ペスタロッチーの生涯2



大学にはいって

 1761年にペスタロッチーは大学へと進み、はじめは神学を次には 法学を志しました。彼は最初は牧師になって貧しい人々を救いたいと おもいましたが、もっと直接的に人々を救いたいと考えて弁護士を めざしたのです。そのころペスタロッチーが進学したカルル大学に はとても優秀な先生方がおられました。ブライティンガーやボート マーがそうです。とくにボートマーの影響を受けて入った 「ゲルヴェ・ヘルヴェーチア協会」で、ペスタロッチーは当時話題 だったルソーの思想に出合いました。ルソーの「自然に帰れ」という 主張は青年ペスタロッチーの魂をゆさぶらずにはおられませんでし た。ペスタロッチーは「愛国者団」という団体に所属し、ルソーの 精神にしたがって社会を良くしたいと考えるようになったのです。 しかしこのことが遠因となって、ペスタロッチーは政治家になること を断念せざるをえなくなり、結局自ら農民となって人々を救う道を 選ぶことになったのです。

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1. 子どものころ 2. 大学にはいって
3. 農場経営の失敗 4. フランス革命の影響
5. はじめての教育実践 6. 小学校の先生になる
7. 教員養成の学校を作る 8. ペスタロッチーの最期


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