最近 読んだ本(1998年4月〜)

最終更新日 1998.07.03

ご感想・ご批判・本の情報など、
こちらへ送っていただくか、
こちらに書き込んでいただけると幸いです

1998年1〜3月分/ 1998年4〜6月分/ 1998年7〜9月分/ 1998年10〜12月分


"ただいま読書中"(近況一言報告) 4月5月6月

6月


5月


4月


コメント

夢魔の四つの扉(グイン・サーガ外伝14)(栗本薫)
まだシルヴィアにたどりつかないんか!

<ハヤカワ文庫JA:1998年6月刊:本体円>
back
爆笑問題のピープル(爆笑問題)
PerfecTV!のチャンネル「MONDO21」の番組「爆笑問題の言わずに死ねるか!」におけるゲストとのトークを単行本にしたもの。松本零士と島田雅彦の回が一番面白かったかな。

<幻冬舎:1998年6月刊:本体1200円>
back
哲学の道場(中島義道)
『ソフィの世界』を初めとして数々の「哲学入門書」が出版され、「哲学は易しい」と語っているけれども、それはウソである。哲学は本当は難しい。それは自分のもっとも関心のある問いをごまかさずに問い続けることが難しいからである。哲学をするためには哲学的センスが必要であり、暇が必要であり、師と仲間が必要であり、きびしい修行が必要である。そして、そうやって哲学を続けていったとしても、哲学は何の役にもたたない、それどころか人生を暗くしたり、反社会的行動に走らせたりする危険性すらあるのである――というような内容。
中島氏の本はどれも面白いのだけど、読むたびに中島氏が言うような「哲学」をすることは自分にはできないな、と自覚させられる。だけど、哲学の特徴である「ラディカルに物事を考える」という姿勢(技術)は、他の分野にも応用がきくわけで、哲学的な思考の訓練が「役にたたない」とは言い切れないんじゃないかなと思う。ぼく自身はそういう「効用」を哲学に求めてしまう。それは哲学を一種の道具として扱うことで、中島氏は邪道だと言うだろうけれども。でも大学の教養科目として「哲学」があったりするのは、そういう効用があるからだよね。

<ちくま新書:1998年6月刊:本体660円>
back
今西進化論批判の旅(L・B・ホールステッド)
イギリスの古生物学者でダーウィン主義者のホールステッド博士が、柴谷篤弘の論文で今西錦司の進化論の存在を知って興味をもち、1984年秋、京都大学理学部地質学鉱物学教室に招かれた滞在期間中に、調査し書き上げたのがこの本である。本書は今西進化論に関する本であると同時に、今西を含む「京都エリート」たち、そして今西らとは逆のベクトルをもちつつ活動している井尻正二ら地学団体研究会グループに関する興味深い分析も含んでいる。ホールステッド博士はまた、彼の「今西論」に対して、関係者がどのような反応を示したか、についても観察して報告していて(そのような観察自体が彼の研究計画の一部だった)、この下りもたいへん面白い。「今西進化論」そのものに興味がなくても(実は僕もあまり興味がないのだが)、面白く読める本だと思います。巻末付録として今西進化論に関する『nature』誌上での討論も載っていて、これも面白い。

<築地書館:1988年2月刊:本体2200円>
back
情報の論理数学入門(小倉久和、高濱徹行)
代数の基礎から、束、順序集合、ブール代数を経て記号論理学に至る、論理数学の教科書。他の類書を知らないので客観的な評価はできないけど、けっこう読みやすい本だと思う。束、順序集合、ブール代数の基本的なところが大体分かればよかったので、僕としては満足。(ちなみに束と順序集合は三中信宏氏の『生物系統学』に出てきたので勉強したいと思ったのと、ブール代数はスチュアート・カウフマンの本を読むために勉強したいと思ったのでした。)

<近代科学社:1991年4月刊:本体2700円>
back
踏みはずす美術史 ―私がモナ・リザになったわけ―(森村泰昌)
副題にあるように、モナ・リザを初めとした名画のコスプレ(セルフ・ポートレイト)などの創作活動を行っている森村氏の美術史論。美術に関する知識がなくても、面白く読めます。森村氏がいかにしてモナ・リザになったのかを解説している第2章が特におすすめ。

<講談社現代新書:1998年5月刊:本体680円>
back
舞姫通信(重松清)
過去に自殺した生徒を「舞姫」と呼んであこがれ、「舞姫通信」を教室に配布する女子高校生たち。その女子高に勤め、自らも双子の兄を原因不明の自殺で失っている新任教師。その兄の恋人だった芸能プロデューサーは、恋人と一緒に自殺するはずが生き残ってしまった少年をタレントとして売り出す。「自殺はなぜいけないのか」――テレビから流れる少年の問いかけが社会に困惑と混乱をもたらす…。

