある。パングリマ・ラウト(PL)は,通常,トップにたつ漁民リーダーに与えられる呼称だが,実際は彼の活動を支える漁民集団ととらえておいたほうがよい。
参考文献:Tjetjep Nurasa, Nurzali Naamin, Riyanto Basuki "The Role of Panglima laot 'Sea Commander' System in Coastal Fisheries Management in Ache, Indonesia" Socio-economic Issues in Coastal Fisheries Management: Proceedings of the IPFC symposium, Research Institute for Marine Fisheries, pp. 395-405, Bangkok, 1993.


パングリマ・ラウトに頼った救援・復興活動が各地でみられたが,このプロジェクトでは,被災者は漁業者だけではない,パングリマ・ラウトだけでは地域住民のニーズを吸収しきれない,との判断をしていた。大小のモスクを代表する宗教指導者,女性グループの指導者,パングリマ・ラウト,それに行政リーダー,などと協力しながら復興計画づくりをおこなった。住民のコンセンサスは,「モスクの中」で,「神の名」において作られた。コンセンサスは必ず文章にして確認されている。


3つのデサが参加した生計プロジェクト
アチェ・べサール郡は7つのデサからなっているが,プロジェクトの対象地区になっているのは3つのデサである。行政的な一体性ではなく,クルング・ラヤ湾を中心とした生態系の共通性に着目している。この地区の漁業は沿岸で操業する零細規模のものが多いが,"Bagan Perahu/ Bagan Rakit"というカタクチイワシを漁獲する棒受け網の一種,釣り,刺し網漁などが盛んである。プロジェクトの狙いは次の4つである。
 @漁業生産装備の復興をはかること
 A代替収入源を確保し貧困を削減すること(移動マーケット,水産加工などの奨励)
 B集魚施設の建設
 C参加デサの組織能力の向上(capacity building)

全体としては,漁業を中心に住民の生計復興をはかることに重点をおいている。

2 地域経済の中心:バガン漁業の復興
パガン漁業の概要
漁業の復興活動としては,漁船の建造,水産加工,集魚施設の設置が含まれている。なかでも,漁船の建造が中心的な活動になっている。以前,この地域には79隻のバガンがあったが,その大半が津波で破壊されてしまった。バガンは,長さ9mのボートを双胴にして作られた棒受け網の一種で,横幅は10m近くある。木で組み立てられた甲板には,漁具や発電機を保管し,居住空間としても利用される小屋がある。両側には網を落とす棒が左右に対で長く伸びている。甲板中央の下には,たくさんの蛍光灯がつけられている。これが集魚灯になっている。




写真13:バガンの全景。双胴船の形をしており,長くつきでた棒が特徴的だ。




写真14:バガンを近くでみるとエンジンがないのがわかる。この村では船外機付きの曳き舟で漁場まで
     運ぶ。





写真15:バガンの下部には集魚のための蛍光灯がついている。


パガンは自走式ではなく,曳き船が漁場まで運んでいく。クルング・ラヤ湾内,ないしは沖合1−2マイルのところにある漁場を中心に操業している。出漁は夕方5時頃,翌朝の7時頃に帰港する。乗組員は6人,津波以前は79隻あったことから,480人近くの乗組員が従事する産業であった。漁獲の対象は,主にカタクチイワシである。

漁村風景から一目瞭然だが,バガン漁業が地域経済に占める比重は大きい。カタクチイワシを対象とするこのバガン漁業は,現在はブームのようになっているが,生計手段を失ってしまったアチェの漁村にとっては,地域再生の切り札である。





写真16:村のモスクの前に並ぶバガン。



カタクチイワシを中心に成り立つ地域経済
モウナッシュ・カウディにはTPI(Tempat Pelelawgan Ikan)と呼ばれる小さな水揚げ場がある。ここで,水揚げされた魚介類が取引されるが,カタクチイワシもここで取引される。村の浜には広い加工場(といっても簡単だが)と干し場がある。バガンで漁獲されたカタクチイワシを船上でゆでるのではなく,陸上で作業している。干したカタクチイワシは選別されて主にメダンに出荷されている。地曳き網,釣り,小型及び中型のまき網などがあるが,バガン漁業の比重がきわめて大きい。





写真17:TPIと呼ばれる水揚げ場,水産物の取引がおこなわれる。




写真18:カタクチイワシの加工場・干し場。かんたんな釜だきの施設があるだけ。
            ボイルしたあとは干す。

3 津波で破壊された生計手段:漁船の建造
漁船建造の難しさ
被災住民の生活を再建する上で,漁船を修理しあるいは建造するのが,最も重要な仕事である。この地区で破壊された漁船の内訳は次のようになっている。

