ペスタロッチーの生涯5




はじめての教育実践

 シュタンツの孤児院にきた子どもたちは、乞食(こじき)を したり泥棒をしたりして何とか生きてきた子どもたちでした。戦争が あるときに、親がいない子どもがひとりで生きていくことは大変な ことです。子どもたちは大人を信用できなくなっていました。 ペスタロッチーがどんなに子どもたちに優しくしても、はじめのうち は誰もわかってくれませんでした。でもペスタロッチーの暖かい愛情 に包まれているうちに、子どもたちの氷のような心がしだいに溶けて きました。春の暖かい太陽が降り積もった雪を溶かすように、 子どもたちの心は溶けていき、ペスタロッチーの心を理解するように なったのです。ペスタロッチーの喜びは本当に大きなものでした。 でもその喜びもつかの間、わずか6ヶ月でシュタンツの孤児院は閉鎖 されてしまいました。フランスの軍隊の病院にされることになったの です。すっかり気落ちしたペスタロッチーは血を吐いてしまい、 どこかで休養しなければならなくなりました。友人のすすめで行った 保養地グルニゲルで書いたのが、有名な 『シュタンツだより』です。

<写真をクリックすると写真の説明画面が開きます>





1. 子どものころ 2. 大学にはいって
3. 農場経営の失敗 4. フランス革命の影響
5. はじめての教育実践 6. 小学校の先生になる
7. 教員養成の学校を作る 8. ペスタロッチーの最期


ペスタロッチートップへもどる