ということで、話題の作家、重松清をはじめて読んでみた。ディテールには色々と面白いところがあるんだけど、テーマは僕にはピンとこなかった。自殺そのもの(自殺の「原因」となる問題ではなく)がそんなにシリアスな社会問題になるなんてことが、現実にあるとは思えないのだけど。

<新潮社:1995年9月刊:本体1400円>
back
キャンパス・セクシュアル・ハラスメント―「声を上げたい」あなたの支えとなるために―(キャンパス・セクシュアル・ハラスメント・全国ネットワーク編)
大学におけるセクシュアル・ハラスメント対策のためのブックレット。内容は「キャンパス・セクシュアル・ハラスメント被害者への心理的サポート」「キャンパス・セクシュアル・ハラスメントを法的に争うには」「秋田セクシュアル・ハラスメント裁判を支援して」という3つの報告と、各種資料。

<1998年5月刊:本体500円>
back
ノーベル賞ゲーム ―科学的発見の神話と実話― (丸山工作編)
ライフサイエンス分野における科学者たちの熾烈な競争を描く。取り上げられるテーマはインシュリンの発見、ビタミンCの発見、DNA二重らせん、プリオン、エイズウイルス、黄体形成ホルモン放出ホルモンの構造決定、である。1989年に出版された本に、エイズとプリオンに関するその後の展開についての増補を加えて、岩波同時代ライブラリーから刊行された。
僕も生命科学分野の末席にいる者だからこういう話には興味もあるし、物語としては面白いと思うのだが、半面で複雑な気持ちも湧いてくる。一言で言えば、「名誉欲」が科学の原動力になることへの違和感だ。科学を推し進める力は何かと問われた時に、タテマエとしては「知識欲」「好奇心」を挙げる科学者が多いと思うのだが、現実には新発見に伴う「名誉」や、「業績」に付随する「研究費」「研究環境」といった、もっと現世的な利益が推進力になっている場合が多いのではないか。現世的利益が自分の理想を実現するための手段として必要な場合もあることは理解する。限られたパイを分けるのだから、競争も止むを得ないかもしれない。でも、それが目的化してしまうとしたら、ちょっと違うんじゃない、と言いたくなる。
競争とは自分が勝つために他人を負かすことだ。それが科学の発展に何らかの歪みをもたらすようなこと(足の引っぱりあいとか)も現に起こっている。競争が科学の発展を加速する、という考え方もあるが、それはどの程度本当なのだろうか?競争と協力、どちらがより効率的なのか、そう簡単に結論は出ないと思うのだけど。

<岩波同時代ライブラリー:1997年5月刊:本体1100円>
back
危険な文章講座(山崎浩一)
文章を書くうえでの「均整」だの「バランス感覚」だのというものはきれいさっぱり忘れるべきだ。自己の表現は《ゆがみ》を大切にすることから生まれる――と説く、山崎浩一の文章講座。
How to 本を期待すると裏切られるだろうが、読み物としては面白い。その人独特の味わいがある、芸の域に達した文章が、たしかにある《ゆがみ》を伴っているというのは分かる気がする。でもその境地に達するのは難しいよね。独りよがりのみっともない文章と紙一重のところにあるわけで。

<ちくま新書:1998年5月刊:本体660円>
back
ソラリスの陽のもとに(スタニスワフ・レム)
古典的名作SF。人智を超えた知性をもつ「ソラリスの海」と人間との交渉を通じて、人間の認識を問うた作品、と言われる。
発表された当時この作品が衝撃的だった、というのは分からないでもないが、現代ではいささか古びた感じがするのは否めないと思う。「人間とは異質の知性」「人間に理解不能の知性」というコンセプトは今や全然目新らしくない。それどころか、異星の生命ともなれば、むしろ「コミュニケーションが可能」ということの方が奇蹟である、というのが(今となっては)通念じゃないかと思うのだけど、どうでしょう?