  バガン  30隻     タグボート   97隻
  釣り   20隻     地引き網用   17隻 

復興過程では,どこの地域も技術のある船大工を確保するのに苦労していた。各地でいっせいに漁船の建造を始めたために,船大工の数が絶対的に不足している。漁村の生計復興プロジェクトでは,船大工の育成を組み込んだところが多い。そのための訓練コースを計画・実施して,参加した住民には雇用と所得機会を保障し,あわせて漁民が必要とする漁船を建造しようという,一石二鳥をねらったものである。
しかし,技術のある船大工が不足し,ほんのわずかの訓練を受けただけの人たちが「にわか大工」になったために,写真11のように,航行すらできない漁船が各地で建造されて放置されている。援助機関やNGOは,できるだけ多くの住民に漁船を配るために,限られた期間で,小さな船ばかりを建造する傾向にあった。


造船所の建設と運営
クルング・ラヤでは,漁船を建造する際に漁民の意向をできるだけ反映することにし,計画作りに時間を割いた。3つのデサに4つの造船所を建設した。バガン用の造船所が2か所,タグおよび釣り用漁船それぞれ1か所づつとした。


クルング・ラヤでは,パガン船の建造に重点をおき,設計には地元の意向を取り入れた。バガン24ユニット(1ユニット2隻),地引網用の漁船10隻,刺し網漁船4隻を建造することにしたが,バガン用の木材(長さ9mの木材)を手にいれるのがかなり難しかった。


大工は2人1組,工程に応じてグループ化された。1ユニットの建設にかかるコストは2200万ルピア,そのうち1300万ルピアが賃金として支払われる。12月のプロジェクト終了に向けて,急ピッチで建造を進めていた。




写真19:造船所の光景:パガン用のボートを作っている。




写真20:バガン用の木材(長さ9mの木材)手にいれるのが難しい。探すのに3−6か月かかり,値段も
      高騰している。





写真21:木材の隙間をうめる作業。




写真22:木材の隙間を埋めて塗装をする前の段間




写真23:バカンを曳くタグボート(隣のデサの造船所にて)。




写真24:ほぼできあがったバガン。漁具や集魚灯(蛍光灯)をつけて完成。



漁船建造施設とバガン漁業の操業
建造された施設は,プロジェクト終了後に建物と機材一式,各デサに贈与されることになっている。このプロジェクトは1年契約,2006年12月には活動を終えなければならない。かなり厳しい日程で作業が進められている。特に,バガン船に用いる9mの木材の調達が予想以上に難航して時間がかかり,作業が遅れぎみになっている。ただ,地域が一番欲しがっているバガン船を中心に復興を急いでいることで,それが及ぼす経済効果は大きく,地域住民の満足度は高い。バガン船を中心に復興計画を進めることで,


バガン漁業を営むために,プロジェクトでは漁具を提供し,バガン船を貸付の形で現物供与している。建造できるのは24ユニット,津波以前には79ユニットあったが少なくとも30ユニットが破壊されたと言われる。建造できる漁船隻数が十分ではないため,「回転資金」制度を応用して,損害を受けた漁民に,公平に行き渡るようにしている。


また,プロジェクトではバガン漁業の操業を漁民が,操業資金の調達で困らないように,最初の6日間の操業費用を経営者に補填している。1日当たりの操業経費を,155,000ルピアと見積もり,最大で930,000ルピアを補助している。それ以降は,プロジェクトに頼らず操業を行うことになっている。なお,操業に先だって,GPS等を使って漁場・資源の分布状況を確認する訓練活動をプロジェクトで主催している。


漁業協同組合の設立と回転資金(revolving funds)
このプロジェクトを運営するにあたって,2006年2月に総合的な事業活動を行う協同組合(以下,組合)が設立された。この組合が対象とする事業分野は,漁業,金融(主に貸付),農業・畜産である。組合員は,プロジェクトに参加している3つのデサの住民である。




図2 協同組合方式による漁船建造事業と販売活動


漁船建造のための原資をプロジェクトが提供し,新たに設立された組合が受け皿となって,これを貸付原資として資金を回転させる。つまり,漁船はプロジェクトから組合に贈与されるもので,個人の漁民に与えられるものではない。組合から漁民に対しては貸付金として処理され,漁民は操業して得た利益のなかから一定額を返済する。組合は返済された資金を使って別の組合員のための漁船建造を行い,ふたたび貸し付ける。これを繰り返していくのが資金回転計画である。このシステムは,スマトラ島の生計復興計画のなかに広く取り入れられている。


クルング・ラヤ地区では,資金回転事業を他の事業運営と結びつけ実施するために,組合を設立した。これは,漁家経営の復興に総合的にかかわれるようにするためである。もちろん,こうした事業方式をとることについては賛否両論あったようで,組合を設立して復興活動を運営することには,プロジェクト側にも住民側にもためらいがあった*。しかし,最終的には住民側が組合を設立することを選択している。彼らが組合を選択した背景について,また,組合の事業活動の成果や問題点については,今後さらに検討する必要がある。
*これまでのインドネシアの漁村協同組合の経験から,「協同組合」には悲観的なイメージがあった。


