4.9月26日 |
午前:Dinas Koperasi → Lambada → 午後:西海岸へ(Leupung)
◇ 9:00 Dinas Koperasi & Ushaha Kecil Menengah Provinsi Nanggroe Ache Darussalam
Mr. Azhar Amin (KADIS)
・ Cooperativeは、基本的にはSmall Scale Enterprise
・ Enterpriseには3つの方法がある。1)Private Sector 2)Company 3) Cooperative
・ アチェ州には5000ものCoopがある。70%が形骸化。稼働しているのは30%程度。そのうちの15%が津波の影響を受け、実際に稼働しているのは15%程度。
・ 津波後は、新しいCoopが誕生する傾向もある。Dinasのサポートによって400が誕生。機能としては、1)Identify 2)Facility(office: by Dinas Cooperative, Budget by IPPN(INDEPENDENT PROGRESSIVE POLITICS NETWORK?), National GO)3) Capital Business
・ 借入額:第1段階2〜5百万ルピア、第2段階5〜10百万ルピア、第3段階10百万以上(このばあい銀行を通す)。津波被害者は優先順位が高い。
・ 借入者の資格:HH head, Collateral, Certification, Member fee
・ GO→Coop(Sub district level) リボルビング→メインテナンスも含む、Sharia system(Islamic law)に従う。また、政府の政策に影響されやすい。
・ Coop→Multipurpose activities(agriculture, trader, fisheries)
・ Sub district level: 5-10coops その中の1 Coopがofficial
・ 津波以後、返済していない場合は。→把握できない。政府がフォローアップ。ケースバイケース。
・ 津波以後、Syaria Bank のシェアが急増。現在3割。返済不要?一種の義援金?商業銀行やその他の銀行のシェアは7割。(例)100百万借りて、150百万になったら、100百万だけ返済。50百万はそのまま本人のもとへ。では、銀行の運営資金はどうなるのだろうか?次のCoopへ100百万を移行。その際に付ける利子はケースバイケース?
・ Coop は主にSyaria Bankを通している。
・ Saving (Main Saving and Super Saving) ミーティング2000〜5000ルピア/year
・ Coopのトレーニング:accommodations, facility, new tecnology
|
 アチェ空港を降りたらすぐにSyariah銀行の看板があった。 |

|

|

|

|

|

|

|
Fisheries ↓ Financial Traders(Toki Bank) 5-10% ↓ 17000ルピア/kg ↓ Traders ↓ 20000ルピア/kg ↓ Customers |
 1日の販売量 10-20k (Mobile Marketの場合もある) |

|

|

|
 オレンジ色のTシャツは復興に携わる媒体機関の職員。援助をいかに得るかは重要な役割。Mr.T. Jamal Usaman(Yayasan Pembangunan Serambi Mekkah Jaya) |

|
パングリマ・ラウト(PL)へのインタビュー (写真左、52歳)
ランプロの人。奥さんがこちらに住んでいる。PLのメンバーは300人程度。船員メンバーは10〜12人。一人がキャプテン、一人がエンジン。漁の時間は朝7時から10時頃まで。岸から5〜10マイル。漁獲量が高い時期は10月〜2月。ローカルルールは、金曜日は休み、ボート間の距離(2〜5m)、ネットの長さ(900-1500m)など。7日以上の漁に出たらTPIでシェアする。PLはもめ事の調停を行うが、まずミーティングで話し合うようにする。政府やNGOからのアプローチについては、PLは、インタビューや議論を通して得た情報を提供するが、援助は、直接、村人へ行くことが多い。2005年の5月頃からDinasからアプローチがあった。津波被害は、130ボートがダメージを受け27ボートだけが残った。 |
漁具販売店主 Mr. Amiruddin(写真左 36歳)の話
元漁師。津波で15人の家族が目の前で亡くなった。(悲しみの余り家族についてはこれ以上立ち入っては聞けなかった。彼らにとっては記憶がまだ生々しいのだ。)トラウマ。海に出たくない。ボートはなくなった。津波の前に、彼が漁に出て、家族が商売をしていたので、左写真のプロジェクトのGrant(2,250,000ルピア)を受けて商売を継続した。釣り具や燃料を販売。津波後、この地域の商売人はみんなgrantがもらえた。売り上げは1日に平均250000ルピア、そのうち3割が利益である。一人なら大丈夫であるが、家族を養うには十分ではない。また、この収益で、野菜や魚はなんとかなるが家族の米を買うには十分ではない。米の消費量は1kg/day。夢は、もっと店を修復して釣り具の種類を増やすこと。 |

|

|
IRD(http://www.ird-dc.org/)のGrant。マイクロファイナンスではない。 Rebuilding the Economy of Banda Aceh Following the Tsunami。IRD's Emergency Livelihoods and Income Generation program, funded by the United Nations Development Program (UNDP), both creates employment opportunities and rebuilds the capacity of micro, small and medium-sized businesses in Banda Aceh following the devastating tsunami of December 2004. |
 釣り針 |
 網や雑誌 |
 店構えはバラック小屋に近い |

|

|

|

|
リーダーへのインタビュー
津波の前は1864人いた(漁師は300人)。津波後は514人。今は28人の漁師。船はひとつ。ギルネットの大きな船が欲しい。NGOなど援助機関が来て、いろんな情報やニーズを聞きに来るが実際に実行するのは少ない。東側はアクセスの面から援助がどんどん入って復旧しているが、特に西海岸はまだまだ遅れている。ADBが衣服やリフトネット?(バガン)の材料を提供してくれた。漁師は自分でネットを作り、地元大工(現在8名)がボートを造っている。ひとつのバガンに210000000ルピアが必要。とにかく、リーダーは自分たちの村に援助を呼び込むことに躍起になっている。 |
農業グループ」はあるが、土地が肥えていない。ピーナッツや、ココナッツ、キャッサバ、米などを栽培している。「家畜グループ」NGOのサポートで白い牛を飼って牛乳を販売している。60人のメンバーが3つのグループ(各20人)に分かれて、最初のグループでSpawning Systemを行う。子牛を買って、大きくして販売する。大人の牛が約3百万ルピア。売り上げはグループの資金となり、右下の共同食器などを購入して祭りや儀式などに活用する。20人で回転させて、次のグループへ移行するシステムであるが、1年に1頭産むペースで考えると非常に時間のかかるシステムである。 |

|

|
 共同で購入した食器類など |
 テントもところどころにみられる |
 このあたりはまだまだ建設中の建物が多い |
 漁業が中心といいながらボートがみられない |
 陸上に唯一ボートを発見 |

|
 津波によって陸上に叩き上げられた大きな船。 ここに240世帯が住んでいる。 |
 津波被害で壊れた車 |

|
 所々に津波被害の痕跡がみられる |
 ベチャモト(荷物用) |
 ベチャモト(お客用)定員オーバーも平気。 |
 ベチャモト(お客用) |
 有名なアチェコーヒー |

|
|