ペスタロッチーの生涯6




小学校の先生になる

休養していてもペスタロッチーの心は落ち着きませんでした。 どんな子どもでも楽しく生き生きと学べるような学校を創ること、 それがペスタロッチーの夢でした。1799年7月、今度はブルクドルフという町の 小学校の先生になりました。そしてどんな子どもでも学べるような 教科書や教材を作り始めました。そのうちペスタロッチーのことが 認められて、1800年ブルクドルフ城に学校を創ることができました。これをブルク ドルフ学園といいます。ここでペスタロッチーは自分が考えた教育 方法をメトーデと名づけ、それを広めるために1801年に本を書きました。 その本は 『ゲルトルート児童教育法』といいます。この本を読んだ 人がたくさんブルクドルフ学園にやってきてペスタロッチーの教育に ついての考えや方法を学びました。こうしてペスタロッチーの名は ヨーロッパで有名になりました。

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1. 子どものころ 2. 大学にはいって
3. 農場経営の失敗 4. フランス革命の影響
5. はじめての教育実践 6. 小学校の先生になる
7. 教員養成の学校を作る 8. ペスタロッチーの最期


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