ペスタロッチーの生涯3 |
1年間の修行の後、1771年にペスタロッチーはアールガウ州ビル村に 土地を買い、農場経営に着手しました。彼はそこをノイホーフ(新しい農場の意)と 名づけ、大きな家を建てて妻アンナ、息子ヤーコプと暮らし始めまし た。しかし農場経営はうまくいかず、大変な苦労を味わいました。 ある年はひどい凶作で村に貧民の子どもたちがあふれました。 ペスタロッチーはその子どもたちをひきとって、一人前の労働者に してやりたいと考え、農場経営の傍ら貧民学校経営をはじめました。 一時はうまくいくかに思えた貧民学校も次第に経営に行き詰まり、 ペスタロッチーは子どもたちにパンを与え、自分は小川の水を飲んで 空腹を満たしたほどでした。貧民学校はやがて閉鎖のやむなきに いたり、ペスタロッチーは失意のどん底に落とされました。
そのペスタロッチーを救ったのは、リーザベートという若い 女性でした。彼女はペスタロッチーの慈善事業に心を打たれ、 まったく無給でペスタロッチー家を支え、農場経営を立て直したの でした。1780年に書かれた主著 『リーンハルトとゲルトルート』 に登場する理想の女性像ゲルトルートは、彼女がモデルだといわれ ています。ペスタロッチーの人生においてはこのように、女性が 無私の献身で彼を支えるということが数多くあります。このことが ペスタロッチーに女性の偉大さに気づかせる要因になったのでは ないかといわれています。
1. 子どものころ | 2. 大学にはいって |
3. 農場経営の失敗 | 4. フランス革命の影響 |
5. はじめての教育実践 | 6. 小学校の先生になる |
7. 教員養成の学校を作る | 8. ペスタロッチーの最期 |