暑い1日。 汗が滝のように流れる中、生後3ヶ月から小学校2年生の夏休みまでを過ごした府中町に行ってきました。 以前 「グリコ」 の話題の時に書いたグーだかチョキだかパーだかの彫刻が施された石を探しに。 子どもの頃買い物に来ていたスーパーに車を停め、散策開始。 家を出る時に日焼け止めを塗っておいたのですが、不安になり歩きながら再度日焼け止めを塗る。 それぐらい日差しが強かった。 手には車を停めたスーパーで買ったポカリスウェット、熱中症予防です。 「んー、確かここは小学校のすぐそばから入った道」 と思いながら歩いていたら1軒の文房具屋さんを発見。 ここはたぶんノートや消しゴムや (当たり前か?) いつも幼稚園に一緒に行ってくれていた1歳上の芥川佳子ちゃんの誕生日プレゼントを買った文房具屋さん。 店構えは覚えていませんが、場所的にまず間違いありません。 「と言うことは、ここの小道を入っていけば総社の公園 (石がある通りのすぐ横の公園) があるはず…」 と歩いてみた。 が、なーんか当時と全然違っていて狭い路地で家が密集。 子どもの頃と道幅の感じ方に違いがあるにしても、これは狭すぎのような気がする。 家がいっぱいだな。 とりあえず広い道に出てみよう…と歩いていたら、当時通っていたりゅうせん幼稚園の前に出た。 あれ、こんなところまで来ていたのか。 しばし広い道を歩き、再度公園を目指して一路路地へ。 そして公園発見! …信じられないぐらい狭くなっている。 これは気のせいでもなんでもなく、当時あった動物の遊具や、岩山がすっかりなくなっている。 ジャングルジムもブランコもない…。 そして当時件の石があったと思しき場所には新しい家が建っていた。 しょんぼりーぬ。 「あーあ、あの石もなくなったのかなぁ。 でももしかしたら…」 とちょっと覗いてみたらありました! たぶん、いや絶対にこれです!
当時グーかチョキかパーかと思っていたのですが、実際は矢印的な石だったことが判明。 うぅむ、子どもの記憶力ってのは曖昧なもんだすな。 でも手の石だったってことに間違いはなかったってことで。 残っていて良かったー、なんかすっきりしました。 公園で水分補給し、また幼稚園の横を通り一路小学校方面へ。 おーっと忘れちゃいけない埃宮 (えのみや) のバス停をチェック。
幼稚園生の頃のまきまきは、週に何度かこのバス停から1人でバスに乗り (バス代50円也) 袋町の耳鼻科に通っていたのです。 当時はこんな良いバス停じゃなかったなぁ、たぶん県内に多く分布しているそごうのバス停でした (広島ローカルの人じゃないとわからないと思いますが)。 そしてバス停でバスを待っている時、いつも見ていた風景が小川を挟んだ道路の反対側にまだ残ってました。
うまく撮れなかったので見づらいと思いますが、山本時計店と書いてあります。 思いっきり昭和の光景がここにありました。 あー、まだ残っていたんだー、かなり感動。 この光景と黄金バットが何か結びついているのです、リアルタイムじゃないと思いますが、黄金バットのポスターか何かがこの近くにあったんじゃないかなぁ。 そして今度は小学校へ。 1年8組、2年8組だった私。 たぶん校舎のこの辺りに教室があったんじゃないかと思います。 懐かしいなぁ。
(これは校舎全体のほんの一画です。) この後車で小学校の遠足ポイント (日曜日の父とのお散歩ポイントでもある) みくまり峡という場所まで行ってみたのですが、風景が激しく変わっていて何の感慨も起こりませんでした、残念です。 このブログのツールだと4枚しか写真がアップできないので、文房具屋さんやりゅうせん幼稚園やバレエのレッスンに通っていた公民館等の写真がアップできないのが残念です。 …と言っても、うまく撮れていないので良いっちゃ良いのですが。 当時住んでいた社宅は、新しく小学校を建てるために壊されてしまい、今はもうありません (幼馴染の家も同じ理由でもうない)。 当時幼馴染と遊んでいた秘密基地 (家のすぐそばの空き地で、幼馴染や姉とひたすら横穴を掘っていた。 日曜日はお弁当を持って穴を掘りに行っていた) も小学校の敷地になっているんだよなぁ。 みくまり峡に向かう途中、その小学校の方を見たら、秘密基地の裏の坂道 (当時は土の地面だった) と同じ形状の坂道があったので 「あー、これ絶対に秘密基地の裏側だ!」 と確信しました。 残念ながら、運転中だったので写真は撮っていません。 ま、姿を変えた場所の写真なんてどうでも良いやね。
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