ペスタロッチーの生涯7




教員養成の学校を作る

その後スイス革命に対する反動の時期がやってきました。ペスタ ロッチーはブルクドルフをさらねばならなくなりました。いろいろな 誘いがあったのですが、結局1804年からジュネーブに近いイヴェルドンという町 のお城で学校を開くことになりました。この学校をイヴェルドン学園 といいます。フレーベルもこの学園に来てペスタロッチーから多くの ことを学びました。この学園ではペスタロッチーはあまり授業を しないで、本を書いたり教員養成をしたりしました。このころから ペスタロッチーは自分が考えてきた教育についての考えや方法の ことを基礎教育の理念とよぶようになりました。基本的なことは メトーデと同じです。ペスタロッチーは自分が考えた教育方法を もっと世界中に広めることで、世界中の子どもたちが楽しく生き 生きと学校で学べるようにしてやりたいと願っていたのです。

 ペスタロッチーが望んだのは、すべての子どもの教育 でした。1806にはまだ当時珍しかった女子学校を併設し、1813年には スイス初の聾唖学校を設立しました。1818年には年金をなげうってイ ヴェルドンの近くのクランディに貧民学校を創りました。貧民学校の 設立はペスタロッチーの長年の夢でした。残念ながらこの貧民学校は、 経営不振のため1年足らずでイヴェルドン学園に吸収されてしまいました。

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1. 子どものころ 2. 大学にはいって
3. 農場経営の失敗 4. フランス革命の影響
5. はじめての教育実践 6. 小学校の先生になる
7. 教員養成の学校を作る 8. ペスタロッチーの最期


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