永遠の草間彌生

ミュシャにつづいて、新美術館で開催されている草間彌生展「わが永遠の魂」にも行ってきました。

展覧会のタイトルにもなっている《わが永遠の魂》のシリーズは、100号を超えるサイズで、そのサイズと数と表現の多様さには圧倒されます。とは言え個人的には近年の作品群はあまり好きではないので、割とスルーします。とかなんとか言いながら、MoMAの展覧会で衝撃を受けて以来、展覧会があればだいたい欠かさず見ているわけですが。

個人的に重要であったのは、《わが永遠の魂》を展示している空間の周囲のギャラリーに展開している、初期の作品からネットペインティング〜ソフトスカルプチャーあたりの作品群で、このあたりの自分自身とのアイデンティティを賭けた闘いを感じさせる作品は本当に素晴らしいです。これだけいろいろ同時に見られたのはMoMAとMoTでの回顧展以来ではないでしょうか。

その点、近年の作品群は《わが永遠の魂》を含め、ある種達観しているというか、自分が闘うべき対象と和解した感すらあり、いまひとつパワーに欠ける気がするのです。大衆受けしてカワイイとか言われている草間作品というのは正直なところ違和感しかありません。もちろん、年齢を考えると、これだけの大画面でこれだけの数を描き続けるエネルギーというのはとてつもないことであるとは思います。ただ、個人的にはあまり好きではないという話しです。

屋外の展示も、木のラッピングにせよ《ナルシスの庭》にせよ大変残念な感じで、もうちょっとなんとかならなかったのでしょうか。特に《ナルシスの庭》に関してはこれまで見た中でも圧倒的に残念な状況で展示されており、こんなことなら無い方が良かったように思います。気づかずに帰っちゃう人も多いのではないですかね。今年予定されている安藤忠雄展でも光の教会の原寸大インスタレーションを作るなどということを言っていたり、先のダリのメイ・ウェストの部屋といい、新美術館の展覧会での空間の使い方に関しては、正直企画の方向性に疑問を感じます。

近年のもの(といってももう10年以上になりますが)としては例外的に、これまで参加したことのなかったオブリタレーションルームがあったのは良かったです。会期も始まってからすでに随分経過していたので、壁面はおおむね色で埋め尽くされていました。真っ白に近い状態を見られなかったのは少しばかり残念ですが、写真で見るとたしかにいろいろ物体が消えているようにも見え、「なるほど」という感じでした。

ネガティブなことも書いてはいますが、全体としては、いろいろな客層に合わせて、時代ごとに多様な作品が集められており、見てよかったと思える展覧会でした。

それにしても何がすごいかと言って、比較的空いている時間帯に行ったのですが、チケットやギャラリーの待ち時間がゼロであったにも関わらず、出てきてみればグッズ販売のレジの待ち時間が60分待ちという血迷った状況で、いろいろな意味ですごいなと思ったのでした。この人たちはみんなそんなに並んでまで欲しいものがあるのか…という。

オリジナルのビニールバッグに入れてもらえるとは言え、さすがに一時間も待つ気にはとてもなれないので、地下のショップでカタログだけ買って帰ってきました。後悔はしていません。日時によってはチケット売り場も長蛇の列のようなので、チケットはオンラインで購入して行くのが吉です。