<ハヤカワ文庫SF:1977年4月刊>
back
絶対音感(最相葉月)
世の中には「絶対音感」なる能力をもつ人たちがいる。ランダムに提示された音名を言える、あるいは音名を指定されたときに正確にその音を出せる能力。しかし、あいまいなはずの人間の感覚に「絶対」という強い言葉がかぶせられるとは、どういうことなのか。疑問を感じた著者は絶対音感をもつ人びと、絶対音感教育を行っている教育者、音感を研究している研究者たちなどを訪ね、この能力をもつ人達の実感、この能力がいかにして生まれるのか、音楽家にとってこの能力の有無はどのような意味をもつのか、などの問題を掘り下げていく。

当然、僕には絶対音感はないけど、「音」を自分とは違った方法で処理している人たちがいること、その人達がどういう感覚で世界を聞いているのか、を知ることができて面白かった。聴覚に関する認知科学的アプローチを紹介した部分も良い。物理的な空気の振動と我々が感じる音との間の複雑なギャップは、光と色の関係と同じように興味深い。しかも単に音が聞こえるだけじゃなくて、そこに「美」というわけの分からない感情まで関係してくるわけで、本当に面白いテーマだと思う。

<小学館:1998年3月刊:本体1600円>
back

流沙の塔(船戸与一)
船戸の新作は中国が舞台。中国社会の裏に根をはる哥老会と三合会の対立、ウイグルの独立を目指す東トルキスタン・イスラム党の内部抗争、香港の権益をめぐる軍閥同士の勢力争い、そしてこれら諸々の不穏な動きをコントロールせんとする国家安全部保安局の思惑。アフガニスタンから流れ込むヘロインをめぐって、彼らの対立は激化していく。様々な陰謀がうずまく中で、血生臭さい抗争に不本意ながらも巻き込まれていく主人公たち。タクラマカン沙漠の沙嵐が彼らの運命を飲み込んでいく。

船戸作品としては平均的な出来だと思う。悪くはないけど、『猛き箱船』や『砂のクロニクル』ほどの凄さは感じられない。主人公の血の熱さの違いかな。

<朝日新聞社:1998年5月刊:上下巻・本体各1800円、1700円>
back

今はもうない(森博嗣
嵐の別荘の隣り合せの密室で、それぞれに死んでいた姉妹。たまたま居合わせた西之園嬢の推理はいかに――?
森博嗣お得意の密室ものだが、例によってそれ以外にも色々と仕掛けがあって楽しい。でもこれまでの犀川&萌絵シリーズを読んでいないと楽しみは半減しちゃいますので、未読の人は順番に読みましょう。

<講談社:1998年4月刊:本体880円>
back

無脊椎動物の驚異(リチャード・コニフ)
ちなみに「無脊椎動物」(Invertebrate)というグルーピングは、実は系統学的には不当なのだ。これは「脊椎動物」に対する典型的な「その他」グループであって、系統学的にまとまったグループではないから。しかし「分類と系統は別」であり(この本参照)、分類はヒトの認知パターンに基づいて行われるのだとすれば、(ぬるぬるしていたりわさわさしていたりする奴ら :-)、として)人々に受け入れられている「無脊椎動物」というカテゴリーも、ブンルイ学的には正当性をもつのかもしれない。もっともそれなら昆虫マニアがヒトなどの動物を「無節足動物」に分類しようとしても文句は言えないわけだが。
閑話休題。
本書はまず何より、読んで面白い本だ。登場する動物たちは、ヒル、ヒアリ、ミミズ、タランチュラ、トンボ、蚊、イカなどなど。著者の取材に基づいて、これらの動物たちに関する様々なエピソードがユーモラスに語られていく。森山さんもお勧めのヒルに取りつかれたソーヤー氏の話は秀逸。

<青土社:1998年3月刊:本体2400円>
back

ガルムの報酬(グイン・サーガ60巻)(栗本薫)
ほぼ予想通りの展開なんだけど、アリにはもう少し抵抗して欲しかったな。

<ハヤカワ文庫JA:1998年4月刊:本体500円>
back

クローン羊ドリー(ジーナ・コラータ)
本書のテーマはドリーそのものというよりも、ドリー誕生へと至ったクローニング研究の歴史だ。19世紀以来の発生学の歴史や、イルメンゼーのクローニング実験にまつわる疑惑など、生物学史の本として読んでも面白い。ドリーが生物学の主流にいる細胞生物学者、分子生物学者たちではなく、家畜を相手にする応用系の研究者の手によって生み出された、というあたりの事情も興味深い。おすすめ。

<ASCII出版局:1998年3月刊:本体1800円>
back

1998年7〜9月分
1998年1〜3月分
1997年7〜12月分
1997年1〜6月分
1996年版目次
1995年版
本のページへ戻る
ホームページへ
.


彦坂 暁 (akirahs@ipc.hiroshima-u.ac.jp)