集魚施設の設置と漁場管理
プロジェクトでは,クルング・ラヤ湾周辺に集魚施設(Fish Aggregating Devices, FDA)を2か所に設置している(当初は3か所であったが1基が消失)。生計プロジェクトのひとつとして設置されたもので,1基は湾奥から10km,もう1基は湾口の浜から沖5kmの場所におかれている。




写真25:湾口から5kmの位置にあるFAD。サンゴ礁に近くカタクチイワシがよく集まる。




写真26:湾奥から10km,ここではキハダやムロアジなどがつく。小型まき網漁船,棒受け網漁船の漁場になっている。


FADの設置場所については漁民自らが決めている。パングリマ・ラウト(集団)が3か月に1回,メインテナンスをおこなっている。地域外の漁船が入って周辺で操業することもあるが,利用料を徴収することになっている。


インドネシアはもとより東南アジアの海域では,海洋保護区(Marine Protected Area, MPA)をサンゴ礁などの保護を目的に設置する動きが盛んになっている。保護区の設置によって漁場の一部を失う漁民に対して,周辺にはFADを設置し,魚を集める代替手段として利用する地域も多い。クルング・ラヤ湾では,近い将来にはサンゴ礁のMPAを湾周辺にもうけて魚類資源を増やし,成長した魚類をFADで集つめて漁獲しようという計画をたてている。

3 パングリマ・ラウトの組織
クルング・ラヤ地区のパングリマ・ラウト
クルング・ラヤ地区の復興過程では,パングリマ・ラウトという伝統的な水産資源管理グループに頼りきっていない点が,他の地域と違っている。ただ,パングリマ・ラウトは漁民を束ねる集団のリーダーとして,きわめて重要な役割を果たしている。




図 クルング・ラヤ地区のパングリマ・ラウト組織



クルング・ラヤ地区のパングリマ・ラウトは7つのデサを管轄する広域な漁民組織である。パングリマ・ラウトは一般には"sea captain"として訳され,漁民の代表者を指すものと理解されているが,実際には図に示したように集団指導体制をとっている。漁民の代表者選びはデサを基盤にしたものではなく,7つの漁業種類(棒受け網,釣り,まき網,地曳き網など)から選出される。選挙は漁民全員が集まって実施される。被選挙権者は漁業種類の代表者7人であり,そのなかから3人に絞って選挙が行われる。最終的にパングリマ・ラウトが1人,副が1人,事務局長1人,それに選挙で選ばれなかった4人の漁業種類の代表者が参加して,計8人でパングリマ・ラウトを構成する。ここでは集団指導体制がとられている。


クルング・ラヤ地区のパングリマ・ラウトのザカリアンさんの任期はすでに1期5年を過ぎ,現在は2期目の6年めである(2期目は3年任期)。スマトラ沖地震と直後に襲った大津波という異常事態のなかで,漁民のリーダーとしてその勤めを果たしてきた。バンダ・アチェでは,このパングリマ・ラウトが援助活動の受入窓口となって活動した地域が多く,海外関係者のなかにはその活動を高く評価する向きがある。その一方,援助物資の不公平な配分や汚職が頻発し,パングリマ・ラウトが一掃されて新しいメンバーに入れ替わった地域もある。




写真27:クルング・ラヤのパングリマ・ラウト(Zakalianさん)



パングリマ・ラウトの系譜
一般的に,パングリマ・ラウトには,二つの系譜があったようだ。船団の漁労長のような役割を果たすタイプで,漁船主と違って乗組員を直接に管理する役割を果たす。この系譜のパングリマ・ラウトは,漁船漁業が発達して経営者の力が強くなるのにつれて,その機能を形骸化させていく。逆に,漁船を所有・経営するパングリマ・ラウトがその力を強めていったと思われる。地域によって漁業種類がちがうので,いちがいにはいえないが,バガンやまき網のように,商業的漁業の性格が強く規模の大きな漁業から,パングリマ・ラウトが選ばれる傾向にある。


以前のように,独自の地域ルールを作ってコミュニティー機能を使って漁民に守らせる,漁撈秩序を維持しながら乗組員を統率するという性格は,薄れている。漁村コミュニティーの船団を率いて共同操業を統括するような機能が,パングリマ・ラウトにはあったと思われる。現代では,漁船の1隻1隻が独自に操業を行う形態が一般的であるため,共同の作業はほとんどなく,漁船団を率いる必要性もほとんどない。


