沖縄調査
「海」に生きる人々
〜沖縄県座間味村:海の新たな利用に生きる道を見いだす〜
近畿大学COE博士研究員 鳥居享司
nk_torii@nara.kindai.ac.jp
1.はじめに    2.座間味村の概況    3.漁業の衰退と海洋レジャー事業の伸長     4.現在の経営スタイル    5.海に生きる


3.漁業の衰退と海洋レジャー事業の伸長

1)〜1970年代中盤
 座間味村では1900年頃からカツオ漁が盛んに行われるようになった。男性はカツオ漁,女性はカツオ節製造というように,住民生活はカツオ漁業に依存していた。 しかし戦後,乗組員の不足,枕崎との競合などから徐々に衰退し,1970年代中盤には中断へ追い込まれた。カツオ漁に従事していた漁業者の多くは,職を求めて那覇市等へ移住した。漁業者として生きる道もあったものの,住民の多くは自家消費する魚介類を自ら漁獲しており,漁獲物の販路はごく限られていた。人口流出が続き1980年にはピーク時の約1/3である761名にまで減少した。地域社会・経済崩壊の危機がささやかれるようになった。

2)1980年代中盤以降:ダイビング事業
 1980年代中盤,島外出身者が周辺海域でダイビング事業を行うようになった。その様子がテレビで放映され多くのダイビング客が来島するようになった。 素潜り漁業などを行っていた漁業者は,ダイビング事業が利益を生み出す様を目の当たりにして次第にダイビング事業を行うようになった。 漁業とダイビングは利用海域が重複しなかったことから,ダイビング事業の拡大に対する漁業者の反発は見られなかった。現在,約50軒の業者があり,5月〜11月にかけて多くのダイビング客が訪れている。料金は業者によって若干異なっており5,000円〜7,500円である。年間のダイビング客数は4万人〜5万人,売上高は年間3億円前後である。宿泊者も増加し,ダイビング事業と民宿業を組み合わせた経営が広まった。

3)1990年代以降:ホエールウオッチング
座間味村周辺はザトウクジラの来遊海域である。捕鯨が中止されたこともあり,1986年頃から再び近海でザトウクジラが目撃されるようになった。ダイビング事業を営む業者らがサービスの一環としてダイビング客にクジラを見せるようになった。クジラが見える時期はダイビング事業の閑散期であったことから,次第にホエールウオッチング事業はダイビング事業の閑散期対策として位置づけられるようになった。 1991年,「座間味村ホエールウオッチング協会」が設立され,現在では17名の業者と6名のスタッフが所属している。ウオッチング事業の実施期間は1月〜3月である。料金は予約方法により異なっており,4,000円〜5,000円である。年間の利用者数は,協会経由1,500名〜1,800名,業者経由3,200名〜3,500名,合計4,700名〜5,300名である。3ヵ月足らずの期間に2,000万円〜3,000万円の売上げを記録する。


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