また,水産行政の地方分権化の流れのなかで,パングリマ・ラウトは地方の州や郡などの漁業条例にそって操業秩序を維持している。地域色や独自性が強かった漁業ルールも,しだいに標準化されつつある。現在のパングリマ・ラウトは,以前にと比べてその活動には地域差や漁業種類の差がみられなくなっている。


クルング・ラヤの場合
クルング・ラヤの場合,パングリマ・ラウトの機能は次の3つに分けられる。

1)漁業管理に関する機能
2)監視・調停・裁判の機能
3)漁民の福利厚生と漁家のセーフティーネット

1)の漁業管理については,州などの条令にしたがいながら,操業秩序の維持と漁場管理をおこなっている。ここでは次のようなルールが取り決められている。
@金曜日は一切の漁獲行為を禁止する。
   (その他に重要な宗教行事の日,海難事故が勃発した日等も禁止)
Aバガン漁業では,漁船と漁船との距離を150-200mあける。
B漁場において,魚群を先に発見して網を入れた漁船に優先権がある。
   (同時に発見した場合は半分づつにする)
Cクルング・ラヤ湾内では,バガン漁船は蛍光灯30本,3kwまでは点灯してよい。
   (通常,70本を装備している。湾外では規制がない。)
*網の引き揚げにかかった際には,蛍光灯を必要最低限に落とすというルールがある地域もある。


2)の監視・調停・裁判の機能については,詳しい聞きとりをしていない。一般的には次のような機能があると言われている。

監視と裁判:
@禁漁日に出漁した場合には,漁獲物は没収し,3−4日の出漁禁止が課せられる。
A金曜日に漁獲したものは土曜日の夕方(3−4時)まで販売させない。それ以前に販売しようとした者については,水産物を没収する。

調停: 
@漁船同士の争いについては持ち込まれれば調停する。漁船に損害等がでていれば補償額も算定する。
A他の地域の漁船とトラブルがあった時には,パングリマ・ラウト同士が話しあって解決することが可能。
B漁獲競争があった折りには,水揚げの分配比率を決めることがある。


3)漁民の福利厚生と漁家のセーフティネット 

漁船が遭難した場合
@3日間はすべての漁船が操業を停止して救難にあたる。
  (燃油などの経費は漁船所有者が負担する。)
A行方不明者がみつからない時には,家族のケアにあたり,村に知らせる。
B漁家からお金を集めてまわる。5万ルピアから7万ルピア,これを家族に弔意金として渡す。
C葬式は7日間。3日間は村が主催,3日間はパングリマ・ラウト,1日は家族が主催する。パングリマ・ラウトは,コーヒー,砂糖,ケーキ,燃油などを支給する。
*地域によっては,日常的に積み立てをしている場合がある。これをパングリマ・ラウトが管理し,事故があった時にこのなかから家族に補償する。この積み立て金を支払うのは漁船所有者。救難の経費や葬式代を負担することが多い。


パングリマ・ラウトの役割
クルング・ラヤ以外でもパングリマ・ラウトの話しを聞くことができた。彼らの多くは漁船主であり,経験豊かな乗組員でもある。地域の漁船漁業を束ねて操業秩序を維持している。アチェ州では,彼らの役割に早くから注目して,水産行政のなかに彼らの役割を位置づけてきた。地域にはさまざまな漁業種類があるが,それらの漁業秩序がパングリマ・ラウトによって維持されている。漁業紛争の防止につとめ,発生した時は調停役を果たしていく。地域漁業にとってはなくてはならない人々である。




写真28:デサ・ランバダのTPIにて(パングリマ・ラウトのTTauudさん,写真左)。彼は長年にわたってこの地域の副パングリマをつとめ,ランプロ漁港に移って2004年からそこのパングリマ・ラウトをしている。


パングリマ・ラウトに関する今後の調査
地震・津波災害でパングリマ・ラウトの多くが命を落としたと言われる。ただ,長年築き上げてきたそのシステムは今も機能している。津波以前と以後で,パングリマ・ラウトに変化はあったかと幾度もたずねたが,「ない」という答えが多かった。詳しく聞きとりをしてみないと実際のところはわからないが,私たちが関心があるのはこの点である。水産資源を持続的に利用するシステムが破壊されていないかどうか,破壊されたとしたら人々はそれをどのように復活させようと努力しているか,・・等である。

インフラ復興の遅れが目立つというバンダ・アチェの漁村で,ソフト面の復興を今後どのように進めていくのか,復興支援関係者の間で議論が盛んである。村落機能の回復が大切だとの認識では多くの人が一致している。パングリマ・ラウトは,村落の資源管理機能のひとつとも考えられる。あるいは,広い海域を共同管理するメカニズムとして機能しており,行政区間の連携とはちがう,資源利用をめぐる地域間ネットワークとして存在している。